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魔の子供と闇の姫

 この世界、『ゼルテリア』には、三つの種族が存在する。

 一つは、人間。それなりの知能は有るものの、無力そのものである、人間。

 一つは、神。人間とは比べ物にならない程の知能と力を持つが、気紛れな、神。

 最後の一つは、闇獣アンジュウ。知能は低いが、絶倫した力を持ち、その力を人間に向ける、闇獣。

 人間は、闇獣に怯えながらも、神には無い独特な知能で闇獣を避け、文明を発達させながら生きている。

 神は、人間より数は劣るが、それぞれが様々な力を持ち、稀に人間と闇獣の前に現れるが、気紛れな性格なため何をするか分からない。

 そして、世界に無数に存在する闇獣は――



「ハァ、ハァ……ハァ……」

 森の中を、その男の子は走っていた。

「くそっ……多分……もう、限界かも……!」

 走りながらそう呟くも、男の子は走り続けた。

 十五、六歳位のその男の子は、濃い青色のズボンに三本のベルトを締め、同色の上着を着て、フードを被っていた。その服装は走るに適していない様に見えるが、馴れているのか、服装などお構いなし、といった感じで走り続けている――が、体力は無限に続くものではない……。

「ハァ、ハァ……もう、無理か……それなら!」

 男の子はそう叫びながら足を止め、目の前の大きな樹に背を向ける様に振り返った。

 森に鬱蒼と生い茂る樹々を、穏やかに揺らしていた風が、一瞬、表情を変え、強く吹き荒れた。その突風は、男の子のフードを吹き飛ばし、男の子の顔を、樹々の隙間から射し込む陽光が照らし出す。

 身の丈にあった、少年と言うには大人びていて、青年と言うには幼すぎる顔の男の子の目は、一心に、自分の走ってきた道を見つめていた。

「グルルル――」

 突然、犬の様な小動物とは格が違う、力強い唸り声が聞こえてきた。

「来たな、闇獣……」

 男の子の声と同時に、樹々の陰から、一体の獣が現れた。

 闇獣と呼ばれたそれは、男の子の腰程の高さで、二足で立てば、優に男の子の身長を越すであろう大きさの獣である。

 闇獣は、男の子の七、八メートル手前で止まり、ギロリと光る二つのラピスラズリ色の瞳で男の子を睨み付けると、息を大きく吸い、高らかな雄叫びを上げた。

「ま、負け犬の遠吠えにしては、は、速いんじゃないか……?」

 男の子は強がったものの、本心では分かっていた。これが、「獲物を捉えた」という合図だという事。そして、周りの茂みが、ガサガサと揺れる事も……。

 案の定、茂みは揺れ、四方八方から闇獣が現れた。

「多分、二、三十ってとこか……」

 ひきつった笑顔でそう言うと、男の子は腰のベルトから何かを引き抜いた。それは、陽光を浴び、先端がギラッと光る――そう、男の子の左手で光っているものは、短剣……。

「まとめて、毛皮剥いでマントにしてやる!」

 その声を聞くや否や、闇獣が一斉に男の子に襲いかかった

 まず、男の子に飛びかかってきたのは、初めに現れた、あの闇獣。

 闇獣は地面を蹴り、牙をむき出しながら、男の子に飛びかかる――が、もう少しのところで男の子は右に避け、樹に顔面から衝突して地面に落ちた闇獣に、左手を振り下ろした。

 刃を内側に向けて逆手に持たれた短剣が闇獣の首元を斬り裂き、滴る血と、その場に倒れ込んだ闇獣を見て、他の闇獣達は怯むかと思われだが、さらに唸り声は大きくなり、逆に、男の子の方が怯んだ。

「これは……ピ、ピンチだ……!」

 そう呟いて、短剣を強く握り締めた男の子の心中など関係ないと言わんばかりに、闇獣達はゆっくり、しかし確実に、男の子に歩み寄っていく。

 「次は、お前の首元から、鮮血を飛び散らせてやろう」と、言いたげな無数の瞳が男の子に焦点を合わせ、一体が吠えたのを合図に、一斉に飛びかかろうと地を蹴って走り出した――その時、何処からか、声が響いてきた。

白魔ハクマ、障壁を。黒天コクテンは脚力と脚速強化」

 男の子が、その声がする方を見ると、樹から樹へと飛び移る一つの影。その影は、目にも止まらぬ速さで動き、闇獣より先に男の子の傍に現れ、その場に立ち尽くした。

「お、おい!」

「うるさいな。黙ってなよ」

 黒いローブで首から下を隠しているその人間は、闇獣の方を向いたまま男の子にそれだけ返した。

 しかし、飛びかかってくる闇獣をどうにかするわけでもなく、ただ、闇獣達を見ているだけのその人間を見て、男の子は、

「もう!何もしないんじゃないか!」

と、叫び、その人間をかばう様に立ち、覚悟を決めて闇獣に立ち向かおうと駆け出した。

 それを見て、黒いローブを纏った人間が呟く。

「馬鹿だな……」

 その言葉と同時に、男の子と一体の闇獣が衝突し、互いに地面に弾き飛ばされたのだ、と、男の子は最初に思ったが、周りを見渡して異変に気付いた。

 闇獣達は、二人を取り囲む様に飛びかかってくるが、見えない何かに阻まれ、次々と地面に落ち、山積みになっていった。

 その光景を呆然と眺める男の子の事など忘れたかの様に、黒いローブを纏った人間は、

「白魔、火霧ヒギリを」

と、呟いた。すると、さっきは遠くて聞こえなかったのか、今の呼び掛けに、

「うん」

と、無邪気な子供の様な声の誰かが答えた。

 その返事が聞こえたかと思うと、急に、見えない壁の向こう側に白い霧が立ち込め、中に入ろうと壁に爪を立て、牙をむく闇獣達を包み込み始めた。そして、全ての闇獣を包み込んだところで、さっきと同じ、子供の様な声が聞こえた。

「燃え尽きて……灰になれ!」

 その瞬間、空気が熱くなり、闇獣達を包み込む霧が弾け、男の子と黒いローブを纏った人間、正体不明の子供の様な声の誰かを護る様に存在する見えない壁の向こう側が火の海となった。

「な、何だよ、これ……」

 男の子はそう呟いて、闇獣達を見つめている。いや、さっきまでは闇獣であった、焼け焦げた黒い塊を……。

「お前、大丈夫なの?」

 その声で、ようやく男の子は闇獣から目線を離し、後ろを振り向いた。

 そこには、冷ややかな目で男の子を見つめる一人の人間。

 その人間は、襟の高い黒いローブを纏っているため、顔だけしか見えなかった。しかし、その鋭い目つきとさっきまでの言動から、男の子は、性格だけをはっきりと理解した。

 それよりも、驚くべき事は――

「お、お前……肩のそれ、何だよ!」

 男の子がそう叫んだ理由……それこそ、さっき、黒いローブを纏った人間に返事をした、無邪気な子供の様な声の正体だった。

 男の子の問いかけに、黒いローブを纏った人間は、ローブで隠れた右肩の上に浮かぶ、白い小さな『竜』の頭を撫でて、言った。

「これ?白魔と――あぁ、忘れてた。白魔、障壁解除。黒天、脚力と脚速強化、解いていいよ」

 その言葉と同時に、周りの見えない壁が音を立てて崩れた。さらに、その人間の足元のローブが揺れ、黒い霧が出てきた。それは、その人間の左肩で、黒く、小さな『竜』を象る。

