第三十一章 共同食堂
重く中身の詰まった袋を抱えて、マルムスとアスケノスとドラコーネーが共同食堂へ向かう。今向かっている共同食堂は、救貧院が管理する、貧民のための施設だ。その共同食堂では月に一度、貧民の中から六人が選び出され、無料で食事を提供している。
そういったわけで、マルムス立ちが抱えている袋の中には食糧が入っている。
共同食堂へと向かう途中、アスケノスが呆れたような顔でマルムスを見る。
「どうしてマルムスよりドラコーネーの方が荷物が多いんですか?」
アスケノスが言うように、それぞれに持っている袋の数はこうだ。マルムスが一袋、ドラコーネーとアスケノスが二袋。アスケノスはともかく、細腕のドラコーネーに二袋を持たせるよりは、宦官とはいえ仮にも男のマルムスが二袋持つのが筋だろう。
アスケノスがそう思っているのを察してか、マルムスは苦笑いをして答える。
「恥ずかしながら、私よりドラコーネーの方が体力があるもので……
以前、陛下に披露した踊りを思い出せばわかるでしょう?」
「それもそうですね!」
どうやらアスケノスは素直に納得したようだ。一方のドラコーネーはしたり顔でこう言う。
「女といえども、勇猛なラケダイモンですから」
ラケダイモンだというひとことで済ませられる体力ではない気はする。けれども、ドラコーネーは荷物を多くまかされることに不満を持つどころか自慢げにしているので、マルムスは素直に甘えさせてもらうことにした。
共同食堂に着き、貧民の食事を用意する。調理を担当するのはアスケノスで、マルムスは場の監督という形だ。ドラコーネーは今頃、招かれた貧民に今日の食事の説明をして、食卓へと案内しているはず。
ドラコーネーが間を持たせている間に、アスケノスは魚を蒸し、豆と野菜を煮たスープを作る。マルムスからすれば非常に質素に見える料理だけれども、貧民からすれば普段は手が出ないものだろう。マルムスは宮廷勤めで普段は貧民と関わりを持たないけれども、なんとなく、宦官になる前のおぼろげな記憶が貧民とはそういうものだと語ってくる。
次第に魚の脂の匂いが漂ってくる。どうやら蒸し上がってきているようだ。豆と野菜のスープも、独特の香りのガルムで味付けをして完成している。
「できあがりました」
アスケノスの声かけに、マルムスは食卓にドラコーネーを呼びに行く。
「ドラコーネー、配膳を手伝ってください」
「かしこまりました」
呼び出されたドラコーネーは、テーブルにかじりついている貧民達ににこりと笑いかけてから厨房に入る。
アスケノスがまずはスープを器に盛り付け、六人分用意する。それを三人で手分けして一度に持って行く。こうやって全員分順序をつけずに配膳しないと、貧民同士でトラブルになることがあるのだ。
スープを目の前にした貧民達が言葉にならない声を漏らす。きっと、今すぐにでも食べたいのだろう。そのような動きをするものもちらちら目に入る。
そこにすかさずマルムスが言う。
「蒸し魚もご用意しておりますので、もう少々お待ちください」
言葉のあとににこりと微笑みかけると、スープに手をつけようとしていた貧民も手を引っ込めてマルムスを見る。その貧民達のようすを見たアスケノスは、せかすようにマルムスとドラコーネーに視線で合図を送る。蒸し魚はもう皿に取り分けてあるので、急いで配膳したいようだ。
すぐさまに蒸し魚も配膳され、そのままの流れでパン一切れとチーズも配られる。これには貧民達も感嘆の声を上げた。
待ちかねる貧民達の前でマルムスが食前の祈りを上げる。その言葉が終わると同時に、貧民達はお互いの様子を横目でうかがいながら食事に手をつけはじめた。
威嚇するように他の貧民をにらみながら食べている六人に、アスケノスが穏やかな声でこう告げる。
「あなた方に与えられた食事は、あなた方のものです。
ここには食事を奪う者はいませんし、いたとしたら医者である僕が許しません」
