第四十五章 薬草園の告白
執務が一段落ついたお昼時、皇帝が後宮のようすを見に行きたいと言うので、マルムスはそれに付き従う。
このところ、皇帝はドラコーネーと一緒にいることを隠さなくなってきた。軍事貴族や官僚、それに元老院は、皇帝が女官に入れ込んでいることを不服に思っているようだけれども、そこはマルムスがうまくやるところだ。
どうやって元老院を機敏にいなすか考えながら皇帝についていく。向かう先は後宮の中庭だ。
中庭に着き、あたりを見渡すと、レバンタの世話をしているドラコーネーと、その傍らでじっと見つめているゾエが目に入った。
マルムスがふたりに声をかける。
「陛下のお越しです」
その言葉にドラコーネーは手入れをしている手を止め、立ち上がって皇帝に向き直る。一方のゾエは、縋るようにドラコーネーの腕に抱きついた。
少し不満そうな顔をするゾエを見て、皇帝は朗らかに笑う。
「おや、やはりゾエはドラコーネーのことを信頼しているのだな」
「もちろんです、陛下。だってドラコーネーは私のお姉様みたいなものですもの」
ほんとうによくなついているな。とマルムスも思わず微笑ましく思っていると、ゾエが突然こんなことを言った。
「ところで陛下、このところ頻繁にお姉様を部屋に招いているようですけれど、なにをなさっているのですか?」
その問いに、皇帝もドラコーネーも顔を赤くする。後ろ暗いことはなにもしていないのになとマルムスが思っていると、皇帝がぎこちなくこう答えた。
「あの、ドラコーネーに文字を教えている」
いささか挙動不審になっている皇帝のようすを見て、ゾエが疑いの目を向ける。
「マルムス、それはほんとう?
他にもなにかしているのではないの?」
これだけ挙動不審にされたら疑いたくなる気持ちはわかる。けれども、マルムスはにこりと笑って返す。
「ほんとうですよ。文字を教える以上のことをしているとは思えません」
それでもゾエは疑いの目を向けてくる。なので、マルムスは苦笑いを浮かべて続ける。
「貞節な陛下が軽率なことなどなさるはずがありません。それに、お互いの手に触れただけで大騒ぎをしているのですから、それ以上のことなどできようはずもないでしょう」
事実を述べるマルムスに、皇帝が肩をつかんでうろたえながら言う。
「誤解するな! ドラコーネーの手に触れたのはわざとではないんだ! 信じてくれ!」
誤解もなにもそんなに騒ぐほどのことでもないんだよなぁ。と思いながら、マルムスは皇帝に微笑みかける。
皇帝のようすを見て、ゾエは渋々納得したようだ。それでもドラコーネーの腕に抱きついているゾエに、呼吸を整えた皇帝が声をかける。
「ところでゾエ、私はドラコーネーと話がしたい。少しいいか?」
「……わかりました」
明らかに不満そうな顔をしたゾエがマルムスの隣に来る。それから小声でつぶやいた。
「陛下は私からお姉様を横取りするつもりかしら」
そのつぶやきに、マルムスはなにも返さない。横取りもなにも、ドラコーネーはまだ誰のものでもないのだ。あえてだれかのものだと言うなら、後宮を取り仕切っている皇母のものだろう。
ゆっくりと皇帝がドラコーネーに歩み寄り、お互い向かい合う。照れたように皇帝から視線を外したドラコーネーがこう訊ねた。
「陛下、いったいどのようなご用ですか?」
いささか緊張した言葉に、皇帝も少し緊張したようすで返す。
「ああ、お前の仕事ぶりを見に来た」
その言葉に、ドラコーネーは手に持っていたはさみを腰に下げ、軽く頭を下げる。
「見ての通り、地味な畑仕事でございます」
恐縮しているドラコーネーと、その背後にあるハーブや薬草を見てから皇帝が言う。
「緑に囲まれて、はさみを携えた姿もうつくしいな」
その一言で、ドラコーネーの顔がみるみるうちに赤くなっていく。皇帝も、思わず言ってしまった一言を自覚したのか、顔を赤くしている。それから、なんとか顔を上げたドラコーネーと皇帝が見つめ合う。
これは邪魔をしてはいけないやつだな。と察したマルムスが、ゾエのことをさりげなく制する。ゾエは当然のように頬を膨らませて不満げな表情だ。
