「声の墓場へ➖➖沈黙の海を越えて」
――夜明け前。
霧のような風が、ユウトたちの野営地を撫でていた。
昨日見た夢の余韻が、まだ胸の奥で響いている。
『……風の記憶を受け取った者よ……その先に待つは、“声の墓場”……』
あの風の勇者の言葉。
まるで、自分の行く先を示すようだった。
「……声の墓場。あいつの巣かもしれないな。」
『ぷる……行くんですか? こわいですよぅ……』
『怖ぇけど、行かなきゃ何も変わらねぇ。沈黙の世界なんざ、ゴツゴツして気分悪ぃ。』
ゴルドが拳を握りしめ、ユウトは頷いた。
「……誰かが、声を奪われたまま泣いてるなら、行くしかない。」
⸻
旅の目的地は、東方にある“沈黙の海”。
風の流れが完全に途絶え、音が吸い込まれると噂される場所。
そこに“声の墓場”があるという。
数日かけて進む道中、ピリィは時折立ち止まり、風を感じ取っていた。
『ぷる……風が、こわがってます……向こう、息してません……』
「風が……息してない?」
『ああ。まるで、風そのものが“泣き疲れて寝てる”みてぇだ。』
森を抜け、丘を越えた先に、灰色の海が広がっていた。
波があるのに、音がしない。
海鳥の羽ばたきすら、沈黙に呑まれている。
「……これが、沈黙の海……」
『音が、全部消えてますぅ……』
ユウトが一歩踏み出すと、足元の砂がやけに軽く沈んだ。
風も、波も、音を出すことを恐れているようだった。
⸻
沈黙の海の中央には、黒い岩礁が点々と浮かんでいた。
そこへ渡るため、ユウトたちは古びた小舟を見つける。
『おい、これ本当に浮くのか?』
「浮くことを信じろ。信じなきゃ、たぶん沈む。」
『理屈として破綻してる気がするんだが!?』
『ぷる♡ 信じれば浮きますぅ〜♡』
舟がゆっくりと進み出す。
だが、漕ぐ音も、波の音も聞こえない。
ただ、沈黙の海が口を開けて待っているようだった。
そのとき――ユウトの頭の中に、微かな声が流れ込んだ。
『……うたが……きこえない……こえが……どこへ……』
「誰だ……?」
『ユウト、顔が真っ白だぞ?』
「……また聞こえた。誰かの声が。」
次の瞬間、海面に光が走る。
無数の声が、泡のように浮かび上がっては消えていった。
『……返して……』『……助けて……』『……聞いて……』
『ぷるっ!? 声がいっぱい……!』
「これが、“墓場”か……」
⸻
舟が岩礁に着くと、中央に黒い塔がそびえ立っていた。
音を吸い込むような、闇の塔。
その壁には無数の“口”のような紋様が刻まれている。
『……きもちわるぃな。まるで、喋りたくても喋れねぇ顔ばっかりだ。』
「……いや、違う。喋るのを奪われた顔、だ。」
ユウトは足元の岩に手を置く。
冷たい。なのに、かすかに“鼓動”があった。
『……ここは……こえの……すまうばしょ……』
「っ、まただ……!」
耳ではなく、心に響く声。
『……われらは……かつての“語り部”……
言葉を奪われ……ここに……眠る……』
『……語り部?』
「世界の言葉を守っていた者たちかもしれない。
“言葉を奪う者”は、彼らの声まで喰ったんだ……」
⸻
塔の入口は、巨大な口のような形をしていた。
ユウトたちは慎重に足を踏み入れる。
内部は黒い石の回廊。
壁に触れるたび、かすかな“声”が漏れた。
『……おねがい……わたしのうたを……かえして……』
ピリィが涙ぐむ。
『ぷる……みんな、まだここにいます……消えてません……』
「そうか。
声は奪われても、心はまだ、ここで生きてるんだ。」
ユウトが立ち止まる。
塔の中心に、巨大な影が蠢いていた。
『……また……きこえる……“心の声”……
うるさいな……うるさいな……』
「――っ!」
闇の中から現れたのは、人でも魔でもない“音のない存在”。
形を持たないが、空気そのものを押し潰すような圧。
『……われは、“言葉を奪う者”……
風を黙らせ、声を飲み、世界を静寂に還すもの……』
『ぷるっ……!? この感じ……ぜんぶの音が消えてく……!』
ユウトは立ち尽くす。
目の前でゴルドの叫びが無音になり、ピリィの震えすら消えた。
自分の心臓の鼓動さえ――聞こえない。
⸻
世界が“完全な無音”に包まれた瞬間、
ユウトの中で、スキルが暴走した。
モンスターたちの心が、洪水のように押し寄せる。
過去に出会ったスライム、風の精霊、狼、鳥――
皆の心が、ユウトの中で叫んでいた。
『――ユウト、聞いて。』
『ぷる♡ ユウト、わたし、ここにいますぅ!』
『うおおおお! 筋肉で風、返してやるぜぇぇ!』
次の瞬間、ユウトの身体から光が溢れた。
その光が塔の中を駆け抜け、沈黙を切り裂く。
「……俺は、“心で聴く勇者”だ。
お前が奪った声は、みんなまだ“生きてる”んだよ。」
黒い影が苦しげにうねる。
『……そんな……ことば……もう……いらな……』
「言葉があるから、誰かの想いが届く。
心がある限り、お前は世界を黙らせられない!」
ユウトのスキルが爆発的に共鳴する。
無数の心の声が、波のように響き渡った。
『ありがとう。』『わたしの声を――』『届けて!』
光が天へと昇り、塔が砕け散る。
沈黙の海に、初めて“音”が戻った。
⸻
……気がつくと、ユウトは崩れた岩の上で目を覚ましていた。
波の音が聞こえる。
ピリィが涙目で抱きついてくる。
『ユウトぉぉぉっ! ぷるぷるぷるっ! よかったぁぁ!』
『おいおい、死んだかと思ったぜ……心配かけやがって。』
「……ごめん。でも、みんなの声が助けてくれた。」
空には、優しい風が流れていた。
どこかで、無数の“声”が笑っている気がした。
『……勇者よ……まだ終わらぬ……
だが、お前の声は……確かに届いた……』
「……風の勇者……?」
ユウトは空を見上げた。
「聞こえたよ。ちゃんと。」
⸻
その夜、焚き火を囲みながら。
ピリィがぽつりと呟いた。
『ねぇユウト。……“沈黙”って、こわいけど、きれいですね。』
「そうだな。……何もない静けさに、初めて“声”の大切さがわかる。」
『筋肉にも静寂ってあんのか?』
『ぷる♡ それは“筋肉痛”ですぅ♡』
『違ぇわ!』
笑い声が夜風に乗って広がる。
沈黙の海は、もう音を飲み込まない。
風が囁く。
『……心は、沈黙を越えて響く……』
ユウトは頷いた。
「――次は、“言葉を奪う者”の本体を見つけよう。」




