「静かな攪拌、問いの発火点」
夜は、均されたまま進んでいく。
この都市では、夜すら予定調和だ。
鐘の音は鳴らず、見回りの足音も一定で、眠りに入る時間さえ個人差がない。建物の窓に落ちる光は同じ明度で、影は角を持たない。
だが――
完全に消せないものがある。
それが、違和感だ。
ユウトは宿の天井を見上げながら、ゆっくりと呼吸を整えていた。赤い欠片は、静かに、だが確実に脈打っている。剣を求めていない。力を欲していない。
問いを、求めている。
「……今夜だな」
レオンが、低い声で言った。
「ああ」
ユウトは起き上がる。
「大事なのは、派手にやらないことだ」
ゴルドが腕を組む。
『筋肉的には』
『派手に壊した方が早い』
「今回は逆だ」
ユウトは靴を履く。
「正序会は、“静かさ”で支配してる」
「なら、同じ音量で揺らす」
ピリィが、ぴょこんと跳ねた。
『ちいさく、ぷるぷるですぅ?』
「そう」
「気づいた人だけが、気づく程度で」
リュミエルが、目を閉じる。
【調整塔は】
【街の中央】
【行政区画の地下にあります】
【表向きは】
【気候安定と治安補助の施設】
「嘘は言ってないな」
ユウトは言った。
「ただし、都合のいい範囲で、だ」
行政区画は、夜でも明るかった。
灯りが強いわけではない。
“必要十分”という言葉を、物理的に配置したような光だ。
見張りはいる。
だが、過剰ではない。
「ここでは、疑う方が不自然になる」
レオンが小さく言う。
「誰も、何かを疑う前提で生きてない」
「それが、この街の完成形だ」
ユウトは、正面から歩いた。
隠れる必要はない。
案内標識に従い、地下施設への階段を降りる。
途中で、正序会の職員らしき男とすれ違った。
「お疲れさまです」
男は、反射的に頭を下げた。
「お疲れ」
ユウトも、自然に返す。
疑われない。
止められない。
それ自体が、異常だ。
地下の中心部。
巨大な魔導円が、床一面に刻まれている。
光は弱く、脈動は穏やかだ。
【……これが、調整塔の中枢です】
「でかいな」
『……きれいですぅ』
『でも、つるつるしてますぅ』
ピリィの言葉は、的確だった。
ここには、引っかかりがない。
考えが、留まらない構造。
「リュミエル」
【はい】
「問いを、流せるか」
【可能です】
【ただし】
【“答え”の形では、拒絶されます】
「分かってる」
ユウトは、一歩、魔導円に近づいた。
「だから――」
「答えじゃない」
彼は、目を閉じる。
思い浮かべたのは、あの路地裏の女だ。
迷っている目。
言ってはいけない、と教えられた違和感。
それから、焚き火を囲んだ旅人たち。
少年の震える声。
年配の女の沈黙。
そして――
自分自身。
転生した瞬間から、ずっと付きまとってきた感覚。
(分からないまま、進む怖さ)
(でも、それを捨てなかった自分)
ユウトは、息を吐いた。
「……これを流す」
魔導円に、風が触れる。
蒼く、細く、鋭すぎない風。
問いだ。
「これは、本当に自分の選択か?」
「誰かが決めた正しさを、なぞっていないか?」
「もし、違うと思ったら――」
「立ち止まっても、いいんじゃないか?」
問いは、形を持たない。
命令でも、否定でもない。
ただの――引っかかり。
魔導円が、一瞬だけ揺れた。
拒絶しない。
だが、完全には飲み込めない。
【……入りました】
リュミエルの声が、わずかに震える。
【ごく微量】
【特定の感情に反応した者にのみ、届きます】
「それでいい」
ユウトは、背を向けた。
翌朝。
都市は、いつも通りだった。
秩序は保たれ、通りは静かで、人々の歩調は揃っている。
だが――
小さなズレが、発生していた。
市場で、果物を選ぶ女が、手を止めた。
「……あれ?」
「私、何が食べたかったんだっけ」
隣の男が、首を傾げる。
「順序表では、今日はこれだろう?」
「そう……なんだけど」
女は、しばらく果物を見つめ、
結局、別のものを手に取った。
行政区画では、若い職員が報告書を前に固まっていた。
「……この規定」
「本当に、全員に当てはまるのか?」
同僚が笑う。
「急にどうした」
「考えなくていい部分だろ」
「……そう、なんだけど」
言葉は、それ以上続かなかった。
だが、消えなかった。
宿の窓から、それを見ていたユウトは、静かに息を吐く。
「始まったな」
レオンが、腕を組む。
「暴動も、反乱もない」
「必要ない」
ユウトは答える。
「正序会が一番嫌うのは」
「剣でも、叫びでもない」
「何だ?」
「“個人差”だ」
リュミエルが、ゆっくりと頷く。
【同調が崩れると】
【秩序は、自己修復を始めます】
【その過程で】
【必ず、“なぜ”が生まれる】
ピリィが、嬉しそうに揺れた。
『ちいさいけど』
『ちゃんと、ぷるぷるしてますぅ!』
ゴルドが、珍しく小さく笑う。
『……筋肉も』
『左右、同じじゃない』
「それだ」
ユウトは、立ち上がった。
「完璧に揃った世界は、脆い」
「ズレを許せないからな」
街は、まだ静かだ。
正序会も、まだ気づいていない。
だが――
もう、戻れない。
一人が考え始めた。
それだけで、連鎖は起きる。
問いは、感染する。
迷いは、増殖する。
それは、この整えられた都市にとって、
最も扱いづらく、
最も危険な“ノイズ”。
ユウトは、街を見下ろした。
(剣はいらない)
(正解もいらない)
必要なのは――
考える自由を、消させないこと。
そして、正しさが再び刃を持つ前に、
その刃の握り方を、疑わせること。
風は、今日も静かだ。
だが、その静けさの下で――
問いは、確かに燃え始めていた。