「ごめん、黒天。忘れてた」

「『忘れてた』で済ませるな!」

 その黒い竜の声も子供の様な声ではあったが、白い竜の声と比べ、少し、意地悪そうな声だった。

「まぁ、まぁ、冷静になったら、黒天?」

「白魔、お前は黙ってろ!」

 黒いローブを纏った人間と、その右肩と左肩の上に浮く、喋る『竜』の会話を見て、

「お前……人間じゃなくて、神なのか?」

と、男の子は、黒いローブを纏った人間に問いかけた。

「お前、目が見えない訳じゃないだろ?僕のどこが神に見える?」

「だって、竜を従えてるじゃないか!」

「白魔と黒天か?この竜は――」

 黒いローブを纏った人間は、白い竜と黒い竜を順番に見て、何か言いかけたが、黒い竜、『黒天』に遮られた。

「おい!会って間もない小僧に、色々と教えるのか?問われた事は、包み隠さず喋る正直な奴、今の世の中にいないぜ!教えるなら、せいぜい名前までだ!」

 黒天に続き、白い竜、『白魔』が言った。

「名前も、見ず知らずの人に教えちゃいけないよ、黒天?」

「だから、白魔、お前は黙ってろ!」

「黒天こそ、そんな大きな声出さなくても、こんな近くに居るんだから聞こえるよ」

「お前達、僕の耳許で大声出さないでくれるか?もう、戻ってなよ。えっと……お前――」

 黒いローブを纏った人間が二匹をなだめ、そう言うと、二匹は煙の様に消えていった。そして、その人間は男の子を指差した。

「名前、何て言うんだ?」

 男の子は、その質問に答えるべきか迷ったが、性格はともかく、闇獣から助けてくれたのは確かだ、悪い奴じゃない、と、心の中で呟いた後、控え気味に名を名乗った。

「レ、レヴァイル……レヴァイル・エスタレット……」

「レヴァイルか。じゃあ、レヴァイル、大丈夫か?」

黒いローブを纏った人間は、男の子、『レヴァイル・エスタレット』の名前を復唱して、もう一度、レヴァイルにそう言った。

「えっ?あぁ……こんな事、馴れてるからな」

「馴れてる?こんな低級の闇獣に喰われるところだったのに?」

「低級でも、二、三十体を一度に相手するなんて、短剣一本じゃ、無理だろ、多分!」

 そこで、黒いローブを纏った人間がレヴァイルから目をそらし、樹の下で倒れた闇獣を見た。

「これ、レヴァイルが殺ったの?」

「あぁ」

 その人間は、その返事を聞いて、その闇獣に歩み寄り、首元を見つめた。

「(低級っていっても、闇獣は闇獣……。白魔の火霧でも、表面を焼き焦がすのが精一杯。まぁ、黒天の撫斬ナデギリなら簡単だけど……。とにかく、ただの人間が造った短剣なら、こんな事できるはずない。どんなに切れ味を良くしても、皮膚に切れ込みが入る程度。レヴァイル・エスタレット……何者なんだ?)」

「――おい!」

 色々な事を考えていたその人間は、レヴァイルの呼びかけで我にかえった。

「お前こそ、大丈夫か?闇獣をボーッと見つめて……?」

「いや、何でも……」

「……短剣が、気になるのか?」

 レヴァイルの鋭い質問に、ずっと無表情だったその人間が、明らかに驚いた表情をした。

「勘が良いんだな……。確かに、僕はその短剣の事を考えてた。でも、聞かないでおくよ」

「気が利くんだな……えっと、お前の名前は?」

 その質問に、その人間は、レヴァイルと同じ様に、少し怯んだが、

「名前は教えてもらったんだ。僕だけ名乗らないわけにはいかない」

と、言って、続けた。

「アルツェリス。アルツェリス・ニヴェラ・リテッド・クロアシェラムだ」

「えっと……アルツェ……クロア……何だって?」

 そこで、黒いローブを纏った人間、『アルツェリス・ニヴェラ・リテッド・クロアシェラム』は、初めて、レヴァイルに笑顔を見せた。

「アルツェリスでいいよ」

 普段の顔からは想像もできない、その素敵な笑顔は、常に無表情な顔に隠されたアルツェリスの心の中を、はっきりと映し出していた。

 その笑顔が、レヴァイルの心を揺り動かしたのも確かで、

「(ま、まさか、男の笑顔を見て、ドキドキしてんのか……俺!?多分、それはいけないぞ!俺は男だ!)」

と、レヴァイルは心の中で叫んだ。

「どうかしたの?」

 レヴァイルの異変に気付いたアルツェリスが、そう問うと、

「えっ?いや、何でもない!全くもって、何でもない、多分!」

と、レヴァイルは焦り気味でそう返し、話題をそらす。

「アルツェリスは、どうしてこんな所にいたんだ?この森は闇獣がたくさんいる。闇獣と戦うために、来たのか?」

「それも、違うとは言えない。でも、気になる事があるんだ」

「気になる事……」

 そこで、レヴァイルが考え込んだ。

「どうした?」

「もしかして、変わった闇獣の噂を聞いて、ここに来たんじゃないのか、多分?」

「変わった闇獣……。僕とレヴァイルは、同じ目的があるらしいね……?」

「あぁ。そうらしいな……」

 レヴァイルは少し哀しげな目をして、そう言った……。


「ここが……。噂には聞いていたけど、本当すごいんだな」

 アルツェリスが言った。

「俺は、理由があって、小さい頃から一人で世界のいろんな所を旅したけど、ここに来たのは初めてだ」

「僕も同じだ。世界で一番栄えていて、世界で一番の大きさを誇り、世界で唯一、闇獣に十分に対抗できる武力を持つ都市――」

「ニルフェアリース……」

 同じ目的を持つ二人は、目的達成のため協力をする事にし、一緒に森を抜けてきた。

 その二人の目の前に広がるのが、世界最大の都市、ニルフェアリース。

 都市は、石造りの外壁でぐるりと一周囲まれ、東西南北の四つの門では、それぞれ五、六人の見張りが硬い表情で、剣やら槍やらを握り締めている。

 都市は、黄昏時にも関わらず、多くの人間で賑わっていた。様々な店が並ぶ様は、ニルフェアリース以外の都市では見られるはずがなく、東の門から、兵士の突き刺さる様な視線を浴びながら都市に入った二人は、目を輝かせながら都市を見渡した。

「まさか、これほどとは思わなかった……。ここでは、僕達が頼られる事はないか……」

「そう言うなよ、アルツェリス。たまには、闇獣の事は他の人間に任せて――」

「きゃぁ!」

 辺りが薄暗くなっていく中で、宿を探し始めた二人の会話に割って入る様に、かん高い人間の悲鳴と微かな唸り声が、二人の耳に届いた。

「レヴァイル、これでも任せるの?」

「分かってる事をいちいち聞くなよ!行こう、アルツェリス!」

 レヴァイルは、アルツェリスにそう返しながら、ベルトから短剣を引き抜いた。

「うん――」

 アルツェリスも返事をして、二匹に呼びかける。

「行くよ、白魔、黒天」

 すると、急に、白い霧と黒い霧がアルツェリスの両肩付近に集まり、それぞれが白魔と黒天を象った。

「堕ちてゆく太陽を背に、闇獣退治。いつも大変だね」

「ようやく俺の出番か?次も身体能力の強化だけなんて、嫌――」

「黒天、脚力、脚速強化に加えて、腕力もいける?」

 黒天は、悪びれた様子は微塵も感じられないアルツェリスを黙って見つめる――が、その一心な目に負け、

「はいはい、分かりましたよ、『王妃』様」

と、皮肉たっぷりに返した後、黒い霧となって、アルツェリスのローブの中に消えた。

「王妃……?」

「皮肉だよ、黒天の。僕が、いつも上から命令するから」

「いや、そうじゃ――って、何だよ!?」

 何かを言いかけたレヴァイルを、漆黒のローブから出てきたアルツェリスの華奢な腕が、軽々と持ち上げた。

「手足の同時強化だから、さっきより脚力が劣る。それで――」

 アルツェリスはそこで一度言葉を切り、足に力を込める様にしゃがみこんだ。

「ま、まさか――」

 そう言葉をもらしたレヴァイルの顔から、血の気が引いていく……。

「着地が少し荒いから、我慢しな……よ!」

 アルツェリスと死体の様な顔をしたレヴァイルが、アルツェリスの『よ!』という言葉と同時に、空高く舞い上がった――。


「――本当に、本当に、ありがとうございます!お二人のお名前を聞いても良いですか?」

 幼いが、言葉遣いが妙に丁寧な少女の問いに、

「俺はレヴァイル!」

と、得意気な顔をしたレヴァイルが答えた。

「あの……そちらの方は……?」

 答える気などない無表情のアルツェリスに、少女は促す様にそう言ったが、アルツェリスはそれすら無視した。

「……えっと、こいつは……お、親に捨てられたんだ!そんなこいつを、俺が拾ってやったんだけど、まだ、な、名前がないんだよ!なっ、アル――じゃない、えっと……我が旅の供!」

 アルツェリスは、子供が子供を拾って育てているという、誰が聞いても嘘だと分かる様ほど、荒唐無稽のレヴァイルを見て、溜め息をつきながら少女を見て頷いた。

「そ、そうだったんですか!?すみません!悪い事をお聞きしてしまって――」

「ティナ!」

 レヴァイルの嘘を信じ込むほど素直な少女の言葉を遮る様に、その三人の許へ駆け寄る一人の女性。

「お母さん!」

「ティナ、大丈夫だった?ごめんなさい……私がもっと気を付けていれば――」

「私なら大丈夫。旅の途中のレヴァイルさん達が助けてくださったから!」

「そう!良かった……」

 そこで、その女性は二人に向き直った。

「ティナの母のフレアです。娘を助けていただいて、本当にありがとうございました。聞けば、旅の最中だとか……?もし、よろしければ、私が営んでいる宿に来ていただけませんか?もちろん、お代は要りません。ほんの、感謝の気持ちです」

