「火と風と、神のバグ」
――風が、焼けていた。
陽炎が揺れ、赤い砂が風に舞う。岩肌は熱を帯び、踏みしめるたびに靴底がじゅっと鳴る。
それでも三人は進んでいた。ユウト、ピリィ、ゴルド。竜王の棲む“マグマの岩座”へ。
『ぷるぅ……ユウトぉ……ピリィ、もう溶けるですぅ……』
「だから言っただろ、来なくていいって。」
『でもでも、置いてかれたらピリィ寂しくて固まっちゃうですぅ……!』
『熱い!だがこの熱は筋肉を進化させる火の試練だ!我、燃える!』
「いや、燃えるなゴルド!シャレにならない!」
三人のやり取りを、遠くでマグマの爆ぜる音がかき消す。
竜王の領域は近い。
(……あの時、俺はバグでここに飛ばされた。
リュミエルが俺にスキルを与えようとして、処理をミスったんだ。
あの“リコール”の後のやらかし――まさか、神にバグがあるとはな……)
世界で最も軽い神。だが、ユウトはあの笑顔を嫌いになれなかった。
あの人が悪意を持って何かをしたことは一度もない。
ただ、完璧すぎる力が、ほんの一瞬だけ誤作動しただけだ。
(けど……そのせいで俺は、竜王のとこに落ちたんだよな。
――お茶会、お泊まり、そして……全能崩壊。)
そう。竜王の声を聞いた瞬間、リュミエルの付与した“全能スキル”は壊れた。
そして、最弱勇者ユウトに戻った。
だが、あの夜があったからこそ、ユウトは悟った。
世界を蝕む“沈黙”の正体が、リュミエル自身の中に潜む“影”だということを。
⸻
「……あれっ?」
女神リュミエルは、雲の上の透明な端末をのぞき込んで首を傾げた。
画面にはユウトのステータスログが映し出されている。
【勇者ユウト スキル:モンスター思考読取 安定稼働中】
【備考:リコールバージョン1.02 修正パッチ適用済】
「ふむふむ。よしよし、安定動作中♪」
……と思ったその時、ログの端に小さく赤い点が瞬いた。
【警告:不整合コード発生】
「えっ、またぁ?もう、やだぁ~。ほんのちょっと触っただけなのに~。」
軽く髪をかき上げ、再起動ボタンを押す。
――その瞬間、風が止まった。
「……ん?今、誰かの声……聞こえた?」
だがリュミエルは、微笑んだまま空を見上げた。
「ま、いっか!ユウトさん、今日も元気そうだし♪」
背後――光の影が波打つ。
まるで“何か”が、そこからゆっくりと抜け出そうとするかのように。
⸻
マグマの川が赤く輝き、熱風が吹き荒れる。
巨大な黒き王座の上――竜王は、静かに座していた。
「……また来たか。風の異端。」
その声を聞いた瞬間、ピリィがびくっと震え、ぷるんと波打った。
『ひぃぃっ!?ゆ、ユウトぉ!この人、声だけでピリィの中のゼリーが泡立つですぅ!』
『すげぇ……オーラだけで背中が熱くなる!これが“真の筋肉”の力か!』
「筋肉関係ないだろゴルド!」
ユウトは苦笑しながら、歩み出る。
「久しぶりだな、竜王さん。」
「……あの時の小僧が、再びこの地に立つとは。
今度は……連れを連れてきたか。」
「まあ、道連れです。」
『ぷる……こ、ここのお茶、まさか溶岩で淹れるんじゃないですぅ?』
『それ最高に熱いヤツじゃねぇか!』
竜王の瞳が、微かに笑った。
「お前たち、恐れを知らぬのか。……よかろう、座れ。」
岩盤の上に三人分の椅子が生まれる。
熱に溶けることのない黒曜石の椅子。
『ぷるぅ……熱いけど、なんか落ち着くですぅ。』
『おお……この石、俺の筋肉にも負けぬ硬度!』
「ゴルド、黙れ。頼むから。」
「ユウト。……あれから、何を見た。」
「沈黙だよ。
そして、リュミエルの影。」
竜王は目を細めた。
「やはりな。……神が自らを制御できぬ時、世界は歪む。
お前の“落下”もまた、その歪みが生んだ産物。」
「つまり……俺がここに落ちたのは、リュミエルのバグが原因だった。」
「そうだ。神の手が震え、風が乱れた。だが、神はそれを覚えていない。」
「……リュミエルは何も気づいていない。」
竜王は頷き、低く言葉を紡ぐ。
「それで、お前はどうする。」
「何もしない。」
「……何?」
「彼女はこの世界を守ってる。
それを壊してまで“真実”を見せるなんて、俺にはできない。」
「人間らしい答えだ。だが、世界を抱えた神にその“人間らしさ”はない。」
竜王の声に、ピリィが小さく震える。
『ユウト……竜王さん、怖いですぅ……』
「大丈夫。こいつ、怒ってるんじゃない。」
「……面白い男だ。」
竜王が炎の奥を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「神のバグが、また動き出している。」
「……どういうことだ?」
「神域の境界が軋み、風がねじれる。……再び、誰かが落ちる。」
ユウトは息をのむ。
(リュミエル……また、あのバグを。)
「風の異端よ。お前がその流れを止めることはできぬ。
だが……“導く”ことならできる。」
「導く?」
「風は言葉を運ぶ。神が沈黙しても、お前の声がある。
それを忘れるな。」
ユウトは拳を握る。
「……ありがとう、竜王さん。」
⸻
闇の塔の最上階。
レオンはひざまずき、空を仰いでいた。
声は、もう出ない。
だが影が囁く。
『ユウトは竜王に堕ちた。
沈黙を乱す風を、止めねばならぬ。』
レオンは唇を噛み、剣を握る。
その腕に、黒い紋章が浮かび上がる――沈黙の勇者の印。
(……ユウト。
お前が世界を壊すなら、俺は……止める。)
風が、かすかに鳴いた。
そのわずかな音が、まだ彼の心の奥に残る“言葉”の記憶だった。
⸻
帰り道。三人は真っ赤に染まる空を見上げていた。
『ぷるぅ……竜王さん、怖かったけど……なんか、優しかったですぅ。』
『ああ、あの背中には誇りがあった!あれが筋肉の極致だ!』
「最後のは絶対違うと思う。」
ユウトは笑い、ふと空を仰いだ。
風が流れ、どこかでやわらかい声が響く。
『ユウトさん、がんばってくださいね~♪』
「……リュミエル。」
無邪気な声。
だが、その奥で何かが軋む音がした。
(バグは、もう始まっている……)
風が止まり、世界が一瞬だけ静かになった。




