「風の核層:勇者ユウトの原点と"忘れていた声"
――落ちている。
どこまでも深く。
終わりの無い、暗い風の井戸。
怒れる自分を受け入れたはずなのに、胸の奥でまだ風がざわついている。
(ここが……“風の核層”……)
断層世界よりさらに下。
心の奥よりさらに深い。
ここは“風の勇者が生まれる前から、自分の中にあった場所”。
ユウトは足裏に気配を感じ――
重力のない空間へ、ふわりと着地した。
そこは――
「……真っ白だ」
白でも黒でもない。
“風がまだ生まれる前の色”だった。
線もない。
影もない。
存在を示す境界すらない。
ただ、静寂。
その中心に――
ひとつだけ“椅子”があった。
簡素で、どこにでもあるような木の椅子。
だが、ユウトはそれを見た瞬間。
胸が、きゅっと痛んだ。
(……あれ……見覚え……ある?)
見覚えはある。
でも思い出せない。
椅子に触れようと一歩踏み出した瞬間、背後から声がした。
『やっと来たね、ユウト』
振り向く。
そこに立っていたのは――
ユウト自身よりも少し背が低い少年。
見覚えしかない横顔。
でも記憶のどこにも“いない”。
少年は笑った。
『ぼくは――きみの“核”。
きみが勇者になる前から、ずっとここにいた』
ユウトの喉がかすかに震えた。
「……俺の、“核”?」
少年はうなずく。
『怒りのユウトは“表の感情”。
でもぼくは“もっと根っこ”。』
少年は椅子の背を軽く叩いた。
『これ、覚えてる?』
「……わからない」
『でも、“知ってる”はずだよ』
少年は椅子をゆっくり回し、ユウトへ向けて座らせた。
そして――
『座って。
きみがずっと逃げてきた記憶を、取り戻そう』
ユウトは息をのむ。
胸がざわりと痛む。
その瞬間、風がないはずの空間で、微弱な風がユウトの首筋を撫でた。
(……呼ばれてる……?
何かを……思い出せって……)
少年は静かに言う。
『きみは“転生者”じゃない。
でも“異物”でもない。
でも――この世界へ来る前のことを
本当は全部覚えているはずなんだ』
ユウトの心臓が跳ねた。
「それ……どういう――」
少年はユウトの言葉を遮り、優しい声で言った。
『座ったら、全部わかるよ』
ユウトは椅子を見つめる。
怖い。
触れたくない。
開けたくない箱をこじ開けられる気がする。
でも――
(この世界を救うなら……
俺自身を知らなきゃいけないんだ。)
ユウトは椅子へ手を伸ばした。
少年は微笑む。
『おかえり、ユウト。
“忘れてた声”を聞きに、ようやく来たね』
ユウトが椅子に腰を下ろした瞬間――
世界が反転した。
白い空間に“色”が落ちた。
――青。
――緑。
――夕陽の金色。
懐かしい風景。
胸を締め付ける帰還感。
ユウトの目に、ある光景が映った。
小学校の帰り道。
夕焼けの下で、誰かの声が泣きながら呼んでいる。
「――ゆうとっ!!」
懐かしすぎる声。
忘れたわけがない声。
ユウトは息をのんだ。
(これ……俺の……)
少年の声が頭の奥でささやいた。
『そう。これが“きみが風を選んだ日”。
勇者になる前の……原点だよ』
ユウトの心臓が、痛いほど鳴った。
ここから、“忘れていた声”の正体が解き明かされる。
暗闇は“落ちている”はずなのに、同時に“上昇している”ようでもあった。
風の断層の第二段階――怒りの層――を越えたユウトは、
“さらに深いどこか”へ沈んでいく。
風は吹かず、音もない。
しかし、耳の奥に“風の鼓動”が脈打つ。
(ここが……風の核層……
俺の力の……生まれた場所……?)
足元――存在の基盤がひび割れた。
白銀と墨の線で構成された床が、
ユウトの一歩ごとに波紋のように揺れる。
前方に、淡い光が一つだけ浮かんでいた。
“揺れる風の雫”。
その光の空間から――声が聞こえた。
【……ユウト】
はっきりとした、
風に乗る温かい声。
だが、ユウトの表情は曇る。
(この声……どこかで……
でも、誰の声だ……?)
