第五十章 灰の小瓶
右目のない小柄な男性が、灰の入った小瓶を見せてこう言う。
「これの中身がなにか、知りたいですか?」
彼は、あの小瓶の中身を猛毒を焼いたものだと言っていたはずだ。けれど、その猛毒というのはそもそもなんだったのだろう。
男性が片目でにこりと笑う。
「たしかにこれは毒だったかもしれません。
あなただけに、これの中身がなんなのか、教えに行きますね」
彼はどうしてあんなに泣きそうな顔で笑うのだろう。いや、その理由を知っているはずだ。それは……
そこで目が覚めた。
周りを見渡すと、そこは八畳ほどの部屋の中に、東洋骨董を並べた棚が所狭しと置かれた、いつもどおりの東洋骨董店だ。
「なんか、変な夢を見たわねぇ」
そうつぶやきながら急須から萩焼のカップにお茶を注ぐ。お茶はすっかり冷め切っていた。
このところは少し暑いので、冷めたお茶でもちょうどいいかもしれない。そう思いながらお茶を飲んでいると、店のドアを誰かが開けた。
「林檎さん、こんにちは」
そう言って入ってきた長身の女性は、見覚えのある顔だ。
「こんにちは照さん。久しぶりね」
林檎と照が軽く挨拶を交わすと、照の後ろから小柄な女性がひょこっと顔を出した。
「はじめまして。お邪魔しても良いですか?」
その女性に林檎は見覚えがない。けれどもお客さんには変わりがないだろう。にこりと笑って挨拶をする。
「はじめまして。もちろん、ご覧になっていってください」
それから、林檎が照に訊ねる。
「照さんのお知り合いですか?」
すると、照は少しだけ困ったように笑って答える。
「はじめて会う人だけど、そこで会ったんです。このお店に来る途中で道に迷ったって言ってたから、それならって一緒に来たんです」
「あら、そうだったんですね」
照と初めましてのお客さんが店内に入り、軽く店内を見渡す。ふと、照が手に持っていた紙袋を林檎に手渡した。
「そういえば、差し入れのお菓子を持ってきたんです。おいしいフロランタンなので、よかったらどうぞ」
林檎は紙袋を受け取って早速中身を出す。
「あらあら、ありがとうございます。
それじゃあせっかくだし、お茶を淹れてみんなで食べませんか?」
「んふふ。実はそれもちょっと期待してたんで」
林檎の言葉に照がいたずらっぽく笑う。林檎もくすくすと笑い返して、いったん紙袋と箱をレジカウンターの上に置き、バックヤードから丸い座面のスツールをふたつ出してきて照と女性に勧める。照が大人しくスツールに座ると、女性は緊張したように笑いながらおずおずと言う。
「あ、私はもうちょっと店内を見たいです」
「はい。ぜひゆっくりご覧ください」
林檎の言葉を聞いて、女性は店内を歩き回り、ふと目をとめる。そこに置かれているのは、東洋骨董には見えない、灰の入った小瓶だった。女性はそれをじっと見る。それから、林檎の用意したスツールに腰掛けた。
照と女性が席に着いたところで、林檎はバックヤードで洗ってきた急須に紅茶を詰め込み、電気ポットでお湯を注ぐ。甘い香りが立った。その香りを嗅いで、照が訊ねる。
「今日のお茶はなんですか?」
林檎は紅茶のパッケージを見ながら返す。
「ワイン風味の紅茶を頂いたんです。フロランタンに合うかなと思いまして」
「へぇ、いいですね」
少しの間お茶を蒸らす。その間に、林檎は棚から陶器のカップをふたつ追加で出して用意する。お茶を蒸らし終わったら、カップに紅茶を注いで、照と女性に手渡す。
「フロランタンもすぐに用意しますね」
そうひとこと断ってから、林檎は照から受け取った箱をバックヤードに持っていき、三枚の小皿の上に箱から出したフロランタンをひとつずつ乗せていく。それを持って店内に戻り、照と女性に渡し、自分も席に着いた。
「それじゃあ、いただきましょうか」
林檎がそう声をかけると、照と女性もいただきます。と言ってから、フロランタンを口にして、紅茶を飲む。なぜだか今のこの空間を、ひどく懐かしく感じた。
ふと、照が林檎に訊ねる。
