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第三十八章 交換条件

 ある日のこと、アスケノスは医務室でぼんやりと考え事をしていた。なんとかマルムスやサラディンと距離を置けないかと思っているのだ。

 あのふたりは悪人ではない。しかも、比較的利用しやすい性格だ。けれども、常に一緒にいると少々都合が悪い。

「……あのふたりに勘づかれる前に動かないと……」

 薬の調合の切りがいいところで手を止め、アスケノスは医務室を出た。


 医務室を出たアスケノスが向かった先は、先日密会をしていた官僚のうちのひとりのところ。ドアを叩いて中へ声をかける。

「ごきげんよう、アスケノスです。先日の件でお話があるのですが、よろしいですか?」

 その言葉に、入るようにと中から返事が来る。ドアを開けて入ると、そこには従者を従えた壮年の官僚が椅子に座っていた。

「アスケノス殿、急にどうなされた?」

 怪訝そうな官僚に、アスケノスはにこりと笑ってこう返す。

「陛下のことでご相談が。そちらの従者以外の人払いをお願いできますか?」

 その言葉に、官僚は従者に目で合図を送る。それから、部屋の回りに誰もいないのを確認させてからアスケノスに向き直った。

「さて、陛下についての相談とは?」

 その問いに、アスケノスは沈痛な面持ちで口を開く。

「先日の後宮の件、邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした。ですが、僕としてはプライポシトスを欺くためにはあの行動を取らざるを得なかったのです」

 アスケノスの言葉に、官僚は意外そうな顔をする。

「私たちのことを邪険にするから、向こう側だと思っていたのだが?」

「正直言えば、急に接近されて戸惑いはありました。ですが、実のところ、僕もゾエ様……というよりは、陛下のありように疑問があるのです」

 官僚が品定めするようにアスケノスを見る。それからこう訊ねた。

「どのような疑問があるのかね?」

 試すようなその問いに、アスケノスは深くため息をついて返す。

「陛下以外に、もっと皇帝にふさわしい人がいるのではないかと思うのです。

 そしてあなた方には、そのふさわしい人に心当たりがあるのではないかと考えました」

 ためらいがちに言われた言葉に、官僚は身を乗り出してアスケノスに言う。

「なるほど。君とはもっと詳しく話をした方が良さそうだ」

 すると、アスケノスはほっとした顔をして官僚にこう提案する。

「それでしたら、このあと一緒に昼食でもいかがですか?

 できれば、マルムスやサラディンには見つかりたくないので……」

「もちろんだとも。あのふたりを欺かなくてはならないのだろう?

 君の食事もここに手配させよう」

「はい、心遣いありがたいです」

 不安そうな表情から笑顔に変わったアスケノスを見て、官僚は満足げな顔で従者に昼食の指示を出した。


 そして昼食が運ばれてきて。今日のメニューは羊肉のローストとサラダ、それにパンとチーズだ。それを見てアスケノスはうれしそうな声を上げる。

「すばらしい! 栄養価が高くて身体作りにいい食事ですね」

「そうだろう。君は普段、どんなものを食べているのかな?」

「サラダと麦粥が多いですね。あとは豆でしょうか」

 自慢げな官僚がアスケノスの言葉を頷きながら聞く。それから鷹揚にこう言った。

「今日はたっぷり食事を楽しめばいい」

「はい、ありがとうございます」

 にこにこと笑うアスケノスが、ふと懐から油の入った瓶を取り出す。その油の中には、黒い小粒な実が入っている。

「そういえば、僕はいつも食事の時にこの油をかけているのですが、これを使ってもいいですか?」

 その油を、官僚が興味深そうに見る。

「その油は風味付けかな?」

 官僚の問いに、アスケノスは自分のサラダにたっぷりと油をかけながら答える。

「風味もそうですが、この油を食べると身体に活力が湧きます。だって、これだけ胡椒を漬け込んでいるんですよ?」

 にこやかなアスケノスの言葉を聞いて、官僚は身を乗り出す。

「そんなにたくさん胡椒を漬け込んでいるのか、その油は。それはぜひ、私も賞味したいものだ」

 胡椒と言えば、同じ重さの金と同等の価値がある香辛料だ。それをふんだんにつけ込んだ油ともなれば、この官僚でも早々手の出ないものだろう。アスケノスは油の瓶を官僚に渡し、こう言う。

