【短編版】虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~
地下深く、かつて貯水槽だったと思われる広大な中継倉庫に、肌を刺すような極寒と、それをかき消すほどの狂信的な歌声が反響していた。
「……魂の渇きを……! 静謐にて封ぜよ……!!」
白銀の装甲を纏った教会の正規騎士たちが、円陣を組んで朗々と詠唱を紡いでいる。彼らは空間の熱を奪い、すべてを凍らせる氷の魔法に特化した部隊だ。数十本の杖から放たれる凍てつくエーテルが、倉庫全体を「絶対零度の純氷」で覆い尽くしていく。壁も、床も、そして倉庫の奥に隠された支援物資も、すべてが分厚い青白い氷の層に閉じ込められていた。
「くそッ! 盾の表面が凍りついて動かねえ! 衝撃を逃がす前に、関節ごとロックされちまう!」
倉庫の入り口付近で、巨漢の男――ジャンが、凍りついた巨大な金属盾を腕ごと抱え、忌々しげに顔をしかめた。
「あたしの雷撃も、この分厚い氷の壁には弾かれちゃうわ! 不純物のない純氷は電気を通さないのよ!」
その背後で、赤毛の銃手・ヴァレリーが、大型のライフルを構えながら舌打ちをする。彼らは、教会の体制に反逆するレジスタンス組織の戦闘員だ。物資の回収に訪れたところを教会の伏兵に強襲され、完全に袋小路へと追い詰められていた。ジャンが誇る物理攻撃の反射も、ヴァレリーの放つ必殺の雷撃も、相手の「空間そのものを絶対零度に固定する」という環境干渉の前には、著しく威力を削がれてしまう。
「……神の理に逆らう、哀れなレジスタンスのネズミどもめ」
円陣の中央に立つ騎士の小隊長が、兜の奥から冷酷な視線を向けた。
「祈らぬ異端には、等しく罰が下る。神がもたらした完全なる静謐の前に、無様に凍りついて砕け散れ」
小隊長が傲慢な処刑宣告を下し、杖を高く掲げた。それを合図に、周囲の騎士たちの詠唱が一段と激しさを増し、足元から分厚い氷の刃が生き物のようにメキメキと増殖し始める。ジャンとヴァレリーの足が凍りつき、絶体絶命のピンチが訪れた、その時だ。
「――熱力学の法則からは、逃げられないぜ」
氷の軋む音と騎士たちの狂騒を、真っ二つに切り裂くように。ひどく冷めた、呆れたような男の声が倉庫の入り口から響き渡った。
「!?」
小隊長が目を見張る。凍りつく通路の奥から、悠然と歩み出てきたのは、一人の少年だった。黒髪の少年――久澄 解。彼の右肩から先には生身の腕はなく、代わりに黒ずんだ鋼鉄と、青白い光のラインが幾何学的に走る、無骨な『義手』が装着されている。そしてその隣には、真っ白な白衣を羽織り、片目に機械仕掛けのゴーグル――『観測鏡』を装着した少女、ソフィアが並んで歩いていた。
「遅えよ! 待ちくたびれたぜ、カイ!」
「本当にね! 早くその忌々しい氷の壁をぶち抜きなさいよ!」
絶体絶命の窮地にありながら、ジャンとヴァレリーの顔からは恐怖が消え去っていた。驚くどころか、少年の到着を見ただけで、彼らは一気に形勢逆転を確信したように獰猛な笑みを浮かべたのだ。
「……何者だ、貴様ら」
突然現れた、エーテルの気配を一切持たない異邦の少年に、小隊長が眉をひそめる。
「ただの学生だよ」
カイは鋼鉄の義手を構え、迫り来る氷の刃と、円陣を組む騎士たちを冷徹に見据えた。俺が元いた世界――日本という平和な国から、祈りが物理法則を凌駕するこの理不尽な世界に落ちてきて数ヶ月。カイの魂は、この世界のエーテルを一切通さない、極限まで硬い『絶縁体』の性質を持っていた。だからこそ、相手の魔法に直接干渉し、その現象の構造を強制的に崩壊させる『事象解体』という、神殺しの力を行使できる。
「……ただの薄汚い子供か」
小隊長は、カイの姿を鼻で笑った。
「祈りも持たない、エーテルすら空っぽのゴミが、神がもたらした完全なる静謐を融かせると思うな! そのまままとめて氷の彫刻にしてやる!」
小隊長が杖を振り下ろし、ジャンたちを飲み込もうとしていた氷の壁が、カイたちにも向かって猛烈な勢いで迫り上がってくる。だが、カイは一歩も引かなかった。焦る素振りすらない。
「ナビゲート、頼むぜ。先生」
「ええ。任せて」
カイが短く告げると、ソフィアがゴーグルのレンズをカチャリと回転させた。瞬間、カイの脳内に直接、ソフィアの観測した「情報」が流れ込んでくる。視界が切り替わり、ただの冷たい氷の塊が、熱量の分布とエネルギーの移動経路を示す「立体的な構成図」へと分解されていく。
「見えたわ、カイ!」
ソフィアが鋭く叫ぶ。
「あいつら、空間を絶対零度にするために奪った莫大な熱を、自分たちの杖をアンテナにして地下の『地脈』へ直接捨てているのよ! あの円陣の真ん中、地下へ続くエネルギーの『排熱パイプ』があるわ! その基部を塞いで!」
「了解だ」
カイは、迫り来る氷の刃に向けて、無造作に右手の義手を突き出した。
