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第六章 凱旋の知らせ

 皇帝から伝令が来た。なんでも、遠征中の敵地で勝利を収めたらしい。

 広間で伝令の報告を受けるマルムスの周りに、官僚も軍事貴族も女官も集まってくる。

 みなからの視線を受けながら、マルムスは伝令に訊ねる。

「この度陛下は、どのように勝利を収めたのですか?」

 その問いに、伝令は興奮したようすで答える。

「敵地の森を切り倒し、その樹を兵士に運ばせ、森を動かしたのです」

「森を動かした?」

 にわかには信じがたい言葉にマルムスは一瞬疑問を持ったけれども、伝令は意気揚々と詳細を伝えてくる。

「あの森が動いたとき、敵軍は陛下の力に恐れをなし、なすすべもなく潰走したのです。

 あの時の敵軍のようすを、都にいるみなにも見せたかったくらいの快進撃でした」

 荒野の魔女が予言しそうな戦法だなとマルムスが呆気にとられていると、まわりの官僚や軍事貴族、それに女官が歓声を上げる。

「さすがは陛下。大胆な戦法だ」

「このようなことができるのは、世界でただひとり我らの陛下だけだろう」

「それで、陛下は帰還なされるのですか?」

 誰かの問いに、伝令ははきはきと答える。

「この度の遠征はここまでにして、都に帰還するそうです」

 その言葉に、またみなが沸き立つ。

 その合間合間に、なにか企みごとをしているようすの官僚や軍事貴族がちらほらいるのを目に留めながら、あえてそれに気づかないふりをしてマルムスは号令をかける。

「それでは、陛下の帰還を祝う宴の準備を。

 ただし、くれぐれも派手になりすぎないように。陛下は贅沢を嫌う、慎ましやかな方ですから」

 その言葉をどこまで聞いていたのだろうか。官僚や軍事貴族は早速宴の打ち合わせをしているけれども、どうしたら豪華になるだとか、どれだけ贅を尽くして皇帝をよろこばせるかという話をしている。

 それが耳に入ったマルムスは、ため息をついてもう一度言う。

「宴はくれぐれも華美になりすぎないように。

 陛下は贅沢を嫌う慎ましい方ですからね」

 すると、ある官僚がこう言う。

「マルムス殿、そんなことおっしゃらずに。

 贅を尽くして勝利を祝うことこそ、陛下の意にかなうのではないですか」

 にこにこと笑ってそういう官僚を見てマルムスは額を押さえる。全く話が通じない。

「わかりました。良いようにはからってください」

 プライポシトスである自分の言葉も聞こうとしない官僚や軍事貴族の態度に疲れたマルムスは、もう宴のことは彼らに丸投げすることにして、サラディンがいるはずの部屋へと向かった。


「話が通じない……」

 サラディンの部屋に着くなり、ぐったりとそうつぶやくマルムスに、サラディンは苦笑いを返す。

「まあ、あいつらはなんとかして陛下に取り入りたいんだろうな。

 やり方が完全に間違ってるけど」

「派手な宴やって、あとでお叱り受けるの私なんですけどね……」

 これから来る災難を予想してマルムスがうなだれていると、サラディンが両手でマルムスの頭を撫でる。落ち込んでいるときにこれをやられると安心するのだけれど、少しだけうざったい。

 ふと、マルムスはあることが気になった。

「そういえば、アスケノスはどうしてるでしょうか」

 なんとなく口にしたその言葉に、サラディンが斜め上を見て返す。

「ああ、今頃あいつは宴の時に出す食事を考えているんじゃないのか?

 アスケノスなら、贅沢にしたいやつらを機敏にいなして陛下が納得する料理を指定するだろ」

「ああ、こういうときはアスケノスが頼りになりますね」

 普段危なっかしい上につかみ所がないアスケノスだけれども、いざというときはしっかりと芯がある。それを思うと、マルムスはすこしだけ安心できた。

「そういえば」

 マルムスの頭から両手を離したサラディンが思い出したように言う。

「マリヤの同僚でドラコーネーって女官がいるだろ? なんでもあの子がおもしろい踊りを知っているそうだぞ」

 それを聞いたマルムスは、少しだけ頬を膨らませる。

「その踊りを宴の時に披露させたいのですか?