「そういえば、あそこに置いてある小瓶はなんなんです? あんまり東洋骨董っぽくはないんですけど」
先ほど、女性がまじまじと見ていたあの小瓶を照が指す。それを見て、林檎はくすくすと笑って答える。
「あれは隣の西洋骨董店で買ってきたやつなの。せっかくだから飾ってるのよ」
「わぁ、紛らわしい」
照の言うとおり、他の売り物に紛れさせて置いておいたら、売り物と勘違いされてしまう。でも、せっかくのきれいな小瓶だから飾っておきたい気持ちもあるのだ。
照が身体をひねって、フロランタンをかじりながら小瓶を見る。
「あの小瓶、中に灰みたいなのが入ってますけど、なんなんです?」
素朴な照の疑問に、林檎も首をひねる。
「それが、よくわからないのよね。
私には灰にしか見えないんだけど、そもそもなんの灰なのかはわからないし」
不思議そうな顔で話している照と林檎の言葉を、紅茶を飲みながらフロランタンをかじって聞いていた女性が、ぽつりとつぶやく。
「あれはきっと、形見なんだと思います」
「えっ?」
予想外の言葉に、林檎は女性のことを見る。女性は林檎と照の視線を浴びながら言葉を続ける。
「なにかの理由で残すことのできなかった、大切な人のものを焼いた灰を集めて、あの瓶に詰めたんじゃないかなって」
まるで見てきたかのように語る女性に、林檎はおどろきながら訊ねる。
「あの、あの小瓶についてなにか知ってるんですか?」
その問いに、女性は困ったように笑って返す。
「別に、知ってるわけではないんです」
なぜだろう、はじめて会うはずなのに、女性のこの笑顔にはなぜか見覚えがある。どこかでこの女性に会ったことがある。なんの根拠もないけれど、林檎はそう思った。
女性が言葉を続ける。
「あの小瓶についてなにも知りませんけど、私だったらそうするって、思ったんです」
それを聞いて、林檎はなぜかひどく納得してしまった。あの灰は形見だったんだ。だから、他の誰にも触れさせようとしなかったんだ。
そこまで考えて、あの小瓶を誰にも触れさせようとしていなかったのは誰だろうと考える。思い出せそうで思い出せない。いや、思い出すもなにもない。あの小瓶は数日前に隣の骨董店で見かけて、そこで買っただけのものなのだから、前の所有者のことなど林檎が知っているはずもないのだ。
けれど、そもそもあの小瓶を買ったのはなぜか。きれいな小瓶だから。たしかにそれはあるだろう。でもそれ以外に理由があるはずだ。
しばし思いをめぐらせる。そこで頭に浮かんだのは、あの小瓶を愛おしそうに撫でている誰かの手。その手はすぐに霞がかって、頭の中から溶けて消えていく。
ふと、照が真面目な顔をして言う。
「あの小瓶、すごく欲しがる人がいる気がする」
その言葉に、女性がにこりと笑って言う。
「そうですね。あの小瓶が売り物だったら、私も欲しいですし」
照と女性の言葉に戸惑いを覚えながら、林檎はにこりと笑う。
「きれいな小瓶ですものね。欲しいという人は多いと思いますよ」
「だったら店頭に出しておかないの」
呆れたような照の言葉に、林檎はくすくすと笑う。
あの小瓶は、できれば手元に置いておきたいけれども、いつかは誰かの手に渡すべきもののような気がする。
そう、あの小瓶の中身がなんなのか、ずっと疑問だった。なぜ猛毒を焼いたものをあんなに大切にしていたのか、ずっと疑問だった。心に浮かんだその言葉は、林檎が自覚する前に霞んで消えていく。
おぼろげでつかめない情景が、林檎の頭の中を駆け巡っていく。
あの小瓶を渡さなくてはいけない人がいる。あの小瓶をひどく求めている人がいる。そのことだけが林檎の頭の中で反芻される。けれども、渡すべき相手が誰なのかがはっきりとしない。
目の前にいる照と女性に訊けばわかるだろうか。いや、訊いてはいけない。これは林檎が自分で考えて、渡すべき相手を探し出さなくてはいけない。
そこまで考えて、なぜここまであの小瓶を渡すことを必死に考えているのだろうと林檎は疑問に思う。
自分はもう、誰の代弁者でもないのに。




