今日を繰り返す
今世における最愛を失った。
もう五年ほど前の話である。私の体はその間ものうのうと生き続け、細胞はほとんど入れ替わってしまった。ある意味、別人と成り果てたと言えるだろう。冗談の過言が、まだ赤い血を流す傷口を痛めた。
いつまで嘆けば良いのだろうか。いつか傷が塞がる日は来るのか。いつになったらこの呼吸は楽になるのか。
目処もないまま。私は未だに、あの日に囚われ続けていた。
冷蔵庫の野菜室から萎びかけた白菜を取り出す。それから白い部分だけ残っていた長ネギ。買ったばかりの大根はみずみずしく、あとはニンジン、しめじ、何となく買っていたレンコンも取り出した。
冬の台所は寒い。横着し、仕事へ着て行ったアウターを脱ぎもせず立った流し台は、底冷えする床が足元を冷やした。
一人暮らしを始めて長らく。包丁を使う危なっかしさは年々減っている。その分、凝った料理を作れるようになったわけではないが、特別食に興味がないので問題は無かった。
野菜も、代わり映えのないざく切りだ。それなりの早さで火が通ってくれるならなんだっていい。思いながら、大根は厚切りになってしまった気もするけれど。歯ごたえがあるのもいいだろう。
豚バラ肉は冷凍されたまま突っ込んだ。あとはわざわざ買って帰ってきた切り餅をふたつ。調味料を適当に入れれば雑な煮物、雑煮の出来上がりだ。
煮えるまでやる事はもうほとんどない。持て余した時間が仕事の疲労を呼び起こした。
くるくるとひとり反省会の思考は巡る。それから、洗濯機を回すことや風呂へ入らなければいけないこと。明日の仕事のスケジュールへと道が戻り、夕飯を食べるという行為の気怠さを鍋に追加した。――あぁ、これの片付けもしなきゃいけないのか。追加のタスクが両肩に重くのしかかる。
だったら何もかも放り投げて最愛と同じ場所へと行ってしまえばいい。
考えなしの思考が囁いた。
馬鹿言うな。死ぬって、それだけで一苦労だぞ。分かってんのか。生き続ける方がよっぽど楽だ。
反論はすぐにも出てきたけれど、これは正常な思考だろうか。一応考えてみる。三秒後にはどうでもよくなった。
たぶん死にたくはないのだろう。それが分かってればいい。
死ぬことを選ばないのは別に、後を追ったら最愛が悲しむとか、怒られるだろうとかそんな理由じゃない。最愛の死が自分の死ぬ理由には成り得ず、その他の理由も思い当たらないというだけ。やはり健全では無さそうだが、病的な思考回路でもないだろう。きっと多くの人が同じ思考をしたことがある。何も特別じゃない。
じゃあ生きていたいってことかと訊かれたら、たぶんそういう事なのだろうけれど。そんなに前向きでもない。外へ出掛けたその途中で、交通事故に遭っても別に構わないとは思っているのだ。そんな突発的な死が、なるべく早めに、自分の身に起こればいいと思う。あの日の、最愛と同じように。
茹だってきた豚バラ肉からアクが出始める。昔ならせっせと取っていただろうが、やはり今はどうでも良かった。餅は早く入れすぎたかもしれない。形を崩し始めたそれが、まだ白さを残す白菜にもたれ掛かっていた。
――雑煮にあんころ餅を入れるところもあるらしい。
最愛の言葉がほろりと蘇った。どんな時に聞いたのだったか。たぶんいつかの冬だろう。まだ声を覚えていたことに安堵した。
今度作ってみようと言われ反対したのも覚えている。しょっぱい汁に甘いものが入っているなんて、理解し難かったからだ。否、過去形ではないか。今も、合わないだろうと思っている。
最愛は賛同してくれるものだと思っていたらしい。前向きではないこちらの反応に、心底驚いた顔をしていた。ほとんど食の好みが合っていたから尚更だったのだろう。まんまるく見開かれていた目が芋づる式に思い出され、唇が笑った。
くつくつ、くつくつ、喉が鳴る。
あぁ、懐かしい。
あぁ、愛おしい。
あぁ……痛苦しい。
胸の引き攣りに笑った。
くつくつとこちらは煮えた鍋の中身は良い匂いを台所に充満させる。火を止めて、どんぶりを取り出して、今日食べる分だけを取り分ける。
残りはまた明日。
どうやらまだ生き続けるらしい。己の愚かさを噛み締めた。
あー苦しい。
あー死にたい。
あー……死にたくねー。