「感謝なんて、そんな……。でも、俺達はちょうど宿を探していたんだ。お言葉に甘える事にします」

 少女、ティナの母親、フレアに、レヴァイルが丁寧に返すと、二人は顔をぱっと明るくして、レヴァイルとアルツェリスの二人を、宿へと案内した。


「ありがとう、ティナちゃん。フレアさんに美味しかったって伝えてくれ」

「はい!それと、親子二人だけで営んでる小さい宿なんですが、唯一の自慢の露天風呂があるんです。部屋を出て、廊下を右に行った突き当たりを左に行って下さい。やっぱり、小さい宿だから混浴なんですけど……ゆっくり浸かって疲れをとってくださいね!」

 ティナが食事の片付けを終え、部屋から出ていったところで、アルツェリスがレヴァイルに喋りかける。

「今さら聞く事じゃないけど……レヴァイル、お金は持ってるの?」

「いいや」

「僕もお金は持ってない。それなのに、僕達は宿を探していたんだな……」

 アルツェリスの言葉に、レヴァイルは「あ……」と、それだけ言って固まった。

「計画性の欠片も無いな……。じゃあ、僕は露天風呂を満喫してくる」

 固まっているレヴァイルそれだけ言うと、部屋の端に置いてある浴衣とタオルをとり、足早に部屋を出ていった。

「はっ!」

 静まり返っていた部屋に、レヴァイルの息を呑む声が響いた。

「無意識に、浅はかな考えしか持ってない自分を、心の中で叱ってた……!いや、ちょっと待てよ……。計画性が無いのは俺だけじゃなくて、一緒に宿を探してたアルツェリスも同じだろ……?」

 そう言って、レヴァイルは少し黙っていた――が、不意に立ち上がり、「まぁ、どうでもいいか」と、いわんばかりの顔で呟いた。

「露天風呂、入ろう……」

 レヴァイルは浴衣とタオルを掴み、疲れた顔で部屋を後にした……。


 レヴァイルがタオルを腰に巻き、男子更衣室の露天風呂へと繋がる木造の扉を開けた。

「小さいって言ってたけど……さすが、世界一の都市だな」

 そこに広がる石造りの露天風呂は、十人ほどの人間がゆったりと入れるほどの大きさで、二人で営まれている宿にしては大きい方だった。

 露天風呂の周りは高い竹と草で囲まれ、露天風呂の中心には岩が一つ、突き出す様にあった。その上には、『レヴァイルにだけ』見えている竜が二匹。その二匹の尻尾からは、水滴が垂れていた。

 レヴァイルが見渡す限り人影は一つも無く、それに疑問を感じたレヴァイルは、桶で二、三度湯を体にかけると、脚だけを湯に浸け、岩の反対側に回り込む様に歩き出した。

 レヴァイルの予想通り、岩に隠れる様に湯に浸かる人影があった。

 その人間に、レヴァイルが声をかける。

「アルツェリス、そんな所に隠れてたのか?他に人はいないんだし――ん?」

「ここに座って空を見上げると、とても綺麗な月が見える」

 空を見上げる人間、アルツェリスの異常に気付いたレヴァイルは、戸惑いながらも言った。

「ア、アルツェリス……体の周りに、く、黒いものが漂って――」

「何を言ってるんだ?」

 怪訝な顔をして、アルツェリスが振り返りながらレヴァイルの言葉を遮る。そして、ゆっくりと口を開いた。

「これは、僕の髪だ」

「あぁ、髪か――って、髪!?……いや、まぁ……多分、男でも髪が長い人はいるよな――」

「レヴァイル、やっぱり、馬鹿だな」

「馬鹿って――なっ!?」

 レヴァイルが何かを言う前に、アルツェリスは立ち上がった。それを見てレヴァイルが驚いたのは無理もなく、その理由は――

「アルツェリス……ま、まさか……」

「やっぱり、勘違いしてた……。はっきり言うよ。僕は、『女』だよ」

 目を見開いたままのレヴァイル。その目に映っているのは、脂肪の塊で適度に膨らんだ胸。筋肉もなく、綺麗なくびれがある腰。ほっそりとした白い脚。そして、漆黒の長い黒髪……。

そう、アルツェリスは紛れもない『女』だったのだ。

「あ……え……」

 レヴァイルの頭の中は真っ白で、ただ、アルツェリスの体を見つめるしかなかった。

 ――と、レヴァイルは突然、全てを理解し、

「……わぁぁ!多分、ごめん!」

と、叫び、後ろを向いて湯に浸かった。

「何で謝ったんだ、レヴァイル?」

「いや、その……多分、裸を見てしまいまして、申し訳無いな……と、いう意味なんですが?」

 丁寧な口調のレヴァイルに、

「なんだ――」

と、アルツェリスは然もどうでも良い様に言って、続けた。

「裸なんか見られても、別に気にしない。所詮、男も同じ人間じゃないか」

「でも――」

「まぁ、謝られて迷惑って事もないけど、気にしなくて良い」

 そう言うと、アルツェリスは岩に背を向け、寄りかかった。体はさっきの様に月の方向を向いていたが、立ったままであるため、レヴァイルはそれを横目で確認すると、そのまま、アルツェリスとは反対を向いて喋り始めた。

「つ、浸かってくれないか……湯に?」

「少し、のぼせた」

「のぼ――まぁ、いいか……。じゃあ、人が入ってきたら、浸かった方が良いぞ、多分。あと、その二匹も――」

「えっ!?」

「あれ?」

「おっ?」

 レヴァイルの言葉に、アルツェリス、白魔、黒天が一斉に小さい声を上げた。

「レヴァイル、この二匹が見えてるのか……?」

「見えるも何も……露天風呂に竜がいれば、誰でも凝視するだろ?」

「アルツ、この小僧、やっぱ普通じゃねえなぁ?」

「黒天の頭よりは普通じゃない?」

「うるさい、白魔!」

「白魔、冗談言ってる場合じゃないよ……。レヴァイル、一つ言うと……今、この二匹は誰にも見えない」

「何言ってるんだ?俺は見えてる――っと、危ない……」

 アルツェリスの言葉に、レヴァイルは振り返り――そうになったが、慌てて前を向き直した。

「それが、おかしいんだ。僕は、そこまで頭が悪いわけじゃない。こんな所に竜がいたら、騒ぎになるのは分かってるよ。だからこそ、白魔と黒天にはある状態になってもらってる……」

「ある状態……?」

「簡単に言えば、『透明』になってもらっているんだ」

「透明って――」

「あぁ、分かってるよ。レヴァイルには、見えてる……」

 アルツェリスが自分の言葉を遮るように言った言葉に、レヴァイルは頷いた。

 そして、アルツェリスは、少し間をあけてから言った。

「レヴァイルは、『神から何らかの干渉』を受けた事があるのか?」

 その言葉を聞いたレヴァイルの雰囲気が、一瞬にして変わる。

 そして、レヴァイルは言った。

「もう、黙ってる理由も無いな……。全部、話すよ。短剣の事も、全て……」

 レヴァイルは、一度立って岩に近づいた。そして、岩に寄りかかる様にもう一度浸かり直すと、視線を落とす。

 アルツェリスも、ようやく湯に浸かると、初めの様に月を見上げた。

「俺は、小さい頃から一人だった。親はいたんだ。でも、その親が問題でさ……」

 レヴァイルはそこで一度言葉を区切り、アルツェリスに問う。

「『リンティア』って知ってるよな?」

「……それが、僕達の共通の目的じゃないか?」

 アルツェリスは、レヴァイルの再確認する様な問いにそう答えた。

「あぁ。リンティア――つまり、人間と同じ様な姿で、強力な力とともに高い知能を持ち合わせる闇獣が、ニルフェアリースの近くに度々現れている、って噂を聞いて、僕達はここにいる」

「今さら、どうしてその話をするんだ?」

「……………」

 話しづらいのか、レヴァイルはそこで黙り込んでしまった。アルツェリスも、レヴァイルが話し始めるのを待つ……。しかし、その間に少しだけ、昔の事を思い出していた……。

「まぁ、それで、俺の話に戻るんだけど――」

 レヴァイルがそう切り出したところで、アルツェリスは我に返り、レヴァイルの話を聞くため、頭の中で考えていた事を振り払った。

「俺の母親は、紛れもない人間だった。そして、父親は……父親は、紛れもないリンティアだったんだ」

 その言葉を聞いた途端、アルツェリスと二匹の竜は、わずかながら寒気を感じた。その言葉に寒気を感じた事も否定できないが、もっと、確かな寒気を感じたのだ。それは、湯に浸かっているアルツェリスが一番感じた事を、レヴァイルだけが知っていた……。

 そんな一人と二匹に構わず、レヴァイルは続けた。

「母親と父親は、互いが人間と闇獣という事を知りながら愛し合った。でも、体の作りが全く違う二人が、いくら頑張ったところで子供は生まれるはずがない。悩みに悩んだ二人の前に現れたのが、神だった。初めは、人間と闇獣が仲良くしてるのを見て、流石の神でも驚いた。けど、二人や、二人の子供についての話を聞いているうちに、二人が真剣な事を知って、自分が力になると言った。でも、神が考えついた事は簡単な事じゃなかった。その方法は……二人の体の再創造。つまりは、人間である母親の半分を闇獣のものに、闇獣である父親の半分を人間のものにする……。儀式のため神が造った祭壇で、二人は、三日三晩、想像を絶する痛み、苦しみに耐えた。いや、もっと永かったかもしれない。だけど、その間、二人は一度も手を離さなかったんだ。そして、その後、双方の体が闇獣を、人間を受け入れた。それで、念願の子供が――俺、レヴァイル・エスタレットが生まれたんだ……」

