「風のざわめき、影の胎動」
海沿いの街を出てから三日。
ユウトたちは北へ向かう街道を歩き続けていた。
森と海の境にある道には、常に涼しい風が吹き抜ける。
それはユウトが大好きな“普通の風”――のはずだった。
しかしその日は朝から、どうにも落ち着かない。
理由を説明できないが、風に混ざる“何か”が、微かにざわついている。
「……やっぱり、嫌な流れだよな」
ユウトは空を見上げる。
『ぷる? 風、おかしいですぅ?』
ピリィが波打ちながら肩に乗ってくる。
「ああ……なんというか、風の“芯”がざらついてる気がする」
『芯……? まるでタコ焼きの中身みたいな……?』
「いや、そこに例えないでくれ」
ゴルドが鼻を鳴らして言う。
『ユウト。風の芯とはなんだ。筋肉で言えば腱のようなものか?』
「風に腱はないって……!」
けれど、冗談を言い合っていても胸の奥に残った違和感は消えなかった。
(……レオンは、今どこにいるんだろうな)
“風と沈黙の決戦”から数日が経つ。
あの後レオンは、「少し一人で歩きたい」と静かに姿を消した。
レオンは“完全に戻った”――
そう信じてはいる。
だがユウトの心には、どうしても拭えない不安が残っていた。
「……風のざわつきの“質”が変わってる」
沈黙の影のときのような“音の消失”ではない。
沈語の影のような“言葉の溶け落ち”でもない。
もっと根本的な――
世界の“輪郭そのもの”を撫でてくるような不穏な揺れ。
『ユウト……もしかして、また影……?』
「わからん。でも……この風は絶対に何かを隠してる」
風は何も教えてくれない。
でも“嘘はつかない”。
(風は、いつも“違和感だけ”は正確に教えてくれる)
ふいに、遠くの森のほうから鳥の羽ばたきが聞こえた――
しかし一拍遅れて消える。
「……今の、音が消えただろ」
『ぷるっ!? 風に吸われたですぅ……?』
「いや……“風の外”へ流れた気がする」
“風の外”。
ユウトはこの言葉を、沈黙の決戦で初めて知った。
風が届かない領域。
風が触れられず、混ざらず、影だけが潜む“歪み”。
(……第三の影。まだ死んでない)
ユウトの予感は確信に変わる。
風は吹いている。
景色も音もある。
影は現れていない。
でも――“風の外側”で何かが胎動している。
『ユウト……あれ……!』
ピリィが指す方向。
道端の草が、ひとつだけ逆向きに揺れていた。
風の流れとかみ合わない。
不自然な揺れだった。
『ぷるぅ……あれ、風に触ってない……』
「……ああ。“風抜けの草”だ」
沈黙の影の残滓に近い現象。
しかしこれはもっと新しい。
第三の影の“胎動”。
ユウトはしゃがみ込み、草に手を伸ばす――
風の流れが、その草だけ避ける。
触れた瞬間、ユウトの指先を“冷たい何か”が走った。
(……これは……レオンの時の“揺らぎ”に似てる)
白銀の影を纏う前、レオンに接触した“第三の気配”。
あの胎動と似ているが――
これはもっと強い。
ユウトはゆっくり草から手を離し、空を見つめた。
「やっぱり――誰かが“風の外側”で目覚めようとしてる」
ピリィが震える。
『また影ですぅ……? でも沈語の影、もう倒したですぅ……』
「沈語は倒した。沈黙も倒した。
でも今回は……“別の何か”が動き始めてる」
“第三の影”は、リュミエルの影でも沈語の影でもなかった。
もっと古く、もっと“根本的なズレ”。
世界の基盤に関わる不具合。
風の根に巣食う、正体不明の揺らぎ。
それが――
(レオンが影を振り払ったあの瞬間に、どこかへ逃げたんだ)
ユウトの胸が強く脈を打つ。
『ユウト……怖いですぅ……』
「大丈夫。まだ具現化はしてない。
“胎動”の段階だから、俺らにできるのは追うことだけだ」
ピリィはさらに不安そうに体を縮めた。
『でも、第三の影って……どんな影なんですぅ……?』
ユウトは答えられなかった。
風は何も教えてくれない。
ただ、どこかで“新しい沈黙”が動き始めている気配だけが流れてくる。
すると、ゴルドが静かに言った。
『ユウト……風のざわつきは、“声”と同じだ。
本当の危機ほど、筋肉は震えない。
今は……筋肉が静かすぎる』
「……つまり?」
『未知の恐怖だ。筋肉にすら震えを与えぬ存在……それが第三の影』
「お前の筋肉基準やめろよ……!」
ゴルドの言葉は半分冗談めいていたが、
その目は珍しく真剣だった。
(……レオン。今どこにいるんだ?)
ユウトは強く風を読む。
“風の外側”で、何かが蠢いている。
しかしその影はまだ形を持たない。
風が触れられない。
言葉も届かない。
この世界に“影の胎動”としてだけ残っている。
(まだ……影の“宿主”が決まっていない)
だが、次の瞬間風がひとつの方向に集中した。
森の奥。
帝都へ繋がる古い街道。
あの日レオンと別れた方向。
(……まさか……)
ユウトは息を呑む。
影はレオンから離れた。
だが――
レオンの“心の傷跡”はまだ癒えていない。
そこに影が“匂い”を残したままなら――
「レオンが……また狙われる……!」
『ぷるっ!? レオンさん、危ないですぅ!?』
「危ないどころじゃない……今回は“影の核”そのものが動いてる」
風が強く吹き、ユウトの髪を揺らす。
その風には――“警告”の匂いがした。
第三の影は、“宿主”を求めている。
沈黙でも沈語でもない、
“存在の輪郭”を喰らう影。
その胎動は、確実にレオンの進む先へ向かっていた。
ユウトは深く息を吸った。
「行くぞ、ピリィ。ゴルド」
『ぷるっ……! 行くですぅ!!』
『筋肉も共にあらん!』
ユウトは歩き出す。
(レオン……絶対に、もう影なんかに触れさせない)
風がざわつく。
誰かを探すように。
第三の影の胎動は、すでに世界のどこかで形を作り始めていた。
ユウトは空を見上げる。
「――また風が、戦えって言ってるな」
そして三人は、風のざわめく方へ歩き出した。
次に何が待つのか、まだ誰も知らない。
ただ――
世界の“風の芯”が揺れているなら、それはきっと、大きな変化の前触れ。
ユウトの旅は、再び新たな影を追う戦いへと進んでいく。
風が吹いた。
風はまだざわめいている。
そのざわめきは、確かにこう囁いていた。
――“第三の影が生まれようとしている”




