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第四十六章 第三の封印

 このところの宮廷は、皇帝が遠征に出るという話で持ちきりだ。今回は修道院の農場指導の成果もあってか麦が豊作で、糧食となる乾パンを早めに用意できたのだ。

 以前なら、皇帝が遠征に出てしまうことに不安を覚えていたマルムスだけれども今回は違う。皇帝が宮廷にいない間も、しっかりと国と都を支えることができるという自信があった。

 皇帝の遠征出発を間近に控えたある日、皇帝からこういわれた。

「マルムス。またゾエを狙う者がいた際にはよろしく頼んだぞ。しっかりと注意して宮廷内を見ていてくれ」

「はい。かしこまりました」

「守るのはゾエだけでない。母上たちもだ」

「もちろんでございます」

 信用ならない官僚が蔓延る中で、確実に信頼できるマルムスにそう言いつけたあと、皇帝はぽつりとこう付け加える。

「……あと、ドラコーネーのことも頼む」

 控えめなその言葉に、マルムスはにこりと笑って返す。

「もちろんです。ドラコーネーはいざとなれば自分で戦える戦士ですが、守ります。

 それと、ドラコーネーをアフトクラティラにするための準備も進めておきます」

「あ、ああ。そのことも頼んだ」

 マルムスの言葉に、皇帝は動揺したように口元を隠す。改めてドラコーネーをアフトクラティラ、つまりは皇帝の妻とする準備をすると言われて気恥ずかしさがあるのだろう。

 照れている皇帝に、マルムスは一礼をしてこう進言する。

「ところで陛下、遠征に出る前に、ドラコーネーに会ってはいかがでしょうか。

 その方が陛下もドラコーネーも勇気づけられるでしょう」

 その言葉に皇帝はいそいそと立ち上がってこう返す。

「そうだな。ドラコーネーを不安がらせるのもよくないし、私も彼女から勇気が欲しい。後宮に行くぞ」

「かしこまりました」

 心なしか早足で部屋を出て行く皇帝のあとを、マルムスは微笑ましく思いながらついていった。


 後宮に入って真っ先に向かったのは中庭だ。まだ日は高い。この時間ならドラコーネーは中庭の世話をしているだろうし、そうでないにしてもゾエと一緒に中庭にいることが多いからだ。

 そして案の定、中庭に入るとレバンタの前にしゃがみ込んで、傷んでいる葉を摘み取っているドラコーネーの姿があった。

 手入れに夢中になっているのだろう、皇帝とマルムスが近づいてもドラコーネーは気づいていないようだ。

 そこに、皇帝が声をかけた。

「ドラコーネー、仕事の調子はどうだ?」

 ゆったりとしたその言葉を聞いて、ドラコーネーがはじかれたように立ち上がり、皇帝の方を向く。

「あっ、陛下、失礼いたしました!

 今はレバンタの傷んだ葉を摘んでいたところです。今年はどの薬草もハーブも、生き生きとしていてよろこばしい限りです」

「そうか。それもお前の手入れのたまものだろう」

 ドラコーネーの言葉に満足している皇帝を見て、ドラコーネーがはにかむ。皇帝もつられてはにかんでから、真面目な顔をしてこういった。

「私はもうじき出陣する。お前は、不安ではないか?」

 その問いに、ドラコーネーは可憐に微笑んで答える。

「陛下は立派な軍人ですから、絶対に勝利をおさめて帰ってこられると信じています。

 ですから、不安などありません」

 信頼しきったドラコーネーの言葉に、皇帝は勇気づけられたのだろう。力強く頷いた。

 ふと、皇帝が小声でマルムスに耳打ちした。

「元老院や官僚への根回しは頼んだぞ」

 マルムスは黙って頷く。皇帝が言っているのが、ドラコーネーをアフトクラティラにするための下地を整えておけということだとわかっているのだ。

 実際のところ、すでに手を回しはじめている。マルムスだけでなくサラディンも、少々心苦しいけれどもアスケノスも、確実に納得させられそうな官僚や軍事貴族と密かに会食をし、ドラコーネーをアフトクラティラにすることを了承させるということをやっている。

 そう。皇帝に名馬を献上しているあの軍事貴族は、なにも疑わずに皇帝が妻を娶る気になったという事実をよろこんでいた。なにはともあれ、皇帝が遠征から帰ってくる頃までには、最低でも宮廷内の七割の官僚や軍事貴族、元老院に納得させておきたいところだ。