 あまりふしだらな踊りだと、陛下からお叱りを受けますよ。私が」

 不満そうなマルムスの言葉に、サラディンはくすくすと笑う。

「いや、ふしだらなものではないよ。地味でゆったりとした踊りで、まあ、派手ではないな」

「ああ、なるほど」

 そのようなものなら皇帝の凱旋の宴で披露させても良いかとマルムスが思っていると、サラディンが意外な言葉を続けた。

「ただ、ふたり組で踊るものらしいんだ」

「そうなのですか? それだと、宴で披露することにはならなさそうですね」

 少しだけ残念そうなマルムスに、サラディンは笑いながら頭を振る。

「いや、披露しろと前々から言われてるんだろうな。マリヤと一緒に練習してるよ」

「ああ、それは助かります。

 陛下の凱旋を祝う宴なら、華美だったり艶めかしいものではない方が好ましいですから」

 サラディンの言葉にマルムスが少し安心していると、目の前の友人が苦笑いをする。

「そうなんだよな。陛下はずいぶんと女のことを避けているというか、近づけないようにしているし。

 ただ、修道士のようだと言えば聞こえはいいけど、世継ぎがいないのも困るんだよなぁ……」

「ほんとうにそれですよ」

 ついつい皇帝の嗜好ばかりに気を使いがちなマルムスも、さすがに皇帝が女を避けているのは気にかかる。色恋沙汰で面倒ごとが起こらないのはいいのだけれど、サラディンが言うように、世継ぎがいないのはすごく困る。

 しかし、厳格で清廉、そして貞潔な皇帝にふさわしい女はいるのだろうか。この国はキリストの教えの元にあるとはいえ、皇帝にふさわしいほど貞淑な女を探すのはすごくむずかしい気がしてしまう。それこそ、そこまで貞淑な女なら、女子修道院に入ってしまうであろうからだ。

 どうしたものかとマルムスがため息をつくと、サラディンもため息をつく。それから、サラディンが渋い顔でこう言った。

「まあ、マリヤとドラコーネーのことはさておき。宴の時に女官達が競い合う気がするんだよな」

「やめて」

「マリヤから女官達が陛下を狙ってるって話は度々聞いてる」

「ほんとやめて」

 思わずその場にくずおれるマルムス。ほんとうに、こういう話を聞いてしまうと、女というものを信じがたくなってしまうし警戒もしてしまう。皇帝にやたらと媚びを売る女がいると、とりあえずマルムスに苦言が来るのだ。

 くずおれてなにやらぶつぶつと言っているマルムスの頭を、サラディンがまた両手で撫でる。

「まあ、そんなに気に病むな。

 あまりやらかす女官は皇母様がなんとかしてくれるだろう」

「まあ、女官を取り仕切っているのは皇母様ですからね……」

 サラディンが慰めてくれているのはわかるけれども、それはそれとして不安は拭えない。なぜなら、皇帝の母というだけあって、皇母も苛烈で厳しい人なのだ。マルムスにまで影響が及ばないにしても、女官がどうなるかわからない。マルムス個人としては、後宮の働き手が減ってしまうと困るので、処刑や追放などはしないで欲しいところだ。

 皇帝の凱旋はよろこばしいけれども、それはそれとして心配事や不安もつきまとう。

 それは、皇帝自身に問題があって出てくるものではないだけに、どうやって内心のことや周りの人々をいなすべきか、マルムスは毎回頭を悩ませている。

 ふと、部屋の外から声が聞こえてくる。

 あの伝令の話が伝わったのだろう、何人もの人が、あの森が動くとき。と意気揚々と声を上げている。

「……みんな浮かれてますね……」

 げっそりとするマルムスを落ち着かせるように、サラディンはさらに両手で頭を撫でる。

「まあまあ落ち着け。なるようにしかならないさ」

「あ~……頼むから陛下が怒るようなことはしないで欲しい~……」

 べそをかきそうになっているマルムスに、サラディンは苦笑いを返す。

 マルムスの悩みと苦労は、浮かれている人々には伝わらないのだ。

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