 そこで、レヴァイルは言葉を切った。

「人間と闇獣の子供。そして、神からの干渉を受けている。完璧な存在だな……」

「そんなんじゃないって!」

「……まぁ、神の干渉を受けてる事は確かなんだ。今の状態の白魔と黒天が見えるはずだ」

「なんでだ……?」

 レヴァイルがそう聞くと、アルツェリスは立ち上がって、岩を回り込んでレヴァイルの隣に座った。

「ちょ、アルツェリス!」

「ふふっ、興奮してるの?」

 アルツェリスはからかう様に、上目遣いでレヴァイルを見ながら自分の髪を撫でた。

「くっ――た、多分、大抵の男は興奮するぞ……!アルツェリスは……その、綺麗なんだし……」

 アルツェリスは、ふと、真顔に戻り、

「僕、綺麗なのか……?」

と、レヴァイルの顔を覗き込む。

 必然的に、少しだけ露になったアルツェリスの胸が、レヴァイルの目に入る……。

「あ、あぁ……多分、な。だから、せめて湯に浸かってくれ!」

 不服そうな顔をして、アルツェリスは浸かり直し、それを見て、レヴァイルが溜め息をつく。

「話を戻して……。僕は、闇獣の血が流れていると同時に、神の影響を少しながら受けてる。だから、俺は、ある特殊な能力があるんだ。それが――」

 レヴァイルは、右手を湯から出し、掌を広げて前に突き出した。その光景を、一人と二匹が見つめる中、レヴァイルは目を閉じ、思いっきり手を握り締めた。

 すると、レヴァイルが手を伸ばした方向の湯が、小さな球状に変化した。しかし、レヴァイル達が居るこちら側の湯は、空になった反対側の湯船に流れる事なく、滑らかな断面は、湯船の底に垂直に在り続けている。

「こ、これ……すごいじゃないか!小僧、やるな!見直したぞ――って、最初から期待も何もしてなかったから……俺からすれば、ただ、すごいだけだな!」

 黒天に続き、

「まぁ、黒天よりは実用的な能力だね?」

と、白魔(この発言に、黒天が「黙ってろ、白魔!」と、白魔に言った事は言うまでもない……)。

 そして、

「水を操れる……か。初めに言われた『神なのか?』って言葉が、皮肉にしか聞こえないな」

と、アルツェリスが驚嘆の言葉をもらした。

「操れるものは『水』限定じゃない。初めは水だったものや水を含むものも操れる。俺の短剣は、小さい頃、命を懸けて戦った闇獣の牙を磨り潰してから水に溶かし、良く混ぜた後、氷へと変化させたもの。当然、温度も操れるから、溶ける事はない」

「温度まで――」

 ここで、アルツェリスはさっき感じた寒気の理由を察した。しかし、新たな疑問が浮かぶ。

「なんで、小さい頃に短剣が必要だったんだ?」

「……それは、一人で生きていくしかなかったから」

 レヴァイルは、その言葉を言い終わるとともに、掌を開いた。すると、球状に圧縮されていた湯が小さく弾け、普通の湯として湯船に戻った。

「一人……?」

「……両親が死んだんだ。いや、正確には、母親は殺され、父親は心を壊された……」

 レヴァイルの瞳が哀しみに包まれ、氷の様に冷たくなっていく……。

 レヴァイルは、自分の言った事を嘲笑うかの様に微笑みながら、しかし、瞳の冷たさはそのままで、続けた。

「馬鹿みたいだろ?ただ、闇獣と恋をして、体の半分を闇獣のものにしてしまっただけで、母親は人間に殺された。人間の『裏切り者』として……。なんで、父親が助けなかったかというと、父親も、同じ理由で闇獣達に責められていたから。その結果、父親は心を壊された――つまり、知能をなくし、そこら辺の闇獣と同じ様に、好き勝手に人間を襲う様になった――」

 そこで、レヴァイルは言葉を一度切って、

「あぁ、リンティアは普通の闇獣と違って、無駄に人間を殺す様な真似はしない。ただでさえ、普通の闇獣より強い力を持ってるから、リンティアが好き勝手やってたら、人間は破滅してる」

と、苦笑いしながら付け足した。

 その言葉で、アルツェリスが何かに気付いた様に考え込んだ。

「(普通のリンティアは、好き勝手に人間を襲わない……?って、事は――)」

「分かったか?」

 アルツェリスが、その呼び掛けで驚いた様に体を一瞬震わせ、レヴァイルの方を向いた。すると、レヴァイルは真剣な顔でアルツェリスを見ていた。

「『分かったか?』って事は――」

「あぁ。噂のリンティアは、度々ニルフェアリースを襲ってくる。『普通』じゃないんだ……」

 アルツェリスの頭の中の疑問が、確信に変わる。

「噂のリンティア……って……」

「そう。『多分』、俺の父親だ……」

 アルツェリスはどう答えていいか分からず、白魔や黒天も口を挟む気になれないため、その場は沈黙に包まれた。

 そして、今のレヴァイルの『多分』は、『そうであって欲しくない』という意味が含まれている事も、一人と二匹は理解していた……。


 何とか、暗い雰囲気をレヴァイルが戻し、暫しの雑談の後、それぞれの更衣室で浴衣に着替えて二人が部屋に戻ると、ティナが布団を敷いているところだった。

「あっ、レヴァイルさん、お供さん!すぐ敷き終わりますから!」

「あぁ――」

と、答えたレヴァイルの目の前に敷かれている布団は二枚……。

「(俺、アルツェリスと寝るのか!?アルツェリスは女で、俺は男……って、駄目じゃないか!)」

 心の中でそう叫ぶと、レヴァイルは、

「アルツェリス……部屋、別にしてもらった方がいいんじゃないか?」

と、アルツェリスに耳打ちした。

 そのレヴァイルに、アルツェリスも小さな声で返す。

「いや、いいよ。僕が女と知ってだろうけど、そんな事は気にしないから」

 アルツェリスの返事に、

「あ、あぁ……」

と、狼狽える様にそう言ったレヴァイル。それを見て、アルツェリスが一言。

「変な事、考えるなよ?」

「い、いや――!!お、俺は!」

 さらにレヴァイルが狼狽えたところで、ティナが布団を敷き終わり、

「それじゃあ――」

と、部屋を出ようとした時、アルツェリスが、

「ちょっと待ってくれ」

と、声をかけた。

「はい?」

「この辺りに出る、リンティアの話を聞いた事は?」

 ティナが、襖から手を離し、二人を向き直った。

「母から色々と聞いてます……。詳しくは知らないし、見た事も無いんですが、噂では、毎回の様に北の方から襲ってくるらしいです」

「そうか……」

「とにかく、北には行かない方が良いですよ?」

「分かった、ありがとう」

 お礼を聞いて、

「いえ。それじゃあ、永い夜をお楽しみくださいね!」

と、小悪魔の様な笑顔で、ティナは部屋を出ていった。

「永い夜をって……ティナちゃん……。近頃の小さい子は、大胆な発言をするんだな……」

「まぁ、仕事柄、学ぶ事も多いだろうから、あの娘は特別じゃないか?」

「かもな――と、そんな事話してる場合じゃないな。ティナちゃんが言ってた――」

 レヴァイルは布団の上に腰を下ろし、

「北からリンティアが襲ってくるって話。本当なら、北に闇獣の巣があるって事だな」

と、続けた。

「うん。でも――」

 アルツェリスはレヴァイルの目の前に座り込み、今までのアルツェリスからは予想もできない行動に出た。

「あの娘が言ってた様に、永い夜を楽しまないか……?」

 アルツェリスは、媚びる様にそう言って、レヴァイルに身を預ける。

「あ……えっ――おい!ア、アルツェリス!」

 顔を真っ赤にするレヴァイルの胸の中で、アルツェリスは右手で浴衣の帯を、するり、と解くと、レヴァイルの耳に顔を近づけて、一言こう言った。

「ごめん、レヴァイル……。白魔、今だ、睡粉スイコ

 言い終わると同時に、アルツェリスは大きく息を吸い込んだ。それと同時に、突然、アルツェリスの浴衣の中から、白い霧が、さらさら、と流れ出してきた。

「アルツェリス……!?」

 今度は、狼狽えた声ではなく、はっきりとした声で、胸に倒れ込む女の名前を呼び、レヴァイルはその場から離れ――ようとしたが、華奢な細い腕で腰を締められ、離れるに離れられずにいると、頭がぼんやりとしてきた。

