「選択を奪う者」
街道を離れ、ユウトたちは小さな町へと辿り着いた。
石造りの建物が並ぶ、ごく普通の交易町。
市場では人の声が飛び交い、酒場からは笑い声が漏れている。
――平和だ。
だが。
「……空気が、妙だな」
町の門をくぐった瞬間、レオンが低く言った。
ユウトも頷く。
「表向きは普通。でも……」
風を感じる。
そこかしこに“選択の痕”が散らばっている。
(多すぎる……)
選択肢は、常に世界にある。
だがこの町では――
人々の“迷い”が、風に残りすぎている。
『……ここ、ちょっと……』
ピリィがユウトの肩にぴたりと張り付く。
『胸がざわざわするですぅ……
“間違えたかもしれない”って気持ちが、いっぱいです……』
ゴルドが腕を組んだ。
『町が元気なのに、腹の奥が冷えるな』
「理由は分かる」
ユウトは歩きながら言った。
「この町……“選択”を売ってる」
レオンが足を止める。
「……どういう意味だ」
ユウトは、視線を市場の中央へ向けた。
そこには、ひときわ人だかりができていた。
「――迷っているのですね?」
穏やかな声が響く。
白いローブを纏った男。
年齢は二十代後半ほど。
柔らかな笑顔で、人々の話を聞いている。
「あなたには三つの選択肢があります」
「失敗しない道」
「後悔しない道」
「そして……“選ばなくていい道”」
周囲の人々が、息を呑む。
「私はそれを“示す”だけ」
「決めるのは、あなたです」
『……怪しいですぅ』
ピリィが即断した。
「同意だ」
レオンも低く言う。
だが、人々の表情は違った。
疲れ切った顔。
迷いすぎて、立ち止まった目。
「……選ばなくていい、だと?」
「ええ」
男は微笑む。
「選択は、ときに人を壊します」
「だから――“預かる”のです」
ユウトの胸の奥で、何かがきしんだ。
(……それは)
第四の影と、同じ匂い。
だが、決定的に違う。
(こいつは……“判断”じゃない)
もっと人間的で、
もっと甘い。
ユウトは人垣を割って前に出た。
「なあ」
男が振り向く。
「はい?」
「お前、選択を預かるって言ったな」
「ええ。迷いは重いものですから」
「……返すのは、いつだ?」
男は一瞬だけ言葉を止め――
それから、にこやかに答えた。
「返しません」
「必要がなくなったら、ですが」
空気が、わずかに凍る。
レオンが一歩前へ出る。
「それは、選択を奪っているのと同じだ」
男は肩をすくめた。
「奪う? いいえ」
「“救っている”のです」
人々のざわめきが大きくなる。
「この町では、失敗が減りました」
「争いも減りました」
「間違いを選ぶ人がいなくなった」
ユウトは、男の目を見つめた。
「……代わりに、何が増えた?」
男は、少しだけ首を傾げる。
「不安が、減りましたよ?」
ユウトは静かに言った。
「“後悔”が増えただろ」
男の瞳が、わずかに揺れた。
「……後悔は、不要な感情です」
その瞬間。
ユウトの風が、はっきりと“拒絶”した。
「なあ」
ユウトは一歩近づく。
「お前、自分で選んだことあるか?」
男は即答しなかった。
代わりに、穏やかな笑みを保ったまま言う。
「私は……多くの選択を“見てきた”」
「それは“選んだ”とは言わねぇ」
ユウトの声は、静かだが鋭い。
「選ぶってのはさ」
「間違えるかもしれないって分かってて」
「それでも踏み出すことだ」
ピリィが、きゅっと拳を握る。
『ユウトの言う通りですぅ!!