記憶を辿ろうとすると、胸が締め付けられた。
痛みではない。
「懐かしさ」と「喪失感」が押し寄せる感覚。
ユウトは息を吸い、光に近づいた。
声は再び囁く。
【ユウト……あなたは、また……泣いているの?】
(泣いて……?)
ユウトは驚く。
声は、ユウトが“泣いた理由”を知っている者の響きだった。
ユウトは光へ手を伸ばす。
その瞬間――
空間が裂けた。
そこに立っていたのは――
幼いユウト。
だが、その姿は震えていた。
白銀の影に包まれ、風の流れを掴み損なった子ども。
「泣くな……って言われても……
だって俺……全部怖かったんだ……!」
幼きユウトは泣きながら叫んだ。
「交通事故で、突然死んで……
異世界って世界に放り込まれて……
“勇者”とか言われて……
俺は……ただのユウトなのに!!」
その叫びに、
ユウト自身の胸が強く痛んだ。
(……そっか。
俺……ずっと言えなかったんだ……)
怒りや焦りよりも、
本当に隠していたのは――
“怖かった”という本音。
それを言えば弱くなる気がして、
仲間がいるのに“勇者として”泣くことは許されないと思い込んでいた。
ユウトはゆっくり歩み寄った。
幼きユウトが震えながら顔を上げる。
「ねぇ……なんで……助けに来てくれなかったの……?」
その言葉は、刃より鋭く、
ユウトの心に突き刺さった。
(……俺は、俺自身を置き去りにしてたんだな)
ユウトは幼い自分の前でしゃがむ。
そして――静かに手を差し伸べた。
「……悪かった。
ずっと……怖がってるお前から目を逸らしてた。
“勇者だから強くなきゃいけない”って、自分勝手に決めつけてた」
幼きユウトの目が潤む。
ユウトは続けた。
「でも、お前がいてくれなきゃ……俺は勇者になれなかった。
怖かったし、泣きたかったし、逃げたかった。
だけど――それが“俺の原点”なんだ」
ユウトは幼い自分を抱きしめた。
子どものユウトが震える声でつぶやく。
「……ホントに、迎えに……来てくれたの?」
「当たり前だろ。
お前は……俺が守らなきゃいけない“最初の仲間”なんだよ」
風が、優しく吹いた。
その瞬間――光の雫が強まる。
幼きユウトの身体が光に溶け、
ユウトの胸の奥へ吸い込まれていく。
“恐怖の風”が、力へと変わった。
核層が震えた。
【……よく、向き合ったな】
第四の影の声ではない。
もっと深く、古く、柔らかい風の声。
【お前は“風を宿す資格”を持っている】
風の色が変わる。
これまでの淡い青の風とは違う。
深く、濃く、強い蒼。
――風の勇者の真核。
“恐怖”も“怒り”も“悔しさ”も“優しさ”も
すべてを抱えた、最も純粋な風。
ユウトが立ち上がる。
風が、今までにない勢いで背中を押した。
「……ありがとう。
行ってくるよ。みんなが待ってるから」
核層の空間が崩れ、出口が開く。
現実へ戻るための道。
そして同時に――
新たな戦いへの入り口。
――現実世界。
レオンはぼろぼろの身体で叫んだ。
「ユウト!! 帰ってこい!!」
ゴルドが拳で影の分裂体を叩き潰す。
『時間がねぇぞ!! 早く戻ってこい!!』
ピリィは涙声で叫ぶ。
『ユウトぉぉぉ!! 戻ってきてぇぇ!!』
その瞬間。
断層世界と現実の境界が激しく震え――
蒼い風が吹き荒れた。
レオンが目を見開く。
「……この風……ユウト……?」
闇の裂け目から、
“ひとりの勇者”がゆっくり歩み出る。
蒼の風を背にまとい、
目に強い光を宿し――
「待たせたな」
ユウトが帰ってきた。
そして――