ふと、鳥の羽音が聞こえた。咄嗟にマルムスが周囲を見渡すと、皇帝の右側から飛んできた小鳥が、皇帝とドラコーネーの間を滑るように通り過ぎていった。
その瞬間、ドラコーネーの表情が固まった。急にようすの変わったドラコーネーにすぐ気づいた皇帝が問いかける。
「どうした。なにかあったのか?」
心配している気持ちが滲んでいるその問いに、ドラコーネーは胸のあたりで拳を握り、にこりと笑う。
「いえ、陛下の右側から鳥が飛んできたものですから」
「鳥がどうかしたのか?」
「右から飛んでくる鳥は吉兆です。
陛下はきっと、次の戦でも勝利をおさめて帰ってらっしゃるでしょう」
はきはきとしたドラコーネーの言葉に、皇帝は少しだけ苦笑いをする。
「占いの類いは信じるものではないのだがな。だが、お前のその予言は受け取ろう。
必ずや、勝利をおさめて帰ってくる」
それから、皇帝はドラコーネーのことを見つめたままこう続ける。
「そして、次の遠征から帰ってきたら、ドラコーネー、お前を妻にしたいと思っている。
この申し出、受けてくれるか?」
皇帝の告白に、ドラコーネーは眉尻を下げ、涙目になって返事をする。
「……はい。もちろんでございます」
ふたりのやりとりを見ていたマルムスは、ついにこのときが来たか。と思う。
まだ公式に発表したわけではないけれど、公式な発表の前に元老院たちに根回しをしなくてはいけない。これから待ち受けている煩雑な作業は面倒だけれども、思い合うふたりが結ばれるためにはやらなくてはいけない。
どのように元老院や官僚、それに軍事貴族を説き伏せるかを早速考えていると、左腕が痛い。なにかと思ったらゾエがすっかり拗ねた顔でマルムスの腕に爪を立てていた。
「陛下……お姉様が断れないのをわかってあんなこと……」
むくれているゾエを見て、これは元老院の前にゾエを説得しないといけないやつだな? とマルムスは察する。
今後のことに思いをめぐらせ、痛みに耐えているマルムスをよそに、皇帝とドラコーネーは言葉を交わしている。
「次に帰ってくるまで、待っていてくれるか?」
「もちろんです。私は陛下のことを待っております。ですから、ご武運を」
ここまで心が近くなっているのに、お互い触れあおうとしない皇帝とドラコーネーを見て、マルムスは少しだけじれったく思う。けれども、ここでお互い触れあったりしたらゾエをたしなめるのがたいへんかも知れないとも思う。
仲睦まじい皇帝とドラコーネーを見ながら、まずは誰からこの話をするべきかとマルムスは考えをめぐらせる。
根回しの協力を得るのに、サラディンには話した方がいいだろう。もしかしたら、皇帝に名馬を献上した軍事貴族も協力してくれるかもしれない。皇母に口利きしてもらうのにミカエルにも話すべきか。そこまで考えて、マルムスはひとりの人物を思い浮かべて悩む。
できればアスケノスの協力も得たいところだけれども、話したら話したでとてつもなく荒れるだろうなというのが想像に難くない。
元老院や官僚たちへの根回しに協力してくれないわけではないだろうが、失恋の痛手を負わせた上で協力を仰ぐのは、それはそれでご無体な気はする。
マルムスが悩んでいると、誰かの足音が聞こえてきた。誰かと思ったらアスケノスだ。籠を持っているのでおそらく薬草を採りに来たのだろう。
「こんなところでなにを?」
皇帝までここにいることに疑問を持ったのだろう。いぶかしげにそう訊ねるアスケノスに、マルムスはすぐに言葉を返せない。
マルムスが言いよどんでいると、ふくれっ面をしたゾエがアスケノスに言う。
「次の遠征から帰ってきたら、お姉様を妻にするって陛下がおっしゃっているの」
言いづらかったことを言われてしまった。思わずマルムスが顔を青くしていると、アスケノスが籠を取り落としてつぶやく。
「あー、そうですか……」
これは相当ショックを受けているな。マルムスはそれを察したけれど、アスケノスの耳に入ってしまったのなら仕方がない。
「そういうわけですので、元老院諸々への根回しに協力していただきたいです」
「善処します……」
傷心のアスケノスを見て、あとでお詫びの品を用意しようとマルムスは思った。




