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「風の核層:勇者誕生の“始まりの記憶”

暗闇が、静かにほどけていく。


落ちているのか、浮かんでいるのかもわからない場所――

ここは“風の核層”。

ユウトという存在の、一番奥の、一番最初の場所。


怒りを抱きしめ、幼い自分を迎えに行き、

それでもなお辿り着けなかった“最後のひとつ”。


勇者ユウトが生まれた、本当の起点。


風の鼓動だけが、一定のリズムで耳の奥を叩いていた。


(……まだ、奥があるのかよ)


自嘲気味に息を吐きながら、ユウトは立っていた。


足元は線で描かれた白い床。

だが、その線は今までと違っている。

どこか、懐かしい“アスファルトの色”をしていた。


(これ……)


見覚えがある。


地面。白線。

その端には、ガードレールと街路樹の影。


風が吹いた。


異世界の風じゃない。

どこか排気ガスの匂いが混ざった、夜の街の風。


「……ここ、俺の世界だ」


胸の奥が、きゅっと鳴る。


まだ“ユウト”が勇者でも何でもなかった頃。

ただの高校生だった頃。


そこに――一台の車が見えた。



夜の交差点。

赤信号。

人影は少ない。

雨上がりの路面が、街灯の明かりを滲ませている。


横断歩道の手前で、ひとりの少年が立っていた。


制服のブレザー。

斜め掛けのバッグ。

少しだけ伸びた前髪。


――ユウト。


現在の自分よりも、幼くて、頼りなく見える。

でも、その背中には“あの頃の全て”が詰まっていた。


(……俺だ)


信号が、青に変わる。


幼いユウトはスマホを握りしめ、ため息をついた。


「……やっぱ言えなかったな」


画面には、送信されずに残ったメッセージ。


『ごめん。明日、ちゃんと話したい』


指が震えて、送れなかった文字。


「謝るの、苦手だよな……俺」


現在のユウトが苦笑する。


(そうだったな……いつだって“流れでどうにかなる”って、ちゃんと向き合わなかった)


横断歩道に一歩踏み出した、その瞬間――


風が、止まった。


世界がスローモーションになる。


遠くでヘッドライトが揺れる。

細い道から、大通りへ無理やり飛び出して来る車。

ブレーキランプは、点いていない。


「――――」


クラクションの音が、遠くから響いてくるように聞こえた。


けれど、足は止まらない。

いや、“止まるという選択肢”が浮かばなかった。


「え……?」


幼いユウトが目を見開いた。


車が迫る。

逃げ場はない。

考える余裕もない。


ただ――


(やべ)


その一言だけが、頭をよぎった。


――ドン。


鈍い衝撃。


世界が、ひっくり返る。



闇の中に、浮遊していた。


痛みはない。

怖さも、よくわからない。

ただ、世界から音が消えていた。


白と黒しかない空間。

自分の体も、輪郭だけになっている。


(……死んだのか、俺)


不思議と、実感は薄い。


「ごめんって、ちゃんと言えなかったなぁ……」


あのメッセージを送れなかったことが、

やけにどうでもよくて、そして少しだけ悔しかった。


そのとき――


風が吹いた。


こっちじゃない。

あっちから。


異世界の風。


ゆるやかで、柔らかくて、すこしだけ甘い匂いがする風。


その風の中から、光が降りてきた。


「――ユウトさん」


鈴を鳴らすような声。


何度も聞いてきた、あの声。


「……リュミエル」


口をついて出た名前に、光が嬉しそうに震えた。


やがて光は一人の女性の姿をとる。


金色の髪。

ひらひらした純白の衣。

どこか抜けたような、それでいて優しい瞳。


女神リュミエル。


初めて会ったときの――

あの姿と、まったく同じ。


いや。

違う。


(今だから、わかる)