選ばないのは……逃げですぅ!!』
ゴルドが頷く。
『逃げは筋肉が減る!!』
「理屈がおかしい」
レオンが即座に突っ込むが、
視線は男から離さない。
リュミエルが、静かに前へ出た。
【……あなたのしていることは】
【“優しさ”に見えます】
男は、少し驚いたように目を瞬く。
【でもそれは……】
【人が、自分の人生を生きる力を】
【少しずつ、奪っています】
男の笑みが、ほんのわずかに歪んだ。
「……女神、ですか」
【はい】
【そして……一度】
【“選択を消す”ことの恐ろしさを】
【私は、身をもって知りました】
その言葉に、男は沈黙した。
風が、町を抜ける。
人々の迷いの残り香が、渦を巻く。
「……名を名乗ろう」
男が、静かに言った。
「私はエイリク」
「“分岐を読む者”です」
ユウトは、即座に返す。
「ユウトだ」
「風の勇者」
エイリクは、目を細めた。
「……噂は聞いています」
「選択を肯定する勇者」
「肯定はしない」
ユウトは首を振る。
「受け止めるだけだ」
「危険ですね」
「承知の上だ」
二人の視線が、ぶつかる。
エイリクは、ふっと息を吐いた。
「……なら、いずれ分かるでしょう」
「選択が、どれほど人を壊すか」
そう言って、彼は人垣の奥へ下がった。
町の人々は、まだ彼を頼る目をしている。
ピリィが、ユウトを見上げる。
『……敵、ですか?』
ユウトは、少しだけ考えてから答えた。
「まだだ」
「でも――」
風が、確かに警鐘を鳴らしている。
「この世界の“次の歪み”は、あいつだ」
レオンが剣に手をかける。
「放ってはおけないな」
ゴルドが拳を鳴らす。
『殴って分からせるか!?』
「最終手段な」
リュミエルは、町を見渡し、静かに言った。
【……この章は】
【“選択を奪う優しさ”との戦いになる】
【そんな気がします】
ユウトは笑った。
「だろうな」
風が吹く。
迷いを含んだ、だが前へ進む風。
「行こう」
「世界の後始末は、まだ終わってねぇ」
こうして――
新たな章が、静かに幕を開けた。
“選択を奪う者”と、
“選択を引き受ける者”。
次にぶつかるのは、
力でも、理屈でもない。
――生き方そのものだ。
風は、今日も前へ吹いていた。
町の外れにある宿に入ると、夕方の光が木枠の窓から差し込んでいた。
どこにでもある宿だ。古い床板、少し軋む階段、湯気の立つ厨房の匂い。
だがユウトの風は、ずっと張りつめたままだった。
(……残ってる)
エイリクが去ったあとも、町の空気は軽くならなかった。
むしろ、迷いを押し込めた分だけ重く沈んでいる。
「……この町、夜になると分かりやすくなるな」
ユウトがそう言うと、レオンが視線を上げた。
「どういう意味だ?」
「昼は忙しさで誤魔化せる」
「でも夜は……選ばなかったことが、追いついてくる」
まるで答え合わせのように、宿の奥から小さな言い争いが聞こえてきた。
「……だから、あの時は仕方なかっただろ」
「でも……本当に、あれでよかったの?」
言葉は小さい。だが、感情は濃い。
怒りじゃない。悲しみでもない。
決めなかったことへの後悔だ。
ピリィが、きゅっと体を縮める。
『……胸が、きゅーってするです……』
「無理もない」
ユウトは静かに言った。
「“選ばなくていい”って言われた人間はさ」
「選んだ後に失敗したんじゃなくて」
「選ばなかった自分を、一生引きずる」
ゴルドが腕を組み、低く唸る。
『……筋肉で言うなら』
『鍛えなかった後悔だな』
「妙に的確だな」
その夜、ユウトは一人で宿を出た。
止めなかったのは、仲間も理由を分かっていたからだ。
町の中央広場。
昼は人で溢れていた場所に、今は数人しかいない。
その中心に――エイリクがいた。
白いローブのまま、石の縁に腰掛け、夜空を見上げている。
誰かに語りかけるでもなく、占うでもなく、ただ座っている。
「……夜回りか?」
ユウトが声をかけると、エイリクは驚いた様子もなく振り向いた。
「勇者さんですか」
「随分と、夜風が似合わないですね」
「お互い様だろ」
ユウトは少し距離を取って立つ。
「昼の続きだ」
「お前、何を見て“選ばなくていい”って言うようになった?」
エイリクはしばらく黙り、やがてぽつりと語り出した。
「……私は昔、選び続けました」
「正しいと思う道を」
「間違いだと分かっている道を避けて」
ユウトは黙って聞く。
「でも」
エイリクは夜空を見たまま続ける。
「選び続けた結果……誰も残らなかった」
風が、わずかに震えた。
「仲間を失い」
「家族を失い」
