表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/95

「迷いの時間」

夕方の町は、昼よりも静かだった。


人の数は減っていない。店も開いている。笑い声もある。けれど、その笑い声は「今日を終わらせるための音」に近い。息を吸って吐くのと同じで、笑っておかないと沈んでしまう、そんな空気。


ユウトは石畳を歩きながら、風の“引っかかり”を確かめた。


(……札の匂い、まだある)


甘い眠気みたいな匂い。

迷いを預けた時にだけ残る、軽い諦めの残り香。


「ユウト、まず何を聞く」


レオンが隣で低く言う。平静を装っているが、瞳が鋭い。町そのものが盾になる戦い――一番、彼が嫌うタイプだ。


「札を引いた奴の“その後”だ」


ユウトは即答した。


「引いた瞬間が救いに見えても、夜に反動が来る。そこを拾わないと、運命売りに勝てねぇ」


ピリィが肩にぺたりと張りついて、ぷるんと頷く。


『女子会の力で拾ってくるですぅ!』

『“その後”はだいたい、女子会に落ちてくるですぅ!』


「女子会、万能かよ」


『万能ですぅ! あとお菓子も万能ですぅ!』


「後半は黙っとけ」


ゴルドは後ろで、やたら大きい足音を立てないよう努力しているのが分かる。努力はしている。結果は、半分くらい失敗している。


『筋肉、静かに歩くの苦手だ……』


「今さら気づくな」


リュミエルは、町の上空――目に見えない“線”の流れを、胸の前でそっと指先を揺らしながら追っていた。


【迷いが……集まっていく場所があります】

【夜になれば、もっと濃くなります】

【……あの広場の奥、路地の突き当たり】


「やっぱり中心は広場か」


ユウトは目を細める。


(今夜、あそこに“貯蔵庫”が開く)


運命売りは言った。

札は迷いを吸って、次へ渡す、と。


つまり――この町の迷いは循環しているようで、どこかに溜め込まれている。

溜め込まれた迷いは、いずれ“形になる”。


その瞬間を抑えればいい。

だが、強引に壊せば、人の心が一気に崩れる。


(壊さずに終わらせる)


その条件が、今回の難易度を跳ね上げていた。


ユウトたちは一旦、町の広場から少し外れた小さな露店通りに散った。

情報を拾うために。


ユウトは、果物を並べる店の前で立ち止まった。

店主の男は愛想笑いをしているが、手元の皮むきが異様に速い。落ち着かない証拠だ。


「なぁ、昨日ここで札引いた奴、いるか?」


男は一瞬だけ手を止めた。


「……旅の人かい。勇者って噂の」

「いるよ。ここらじゃみんな一度は引く」

「悪いもんじゃない。助かってるんだ」


「助かった“直後”はな」


ユウトは果物を一つ手に取って、代金を置いた。


「夜、眠れてるか?」


男の目が泳ぐ。


「……眠れる、よ。眠れるとも」

「ただ……夢が、ね」


「どんな」


男は、笑いながら言おうとして、笑えずに吐き出した。


「夢の中で、札が鳴るんだ」

「カラ、カラって」

「俺が何かを決めようとするたび、誰かが後ろから箱を揺らす」

「……で、目が覚めたら、決めたはずのことが全部“自分のもの”じゃなくなってる気がする」


ユウトは黙って聞いた。


それは“救い”じゃない。

責任の置き場所を奪われた結果の、薄い喪失だ。


「そのままにしてると、もっと薄くなる」


ユウトが言うと、男は怯えたように見た。


「……薄く?」


「自分が。人生が」


男は唇を噛んだ。


「……じゃあ、どうすりゃいい」


ユウトは即答しなかった。

簡単な答えを出したら、それもまた“運命”になる。


「小さいのから選べ」


そう言って、果物を少しだけ掲げた。


「今日、これを食うか食わないか」

「今夜、酒を飲むか飲まないか」

「帰り道を右にするか左にするか」


男はぽかんとしてから、苦笑した。


「そんなことで……」


「そんなことが、戻す一歩だ」


男はしばらく考えて――小さく頷いた。


「……じゃあ、今日は帰り道、左にする」

「いつも右だったから」


「いいじゃん」


ユウトがそう言った瞬間、風がほんの少し軽くなる。

誰かが、確かに自分で選んだ。


それだけで、札の“眠気”は薄れる。


ユウトは頷いて歩き出した。


(積み重ねだな)