あのとき自分は“見えていなかった部分”まで、

今はちゃんと感じ取れる。


リュミエルの周りには、わずかに“ひび”が走っていた。


小さな、小さな影。

白銀の光の中に混じる、“黒いノイズ”。


沈黙の影。沈語の影。

そして、そのもっと前から存在していた、

世界の底に溜まっていた“最初の沈黙”。


その欠片が、リュミエルの光に張り付いていたのだ。


「えへへ……あ、初めまして、ですね……?」


リュミエルがぺこりと頭を下げる。


「私は女神リュミエルです。

 あなたは――ユウトさん、ですよね?」


ユウトは黙っていた。


この記憶は“過去”だ。

過去の自分の前で、今の自分が立っている。


それでも――


(このとき、俺は何て答えたんだっけな)


幼いユウトが口を開いた。


「……ああ。ナガセ……いや、ユウト。

 ユウトでいいです」


「あ、やっぱりユウトさんですか! 良かったぁ!」


リュミエルが満面の笑みを浮かべる。


「えっとですね、ユウトさん。

 突然なんですが――」


そう言って、彼女は胸の前で手を合わせた。


「――あなたを、“異世界の勇者”としてスカウトしに来ました!」


記憶の中のユウトは、ポカンと口を開けていた。


「は?」


(……そうだ。最初から、話がぶっ飛んでた)


現在のユウトが苦笑する。


リュミエルは続ける。


「あなたは今、交通事故で亡くなったところです。

 生まれた世界に戻ることは、もうできません。

 ですが――」


一瞬、瞳が揺れた。


その揺れを、今のユウトは見逃さなかった。


(あのときの俺には、見えてなかったけどな)


リュミエルはすぐに笑顔に戻る。


「ですが、別の世界で“二度目の人生”を歩むことはできます。

 そこであなたには、“勇者”として――」


女神らしい定型文を並べながらも、

どこか“申し訳なさ”が混じった声だった。


幼いユウトは、呆然と呟く。


「勇者って……俺が?」


「はいっ!」


リュミエルが胸を張る。


「魔物がいて、竜王がいて、ちょっと世界がピンチで……

 でもでも、可能性に満ちたとーっても素敵な世界です!」


「……“ちょっと”で済む状況なのか、それ」


現在のユウトが思わずツッコミを入れる。


リュミエルは気づかずに続ける。


「そこでですね、ユウトさんには――

 特別なスキルを授けようと思ってまして!」


ここだ。


ユウトは息を止める。


“勇者誕生の始まりの記憶”。

自分にスキルが与えられた瞬間。


そして、その奥で――

なにかが“歪んだ”瞬間。


リュミエルは手をかざした。


「ユウトさんには、本来――」


光が集まり、文字が浮かぶ。


全能勇者オムニ・ブレイブ


万能。伝説級。

すべてのステータスがカンストする、文字通り最強の勇者の器。


「――このスキルを、与える予定でした!」


現在のユウトは目を細める。


(……知ってる。お前が誤ってバグらせたやつな)


リュミエルは、過去の通りに慌て出す。


「えっと、えっとえっと……このデータをこうして、

 この世界に合わせて出力して――」


指が震える。

光の粒子が、少しだけ揺らぐ。


黒いノイズ――影の欠片が、そこへ吸い寄せられていく。


(……ここか)


最初の“狂い”。


全能勇者として転生するはずだったデータに、

世界の“沈黙の欠片”が混ざり込んでいく。


リュミエルの額に、うっすらと汗が浮かぶ。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ……前回も似たケースありましたし……

 前回も、ちゃんと成功……」


その言葉に、現在のユウトが眉をひそめた。


(前回……?)