 マルムスが考えをめぐらせていると、皇帝とドラコーネーがまた言葉を交わしている。

 皇帝がドラコーネーに訊ねる。

「官僚たちは、凱旋するたびに私に仰々しい称号を贈ってくる。

 ドラコーネー、もしお前が私に称号を贈るとしたら、どんな名をくれるだろうか」

 いったいどんな言葉を期待しているのだろうか。それはマルムスにはわからないけれども、ドラコーネーははっきりとした声でこの言葉を口にした。

勝利する者(ニケーテース)

 飾り気のない勇ましい称号に、皇帝は不敵に笑ってこう返す。

「なるほど。その名にふさわしく振る舞おう」

 そのあとしばし、皇帝とドラコーネーが言葉を交わしたあと、皇帝とマルムスは執務室へと戻っていった。


 執務室に戻ると、皇帝に献上品があるという者がやってきた。いつか皇帝に名馬を献上したあの軍事貴族だ。

 そして案の定、軍事貴族が献上してきたのは名馬だ。

「ぜひとも、戦にお役立てください」

 大きく堂々とした黒い馬。足が速く、重いものを乗せることもできる力強い馬とのことだった。

 当然のように、皇帝はその馬を気に入り、厩へとつながせる。ただ、慣れないうちは戦に連れて行けないので、今回の遠征には連れて行けないと軍事貴族に告げる。

 軍事貴族はそのことを承知していたようで、陛下のお役に立てるなら、どのようにでも使って欲しいと、そう言った。

 ふと、軍事貴族が皇帝にこう言う。

「陛下、アフトクラティラのお迎えを心待ちにしております」

 突然の言葉に皇帝は堂々と頷いたけれども、顔は真っ赤だった。


 そして出陣式の日。競馬場は人で埋め尽くされていた。

 ひしめく群衆に向かい、皇帝が大きな声で、手振り身振りを加えながら演説をする。そして演説の最後に、兵士達の勝利(ニカ)という声が響き渡る。翻る青と緑の旗がいやに鮮やかだとマルムスは思う。

 皇帝が兵士達の前に降り、以前軍事貴族から献上された赤毛の馬に乗って出陣していく。付き従っていく兵士達も、勇気と気力がみなぎっているようだった。

 マルムスがふと、皇帝の席の背後にある出入り口を見る。そこで隠れるようにして、ドラコーネーが皇帝の出陣を見守っていた。

 皇帝と兵士達の姿が見えなくなり、出陣式が終わる。後片付けは他の宦官と女官に任せ、マルムスはドラコーネーにこう声をかける。

「ドラコーネー、教会へ行きませんか?」

「教会ですか?」

 突然のことにきょとんとするドラコーネーに、マルムスはにこりと笑ってこう説明する。

「教会に行って、陛下の無事を祈りましょう。陛下はあなたが言ったとおり、勝利が約束された方ですが、神の加護があるに越したことはありません」

 その言葉にドラコーネーは頷き、マルムスと共に教会へと向かった。


 教会でヨハネス神父と共に祈りを上げたマルムスとドラコーネー。敬虔なふたりの祈りに、ヨハネス神父がこう言った。

「陛下はまた、神の摂理と共にあるでしょう。

 ところで、陛下はこの度、どのような馬に乗って行かれましたか?」

 突然の問いに、マルムスは不思議に思いながら返す。

「赤毛の馬に乗って行かれました。それがなにか」

 マルムスの言葉に、ヨハネス神父は少しだけうつむく。

「いえ、戦のための戦にならなければいいのですが……」

 ヨハネス神父がそうつぶやいたその時、あのケセノンのケセノドコスが慌てたようすで駆け込んできた。

「どうしました」

 ヨハネス神父が鋭く訊ねると、ケセノドコスは慌てたようすでこう答える。

「実は、またたちの悪い病がはやりはじめているそうなのです」

「痘瘡ですか?」

「違います。もっと……もっと厄介な……」

 それを聞いていたマルムスは背筋が寒くなる。黙示録第一の封印は白馬、勝利。第二の封印は赤い馬、戦争。そして第三の封印は黒い馬、疫病だ。黒い馬は今、都にいる。

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