「ア……アル、ツェ……」

 レヴァイルの声は、そこで途切れた。

「……ふぅ~。黒天、腕力強化、解いてくれ」

 白い霧が引いたところで、アルツェリスはそう呼びかけた。呼びかけられた相手は、アルツェリスの浴衣の中から、黒い霧となって出てくると、黒い竜となった。それとともに、白い霧が、黒天の隣、アルツェリスの目の前に集まり始め、白い竜を象る。

「アルツ、これで良かったのか?」

 黒天が、眠り込んでいるレヴァイルを見ながら言った。

 アルツェリスは、しばらく黙っていたが、やがて、二匹に言った。

「さっき、更衣室で言った通りだ。レヴァイルの話を聞く限り、噂のリンティアはレヴァイルの父親。親子同士で殺し合いをさせるなんて、あまりにも酷だ。だから、僕だけで倒す……」

 そう言って、アルツェリスもレヴァイルに目線を落とす。

「それしかないよね……。後は、手筈通りに、レヴァイルを布団に寝かせた後、アルツも仮眠をとって、明日、午前二時に北へ。でしょ?」

「うん、白魔……。二時になったら、起こしてくれ」

 アルツェリスはレヴァイルを布団に寝かせ、その横に敷かれた布団で眠りについた……。



 ――燃え盛る家々。何処からか吹いてきた風が、現在、たった一人の村の生き残りである少女の頬を撫でた後、村の家を焼く業火をさらに煽った。

 その少女の前には、無数の闇獣。唸り声を上げながら、一歩、また一歩と、少女に歩み寄る。

「い、いやだ!来るな!」

 その声を無視し、闇獣達がまた少し、少女に近づいた――その時、白い霧が、アルツェリスからある程度の距離がある後ろの方の闇獣達を包み込み、一瞬で闇獣達を黒い炭に変えた。

 そして、その『内側まで炭と化した』闇獣達を踏み潰しながら、黒い影が少女に近寄ってくる――が、残りの闇獣がそれを黙って見ているはずがなく、一斉にその影に飛びかかった。

 しかし、その影は、持っている刀の様なもので次々と闇獣を斬り倒していく。斬った後、数秒の間は血も出ないその鮮やかな刀さばきは、少女をも魅了した。

 全てを倒し終えると、その影は、またも少女に歩み寄ってくる。そして、少女との距離を十分に縮めたところで、その影は言った。

「俺、こう見えて神なんだけど、飽きたから、こいつらやるよ!」

 呆気にとられる少女の前で、神(自称)らしからぬ格好をしたその神の前で、白い霧と黒い霧が、徐々に竜を象っていく――



「――……ルツ……アルツ!!」

 白魔の声で、アルツェリスは目を開け、ゆっくりと起き上がり、

「おはよう、白魔、黒天」

と、二匹に声をかけた。

「お早くねぇよ!むしろ遅いぞ!もう、二時五分だ!」

 それなりに声は出しているものの、レヴァイルを気にしてか、黒天は抑え気味にそう言った。

「たった五分じゃないか……そんなに怒らないでくれる?」

 アルツェリスはそう返しながら立ち上がり、浴衣の帯を解くと、恥じらいもせずに全裸になり、自分の服とローブを手に取った。

「急ぐのは良いけど……女の子がそういう着替え方をするのは、僕はどうかと思うね」

 白魔が言った事に、

「そうだぞ!」

と、黒天が珍しく賛成の声を上げた――が、

「特に、黒天の前では――」

と、白魔が付け足した事で、案の定、

「黙れ、白魔!」

と、声を上げた。

「お前達……」

 アルツェリスの凄みを効かせた声に、二匹が振り向き、アルツェリスの指が指す、レヴァイルに、再び目線を動かした。

「――母さん……父……さん」

 寝言をもらすレヴァイルを見つめ、起きていない事を確かめると、二匹が溜め息をついた。

 二匹が安堵する中、着替え終わったアルツェリスが、長い髪を隠す様にローブを纏い、二匹に言う。

「じゃあ、行こう……」

 二匹はその言葉に頷くと、霧となって、アルツェリスのローブの中へ消えた。そして、アルツェリスは、レヴァイルを起こさぬ様に、ゆっくりと部屋を出た……。


 アルツェリスが部屋を出て、レヴァイルが眠りについている部屋は、当たり前の様に静かになった。そして、その状態は朝まで続く――はずだったが……。

「ん……アルツェリス――アルツェリス!?」

 レヴァイルは勢いよく起き上がって『お供』の名前を読んだが、部屋には、レヴァイルの服と短剣があるだけだった。

「アルツェリス、何で――って、そういう事か……」

 レヴァイルは、アルツェリスの意図を一瞬で理解すると、時計に目をやった。

「三時か……。露天風呂から上がったのが十一時頃。俺は完全に睡粉ってやつで寝てると思っただろうから、そんなに急いで――」

 ふと、レヴァイルは横に目をやる。

 そこにある布団は、明らかに誰かが寝ていた形跡があった。

「……急いで、ない。決定だな。じゃあ、部屋を出たのは……多分、早くても、日付が変わってから。アルツェリスが時間を気にしない性格なら――」

 レヴァイルはさっと立ち上がり、自分の服を取った。

「北に向かったのは、ついさっき。多分、一時間ぐらい前だ!」

 レヴァイルは、頭の中での憶測を確認するかの様に口に出すと、素早く浴衣から自分の服に着替え、部屋を飛び出した……。


 『時間にルーズな女の子』が、ニルフェアリースの北の門を抜け、『そこ』にたどり着いたのは、レヴァイルが目を覚ましたと、ほぼ同時だった。

 その理由は、他でもなく闇獣。

 アルツェリスが『そこ』に近づくとともに、闇獣の数は増え、到着の時間を遅らせたのだ。

「ようやく俺の出番かと思えば……この数は異常だったぞ」

「でも、黒天が少しは役に立つって事が分かって良かったね。あんな、四方八方から襲われたら、僕みたいな広範囲攻撃型には辛いんだ。いちいち障壁を張るのも面倒だし」

「『少し』じゃねぇ!」

 そんな、いつもの調子の二匹を見て、アルツェリスが呟く。

「緊張感、ないな」

「白魔が悪いんだ!こいつ、いつも俺を馬鹿に――」

「常に、黒天が馬鹿だからだよ。ねっ?」

「あっ、そうか――じゃないだろ!」

 それを見ながら溜め息をついて、アルツェリスは目の前の塔へと歩き出す……。


 北へ森を駆け抜けるレヴァイルは、さっきからいくつもの闇獣を見かけた。その数は進むにつれて多くなり、この先にアルツェリスがいる事を示す証拠でもあった。

 闇獣達には、共通して刀傷があったが、その傷は少し粗く、血が多く飛び散っていた。

 レヴァイルは、傷を見ながらも、立ち止まらず、一心に走り続けた。

 そして、ようやくその塔を見つけ、レヴァイルは誰に言うともなく、言った。

「こんなでかい塔……。自我を無くしたっていっても、これはないだろ……」

 少し呆れた顔をしながら、レヴァイルは塔の入り口に向かった……。


 塔内部の中心には、その空間の半分を占めるほどの円柱が上に向かって伸びていた。その質素な造りの塔内部は、その円柱以外に階段があるだけだった。

 そして、その螺旋状に、壁に沿って左回りに上へとのびる階段を駆け上るアルツェリスを待っていたかの様に、闇獣が次々と現れる。

 唯一の光源である蝋燭が、闇獣達の牙を照らしだす。

「アルツ、これは多いって!流石に、俺の撫斬だけじゃ無理だ!」

 いつになく弱気な黒天の声を聞いて、白魔が叫ぶ。

「僕が援護役になる!」

「それがいい。白魔、樹生キセイ!」

「うん!」

 アルツェリスに白魔はそう返事をすると、白い霧となって階段に降り注ぐ。

 すると、アルツェリスのすぐ前の地面から太い樹が生え、前方の闇獣達を薙ぎ払いながら、階段を登っていく。

「黒天!」

「分かってる!」

 黒天は、素早く霧になると、アルツェリスの右手に集まり、一本の刀を象った。

 アルツェリスはその漆黒の刀を握り締め、樹に飛び乗った。

「全てを相手にしてる暇は無い!」

と、叫んで、襲いかかってくる闇獣に刀を振り下ろしながら、樹の上を駆けていく……。


 塔に入ったレヴァイルを待ち構えるのは、螺旋階段上の闇獣――いや、『残りもの』……。

「アルツェリス、俺が来ないと思って……。まぁ、この数なら……!」

 レヴァイルは、死体やら血やら、太い樹やらで滅茶苦茶の階段を、短剣で鮮やかに『残りもの』を殲滅しながら駆け上がっていく。

 レヴァイルが二十周ほど、回るように階段を登ったところで、上から闇獣が落ちてくるのが見えた。闇獣が、遥か下の地面に叩きつけられる音を聞いた後、レヴァイルが上を見上げると、刀を片手に、闇獣を蹴散らしながらのびていく樹の上で、闇獣と戦う一人の女の子。