「ぜひ味わってみてください。オリーブの香りと胡椒の辛みがたまらないですよ」

 それから、アスケノスは油をたっぷりかけた自分の分のサラダを食べはじめる。官僚も口元を緩ませながら、油をたっぷりとかけてサラダを口に運んだ。

「おお、たしかにこれはうまい!

 君は毎日この油の世話になっているのか」

「そうでないと医務室を回すのがたいへんですから」

 そうしてふたりでにこやかに食事をし、突然官僚がアスケノスに訊ねる。

「それで、君は我々に協力してくれるのかな?」

 その問いに、アスケノスは少し戸惑うようにこう返す。

「僕としてはそうしたいです。僕はまだ、プライポシトスの信用を得ていますし、なにかしらの役に立てるでしょう」

 少しうつむいているアスケノスに、官僚が鋭い視線を送る。

「君の話は、あまりにもこちらに都合が良すぎる。それだけ都合が良くなるような見返りを、君は求めてくるのかな?」

 アスケノスが顔を上げる、その問いを待っていたといった表情だ。

「はい。僕はどうしても欲しいものがあります。それを手に入れるために、あなた方の手を借りたい」

 今のアスケノスの表情をマルムスやサラディンが見たら、きっとおどろくだろう。必死さの中にいささかの狂気が混じったその顔を見て、官僚がにやりと笑う。

「なにが欲しいのかな?」

 もったいぶるような官僚の問いに、アスケノスは食いつくように返す。

「僕はドラコーネーが欲しいんです。後宮の中に押し込めておくだけでなく、僕の手元に、彼女を置いておきたいんです」

 食い入るようなアスケノスの言葉に、官僚は含み笑いをする。

「あの傷物の女が欲しいのか。物好きなやつめ。それくらいの願いはいくらでも聞き入れてやろう」

「約束ですよ? ドラコーネーは絶対に、他の男にはやらないでくださいね?」

「わかったわかった」

 それから、ふたりとも親睦を深めるためにワインで満たされた杯を空けた。

 その時、官僚が胸を押さえて苦しみだした。

「どうなさいました?」

 突然のことにアスケノスは周りの人を呼び、官僚の脈を診る。そして人が集まって来る中官僚はうめき声を上げ事切れた。


 官僚の急死に、アスケノスが毒を盛ったのではないかと疑いをかけられた。けれども、同じものを食べていたと従者が証言したので、急病だということで片付けられた。

 その事のざっくりとした顛末を、アスケノスは夕食時にマルムスとサラディンに報告する。もちろん、マルムスもサラディンも目をまるくしている。

「え? そんなにタイミング良く急病になるもんなのか?」

 不思議そうにするサラディンに、アスケノスは油の瓶を見せて説明する。

「毒を盛りました。この油には胡椒だけでなく、イチイの実も漬けてあるんですよ。イチイの毒は心臓を一撃でやりますからね」

 得意げなアスケノスに、マルムスが慌てて言う。

「でも、あなたも同じものを食べていたんですよね? なんで無事なんですか?」

 その問いに、アスケノスはぺろりと舌を出して答える。

「慣れてるので」

 マルムスとサラディンが思わずくずおれる。そういえば、アスケノスはあらゆる毒に慣れているのだった。

 それにしても、無茶なことをする。そう思いながらも、マルムスは気になったことを訊ねる。

「それにしても、よく毒を盛っても疑われないところまで持って行きましたね」

 一瞬、アスケノスが表情を消す。そして次の瞬間、いつも通りの笑顔になった。

「一応、交換条件のようなものは出したので」

「なるほど?」

 けれどもアスケノスのその笑顔には、どこか影があった。

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