「記憶の月、風のゆりかご」続編
リュミエルの瞳には、決意が宿っていた。
港の賑わいが少しずつ遠ざかり、海風の音だけが三人と一匹を包み込む。
「ユウトさん……
“第三の影”は、おそらく私よりずっと昔から存在しています」
「昔から?」
「はい。
沈黙の影は、この世界を沈めた原因。
言葉の影は、私があなたの名前を失った原因。
でも……最後の影は、もっと違う。
“意図的に私の力を削いでいる存在”なんです」
ユウトは眉をひそめた。
「意図的に……?」
「はい。
私の記憶も、私の権能も、そして――
“ユウトさんに与えられるはずだった力”まで」
風が止まった。
ユウトは胸がざわつくのを感じた。
「……おい、それどういう意味だ?」
リュミエルは手を胸に当て、静かに言った。
「ユウトさんは、本来“最弱勇者”ではありませんでした」
ピリィが飛び跳ねた。
『ぷるっ!? ユウト、ほんとはすごいやつですぅ!?』
「いや、俺はどう見ても最弱だろ!」
だがリュミエルは真剣なまま、首を振った。
「いえ……
あなたがこの世界に来た本来の運命は、“最強”でした。
風を司り、世界を繋ぐ……
“伝承級勇者”として。」
ゴルドが雷に打たれたように震えた。
『む……ムキムキ勇者の可能性も……!?』
「お前の脳内で全員ムキムキになるのやめろ!」
ユウトは信じられず、首を傾げた。
「俺が……伝説級……?
いやいやいや、俺のステータス見たことあるだろ?
HPもMPも筋肉も皆無だぞ!」
「あれは……“削られた結果”なんです」
リュミエルはゆっくりと説明を続ける。
「ユウトさんが召喚される“直前”。
何者かが介入して、あなたのステータスと権能の大半を奪いました」
「そんなこと……できんのか?」
「できます。
女神と勇者を“繋ぐ風の路”に影が入り込めば、
勇者の力を好きなだけ削ることができるんです」
ユウトは思わず空を見上げた。
雲が一筋、夜空を横切っていく。
(じゃあ……俺は最弱として生まれたんじゃなくて……
“最弱にされた”ってことか?)
リュミエルは小さく息を吐いた。
「ユウトさんがこちらの世界に来た瞬間……
影はあなたの“核心”だけを残して、すべてを奪いました」
「核心……?」
「モンスター思考読取。
本当のあなたの力は、それだけじゃありませんでした。
本来は“風属性の万能系勇者”で、
あらゆる術式と加護が使えたはずなんです」
ユウトは頭を抱えた。
「おいおい……じゃあ……俺の今の苦労って……」
「ほぼ影のせいです」
「ほぼ!?」
『ぷるぅ!? ユウトかわいそうですぅ!!』
『筋肉! 怒りのスクワット!!』
「落ち着けって!」
リュミエルは悲しげに笑った。
「ユウトさん……
本当は“最強になるはずだったあなた”を守れず……
ごめんなさい」
その一言で、ユウトは怒る気が完全に消えた。
「お前のせいじゃねぇだろ。
影の妨害なんて、誰にも防げなかったんだし」
リュミエルは小さく首を振る。
「いえ……あなたが召喚される前日……
私は最高位の『風の召喚儀式』を行う準備をしていました。
でも、その日――影が私から“記憶の魔力”を奪って……
私は儀式に失敗したんです」
その時の彼女の苦しそうな表情は、嘘ではなかった。
ユウトはそっと尋ねた。
「……俺は最弱になって、何が残ったんだ?」
リュミエルは答える。
「“心”です」
「……心?」
「影は権能や魔力は奪えても……
“あなたが誰をどう救いたいか”という心は奪えませんでした。
ユウトさんが持って生まれた“まっすぐさ”だけは、
影が触れなかった唯一の力です」
ユウトは思わず照れた。
「……なんか、すげぇ恥ずかしいこと言うな」
リュミエルは少し笑い、夜空を見上げた。
「ユウトさん。
私は“影”があなたを選んだ理由……
なんとなく分かる気がします」
「理由?」
「影は“あなたの心”を欲しがっているんです。
あなたの言葉も、願いも、祈りも……全部」
風がざわりと揺れた。
ユウトの背中を冷たいものが走る。
ピリィが不安そうにくっつく。
『ゆ、ユウト……影、怖いですよぅ……』
「大丈夫だ。絶対にお前には手出させねぇよ」
ユウトはピリィを撫で、ゴルドに目を向ける。
「ゴルド。
もしもの時はお前の筋肉で全員抱えて逃げろ」
『任せろ!! 筋肉はいつでも準備万端だ!!』
頼もしいんだか騒がしいんだか分からん。
リュミエルは、静かに続ける。
「影は“あなたを奪う理由”があって現れました。
でも……同時にあなたを“救いたい何か”も持っています。
影は悪意だけの存在じゃない。
奪うだけじゃない。
影は“忘れられた願い”が形になったもの……
だから……あなたに近づくんです」
「……俺に?」
「はい。
第三の影は、ユウトさんに……
“会いたがっています”」
海が濃く波打った。
風が音を失い、港の明かりが一瞬だけ揺れる。
リュミエルはさらに小さな声で言った。
「ユウトさん。
影は……あなたが転生する前……
影はすでに“あなた”を見ていました」
「……何?」
「だからあなたを知ってるんです。
あなたがこっちの世界に来るずっと前から……」
ユウトの胸が重くなる。
(……俺は……誰に見られてた?
なんで……最弱にされた?
俺の心を……何に使おうとしてる?)
その時だった。
――ひゅう、と風が流れた。
誰かの“意味”だけが、風に混じって届く。
(……ゆう……と……)
リュミエルが顔を上げた。
「……今の声……影です」
海が黒い波に変わり、夜空に薄い影がゆらりと流れた。
その影は、月の光に照らされながら、確かにユウトを見ていた。
(……ゆうと……
まってる……)
小さな声。
恐怖でも、悪意でもなく――
“願い”のような声。
ユウトは拳を握る。
「……リュミエル」
「はい」
「その影に、会いに行く。
最弱にした理由も、奪った力も……全部取り返す」
リュミエルの瞳が揺れた。
「……ユウトさん。
危険です。影はあなたの“中心”を狙っています」
「だからだよ。
このまま逃げ回るのは性に合わねぇ」
ピリィが誇らしげに弾む。
『ユウト、かっこいいですぅ!!』
ゴルドが拳を握る。
『筋肉全開で支える!!』
リュミエルは静かに微笑んだ。
「……わかりました。
ユウトさんが決めたなら、私も支えます。
どんな影が相手でも……
あなたの風が負けることはありません」
そして、金髪を揺らしながらユウトに手を差し出した。
「行きましょう、ユウトさん。
“あなたが最弱である理由”を探しに」
ユウトはその手を取った。
風が舞い、海がざわめく。
最弱勇者の旅は――
ついに、影の核心へ向けて動き始める。