「やっと見つけた――っと、危ない!」

 レヴァイルは、目の前から襲いかかってきた闇獣を目で捉えると、壁側に避け、首に短剣を突き刺す。そして、短剣を素早く引き抜くと、左脚を体の右前に出し、そのまま体を右回転させて、右脚かかとで闇獣を蹴り飛ばす。

 そして、レヴァイルはもう一度上を見上げ、樹の上で闇獣の多さに苦労するアルツェリスを確認すると、また、階段を駆け上り始めた……。


 幅が二、三メートルの階段では、一度に襲われる数が少ないのが唯一の救いだったが、前から次々と現れる闇獣と、しつこく追ってきた闇獣に挟まれてしまうと、それも十分辛く、アルツェリスは極力、闇獣を残らず倒しながら進んでいた。

「多いな……」

「文句言うなよ。外から見た限りじゃ、もうそろそろ最上階に着く」

「だと良いけど……」

 刀となった黒天にそう返事を返しながら、その刀を左から右に一閃する。

 その時、のび続けていた樹が、急に霧に戻り、黒天に切られぬ様注意しながら、アルツェリスの近くに白魔となって現れた。

「あと二、三周登ると、階段が内側に折れていて、その中心の柱と繋がってた。そこに、大きな扉があったよ。もしかしたら……」

 アルツェリスは、闇獣と戦いながら、

「『もしかしたら、その中に、リンティアがいるかも』……?」

と、返した。それに、白魔が頷く。

 アルツェリスがそれを見て、現在、襲いかかってきている中では最後である、前方の闇獣に刀を振り下ろし、一息ついて、

「分かった。聞いた、黒天?もうすぐ――」

と、「もうすぐ、最上階に着くよ」と、黒天に呼びかけようとした時、背後から、一体の闇獣がアルツェリスに飛びかかってきた。

「危ない!」

 いち早く、それに気付いた白魔が、そう声をかけたが、既に遅く、闇獣の牙が振り返ったアルツェリスの喉に深く刺さる――と、一人と二匹が確信する。

「グシャ――」

 痛々しい音とともに、階段が、滴り落ちた血で染まっていく……。

「アルツ!」

 黒天が、刀から霧へ、霧から竜へと姿を変えて、名前を読んだが、返事はなかった。

 それもそのはずで、呼ばれた本人は『喉を失ったかの様に』、声が出せずにいた。

「アルツェリス、女の子なんだから無理するなよ……」

 アルツェリスでも、白魔と黒天でもない声が聞こえた。それと同時に、固まったままのアルツェリスの目の前に、背中を『氷の短剣』で刺された闇獣が音をたてて落ちる。

「レ、レヴァイル――」

 ようやく声を出したアルツェリスを無視して、レヴァイルは闇獣から左手で短剣を引き抜くと、その短剣を上に高くかざした。

 すると、短剣が粉々に砕け散り、階段の端の少し上を沿う様に、一本の太い氷となって上へと螺旋状に、驚異的な速さで伸びていく。そして、氷の螺旋が二周ほどした時、ピキッ、という音とともに氷が弾け、塔の外側――つまり、闇獣に向かって飛んでいく。

 反射的に前を振り返ったアルツェリスの目に映るのは、尖った氷が無数に刺さった闇獣。その光景は階段の上の方まで広がり、それらには、既に命はなかった……。

 その尖った氷は、レヴァイルの手に戻ると、もう一度、短剣を形作った。

「一応言っとくと、水の動きを操れるだけじゃなく、質量まで変える力があるんだな~、俺。それじゃあ、説明が終わったところで……」

 レヴァイルが、呆然とレヴァイルを眺めるアルツェリスに歩み寄る。そして――

「馬鹿!!!」

 塔内部に、凄まじい大きさのレヴァイルの声が響く。

「なっ――何を……!?」

 突然の言葉に、動揺で舌が回らずにいるアルツェリスを見て、レヴァイルが溜め息をつく。

「『何を』じゃないだろ……。俺を眠らせて出ていった奴が、親玉に会う前の段階で、低級の闇獣に殺されそうになってどうするんだよ!ゲームで言えば、『勇者が魔王を倒す前に、魔王が差し向けた刺客、が差し向けた魔物、が差し向けたとんでもなく弱い敵の落とし穴にはまって、首の骨を折って死亡(生き返る術を学ぶ前でさらに、データを記録していなかった)』より悲惨な状況だぞ!」

「僕は……ゲームをした事ない――」

「それはいいんだよ!アルツェリス、なんで俺を置いていったんだよ……いや、その理由は大体分かるんだ。分かるけど……」

 レヴァイルは、そこで一度、下を向いた。そして、顔を上げると、白魔、黒天、そして、アルツェリスを見て、

「俺達、仲間じゃないのか?それなら、どんな理由があっても、助け合うのが普通だろ?」

と、さっきまでとは違い、優しく、ゆっくりと、微笑みながらそう言った。

 そのレヴァイルの言葉と笑顔に、アルツェリスが少し、顔を紅くして、

「……えっと、その……悪かった」

と、謝った。

「アルツが謝るなんて、珍しいなぁ?しかも、顔が紅いぞ?まぁ、アルツも一応、女の子だもんなぁ?」

「確かに、黒天の言う通り――あっ!アルツ、そういう事なの?まさか、レヴァイルを好――」

 黒天に続き、白魔がそう言いかけたが、アルツェリスの、この世に存在するもの全てを震え上がらせる睨みで、大きく内容が変わる。

「白魔、『俺をす……』って?」

「いや、えっと……」

 未だに続く、睨み……。

「レヴァイルを……あっ!そうだよ!レヴァイルを睡粉で眠らせたと思ってたら、完全に眠らせられてなかったから、恥ずかしかったんだよ!だから、顔が紅くなって……その……」

「なんだ、それか。アルツェリスが息を止めたのを見て、喉の奥に唾液の膜を張ったんだ。一応、唾液も水みたいなものだから」

「そうだったのか……」

 アルツェリスが、反省する様に言った。

「まぁ、アルツェリスが闇獣を倒してくれてたから、こんなに早く来れたんだけど、一つ、気になる事があったんだ。黒天――」

 レヴァイルは、周囲に倒れる闇獣の一体に歩み寄ると、黒天に問いかけた。

「これは、黒天がやったんだろ?」

「わかってるじゃないか、小僧!俺の――」

黒天は、漆黒の刀に姿を変え、それをアルツェリスが手に取る。

「撫斬って力だ!」

 そう続け、また、竜の姿に戻った黒天に、レヴァイルは冷たく言い放つ。

「この傷、粗すぎる」

 その言葉に、アルツェリスは不満な顔をしたが、白魔と黒天の二匹は、何か、隠し事を知られたかの様な顔をした。

「黒天、白魔、心当たりがあるのか?」

 表情を読み取られ、二匹は少し驚いたが、突然、黒天が笑いだした。

「小僧、よく分かったな!」

「黒天!」

「分かってる。何も言ってないだろ?それより、アルツェリス。俺達の事、この小僧になら話してもいいんじゃないか?闇獣も、もういないみたいだし、リンティアを倒すのも時間が限られてるわけじゃないだろ?」

 アルツェリスは、二匹の言動に疑問もある事から、少しの間考え込んだが、

「分かった」

と、黒天に返事をした後、レヴァイルを振り返る。

「レヴァイル、初めてあった時、『神なのか?』と、聞いたな。それは、完全に否定できるわけじゃない。何故なら……この二匹は、神から授かったものだからだ――」

 レヴァイルは、「やっぱり……」と、言いた気な顔しながら、二匹を見た。

 そして、アルツェリスが話し始める。

「僕は、小さい頃に、闇獣に両親を――と、いうより、住んでいた村を焼かれた。最後に僕が生き残り、闇獣に囲まれて絶体絶命だったのを助けてくれたのが、その神。そして、会って突然、『闇獣退治は飽きた。白魔と黒天をやる』って言われたんだ。最初は、どう返事をして良いか分からなかったんだ。だから、僕が黙っていると、『そうだ!この村を綺麗にして、村サイズの家庭菜園もいいな……』って、その神は真剣な顔で言ってた。それを見て、僕は何故か笑いがこみ上げてきたんだ」

 そこで、アルツェリスがにっこりと笑った。その笑顔は、自然で、素敵で、見ている方さえも、幸せな気分にさせるものだった。

 少し、笑みを顔に残したまま、アルツェリスは続ける。

「そうしたら、『なんだ、笑えるじゃねぇか。それなら、この先、この竜、白魔と黒天がいれば、力強く生きていける。まぁ、頑張れ』って、言われた。そして、白魔と黒天を僕に押し付けると、こう言って、燃え盛る村に消えていった。『白魔は光の力。黒天は闇の力。光と闇。それぞれがどんなものなのかを理解して、その二匹を使え』と……」

