第三十九章 異国の珍品
「しかし、まさかアスケノスが私たちに黙って行動するとは思っていませんでした」
神妙な表情で麦粥を食べるマルムスに、アスケノスは誤魔化すような笑顔を向けるばかり。一方のサラディンはため息をつく。
「しかし、こうなったらやり抜くしかないな」
「皇母様に話を通した時点で後戻りできないんですよ……!」
いまいち思い切れないようすのサラディンに、マルムスが発破をかける。そうしないと自分自身もひるんでしまいそうなのだろう。
そんなふたりに、アスケノスがあっけからんと言う。
「それにしても、あいつらが犯人に仕立て上げたのが僕たちでなかったのは好都合です。
そのせいで皇母様には少々あやしまれましたが、利用させてもらいましょう」
それを聞いたサラディンは頭を掻きながら呆れたように言う。
「いつも頭を悩まされてるあいつらの派閥争いが、こんなところで有利に働くなんてなぁ」
「言外に、私たちは敵にもならないと言われてるわけですけどね」
ワインをひとくち飲んでそうこぼすマルムスに、サラディンは苦笑いしかできない。
ふと、サラディンがこう言った。
「じゃあ、俺たちもそろそろ打つ手を考えないとな」
サラダをもぐもぐと食べていたアスケノスが、懐からメモを取り出し、サラディンとマルムスに見せる。
「こちら、ターゲットのリストです。
やれるところからやっていきましょう」
リストを見てサラディンが口笛を吹く。マルムスは粛々と頷いた。
ある日の夕方。サラディンたちの部署の仕事も終わるという頃、サラディンがひとりの同僚を呼び止めた。
「ちょっと話があるんだけどいい?」
少々不自然な呼びかけに同僚は警戒する。
「話? ここで聞こうか」
周りにはまだ他の同僚がいて、ちらちらとこちらを伺っている。その中で、サラディンは笑う。
「ああ、他に聞かれて困るもんでもないしな。
先日、後宮の襲撃騒動があっただろ。その時の首謀者を突き止めたのがあんたらだって話じゃないか」
同僚が探るようにサラディンを見る。疑いの視線を受けながら、サラディンは言葉を続ける。
「お礼をしておくようにって、マルムスが皇母様から命じられたらしいんだ。
でも、あいつはプライポシトス。あまり表立って個人に出過ぎた真似はできないってことで、代わりに俺がお礼しといてくれって言われたんだよ」
「なるほど? プライポシトス殿はいったいどんな礼をしようと言うんだ?」
いぶかしげな同僚の耳元に口元を近づけて、小声で答える。
「なんでも、異国から持ち込まれた珍品を用意してるらしいんだ。ただ、そんなに数は用意できないって言ってた」
サラディンの言葉に同僚の目が泳ぐ。他の同僚の動きを見てから、こう返ってきた。
「しばらく考えさせてもらう」
「ああ、受け取る気になったらいつでも言ってくれ」
そのやりとりのあと、サラディンは仕事部屋を出て行った。
それから数日後の夜。あの同僚が誘いに乗ったので、サラディンはマルムスから受け取った箱を持って会食の場へ向かった。
「よく来たな。かけてくれ」
同僚の部屋につくなり椅子を勧められる。サラディンは大人しく椅子に腰掛け、すでにテーブルの上に用意された料理を見る。
「ずいぶんと用意がいいな」
「なに、女官がいつも通りの時間に運んできただけさ」
感心したようなサラディンの言葉に、同僚は素っ気なく返す。ふと、同僚が鼻をひくつかせて訊ねる。
「ところで、花の匂いがするがなんでだ?」
その問いに、サラディンは苦笑いをして返す。
「実はここに来る途中、レバンタの精油とビネガーを運んでたアスケノスとぶつかって被ったんだ。向こうの不注意もあったのに、しこたま怒られて理不尽だよ」
「ははは、それは災難だったな」
和やかな雰囲気になったところで、サラディンがゆっくりと食事に手をつける。毒が入っていないかどうか確認しながら、ゆっくりと。そのようすを見て取ったのか、同僚がサラディンのスープ皿からスープをひとすくい取って口に入れる。