そこに、さらに別のノイズが混じる。


白銀の細い髪のような線。


まだ“影の姿”を持つ前の、

ただの“世界の歪み”。


だがユウトはそれを、はっきり知っている。


(……あれ、“白銀の影”の……種か)


沈黙の影でも沈語の影でもない。

リュミエル自身の影が生まれるよりも前の、“もっと根っこの揺らぎ”。


リュミエルは、それに気づいていない。


「では、ユウトさん。

 いよいよスキル付与いきますよっ!」


彼女が宣言した瞬間――


“バグ”が起きた。



世界が弾ける。


光の文字が乱れ、

全能勇者の文字列が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。


『全能勇者』

『伝説級』

『神性適応』

『固有権限』


それらが――ノイズに塗り潰された。


代わりに浮かびあがったのは、

たったひとつのスキル名。


『モンスター思考読取パッシブ


「え……?」


リュミエルの顔が真っ青になる。


「ええええええええええ!?!?」


現在のユウトが肩を震わせる。


(……そこは今見ても笑う)


だが笑っている余裕は、本当はなかったはずだ。

全能勇者の器が、どこかへ飛び散ったのだから。


リュミエルはパニックになる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいねユウトさん!

 いま原因を――システムログ確認して――えっと、これは――」


光の裏側で、

黒いノイズが“ケラケラ”と笑っていた。


声はない。

ただの揺らぎ。


だがユウトには聞こえた。


【――おもしろい線を見つけた】


(……第四の影)


まだ名前も、形も、意志も薄かった頃。


ただ世界の底で“歪み”として存在していたそれが、

リュミエルのミスと、世界の沈黙と、

ユウトという“異物”に触れて――


初めて、自分の輪郭を欲しがった瞬間。


“あのバグ”が、すべての始まりだった。


リュミエルは必死にスキル欄を弄りながら叫ぶ。


「ど、どうしましょうユウトさん!

 本来なら、すごーく強くて、すごーくかっこよくて、

 すごーく頼れる勇者になるはずだったんですが!!」


幼いユウトが、ぽつりと呟いた。


「……モンスターの心が、読める……?」


「そ、そうですね……! 魔物さんの思考だけですけど!

 会話はできないけど、考えてることがなんとなく伝わる感じで……!」


「それって……」


現在のユウトは、静かに目を閉じた。


(だから俺は、竜王の心も、ピリィの心も、

 この世界のモンスターたちの声も――

 “沈黙の向こう側”で聞くことができたんだ)


全能勇者の器を失った代わりに、

この世界の“沈黙に抗う力”をもらっていた。


モンスターの心を読むということは――

言葉の届かない相手とも、心の奥で繋がるということ。


沈黙の影が世界から声を奪っても、

沈語の影が言葉を溶かしても、

第四の影が輪郭を削り取っても。


ユウトは、そこに“風を通すことができる”。


(結局さ。全能勇者より――)


ユウトは、幼い頃の自分を見つめた。


交通事故で死んだ、ただの少年。

怖くて、泣きたくて、逃げたくて。

それでも、誰かとちゃんと繋がりたかった少年。


(――こっちのほうが、俺に合ってたんだろうな)


リュミエルは、どうにか取り繕おうと必死だ。


「ユウトさんっ! とにかくですね!

 全能勇者はちょっとシステムトラブルでアレなんですが!

 モンスター思考読取は、この世界でもレア能力なんですよ!?

 むしろレアで、唯一無二で、たぶんカッコいいです!!」


必死すぎて逆に怪しい。


幼いユウトは、それをじっと見つめて――


「……いいですよ、それで」


ふ、と笑った。


「なんかよくわかんないですけど。

 “誰かとちゃんと話せる力”なら、悪くない気がします」


リュミエルが目を丸くする。


「ユウトさん……!」


「俺、あんまりちゃんと話すの得意じゃないし。

 だったら――代わりに、相手の声を聞けるのもアリかなって」


現在のユウトの胸が熱くなった。


(ああ……そうだ)


