第九章 勝利の宴
皇帝が都に帰還してから数日、宮廷では祝いの宴が続いていた。
アスケノスが厨房に目を光らせているのか、用意される馳走こそ豪華すぎるものではないが、さすがに飲めや歌えやの宴が数日も続いているとなると、元々派手好きでない皇帝だけでなく、マルムスもうんざりしてくる。
「これはお前の指示か」
小声だけれども厳しい皇帝の問いに、マルムスはふがいなさを感じながら答える。
「いいえ、官僚や軍事貴族の独断です」
プライポシトスでありながら官僚や軍事貴族の行動を御し切れていない自覚のあるマルムスは、皇帝から苦言をいわれる覚悟をする。
皇帝は分別のある人だ。だから、不機嫌や怒りを側近にぶつけるということはしないだろうけれども、それはそれとして不始末を放っておくような甘い人物でもない。
ふと、飲み食いする官僚達にせわしなく給仕をするドラコーネーの姿が目に入った。相変わらずきびきびとした身のこなしだ。
マルムスが誰に視線を送っているのかにも気づかないようすで皇帝が苦々しくつぶやく。
「まったく、これだから形式好きの官僚達は」
なんでも古くからある形式通りに、しかもできるだけ華美に物事を運びたがるのは、この都の官僚や軍事貴族の悪い癖だ。都から出ることがないマルムスでも、この悪い癖を諸外国が揶揄していることくらいは知っている。外交の書類に目を通していると、どうしても目に付くのだ。
けれども、この宴を主導している官僚や軍事貴族達はそのことを知らないのだろう。
マルムスがうんざりした顔で皇帝の横に控えていると、軍事貴族のうちのひとりが皇帝の前に進み出てきた。
「陛下、宴はいかがですか?」
皇帝はなにも答えない。代わりに言葉を返すのはマルムスだ。
「陛下はまだお疲れです。なにか用件があるのですか?
あるのでしたら私が聞きましょう」
マルムスの言葉に軍事貴族は、いかにもうれしそうな表情でこう話す。
「敵地にて勝利を収めてきた陛下にふさわしい献上品を庭に用意しております。きっと、陛下もお気に召すでしょう」
皇帝がちらりとマルムスを見る。マルムスは軽く皇帝に礼をしてから軍事貴族に返す。
「いったいなにを用意したのでしょうか。
陛下にお目通りする前に確認させていただきたいのですが」
それを聞いた軍事貴族は、自信たっぷりといったようすでマルムスにいう。
「では、庭にお越しくださいプライポシトス殿。きっとあなたも、ぜひ陛下にと思うはずです」
ずいぶんと自信があるな。と、マルムスは少し不審に思う。今までに、皇帝の覚えを良くするために財宝などを贈ろうとしてきた官僚や軍事貴族はたくさんいた。しかし、そのほとんどを皇帝が個人として受け取ることを拒否しているのだ。この軍事貴族はそのことを知らないのだろうか。それとも、財宝ではないなにかなのだろうか。
そんなことを考えながら、マルムスは軍事貴族に促されるままに庭に行く。そこで、真っ先に目に入ったものを指して軍事貴族が堂々と言った。
「あれが陛下への献上品です。
いかがですか? プライポシトス殿」
その献上品とは、緑がそよぐ庭の中で輝いているように見える白馬だった。
足が長く、胴と太ももの筋肉がしっかりしていて筋が出ている。鎧を纏った皇帝を乗せてもなお、戦場をたやすく駆け抜けることができるであろう名馬だというのが一目でわかった。
すっかり財宝を献上されるものだと思っていたマルムスはつい呆然としながら言う。
「……なるほど。あれなら陛下もおよろこびになるでしょうね」
「そうでしょう!
