将軍界のヘビー級ヒーロー
第1章 江戸城に入った“紀州の巨将”
享保元年(1716年)、吉宗35歳。大奥の日記は「御身長六尺一寸斗(約185センチ)」「ご面体武骨ニシテ威烈」と書きとめる。平均身長155センチの江戸町人から見れば“動く高札”。松平乗邑は書状で「太公望、殿中に入るや梁を擦る」と冗談を飛ばした。江戸城の狭い長局では、吉宗が屈むたびに文机へ頭をぶつけ、「倹約のため天井も運動になる」と笑ったと側近が回想する。
第2章 猪狩りエクストリーム――怪力伝説の現場
紀州藩士川田甫寿の『熊野御猟記』には「御手にて巨猪に一撃を与え、猪、立たず」とある。体重を「二十六貫目余」と書くが、換算すれば約98キロ。別稿『御立様聞書』は「三十貫を超ゆ」と誇張し120キロ級を示す。拳で昏倒は荒唐無稽? いや、吉宗は幼少期より石抱き相撲・塩俵担ぎで鍛え、握力80キロ相当と推測される。倹約令で“鍛錬は道具不要、山がジム”と家臣に説いた実践派でもあった。
第3章 尺貫法で読む“六尺一寸”――身長再検証
江戸の尺度「曲尺」は1尺=30.3センチ。大奥日記の「六尺一寸」は185センチ。ほかに
•『御浜御殿遊猟画帖』:石橋を跨ぐ姿勢を「御足、余るほど」と図示
•藤井左門覚書:従者の長槍(12尺)を担ぎ「矢倉も楽々越す」
など長身を示す描写が散見。幕臣平均は5尺1寸(155センチ)なので、20センチ上回る。暴れん坊将軍の俳優177センチ(公称)でも当時は巨漢だが、史実の吉宗はさらに8センチ高い。
第4章 筋肉と倹約の合体ギャグ
吉宗は倹約政治で質素を奨励しつつ、自身の筋肉には糸目を付けない。庭の石臼を持ち上げ見物人に「小判で鍛えると財布が痩せる、石で鍛えよ」と笑わせた。相撲大関陣幕久五郎を呼び「大名の米は減らすが大関の飯は減らさぬ」と炊きたて5升を振る舞い、その横で自ら白米を握り拳にして潰し、プロテイン代わりに喰らった逸話も残る。
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結び――暴れん坊将軍はまだ“縮小版”
享保期の改革者は書物奉行だけでなく“重量級フィジーク王”でもあった。時代劇の吉宗が城下で暴れても、本物の185センチ怪力殿様が現れたら町人は驚き過ぎてタイトルコールを忘れたに違いない。次にチャンネルを合わせる時は、猪を素手で仕留める想像を添えると、暴れん坊が2割増しで楽しめるだろう。




