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第三十二章 農場視察

 麦が実る頃、マルムスは久しぶりに馬車に乗って郊外の村へと向かっていた。

 同じ馬車にはアンドロニコス神父と、数人の修道士が乗っている。アンドロニコス神父がかつて所属していた修道院管轄の農場視察に行くのだ。

 都から出て乾いた道を馬車が進んでいく。その馬車の中でマルムスとアンドロニコス神父が言葉を交わす。

「これから向かう村は去年も税を不足なく納めていましたが、実りの多い土地なのでしょうか」

 マルムスの問いに、アンドロニコス神父は口元に手をやって、考え込んでから返す。

「今までに視察した限りでは、貧しくはありませんが豊かでもないところですね。

 マルムス様が言うとおり、不足なく税を納めているとなれば、農民達はそれなりに厳しい生活になっているはずです」

 いつも通りの淡々とした表情で言うアンドロニコス神父に、マルムスはつい暗い顔を見せる。

「なるほど……一応、農民の生活が苦しくなるほど税を取り立てず、不足分は治めている軍事貴族が支払うように命じたはずなのですが」

「人は一度手に入れた豊かさや特権を、そう簡単には手放さないものです」

 落ち着いた声でアンドロニコス神父が答える。そしてこう続けた。

「教会を見ていると、そう思います」

 聖職者が統治する教会にも汚職は蔓延っている。そのことを当然のようにマルムスは知っているけれど、内部にいるアンドロニコス神父からすれば、ここでマルムスに改めて打ち明けることで、教会内の浄化の手がかりを得たいのだろう。

 けれども、マルムスはその期待に応えられそうもなかった。


 視察先の村に着くと、村人達に迎えられた。

「そうこそいらっしゃいました」

 そう挨拶をする村長をはじめ、村人達はみなよそよそしい。馬車を降りたマルムスたちに、村人が口々に言う。

「ほんとうになんにもないところで……」

「今年はどうにも不作でしてね、それで……」

 そのようすを見てマルムスは察する。きっと税の心配をしているのだろう。マルムスはアンドロニコス神父の前に立ち、軽く右手を挙げて、大きめの声で村人達に言う。

「今回我々がここに来たのは、税の取り立てのためではありません。より実り豊かにするための指導で来ました。

 ですので、ひとまずご安心ください」

 村人の間に安堵が広がる。このようすを見るだけでも、この村は治めている軍事貴族から厳しい取り立てを受けているのだというのが見て取れた。

 続いて、アンドロニコス神父が村人達に言う。

「それでは、麦畑の様子を見させていただきます。どのように耕し、どのように実ったのかの確認です。

 それを見てから、私と修道士たちからより良い耕し方の指導をさせていただきます」

 穏やかな言葉に、村人達は大人しく畑へと案内してくれる。アンドロニコス神父と修道士、マルムスは案内されるままに畑を見て回る。たしかに、村人達が言うとおり、今年はどうにも不作なようだ。