 しばらく、レヴァイルは黙り込んで、白魔と黒天を交互に見ていた。そして、唐突に、アルツェリスに問う。

「光と闇。理解したのか?」

「そんなの、幼い頃から理解している!光は清く、明るく、人間を幸せへと導いてくれる。闇は穢れていて、人間全てを絶望へと誘い、陥れる――」

「やっぱりか――」

 もう聞きたくないと言わんばかりに、レヴァイルはアルツェリスの言葉を遮り、続ける。

「アルツェリス、何故、光が良い?何故、闇が悪い?光と闇、闇と光……。どこに違いがあるんだ?」

 その言葉に、

「そ、それは……」

と、答えがまとまらずにいるアルツェリスと、希望の籠った目でレヴァイルを見つめる白魔と黒天。その一人と二匹に語りかける様に、レヴァイルは言う。

「母親が言ってたんだ。光があるから闇がある。闇があるから光がある――なんて言う前に、初めから両方存在するものだ。だからこそ、人間や神、そして闇獣がこの世界に生まれた。闇が悪いわけでもなく、逆に言えば、漆黒に染まった光だってある。光と闇、闇と光……。その二つに、大きな違いなんてない――って……。とにかく、それを理解してないから、アルツェリスは黒天を使いこなせていないんじゃないか?だろ、黒天?」

 その問いかけに、黒天が頷き、

「分かってるじゃねぇか、小僧」

と、レヴァイルに。そして、アルツェリスの方を向く。

「前の主人は、その事をよく分かっていた。だからこそ、俺だけじゃなく、光の穢れを知っていたから、白魔だって使いこなせてたんだ。あえて、その事を俺と白魔が言わなかったのは、自分達の価値観を吹き込んでも、答えはでない、と、前の主人に言われたから。だから、小僧が言う様に、最終的には、アルツ自身が答えを出さなきゃ、いつまで経っても俺と白魔は使いこなせない……」

 アルツェリスは黙ったまま、それらの言葉の重みを心に刻むと、白魔と黒天を見て、頷いた。

「――と、少し、時間取りすぎたな……。じゃあ、行こう。リンティアを倒しに……」

 そして、二人と二匹は、扉へと向かった……。


 全体の造りが質素な塔の雰囲気とは不釣り合いなほど豪華な扉を開け放ち、レヴァイル、アルツェリス、白魔と黒天は、柱の内部に入った。

 丸く、大きな部屋の壁には、等間隔に蝋燭が置かれており、部屋を不気味に照らしていた。

「人間ガ来ルノハ久シイナ……」

 突然聞こえた暗く、寂しい声に、二人は身震いした。しかし、だだ、驚きのために震えたアルツェリスとは違い、レヴァイルは『聞き覚えのあるその声』に、不安や怒り、悲しみ、さらには喜びさえも感じた身震いだった……。

「父さん……」

 レヴァイルがそう呼びかけ、見つめる相手……それこそ、部屋の奥で椅子に脚を組んで座っているリンティア――レヴァイルの父親だった。

「父サン……?」

 リンティアは、少しの間考え込んだが、突然笑いだし、馬鹿にする様に言った。

「俺ハ、コノ世ニ生マレタ時カラ今マデ、ズット孤独。人間ト関ワリヲ持ッタ事ナドナイ!」

「イレルス・レッティナーズ――」

 レヴァイルの言葉に、リンティアが表情を変えた。

「これが、父さんの名前。そして、とうさんが愛した人間の名は――」

「止メロ!」

 リンティアの声を無視し、レヴァイルは叫んだ。

「レヴィーナ・エステイルズ!母さんの名前だ、父さん!思い出せ!」

 叫び終わると、左手でベルトから短剣を引き抜き、リンティア――イレルスに向けた。

「これで、終わりにしよう……これ以上……これ以上、母さんと同じ、人間を殺すな!」

 レヴァイルの言葉が終わると同時に、

「黒天、撫斬!」

と、アルツェリスは命令し、白魔にも、何かを耳打ちした。そして、イレルスも、

「黙レ!」

と、叫んで、背中から生えた翼で空中を舞う。

 突如として始まった戦いで、初めに動いたのはレヴァイル。

 レヴァイルが、空に浮かぶイレルスに近づき、短剣を向けると、刃先から水の柱が吹き出し、一直線にイレルスに向かう。

 しかし、イレルスは空中でそれを軽く避けると、レヴァイルに向かって突進する。しかし、レヴァイルをかばう様にアルツェリスが立ちふさがり、漆黒の刀を右下から左上に振り抜く。

「チッ!」

 イレルスは舌打ちをして、レヴァイル達から見て右に旋回する。

 だが、レヴァイルは素早くアルツェリスの右に出ると、短剣を逆手に握り変え、イレルスを斬り上げる。

「グッ……!」

 レヴァイルの短剣が、イレルスの右手を、服ごと、手首から肘の辺りまで浅く斬り裂く。

「ナカナカノ連携ダ。シカシ――!」

 イレルスは、短剣を避けるために下がった後方に、さらに下がり、左手を高く上に上げた。

「利き腕を潰すべきだったか……」

 レヴァイルがもらした言葉に、イレルスが顔をしかめる。

「俺ヲ知ッテイルカノ様ニ、ソンナ事ヲ言ウナ!」

 イレルスがそう叫び終えたと同時に、イレルスの左手が、バチバチ、と、音を立て始めた。

「アルツェリス!下がれ!」

 レヴァイルの命令通り、アルツェリスは下がった――が、その行動に意味はなく、イレルスが左手を振りかざしたのは、レヴァイルの方だった。

 もちろん、レヴァイルも下がりはしたが、イレルスの左手から発せられたそれは、意思を持つかの様に、レヴァイルに襲いかかる。

「あれは……電気!?白魔!」

「うん!」

 部屋全体から聞こえてきた白魔の声とともに、壁から樹が生え、レヴァイルの盾となった。

「レヴァイル、大丈夫?予め、壁全体に樹生って能力の状態で白魔を待機させていた」

「あぁ、助かった。白魔も、ありが――って、くそっ!」

 白魔の樹生による防御虚しく、樹の盾を通り抜けた電気の柱がレヴァイルを襲う。

「なんで!?」

 そう言いながら、レヴァイルから、盾となった樹に目線を移したアルツェリスが見ているのは、放たれた瞬間から比べ、とても細くなった電気の柱。

「コンナ脆イ壁、一点ニ集中スレバ簡単ニ貫ケル!」

 その光景を、アルツェリスが嘲笑う。

「そんな細い雷、静電気に近いじゃないか!」

 アルツェリスはそうイレルスに叫び、レヴァイルに向き直る。そして、今、まさにレヴァイルを『静電気に近い雷』が貫こうとする――が、レヴァイルは寸前でそれを避け、右の脇腹をかすっただけに終わった。少なくとも、アルツェリスと白魔、黒天は、そう思った――が……。

「ぐっ……うわぁぁぁ!」

 悲痛な叫び声が、もう一度、イレルスの方を向き、刀を握り締めたアルツェリスに届いた。

 もちろん、イレルスが悲鳴を上げている様には見えないアルツェリスは、必然的に、ある人物に目線を向ける――

「レ、レヴァイル!?」

 アルツェリスの目に映っているのは、全身に電気が走り、それに悶え、苦しむ男の子――レヴァイルの姿だった。

「なんで!?レヴァイルはかすっただけ――」

「おい、アルツ!レヴァイルの能力を思い出せ!」

「レヴァイルの……?それは、水や水分を――水!?」

「あぁ……。小僧は水を操る。だから、体が水の何らかの影響を受けているのなら――」

「電気が少し、かすっただけで……あんな事に――」

「と、父さ……ん……」

 アルツェリスの言葉を遮る様に、レヴァイルの声がした。

「父さん……俺の弱点を覚えている……。やっぱり――」

「ダ、黙レ!偶然ダ!モウ、オ前ノ言ウ事ナド聞キタクナイ!」

 イレルスは、素早く左手を、次はアルツェリスに振りかざす。

「アルツ!」

 白魔は、アルツェリスにも樹の盾を張るが、やはり、一点に集中した電気の柱が通り抜け、アルツェリスの右腕を確実に捉え、突き抜けた。

「くっ……こんなに細くてもこの威力!?」

 アルツェリスの、痙攣した様に震える手から落ちた黒天が、竜の姿に戻る。

「利き手を……それじゃ、撫斬なんて使えないぞ!」

「わ、分かってる……」

 右手を抑えながら、黒天にそう返すと、

「(僕で、こんな状態になるなら……レヴァイルは……って、こんな時に人の心配か……。僕も、所詮は女の子……黒天言う通りか……)」

と、未だに苦しむレヴァイルを見ながら心の中で自分を笑った。

「オイ、ソコノ小娘!ヨソ見ナドシテイイノカ?マァ、モハヤ、オ前達ニ明日ハ無イガナ!」

 アルツェリスは、その声に振り返る。すると、負傷した右手を、顔をひきつらせながらも上げ、さっきとは比べものにならないほど大きな電玉を、両手に集めるイレルスが目に入った。