「冷やすってのは、何もないところから冷気を作ることじゃない」
カイの冷徹な呟きと共に、鋼鉄の指先が、ソフィアが示した「排熱パイプの基部」――目に見えない空間の結節点へと、狂いなく滑り込む。
「そこにある熱を『奪っている』だけだ。……排熱口を塞がれたら、どうなるか教えてやる」
「……事象解体ッ!!」
パチン。
指先で、小さな静電気が弾けるような音がした。カイの力が、氷を維持するための排熱サイクルを物理的に切断したのだ。
「……な、に……?」
円陣の中央で、小隊長が戸惑いの声を漏らした。手元の杖の感触が、唐突に変わったのだ。空間から奪い取り、地下へと流し込んでいた「莫大な熱」。その行き場が、突然塞がれた。
ダムのせき止められた水のように。あるいは、室外機を塞がれたエアコンのように。行き場を失った熱エネルギーが、逃げ道を求めて猛烈な勢いで「逆流」を始めた。
「……熱い!? なぜだ、神の氷の陣に、どこから熱が……ッ!?」
小隊長が悲鳴を上げ、慌てて杖を手放そうとする。だが、遅い。彼らがこの広大な空間から奪い取った莫大な熱量が、今度は彼ら自身が作り上げた「絶対零度の純氷」に対して、内側から直接叩きつけられようとしていた。
純度の高い氷が、極端な高熱に晒される時。それは水に溶ける暇すらなく、直接気体へと爆発的に膨張する。
シュゴォォォォォォォォォッ!!!!
「ぎ、ぎゃあああッ!?」
「熱いッ! 氷が、熱湯に……ッ!?」
鼓膜を破らんばかりの轟音と共に、絶対零度だった氷の壁が、瞬時に爆発的な水蒸気へと変化した。視界ゼロの超高温の蒸気が、寒冷地仕様の密閉された鎧を着込んだ騎士たちを襲う。鎧の中に結露した高温の蒸気が入り込み、彼らは自分たちが作り出した魔法の反動によって、次々と茹で上がり、悲鳴を上げて倒れていく。
「……相変わらず、デタラメな力ね」
蒸気で氷から解放されたヴァレリーが、獰猛な笑みを浮かべて前に出た。
「さっきは氷が相手で分が悪かったけど……この『蒸し風呂』なら話は別よ! あたしの雷、たっぷり味わいなさい!」
ズガァァァンッ!!
ヴァレリーの放った極太の雷撃が、水蒸気で飽和した空間に放たれた。水分を極限まで含んだ空気と、結露で濡れた白銀の鎧。雷撃は乱反射し、茹で上がっていた騎士たちを一網打尽に感電させ、完全に沈黙させた。
たった数秒。教会の精鋭一個小隊が、カイに指一本触れることもできず、完全な自滅へと追い込まれたのだ。
「……ふぅ」
カイはゆっくりと目を開け、義手を下ろした。肘の排気口から、プシューッと短い蒸気が吐き出される。疲労はない。相棒の正確な眼と、物理法則を用いた完璧な制御だった。
「お見事。誤差ゼロの解体だったわ、カイ」
「あんたの眼が正確だったからな。……サンキュー、ソフィア」
カイが振り返ると、ソフィアが嬉しそうに白衣の裾を揺らして歩み寄ってきた。カイは自然な動作で鋼鉄の右拳を差し出し、ソフィアも小さな拳を作って、それに軽くコツンと合わせた。冷たい金属と温かい体温が交わる、絶対的な信頼の証。
「へっ、魔法を『物理法則』で論破しちまうんだから、教会の連中も哀れなもんだぜ」
ジャンが大盾を下ろし、豪快に笑った。
理不尽な暴力と、狂った祈りが支配するこの世界で。俺たちは「理屈」という武器で、神の奇跡を解体する。孤独だった異邦人の少年と、教義に反逆する異端の少女たち。異なる歯車が噛み合った時、それは世界を直すための最強の力となる。
「さあ、奪われた物資を回収して帰るわよ。私たちの『研究』は、まだ始まったばかりなんだから」
「ああ。どんな歪んだ問題でも、俺たちが解き明かしてやる」
カイは義手を鳴らし、薄暗い地下の先――まだ見ぬ世界の歪みを睨み据え、不敵に笑った。
だが。俺がこの頼もしい相棒たちと出会い、肩を並べて笑い合えるようになるまでには。決して短くはない、泥と血にまみれた絶望の道のりがあった。
――これは、ただの高校生だった俺が、すべてを失ったスラムの底から這い上がり、狂った世界を直す『修復者』になるまでの、反逆の物語だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
本作は、連載中の長編小説『虚空の理 ~祈りも詠唱も必要ない。魔法が非効率すぎる世界を物理法則で解体する~』から、一部エピソードを短編用に再構成したものです。
「なぜ彼は右腕を失い、鋼鉄の義手なのか?」「二人はどうやって出会ったのか?」 どん底から這い上がり、知恵と意地で理不尽な世界を「解体」していく彼らの物語は、連載版にて詳しく描かれています。
少しでも二人の物語に興味を持っていただけましたら、ぜひ下記より連載版をご覧ください!
連載版はこちらからお読みいただけます
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