私の領地で生まれた一番の名馬なのです。
あれは私や兵士が乗るのではもったいない。陛下にこそふさわしいと思ったのです」
無邪気にそう言う軍事貴族の顔を覚えておこうと、マルムスは彼の顔をじっと見る。
それから、にこりと笑って軍事貴族を宮廷内へと誘う。
「では、陛下にあなたからの献上品をご報告します。陛下の元へと戻りましょう」
宴が行われている部屋に戻る途中、マルムスは軍事貴族に訊ねる。
「あなたは、政に興味はありませんか?」
その問いに軍事貴族ははにかんで答える。
「そうですね、自分の領内の政はやらざるを得ないです。ですが、都の政はさすがに手が出せる気がしませんね」
「そうですか」
軍事貴族の言葉に、マルムスは満足する。どうやら下心あって皇帝に献上品を持ってきたわけではないようだと思ったのだ。
宴の間に入ると、官僚や軍事貴族達が延々と皇帝を称える言葉を謳っているのが聞こえる。その中を通って、白馬を献上した軍事貴族と共に皇帝の元へ行く。
厳しい表情をした皇帝を目の前にしたマルムスは、一礼をして献上品の報告をする。
「この度、この者が献上するのは立派な白馬でございました。大きく、たくましく、武装した陛下を乗せてもその俊足は衰えないであろう名馬でございます」
それを聞いた皇帝は意外そうな目で軍事貴族を見てから、先ほどまでの不機嫌さが消えた声で軍事貴族に言う。
「なるほど。その名馬、戦の時に役立てよう」
皇帝の言葉に、軍事貴族は頬を紅潮させ、感動したように深々と礼をする。
「ありがたきお言葉……!」
感極まっているのか、その場から動こうとしない軍事貴族に下がるようマルムスが声をかけると、軍事貴族は固い足取りで自分の席へと戻っていった。
皇帝の側に戻ったマルムスは、小声で皇帝に訊ねる。
「いかがですか?」
「あの者のことは覚えておくように」
「かしこまりました」
どうやら、皇帝はあの軍事貴族を手元に置いておいても問題がないと判断したようだ。
あの軍事貴族が献上品を持ってきたのをいいことに、他の官僚も皇帝の元へと献上品を差し出してきた。官僚達が差し出す献上品は、毛皮や琥珀、それにテーベ織物といったいわゆる財宝だ。
マルムスはため息をつきながら、側仕えの宦官に財宝を持たせる。これらの献上品は皇帝の意に沿うものではないのだろうけれど、国庫に入れておけばいずれは戦の軍資金にできる。だから、皇帝はこういった意に沿わない献上品も、国として受け取るのだろう。
「国庫へ運ばせますか?」
マルムスが念のため皇帝にそう訊ねると、皇帝はけだるげに頷く。それを見たマルムスは宦官達に指示を出す。
その時、皇帝がこうつぶやいた。
「いや、テーベ織物は女達に与えてもいいか」
それを聞き逃さなかったマルムスは、動き出した宦官達の中でも、テーベ織物を持った宦官を引き留める。
「もう一度ご覧になってみますか?」
マルムスがそう言って宦官にテーベ織物を広げさせる。それを見た皇帝は確信したように頷いた。
「そうだな。母上達も文句は言わないだろう」
厳しい態度から誤解されがちだが、皇帝は家族のことをいたく大切にしている。今回のこれもその表れだろう。
マルムスは微笑んで皇帝に訊ねる。
「ゾエ様もきっと、お気に召すでしょう」
マルムスの口から出た姪の名に、皇帝はかすかに笑みを浮かべて頷く。それを見たマルムスは、テーベ織物を持っている宦官に、後宮へいくよう指示を出した。
それからしばらく、日が暮れる頃にようやく宴が一段落した。官僚達も今日の所は満足したようだ。
ようやく皇帝が私室に戻れる。そう思いながらマルムスが付き従っていると、皇帝がこう言った。
「ところで、あの白馬とやらを見たいのだが」
「かしこまりました」
あの白馬は厩へと連れて行くように指示しておいたのだっけ。私室に戻る前に、マルムスは皇帝を厩へと案内する。本来なら皇帝がいくような場所ではないけれども、皇帝は厩は戦のためにだいじな場所だと捉えているので、足を踏み入れることに抵抗は無いようだった。
人気のない厩の中で、あの白馬はやはり輝いていた。皇帝は白馬の首を撫でて満足そうだ。
この白馬は、勝利を収めた皇帝にふさわしい。マルムスがそう思っていると、皇帝がぽつりとこう言った。
「なぜ官僚達はあのように、宴や財宝が好きなのだろうか」
きっと、これはずっと皇帝が理解できずにいることなのだろう。マルムスは少し考えてこう返す。
「形式と前例、それに奢侈から逃れられないのでしょう」
「そうか」
皇帝が白馬を撫でる。その姿はどこか、心細げな少年のように見えた。