その頃、ピリィは露店通りの端で、すでに女子会を開いていた。

早い。展開が早い。


「ピリィちゃん、昨日もいたよね?」

「今日は札、引くの?」

「怖いけど、引いたら楽になるって……」


ピリィは胸を張る。


『引かないですぅ!』

『ピリィは……自分で選ぶですぅ!』


「え……でも、選ぶのって怖いよ」

「失敗したらどうするの」


ピリィはぷるんと震えた。


『失敗しても……そのあとに、おしゃべりするですぅ!』

『泣いてもいいですぅ!』

『でも、札に泣かされるのはダメですぅ!』


村娘……いや町娘たちが、顔を見合わせて笑ってしまう。


「なにそれ、可愛いけど、ちょっと強い」

「……ねえ、勇者様たちっていつもそうなの?」

「泣きそうでも、前に行くの?」


ピリィは、少しだけ目を細めた。


『ユウトは……怖いって言うですぅ』

『怖いって言って、でも行くですぅ』

『だから、ピリィも行けるですぅ』


その言葉に、何人かの娘の目の奥が少しだけ潤んだ。

“運命”に預けたかったのは、弱さじゃない。

一人で抱える怖さだった。


そしてレオンは、町の掲示板前で古い貼り紙を剥がしながら情報を拾っていた。

“運命売り”の噂は、この町だけのものじゃない。


「……各地で似た話があるな」


剥がした紙の下に、薄い文字で書かれたメモがあった。


“迷いの札/夜だけ/引いた者は眠る”

“広場の奥/箱の音/老婆”


レオンの眉が深くなる。


(同一個体か、模倣犯か)

(……いや、匂いが同じなら“枝”だ)


第四の影が消えたあとに生まれた枝。

“判断”の次は、“委ね”。


人の顔をして、甘い言葉で寄り添う歪み。


レオンは、言葉を吐き捨てるように呟いた。


「……厄介だな」


そしてゴルドは、路地の入口で“眠気”が漂う場所を見張っていた。

筋肉は壁。本人はそれを本気で信じている。


路地の奥から、ふわり、と薄い空気が流れてくる。

眠りに誘うような、優しい匂い。


『……来たか』


ゴルドは腕を組み、仁王立ちする。

通りかかった子どもが「うわ、でっか……」と呟いて逃げた。


『泣くな! 守りだ! 守り!!』


余計泣いた。


夕方が、夜へ沈む。


町の灯りが一つ、また一つと点く。

人々の会話が減り、足音が増える。

眠る前の静けさ。

そして――迷いの時間。


ユウトたちは広場へ戻った。

集合は早い。準備も揃った。


「情報は?」


ユウトが問うと、レオンが短く答える。


「各地で似た現象」

「この町が“実験場”の可能性がある」


「ピリィは?」


『引いた人ほど、夜に泣くですぅ!』

『でもみんな、“泣いたのは自分のせいじゃない”って言われると安心するですぅ』

『……安心して、そのまま寝るですぅ』


「最悪だな」


ユウトが言うと、リュミエルが静かに頷いた。


【責任を手放す安心は、一時だけです】

【その後に来るのは……自分が自分でなくなる怖さ】


ゴルドが拳を鳴らす。


『殴っていいか!?』


「まだだ」


ユウトは即答する。


「殴れる相手が“歪み”なら殴る。でも今日は“町”が主役だ」


ゴルドが真顔になる。


『……町は殴れない』

『分かった……筋肉、我慢する……』


「偉い」


「たぶん明日には忘れるがな」


レオンが平然と刺す。


そして――広場の奥、路地の突き当たり。


カラ、カラ。


木箱の音が鳴った。


眠気の匂いが、町全体に薄く広がる。

人々が、吸い寄せられるように集まっていく。

昨日の後悔を抱えた目。今日の疲れを引きずった肩。

そこへ“運命”が差し出される。


老婆が、そこにいた。


「迷ったらね、札を引きなさい」

「今夜も、眠れるわよ」


人々の顔が、ほっと緩む。

その瞬間に、ユウトの風がざらりと鳴った。


(……吸ってる)