「それでも、“正しい選択だった”と自分に言い聞かせた」
エイリクは、初めてユウトを見た。
「だから、思ったのです」
「選ばなければ……失わないのではないか、と」
ユウトは、ゆっくり息を吐いた。
「……それで」
「失った痛みは、消えたか?」
エイリクは答えなかった。
答えられなかった。
沈黙が、すべてを語っている。
「なあ、エイリク」
ユウトは一歩だけ近づく。
「選ばなかった結果で、誰か救えたか?」
エイリクの指先が、わずかに震えた。
「……救われたと、信じている人はいます」
「それ、“今”だろ」
ユウトの声は優しいが、逃がさない。
「夜になっても、眠れてるか?」
「夢を見ないか?」
「“あの時、選んでたら”って」
エイリクは、目を伏せた。
「……あなたは」
「なぜ、そんなに選択を肯定する?」
ユウトは少し考えてから答えた。
「肯定してないって言っただろ」
夜風が吹く。
「俺はな」
「選択が“正しい”なんて、一度も思ったことない」
エイリクが顔を上げる。
「じゃあ、なぜ……」
「選ばないほうが、ずっと残酷だからだ」
ユウトは静かに続ける。
「選んだら、失敗も後悔も全部“自分のもの”になる」
「でも選ばなかったら……」
「失敗も後悔も、“自分じゃない何か”になる」
エイリクの目が揺れる。
「それは……楽に見える」
「でも一生、自分を信じられなくなる」
ユウトは胸に手を当てた。
「俺は、選んで死んだ」
「それでも……自分を嫌いにならずに済んだ」
エイリクは息を呑んだ。
「……あなたは……後悔しないのですか?」
「する」
即答だった。
「今でもする」
「怖かったし、痛かった」
「それでも……」
ユウトは笑った。
「自分で選んだって事実が、俺を前に進ませてる」
長い沈黙のあと、エイリクが呟いた。
「……私は」
「人の迷いを預かることで」
「自分の迷いから、逃げていたのかもしれません」
風が、少しだけ軽くなる。
だが、問題は終わらない。
その瞬間――町の端から、悲鳴が上がった。
「た、助けて!!」
「……決められない!!」
ユウトは即座に振り返る。
「来るぞ」
レオンたちも駆けつける。
町の路地の奥。
若い男が、地面に膝をついていた。
周囲の空気が歪んでいる。
“迷い”が、形になりかけている。
(……これが)
(選択を奪った世界の副作用)
ユウトは前に出る。
「おい」
男が顔を上げる。
「どっちに進めばいいか……分からない……」
「選ばなきゃいけないのに……選べない……」
ユウトは、男の前にしゃがんだ。
「いいか」
風が、静かに吹く。
「正しい道なんて、最初から見えねぇ」
「だから人は、選ぶ」
男の肩が震える。
「……間違えたら……?」
「間違える」
ユウトは頷く。
「でもな」
「間違えたあとに立ち上がれるのが、“生きてる”ってことだ」
ピリィが、そっと男に声をかける。
『一人で選ばなくていいですぅ』
『誰かに相談してもいい』
『でも……選ぶのは、あなたですぅ』
男の目に、涙が溜まる。
しばらくして――
彼は、震えながらも立ち上がった。
「……行ってみます」
「怖いけど……」
ユウトは背中を叩いた。
「それでいい」
男は走り去っていく。
その背中を、エイリクが黙って見つめていた。
「……勇者ユウト」
「なんだ」
「私は……」
エイリクは、深く息を吸った。
「この町を離れます」
ユウトは、少し驚いた顔をした。
「いいのか?」
「……預かった選択を、返さねばならない」
「時間はかかるでしょう」
「恨まれるかもしれない」
ユウトは、にやっと笑った。
「それも……選択だな」
エイリクは、苦く微笑んだ。
「……ええ」
「ようやく、自分で選びます」
夜が、静かに明けていく。
町の空気は、まだ重い。
だが、確かに“動き始めている”。
リュミエルが、ユウトの隣で呟いた。
【……世界は】
【簡単には、戻りませんね】
「戻らなくていいさ」
ユウトは前を向いた。
「進めばいい」
風が吹く。
迷いを含んだ、しかし確かな風。
こうして――
“選択を奪う者”との最初の対峙は終わった。
だがそれは、序章に過ぎない。
選択を恐れ、
選択を売り、
選択を悪用する者たちは、まだ各地に潜んでいる。
そしてユウトは知っていた。
これからの戦いは――
剣でも魔法でもなく。
人が、自分の人生を引き受けられるかどうか
その一点にかかっていると。
風は、今日も前へ吹いていた。
迷いを許し、
選択を背負い、
それでも歩く者のために。
物語は、確かに次の局面へ進んでいく。