このときすでに、“勇者ユウト”は始まっていたのだ。


全能でもなければ、最強でもなかった。

ただ、“誰かの声を聞きたい”と思った少年が――

モンスターの心を読むスキルを、ちゃんと“選んだ”。


リュミエルは目を潤ませる。


「ユウトさんは……優しいですね」


「え、そうですか?」


「そうですよ。

 本当は“最強勇者”って言われたい年頃でしょうに……」


「まあ、なりたい気持ちがゼロってわけじゃないですけど」


ユウトは苦笑する。


「でも、俺――

 “誰とも話せなくてひとりぼっち”の世界より、

 “ちょっと弱くても誰かと繋がれる”世界のほうが、いいです」


リュミエルの胸の影が、微かに揺れた。


黒いノイズが、ひっそりと震える。


【……“線”は、まだ、消えない】


第四の影の、最初の“ざわめき”。


それも、この場に混じっていた。


だが――それ以上に、強く響いたものがある。


風だ。


ユウトの言葉に呼応して、

新しい風が生まれた。


モンスターと人。

言葉を失った者と言葉を持つ者。

沈黙と、声。


それらの間を“つなぐ風”。


それが――勇者ユウトの“本当の始まり”。


リュミエルは両手を胸の前で合わせ、宣言した。


「では改めて――ユウトさん!」


光が集まり、転生の門が開く。


「あなたを、“この世界の風の勇者候補”として――

 異世界へご案内します!」


「候補って言ったよな今」


「細かいところは気にしないでください!」


バグまみれの、ちょっとポンコツな女神。

だけど――世界を救いたいという願いだけは、本物だった。


ユウトは笑った。


「……わかった。

 行くよ、リュミエル」


彼は、手を差し出した。


光が、それを包み込む。


「よろしくお願いします。

 ――“リュミエル”」


「はいっ! ユウトさん!」



記憶の光景がほどけていく。


交通事故。

真っ暗な中で見上げた街灯。

リュミエルの慌てた顔。

モンスターの心を読む力。

世界の底に潜んでいた、小さな影の種。


全部が線となり、風に溶けていく。


そして――


現在のユウトだけが、その場に取り残された。


(そうだよな)


自分のスキルは“バグの産物”じゃない。

誰かのミスや、世界の誤差だけで成り立っているわけじゃない。


――怖くても、

――弱くても、

――それでも誰かの声を聞きたかった自分が


“勇者ユウト”を始めたのだ。


(なら――)


ユウトは胸に手を当てた。


風が、蒼く燃え上がる。


怒りも、恐怖も、後悔も、優しさも。

全部混ぜ込んで――


(この風で、世界を守る)


沈黙の影にも。

沈語の影にも。

そして、第四の影にも。


「俺は、俺の風で――

 みんなの“声”を繋ぐ勇者になる」


その瞬間――核層が砕けた。


光が世界を満たす。


“風の勇者・完全覚醒”。


ユウトの身体が、現実世界へと押し戻されていく。


     現実世界 ブランクライン城 


「――っ!」


ユウトの目が、ぱちりと開いた。


蒼い風が爆発する。


レオンが驚いて振り向く。


「ユウト!」


ピリィが飛びつく。


『ユウト!! 戻ってきたです!!』


ゴルドが拳を天に突き上げる。


『遅ぇぞ!! どんだけ寝てる気だ!!』


ユウトは苦笑しながらも、胸の奥の風を感じ取る。


(……帰ってきた)


風は、もう揺らいでいない。

迷ってもいない。

世界と、自分の心と、仲間の声と――全部を抱きしめる風。


第四の影が、静かに揺れた。


【ようやく戻ったか、風の勇者】


その声にも、もう怯えはない。


ユウトは真正面から影を見据えた。


「待たせたな、第四の影」


風が背中で蒼く燃え上がる。


「ここからが本番だ。

 ――お前が壊そうとしている“世界の輪郭”を、

 俺の風で描き直してやる」


レオンが隣で剣を構える。


「風の勇者。

 雷の勇者は、いつでも隣にいる」


ピリィがふるふる震えながら笑う。


『ユウト! ピリィもいるです!』


ゴルドが吠える。


『筋肉もな!!』


風が、笑った。


世界はまだ壊れかけている。

輪郭の裂け目は消えていない。

第四の影は、まだその底に潜んでいる。


それでも――


“勇者ユウトの物語”は、ここからが本当の始まりだ。

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