迷いが、空気から抜けていく。

代わりに、薄い“空白”が増える。


ユウトは前に出た。

昨夜とは違う。

今日は、準備してきた。


「運命売り」


老婆がにこりと笑う。


「また来たのね、勇者」


「来るって言っただろ」

「札、返してもらう」


老婆は箱を揺らす。

カラ、カラ。


「返す? 返したらどうなるの」

「この町の人は泣くわ」

「壊れるかもしれないわ」


「壊れないように返す」


ユウトは言い切った。


「少しずつだ」

「戻す間、俺たちが支える」


老婆が目を細める。


「支える? どうやって?」


ユウトは、指を折った。


「まず、札を引く前に“選択”をひとつさせる」

「札に頼る前に、自分で決める練習をする」

「札は最後の最後に置く。……でも、その札は“空っぽ”にする」


老婆が笑う。


「空っぽ?」


ユウトは蒼風を、ほんの小さく吹かせた。

風は優しい。頬を撫でる。眠気を叩く。起こす風。


「札が迷いを吸うなら、逆に吐かせる」

「溜め込んだ迷いを、箱から“返す”」


老婆の笑みが、初めて明確に薄くなった。


「……できると思っているのね」


「できるかどうかは後でいい」

「俺は“やる”って選ぶ」


その言葉に、広場の空気が少しだけ変わる。

人々が、ユウトを見る。


「勇者様……」

「……札、引かなくてもいいの?」


ユウトは答えない。

代わりに、問い返す。


「今夜、何に迷ってる」


一人の男が、震える声で言った。


「仕事を辞めるか、続けるか……」


ユウトは頷いた。


「じゃあ今、決めろ」


「え……」


「決められないなら、決めないって決めろ」

「……でも、その決めないは“札”じゃなく、お前の手で決めろ」


男の喉が鳴る。

周りの目が集まる。

逃げたくなる空気。


その時、ピリィがぷるんと前に出た。


『大丈夫ですぅ!』

『決めるって、カッコいいですぅ!』

『間違えたら……あとで泣いていいですぅ! ピリィが聞くですぅ!』


場が、少しだけ緩む。

笑いが混じる。


男は、息を吸って――言った。


「……今日は、辞めない」

「でも、辞める準備はする」

「明日、上司に話す」


ユウトは頷いた。


「それが“今のお前”の選択だ」


その瞬間、箱の中で札が、嫌な音を立てた。

カラ、ではない。


ギ、……と。


迷いを吸う流れが、乱れた。

“運命”へ渡るはずの迷いが、本人の胸に戻ったからだ。


老婆の目が鋭くなる。


「……やるわね」


ユウトは歩みを止めない。


「次」

「迷ってるやつ、来い」


人々の中から、ぽつぽつと声が上がり始める。

選ぶのが怖い。失敗が怖い。怒られるのが怖い。笑われるのが怖い。

全部、正直な怖さ。


ユウトはそのたびに、短く言う。


「怖いなら怖いって言え」

「泣くなら泣け」

「でも札に決めさせるな」


レオンが、群衆の後ろ側を睨みながら支える。


「押すな。焦るな」

「順番に話せ」


ゴルドが腕を広げて、眠気が広がるのを体で遮る。


『眠い奴は肩貸すぞ!! 起きろ!!』


「肩貸すな、抱え込むな」


ユウトがツッコむ。


『じゃあ……背中で支える!!』


「それも抱え込む側だろ」


それでも、ゴルドがいるだけで人が倒れない。

筋肉は壁。今日は割と合っている。


リュミエルは、箱へ伸びる“迷いの線”を見つけていた。

空気から箱へ吸い込まれる細い線を、指先で辿る。


【……箱の中に】

【“溜まり”があります】

【迷いが……沈殿して……生き物みたいに……】


ユウトは目を細めた。


「形になる前に吐かせる」


老婆が、箱を抱えて一歩後ろに下がる。


「やめなさい」

「あなたはこの町を壊す」


「壊さない」


ユウトが言い切った瞬間――箱の中から、声にならない声が漏れた。


“決められない”

“怖い”

“私のせいじゃない”

“誰か決めて”