「この畑はいつも通りに耕してやってるんですけどね」

 村人の言葉に、アンドロニコス神父がゆっくりと丁寧に訊ねる。

「いつも通りというのは、どのように?」

「石っころをどかして、その辺に生えてる草ごと耕してるんですよ。それが楽なんで」

「なるほど。生えている草というのは枯れたものですよね?」

「そうですそうです」

「でしたら、耕す前に一度その草を焼いた方がいいでしょう。そのほうが……」

 農場指導は早速はじまっているようだ。

 ほんとうは、マルムスも村人とアンドロニコス神父のやりとりを聞いて理解した方がいいのだろうけれども、農業の技術はさすがにマルムスの範疇外だ。

 マルムスにはひどく難しく聞こえる村人とアンドロニコス神父の話を聞きながら村中の畑を回る。すべての畑を見終わった頃には、空は茜色になっていた。


 マルムスたちは村長の家で一泊し、翌日。

 朝早くから修道士達が本格的な指導をしに村人達の畑へと行っている間、マルムスとアンドロニコス神父は村長と向かい合って話をしていた。

「ほんとうに、より実り良くするためにわざわざおいでくださってありがたい限りです」

 そう言って深く頭を下げる村長に、アンドロニコス神父がおっとりと答える。

「そんなに恐縮なさらないでください。

 農地の指導は修道院の役目ですから」

 マルムスも穏やかに口を開く。

「それに、我々都に住む人々の生活を支えてくれているのはあなた方です。

 あなた方の生活が少しでも良くなるよう尽力するのは、当然の勤めです」

 ふたりの言葉を聞いて、村長は頭を下げたまま深いため息をつく。

「そうおっしゃいましても、どれだけ収穫しても貴族様にほとんど持って行かれてしまい、我々の生活は苦しいままです。なんとか税を軽くはしていただけないでしょうか。教会の十分の一税も、我々には苦しいのです」

 その言葉に、マルムスもアンドロニコス神父も気まずい顔をする。ふたりで少し目配せをしてから、マルムスがなんとか口を開く。

「十分の一税に関しては教会に聞いていただくとして、国の税については、農民が払いきれない分は治めている軍事貴族が代わりに払うよう、法で定めてあります」

 その言葉に、村長はおどろいたような顔をする。もしかしたら、このように法が変わったのをいまだに聞かされていないのかもしれない。

 それに勘づいたマルムスはさらに続ける。

「ですので、あなたがたの生活が苦しくなるほど税を取り立てることは、軍事貴族には認められていません。

 もし、過剰に税を取り立てようとする軍事貴族がいた場合は、私まで告発してくださってかまいません」

 マルムスの言葉に、村長は一瞬だけ表情を明るくしたけれども、すぐに暗い顔をしてつぶやく。

「それができれば苦労しないのです。

 告発するために都まで行くのにも、我々には難儀ですから」

 うめくような村長の言葉に、マルムスは落胆するしかなかった。


 村での指導が終わり、帰路につく。薄暗い馬車の中では、修道士は眠っているように黙り込んでいる。

 馬車の車輪ががたつく音だけが響く中、マルムスはアンドロニコス神父に言う。

「あの、やはり教会の十分の一税は、民衆には重いように感じるのですが、なんとかならないでしょうか」

 なんとかならないか。とは言うものの、具体的にどうするべきかの展望はマルムスにはない。そしておそらく、アンドロニコス神父にもないだろう。それがわかっていても、訊ねずにはいられなかった。

 アンドロニコス神父は頭を横に振って答える。

「教会としては、十分の一税は取らざるを得ません。正直言えば、それでも足りないくらいに赤字なのです」

 その言葉に、マルムスは壮麗な教会の聖堂を思い浮かべる。きらびやかなモザイク画に、重々しい十字架、華やかなイコン、数え切れないほど並べられた蝋燭。そんなものが思い浮かんだ。

 正直言えば、それらは贅沢なものだと思う。けれども、教会は信徒の信仰を支えるために威信を示さなくてはならない。そのためにはその贅沢なものも必要だというのは理解できる。けれども納得ができない。

 ふと、宮廷のことであれば納得できるのに身勝手なことだと、マルムスは思わず自嘲する。

「そうですね。そもそも我々宮廷としても、軍事貴族や官僚、それに元老院が汚職をしていなければ、ここまで税を取り立てずにやっていけるんです。

 でも、私にはどうしようもない」

 アンドロニコス神父は黙って頷く。

「汚職に関しては、教会も同じです。

 汚職をする聖職者がいなければ、十分の一税で足りないなどということは起こらないはずですから」

 うつむいてしまったアンドロニコス神父の表情をのぞき込むと、少しだけ眉根を寄せてこう言った。

「ほんとうに、汚職をする聖職者を全員振り香炉でなぎ倒したいです」

「あー、それやった場合の後処理は教会側でお願いしますね?」

 マルムスが困ったようにそう返すと、アンドロニコス神父は拗ねたように膝を抱えて顔を伏せてしまう。

 マルムスとアンドロニコス神父のやりとりを、修道士達は聞いていただろう。けれどもやはり、彼らは眠っているように黙り込んでいる。沈黙を強制された農民のように。

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