「リュミエルの本当の罪」
白銀の門の向こうは、静かすぎるほど静かだった。
音がない。
風もない。
脈動していたはずの心臓層の鼓動すら、ここでは遠い。
ユウトが一歩踏み込んだ瞬間、足元に違和感が走った。
「……ん?」
硬い。
さっきまでの“線”や“光”とは違う、妙に現実的な感触。
見下ろすと――
「……床、普通じゃね?」
リュミエルもきょとんとして周囲を見回す。
【……あれ?
ここ、もっと……こう……神秘的で……
怖くて……重くて……】
「いや、気持ちはわかるけどさ」
ユウトは周囲をぐるりと見渡した。
そこにあったのは――
だだっ広い、だだっ広すぎる白い空間。
壁も天井も床も、全部“何も描かれていないキャンバス”のようで、やたらと開放感だけがある。
「……なあリュミエル」
【はい】
「女神の心臓の最深部ってさ……
もっとこう……ラスボス前の緊張感ある場所じゃなかったの?」
リュミエルは少し考え、困ったように首を傾げた。
【……その……
本来は、です】
「“本来は”?」
【えっと……】
【ここは……“心臓の核”なんですが……】
ユウトの嫌な予感が、ゆっくりと育つ。
「ですが……?」
リュミエルは目を逸らした。
【……私が、全部抱えきれなくなった時に……
感情を整理しようとして……
“いったん何も置かない部屋”にして……】
ユウトは無言で天を仰いだ。
「……要するに?」
【……心の物置です】
「心臓の最深部が!?」
【ご、ごめんなさい……!】
ユウトは額に手を当てた。
(やっぱこの女神、ポンコツ成分消えてねぇ……)
だが、その“何もない”空間の中央で――
ゆっくりと、黒い楔が浮かび上がった。
空間の白を汚す、異物。
線でも光でもない、“世界を止めるためだけに存在する形”。
第四の影の“本質”。
【……ようこそ】
声は、以前よりずっと近い。
【ここは、女神が“何も考えないため”に作った場所】
【そして同時に――
私が最も安定して存在できる場所でもある】
ユウトは前へ出る。
「つまりここが、お前の根城ってわけだな」
【そうだ、風の勇者】
黒い楔が、ゆっくりと形を変える。
人型でもない。
怪物でもない。
ただ“判断”そのもののような存在。
【感情を捨てれば、世界は壊れない】
【痛みを見なければ、女神は壊れない】
【私は、そのために生まれた】
ユウトは鼻で笑った。
「……なるほどな」
一歩、踏み出す。
「だったらさ――」
風が、静かに立ち上がる。
「お前は“正しい”んだろうな。
世界を壊さないって意味じゃ」
第四の影が、わずかに揺れる。
【……ほう】
ユウトは続けた。
「でもな、それって“生きてない”んだよ」
リュミエルが、はっと息を呑む。
ユウトは肩をすくめた。
「さっきまでさ、
女神の心の海で、痛みと向き合って、
正直クソしんどかった」
【……】
「逃げたほうが楽だって、何度も思った」
ユウトは笑った。
「でもな、不思議なことに――
今のほうが、風はちゃんと吹いてる」
蒼風が、白い空間に色を与えていく。
「痛みも、後悔も、めんどくささも全部込みでさ」
「それでも進むって決めた瞬間のほうが――」
一歩、前へ。
「生きてるって感じがする」
第四の影は沈黙した。
【……愚かだ】
「そうだな」
ユウトは即答した。
「自覚ある」
リュミエルが、思わず小さく吹き出した。
【……ユウトさん、こういう時に自覚あるの、ずるいです】
「褒めてる?」
【半分くらい……です】
第四の影が、再び動く。
【ならば問おう】
【女神を取り戻した先で、お前は何をする】
ユウトは、少しだけ考えた。
「まず――」
指を折る。
「リュミエルをちゃんと飯食わせる」
「ちゃんと休ませる」
「無理して笑うの禁止」
【……!?】
リュミエルが目を丸くする。
【そ、そんな……世界の再構築とか……】
「それはその後」
ユウトは即答した。
「世界を救う前に、女神が倒れたら意味ねぇだろ」
リュミエルの輪郭が、わずかに安定した。
第四の影が、低く唸る。
【……理解できない】
「だろうな」
ユウトは風を強める。
「だから――」
蒼風が、白い空間を満たす。
「俺が“風の勇者”なんだ」
第四の影の核が、きしりと音を立てる。
【……ならば示せ】
【“判断”ではなく、“選択”の力を】
白い空間が、歪む。
心臓層の最深部が、戦場へと変わろうとしていた。
ユウトは、リュミエルの方をちらりと見た。
「怖いか?」
リュミエルは一瞬だけ黙り――
それから、はっきりと頷いた。
【……はい】
ユウトは笑った。
「だよな。俺もだ」
そして、前を向く。
「でも、一緒なら行けるだろ」
リュミエルは、今度はしっかりと頷いた。
【……はい。ユウトさん】
蒼風が渦を巻く。
第四の影が、完全に姿を現す。
ここからが――
女神の心臓層・最終局面。
世界の“判断”と、風の“選択”が――
真正面からぶつかる。
次の一歩で、
この世界の形は、確実に変わる。
風は、もう迷わなかった。