「毒は入れてないから安心しろ」
サラディンは黙って頷く。同僚が、サラディンが持ってきた箱をじっと見て訊ねる。
「ところで、その箱は?」
期待の滲むその言葉に、サラディンは難しい顔をする。
「マルムスから預かった贈り物なんだが、よろこんでもらえるかどうか。
まあ、まずは食事だ。お楽しみは食後に取っておいた方がいいだろ」
そのままサラディンは食事を続ける。そしてそのまま、同僚と仕事の話で盛り上がりながら、お互いワインをたしなんだ。
食事が終わった頃には、ずいぶんと杯が進んでサラディンも同僚もいい気分になっていた。その気分のまま、サラディンはマルムスから預かった箱を同僚に渡す。
「それじゃあ、これがプライポシトスからのお礼の品だよ。受け取ってくれ」
椅子にどっかりと座ったままのサラディンから、同僚が箱を受け取る。
「お前は、中身を知ってるのか?」
「もちろん。
だからここで開けてくれてかまわない」
その言葉に安心したのか、同僚は早速箱を開けてのぞき込む。すると、中から出てきたのはおびただしい数のサソリだった。
「な、なんだこれは!」
同僚が箱を投げ捨て壁際へと逃げる。しかし、サソリはすべて同僚の方へと向かって進んでいく。そう、一匹たりともサラディンには近寄ろうとしていない。
「ひぃっ! 来るな、来るな!」
見苦しく腕を振るう同僚の脚をサソリがのぼっていく。それを横目に、サラディンは部屋から出てドアを押さえつける。サソリが一匹たりとも外に出ないように。
「たすけてくれ……!」
中から聞こえてくる同僚の声に、サラディンは冷たく返す。
「サソリの毒がお前を殺す」
はじめは叫び声だった悲鳴も次第に小さくなり、泣いて歯ぎしりする音が聞こえる。あまりにも無様なその音に、サラディンは笑い声を上げる。
「泣け、叫け、そして死ね!」
そしてしばらくすると、泣き声も歯ぎしりも聞こえなくなった。
しばしの間そのままようすを見て、サラディンがドアを開けて中に入る。サソリはサラディンを避けるように遠巻きにした。
サソリを一匹ずつ踏み潰し、全部処理したところで倒れ込んでいる同僚を見ると、事切れている。計画通りだ。
同僚の頭を踏んでサラディンが笑う。
「法である陛下に逆らうからこうなるんだ」
翌日。サラディンは医務室で横になってうめいていた。
「う~……あたまいたい……」
「まったく。昨夜どれだけお酒を飲んだんですか?」
呆れたようにそう言って面倒を見ているのはアスケノス。サラディンから計画のあらましは聞いていたけれども、二日酔いになるほど酒を飲むとは思っていなかったようだ。
あのあと、部屋の中で倒れている同僚が発見されて騒ぎになった。けれども、あの場にサラディンが招かれていたこと自体が内密にされていたので、現在疑いはもたれずにいる。
そう、あの部屋に給仕に行った女官も、サラディンではない他の誰かが来ると言われていたようで、現在、そのほかの誰かが疑いを受けている状態だ。
実情を知っているもうひとりの人物、マルムスがようすを見に来る。
「サラディン、具合はどうですか?」
「大丈夫そうに見える?」
「見えませんね」
ぐったりしたサラディンのようすを聞いてから、マルムスはアスケノスに訊ねる。
「それにしても、どうしてサラディンはサソリに刺されなかったのでしょう?」
その問いに、アスケノスは芳しい小瓶をマルムスに見せる。
「ビネガーにレバンタの精油を混ぜたもので全身を拭いておいたんです。そうすると、人の匂いが消えますし、サソリが嫌う匂いもつくので」
「あー、なるほど?」
ほんとうにそんなことでサソリを避けることができるのか、マルムスには納得しかねる。けれども現状、サラディンが無事なのだからアスケノスの言葉を信じるしかない。
横になってうめいているサラディンを見ながらマルムスは拳を握る。
次は自分がやる番なのだ。アスケノスやサラディンのように、うまく謀れるだろうか。




