「記憶の風、眠る遺跡」前編➖風の記憶が囁く場所➖
沈黙の海を越えた翌朝。
空は静かに晴れているのに、風だけが落ち着かない。
ユウトは焚き火の灰を払いながら、何度も空を見上げた。
昨日から、ずっと気配が変だ。
『……ユウト、さっきからぼーっとしてますよぅ。ぷるっ。』
「うん、なんか……風が騒がしい。」
『風が? いつもどおりじゃねぇか? ぴゅーって。』
「違う。……聞こえるんだ。“何かを探してる音”が。」
スキルの光が、微かに反応していた。
風の中に、微弱な思考の波が混じっている――モンスターでもない、けれど確かに“生きている心”。
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ピリィが空を見上げ、ぷるぷると震えた。
『……風が、泣いてますぅ。帰りたいって。』
「帰りたい?」
『“記憶の風”たちですぅ。沈黙の時代に逃げてきて、帰れなくなった風……。』
『おい、風が迷子って、どんな状況だよ。』
『風にもね、おうちがあるんですぅ。“記憶の風の遺跡”っていうんですぅ。』
ユウトの心に、一筋の違和感が灯った。
「……“記憶の風”か。もしそこに“沈黙”の原因が残ってるなら――行く価値はある。」
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風の流れに導かれるように、彼らは東の渓谷へ向かった。
空は次第に曇り、音が少しずつ消えていく。
草の擦れる音も、ピリィのぷるぷるも、やけに小さく感じた。
『ぷる……ここ、イヤな感じしますぅ。風が吸い込まれてるみたいですぅ。』
『まるで、風そのものが飲み込まれてんのか……』
「……沈黙の海より、こっちの方が根が深そうだ。」
岩壁の間を抜けると、巨大な石碑が立っていた。
表面には、古代文字が刻まれている。
“ここは記憶の風が眠る場所。
神々の言葉が最初に生まれ、そして最初に忘れられた場所。”
「……間違いない。ここが、“記憶の風の遺跡”だ。」
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中に入ると、風はほとんど動かない。
かわりに、空気の中に“さざなみ”のような記憶が漂っていた。
まるで、過去の声が空間に染みついているようだった。
ユウトのスキルが自動で起動する。
風の粒が意識の中に溶け込み――“映像”が始まった。
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世界は白い。
空の上に浮かぶ宮殿、雲の柱。
そこに女神たちが集まり、祈りを交わしている。
中央にいたのは――金の髪を持つ女神、リュミエル。
ユウトがよく知る、あの陽気でおしゃべりな女神そのものだった。
『言葉は風。風は人の心を運ぶもの。
だからね、優しい言葉を風に乗せれば、きっと誰かを笑顔にできるの!』
女神たちは微笑み合い、リュミエルの周りで光が舞った。
その光景は、世界に“声”が生まれた瞬間のように美しかった。
だが――次の瞬間。
『……でもね、リュミエル。
言葉は同時に、人を傷つけることもあるのよ。』
そう言ったのは、彼女の傍らにいた青髪の女神だった。
リュミエルは少し首をかしげて笑う。
『大丈夫! だって、みんな優しいもん!』
その明るい声の裏で、風が一瞬だけ震えた。
空気が冷たくなり、リュミエルの背後に黒い影が浮かぶ。
『……でも……もし……みんな優しくなくなったら?』
その声は――彼女自身の声だった。
しかし、彼女はそれを聞いていない。
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ユウトは息を呑んだ。
スキルの中で、風がざわめく。
『……風は見た。
女神が初めて“恐れ”という風を生んだ瞬間を。』
ピリィが心配そうに見上げる。
『ユウト? 顔が真っ白ですぅ! なに見えたんですか!?』
「……リュミエルが……“影”を生んだ瞬間だ。
でも……本人は、気づいてなかった。」
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さらに遺跡の奥へ進む。
天井の穴から、風がわずかに吹き込んでいる。
壁には古代の詩が刻まれていた。
“風は言葉を運び、言葉は祈りを生む。
だが恐れを知った風は、言葉を沈めた。
神はその風を見ず、自らの光に笑った。”
「……これ、まるでリュミエルのことを……」
『ぷる……でも、リュミエルさまは優しいですよぅ。そんなことするわけないですぅ。』
「そうだ。だからこそだ。……自分で気づいてない。」
ユウトは、風の一つを掌に感じた。
冷たい。それなのに、どこか泣いているようだった。
『……わたしたちは、彼女の中から生まれた風。
忘れられた言葉の欠片。
でも、まだ帰りたい。あの光の中へ……』
「帰りたい……のか。」
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そのとき、遺跡の奥が震えた。
光が消え、風が逆流する。
黒い靄が、壁の裂け目から流れ出すように広がった。
『ぷるっ!? な、なんですかこれぇぇ!?』
『おい、空気が……吸い取られてやがる……!』
ユウトの耳に、低い声が響いた。
『……聞いたな、勇者。
風の記憶を覗いた罰だ。』
靄の中に、ぼんやりと“影の人影”が立っていた。
形は定まらず、声だけが残響のように響く。
『……リュミエルは知らない。
だから、あの笑顔を消すな。
彼女に真実を告げれば――光は壊れる。』
「……お前は、誰だ。」
『わたしは風の記憶の残滓。
彼女の“恐れ”が生んだ断片。
……お前がそれを知ったこと、それ自体が世界の歪みだ。』
影がゆらりと近づく。
ピリィが悲鳴を上げ、ゴルドが前に立った。
『ユウト! 下がれ! こいつ、ただの幻じゃねぇ!』
「わかってる!」
ユウトのスキルが発動する。
風の思考が奔流のように流れ込み、黒い影の感情が暴露された。
『――恐い。光が、まぶしい。
消したい。全部、沈めたい。
でも……それでも、あの声が……好きだった……。』
「……お前……!」
その言葉に、ユウトの胸が熱くなる。
“恐れ”の中に、確かに“愛”があった。
それはリュミエルの心の欠片に違いない。
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影が崩れ落ち、風に溶けて消えた。
残ったのは、静かな風の音だけ。
ユウトは膝をつき、肩で息をした。
『ユウトぉぉぉ! ぷるぷるしないでぇぇ!』
「大丈夫……少し、見すぎただけだ。」
『おい、今の……あれが“言葉を奪う者”の一部なのか?』
「ああ……リュミエルの中にある、恐れの記憶の“抜け殻”だ。
たぶん、あれがまだ残ってる限り……世界はまた沈黙する。」
ユウトは空を見上げた。
風が頬を撫で、優しい声が聞こえた気がした。
『勇者さまー! 今日もちゃんと食べてますかー? 野菜もですよー?♡』
あの明るいリュミエルの声。
何も知らず、笑っている。
ユウトは拳を握りしめた。
「……笑ってていい。
けど、いつか――俺が全部、風に返してやる。」