 それを見て、アルツェリスは、

「じゃあ、あと、二十時間はあるな?」

と、皮肉で返したが、内心では、「五分もないか……」と、諦めかけていた――その時……。

「ア、アルツェリス……」

 レヴァイルの呼びかけに、アルツェリスはすぐに、

「どうした?」

と、答え、駆け寄った。

「アルツェリス……さっき言った事……お、覚えてるよな?」

「光と闇か?」

「あぁ。その答えを……今すぐ……だ、出せ……ぐっ!」

「レヴァイル!あまり、喋るな!」

「死にはしないさ……多分……。それより、答えを出すんだ!アルツェリスが……こんな、綺麗な女の子が……俺の父親に殺されるなんて……嫌だから――うわぁぁぁ!」

 突然、レヴァイルの体を電気の柱が完全に貫いた。

「黙レト言ッタハズダ!」

 アルツェリスが振り返ると、既に電玉を左手に溜め終わり、右の人差し指をこちらに向けるイレルス。

「レヴァイル!」

「もろに……く、くらうと……流石にきつい……な……」

「レ、レヴァイル……?レヴァイル!レヴァイル!」

 アルツェリスが名を呼ぶも、それに答えず、目を閉じるレヴァイル……。

「ハッ!気ヲ失ッタカ!ドチラニシロ……コレデ、オ前ラハ終焉ヲ迎エル!」

 そう叫ぶとともに、イレルスが左手を、レヴァイルとアルツェリスに向かって振り下ろした。

 しかし、二人と二匹の運命は、そう簡単に終焉を受け入れなかった……。

「白魔……。もう一度、樹生だ」

「で、でも……うん!」

 白魔は命令通り、レヴァイルとアルツェリス、黒天を守る様に樹の壁を作った。

 樹の盾は、電玉を受け止めはしたが、

「ミシミシ――」

と、そう永く耐える事ができないのは明らか――と、白魔は思っていた。最初だけは……。

「僕は、今までに多くの闇獣を殺した。でも、レヴァイルの話を聞いて、自分が間違っていたのか、と、不安になっていた。でも……」

「小娘、ソンナニ余裕デ、イイノカ!モウ、ソノ樹ハ耐エラレンゾ!」

 イレルスが言った事は嘘ではなく、確かに、白魔の樹生は限界に近づいていた……。しかし、そんな事に構わず、アルツェリスは続ける。

「僕が闇獣を倒し続ける事で、人間が救われるのならそれでいい。僕の答えは、僕に向かってくるもの全てと戦う。是が非でも、僕に向かってくるのなら、その闇獣を倒し続ける!」

 アルツェリスの、ようやく出した答えに、さらに、白魔が問う。

「アルツェリスらしい答え……。でも、それで良いんだね?この先、どんなに強い相手であろうと、たとえ、その相手が人間であろうと……アルツの決意は揺るがないんだね?」

「あぁ」

「なら、俺達はそれに従う。俺達は、主人であるアルツに、全力で仕えてやるよ!」

「ありがとう、黒天。でも、今は、理屈なんて関係ない。ただ、僕はレヴァイルを助けたい!」

「アルツェリス……」

 アルツェリスが黒天にそう言った後、意識が戻ったレヴァイルの声が聞こえた。

「アルツェリス、白魔を、黒天を……信じるんだ!」

「レ、レヴァイル!?」

 「守る」と、言った事を、レヴァイルが聞いていた事に気付き、アルツェリスは顔を紅くしたが、すぐにそんな考えを振り払って、言った。

「白魔、電気の玉を包み込むんだ!」

「うん!」

 さっきまで破壊寸前だった樹が、イレルスが放った電玉を包み込み、圧縮する様に押し潰していく。途中、樹の方も限界かと思われたが、『主人』の答えが白魔を支えていた。

 そして、電玉が消え失せていく。

「馬鹿ナ!俺ノ全力ヲ――」

 明らかに動揺しているイレルスを指差し、アルツェリスは白魔に次の指示を出した。

「白魔、風牢フウロウ!」

 突然、部屋に風が吹き荒れ、風できた牢が、イレルスを捕らえた。

 イレルスの反応など待たず、アルツェリスは黒天に命令する。

「黒天、レヴァイルの脚力を強化!」

「小僧の?」

 アルツェリスは頷き、レヴァイルに言った。

「最後は、レヴァイルの手で終わらせなよ!」

「ははっ……怪我人によく言うなぁ……?」

 レヴァイルは、床に落とした短剣を拾うと、ふらふら、と立ち上がり、黒天を受け入れた。

「イレルス・レッティナーズ……終わりだ!」

 レヴァイルはそう叫び、脚に力を込め――床を蹴る。

 そして、左手で短剣を構え、風の牢を突き抜け――イレルスの心臓に、深く突き刺した。

「ウグッ……ガハッ!」

 血を吐き、地面へと落ちたイレルスに、なんとか上手に着地したレヴァイルが駆け寄る。

「父さん……」

 しばらく、返事はなかったが、イレルスは急に表情を変え、男の子の名を呼んだ。

「レヴァ……イル……。迷惑かけたな……。あの世で……レヴィーナに……怒られるかも……」

 その瞬間、レヴァイルの目から涙が零れた。

「いっぱい、怒られてこいよ……。それで、俺の分まで……いっぱい喋って――」

 泣きながらに説教された父親が、息子を抱き締めた。

「じゃあな……レヴァイル……」

 そして、イレルスは、愛した相手が待つ場所へと旅立った……。


 ニルフェアリースを苦しめたリンティア……。その亡骸を、初めにリンティアが座っていた椅子の前に寝かせ、二人と二匹は塔を出た……。

「良かったのか、レヴァイル?」

「あぁ。地面に埋めるより、あそこの方が天国には近いさ」

「そうか……。それで、これからどうするんだ?」

「目的は終えたからな……。アルツェリスはどうするんだ?」

「僕は、今まで通り――じゃないな……。これからは、旅をしながら、闇獣だけでなく、悪と呼べるものをこの世からなくす。大袈裟に言えば、正義の味方だよ」

「正義……アルツェリスには、あんまり似合わないな?」

「う、うるさいな!」

 白魔と黒天が、くすくす、と、笑う。

「と、とにかく、僕達は行くよ……。ありがとう、レヴァイル」

「えっ……あ、あぁ……」

「行くよ、白魔、黒天――」

「う、うん……」

 白魔はそう言って、アルツェリスを追いかける。

「おい、小僧。アルツェリスの気持ちは分かってんだ。女の方から言うなんておかしいだろ?お前から言うんだよ――」

「どうした、黒天。行くよ」

「んっ?あぁ――」

 そう返事をしつつ、レヴァイルを促す様な目で見る。

 そのおかげで決心がついたのか、レヴァイルが大声で名前を呼ぶ。

「アルツェリス!」

 その声に、アルツェリスが振り向く。

「アルツェリス、俺……アルツェリスの事が好きだ!」

 アルツェリスの顔が、紅くなっていく。

「ぼ、僕は好きじゃないぞ!えっと……その……僕は……!」

 それを見て、レヴァイルが、

「まぁ、多分、好きだ……」

と、付け足したところで、黒天が呆れた様に言う。

「二人とも、素直じゃねぇなぁ?特に、アルツ……。どう考えても、レヴァイルをす――」

「黒天、それ以上言うと――」

「わ、分かったよ……やめてくれ……」

「まぁ、そのうち素直になるよ、アルツェリスもレヴァイルも。それじゃあ、行こうよ。二人と僕達で、悪をなくす旅に……」

 白魔がまとめる様に言うと、アルツェリスが、

「レ、レヴァイルも来るのか!?」

と、顔をさらに紅くした。

「俺も……そうだな。俺も、ついて行くのは駄目か?」

「別に、僕は――」

「ついてきて欲しいんだよね?」

 白魔はそう言って、怒るアルツェリスから逃げ、レヴァイルに耳打ちする。

「アルツェリスはあんな性格だけど、乙女心を持ってる。大切にしないとね?」

「も、もう、行くよ!白魔、黒天。それと……レヴァイル……」

 アルツェリスは、後ろを向きながら、言った。それに、

「あぁ。行こう、アルツェリス」

と、レヴァイルが答える。

「これから、大変そうだね」

「そうだな。それだけは白魔が言う通り――」

「黒天も来るの?」

「……いい加減にしろ!白魔!」

 一匹の怒った竜と、逃げるもう一匹の竜。そして、それを見て笑う二人の人間を、朝陽が照らしていた。

 まるで、レヴァイル達のこれからに、幸福をもたらしてくれる様な太陽の先には、イレルスやレヴィーナの姿が、その陽光を振り返ったレヴァイルには見えた気がした……。


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