それが、重なって、うねって――広場の地面の線が揺れ始める。


リュミエルが息を呑む。


【……来ます】

【迷いが……形になります】


地面から、薄い影が立ち上がる。

人の形をしているようで、していない。

顔はない。輪郭だけが揺れる。

ただ一つだけ確かなのは、“委ねたい”という衝動。


老婆が静かに言った。


「ほら」

「これが“空白”に落ちる怖さよ」


人々が悲鳴を上げかけた瞬間、ユウトは蒼風を強く吹かせなかった。

強く吹けば、影を吹き飛ばせる。

でもそれは、“影ごと迷いを消す”ことになる。


ユウトは、あえて弱い風を通した。

風は影を撫でる。


「……お前は、迷いだな」


影は揺れる。

答えはない。

でもユウトには分かる。

これは敵じゃない。

“溜め込まれた迷いの残骸”だ。


「消さねぇ」


ユウトは言った。


「返す」


老婆が目を見開く。


「返す? そんなことをしたら――」


「泣く」

「痛む」

「でも、立てる」


ユウトは、風を“分岐”させた。


広場にいる人々へ、細い風の糸を繋ぐ。

選択を口にした者。怖いと言えた者。小さくでも決めた者。

その“自分の声”が残っている人に、風が届く。


「おい」


ユウトは影に向かって言う。


「迷いを、持ち主に返す」

「一気じゃない。今、選べた分だけ返す」


リュミエルが理解して、光の線を重ねた。


【……迷いを“抱え直す”だけの器ができた人に】

【少しずつ……戻す……】


ピリィが叫ぶ。


『みんな、怖いって言っていいですぅ!!』

『泣いていいですぅ!!』

『でも、寝ないで起きてるですぅ!!』


レオンが短く命じる。


「目を逸らすな」

「逃げたいなら逃げたいと言え」

「……それでいい」


ゴルドが豪快に頷く。


『筋肉も怖い!! でも立つ!!』


「お前は黙って立ってろ」


その瞬間、影が“ほどけた”。


形が崩れる。

迷いが細い線になって、空へ散るのではなく――人々へ戻っていく。


「……うっ」


男が膝をつく。

胸を押さえる。


「……怖い」

「俺、逃げたかった……」


泣き声が上がる。

だが、その泣き声は“眠気”じゃない。


生きてる声だ。


老婆が箱を抱えたまま、震えるように言った。


「……あなた」

「本当に、壊さないつもりなのね」


「当たり前だろ」


ユウトは息を吐く。


「壊すのは簡単だ」

「難しいのは……戻すことだ」


老婆は、初めて焦りを見せた。

箱を揺らす。

カラ、カラ、カラ。


眠気が濃くなる。

周囲の人々が、また目をぼんやりさせる。


(来た……強制睡眠)


だがユウトは、風を強めない。

強風で起こしたら、今度は反動で倒れる。


代わりに――ユウトは“問い”を投げた。


「今夜の一個だけ、選べ!」


広場に響く声。

眠気に沈む直前の心に刺さる声。


「札を引くか、引かないか」

「今ここで、決めろ!」


ざわめき。

怖い。

怖いけど――


誰かが、震えながら言った。


「……引かない」


それに続いて、別の声。


「引かない」

「……怖いけど、引かない」


声が重なる。

選択が重なる。


その瞬間、箱の中の札の音が――止まった。


カラ、が鳴らない。

吸えない。

迷いが、預けられない。


老婆の顔が、初めて“老婆ではない”揺れ方をした。


目の奥が冷える。

笑みが、仮面みたいに浮く。


「……ふふ」

「いいわ」

「今夜は、ここまで」


老婆の輪郭が、薄くなる。

人混みの隙間へ溶けるように消える――だけど、今度はユウトが逃がさない。


蒼風が、ひと筋だけ走った。

傷つけない風。

“道”を作る風。


老婆が消える先の空間に、細い蒼い線が残る。


「……逃げ道に印を付けた」


レオンが息を吐く。


「追えるのか」


「追う」


ユウトは短く答えた。


「でも今夜は、ここで終わらせる」


広場に残った人々は、泣いていた。

怒っている者もいた。

肩を落としている者もいた。


それでも――目は開いている。


眠っていない。


リュミエルが胸に手を当てて、静かに言った。


【……迷いは消えません】

【でも、迷いを“自分のもの”に戻せば】

【世界は……前に進めます】


ピリィがぷるぷるしながら、泣いている人の前にぺたりと寄る。


『泣いていいですぅ!』

『でも、明日も選べるですぅ!』


ゴルドが、どこか誇らしげに言う。


『筋肉、今日は殴らなかった!!』


「そこを誇るな」


ユウトは、広場の石畳に残った“蒼い線”を見下ろした。

老婆――運命売りが逃げた先へ続く、細い道。


(逃げ道に印)

(誘導する歪み)

(……次は、もっと深い)


レオンが、ユウトの横に立つ。


「追うなら、朝だな」


「ああ」


ユウトは頷いた。


「でも、その前に」

「この町の人に“明日の選択”を残す」


ユウトは広場の人々へ向き直った。


「札はもう要らない」

「迷ったら、話せ」

「泣いていい」

「怖いって言っていい」


風が吹く。

夜の風。

眠らせる風じゃない。


起こす風。


そしてその風の中で、ユウトは確信していた。


この戦いは、剣じゃない。

魔法でもない。


“委ねたくなる弱さ”に寄り添うふりをする歪みを、

壊さずに、終わらせる戦いだ。


今夜は、第一手。

次は――追跡。


蒼風は、静かに前を指した。


迷いを抱えたままでも、進める方向を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