その言葉に、不満そうな顔をした者もいる。おそらく、隙があれば他の貧民の食事を奪おうと思っていたのだろう。しかしそれ以外の貧民は、少し緊張を緩めて食事を続けた。
貧民達の食事が終わり、彼らは共同食堂から去って行った。去って行ったといっても、彼らの家はここよりもずっと小さくて狭いか、最悪宿無しだ。そのことに心苦しさを感じながら、マルムスは貧民達を見送った。
客人が帰ったあとの共同食堂で、アスケノスが手際よく厨房を片付けて、帰り支度をまとめる。食器と調理器具は備え付けのもので、行きに持ってきた荷物はほとんど食糧なので、持って帰るのは味付けに使ったガルムくらいだ。
アスケノスがガルムの入った壺を袋に包んで抱え、三人は宮廷への帰路につく。
その道中、アスケノスが暗い表情でため息をついた。
「毎月施しをしているとはいえ、ひと月に六人しか選ばれないんじゃ、民衆は満足しないんじゃないでしょうか」
その言葉に、マルムスは頭を横に振る。
「逆です。ひと月に六人以上に施しをすると、困窮していない民衆からの反発があるんです。なので、今の人数が精一杯なんですよ」
非情にも取れるマルムスの言葉に、アスケノスはとぼとぼと歩く。
「そうは言っても、あの人達は栄養状態も良くないし、その状態で働いたりするなんて無理があります。
ほら、サラディンがいつも気にしてるじゃないですか、生産性。
生産性を上げるためにも、もっと大々的に施しをして、貧民に体力をつけさせるべきですよ」
生産性を上げるためというのは、アスケノスなりの方便だなとマルムスは思う。実際のところは病に倒れればそのまま死んでしまう人を減らしたいというのが本音だろう。
アスケノスの言い分にも本音にもマルムスは賛成だ。けれども。
「それを判断するのは、陛下と元老院です」
法的には皇帝が都を開けている今、プライポシトスであるマルムスの采配で救貧院や共同食堂の施しを増やすことは可能だ。けれども実際は、元老院に意見が通らないとどうしようもない。
しかも、元老院は形式を重視しているから今のあり方を変えようとは思わないだろうし、貧民を見たこともないのだから施しの重要性もわからないだろう。
現状でわずかながらにも貧民に施しができているのは、その制度が旧来からあるものだからという理由故で、宮廷に勤める者のほとんどは、救貧院の存在意義も、共同食堂の存在意義もわかっていないのだ。
マスムスのやるせなさは、きっとアスケノスには伝わっていないだろう。その証拠に、アスケノスは助けを求めるようにドラコーネーに問いかけている。
「ドラコーネーは、貧民への施しについてどう思いますか?」
縋るようなアスケノスの声に、ドラコーネーは少しの間目を伏せてから、はっきりとした声でこう答える。
「少なくとも、陛下が遠征に出ている今は、民衆のために割く糧食を確保するのは難しいでしょう。戦に出ている兵士達への補給が優先ですから」
期待していたのとは違う言葉だったのだろう、アスケノスが泣きそうな顔をする。それに気づいたのか、ドラコーネーは困ったように笑ってこう続けた。
「私はそう思いますけれど、実際どうするのかは男の人達が決めることですから。女の私が口を出すことではありません」
ドラコーネーの言葉に、マルムスも困ったように笑う。
「私としては、女の意見も聞きたいところなのですけれどね」
すると、ドラコーネーは軽く頭を振る。
「政治なんて血なまぐさいもの、せいぜい男の人達が好きにすればいいですもの」
その言葉に、マルムスとアスケノスは顔を見合わせてからくすくすと笑う。
「そうですね。面倒ごとはお任せください」
「ちゃんと僕たちが守りますからね」
ふたりの言葉に、ドラコーネーもふわりと笑う。その笑顔を見て、マルムスが言う。
「そのように慎ましやかであれば、陛下に凶兆が出たとき、獅子の代わりに死ななくても済むでしょう」
何気ないその一言に、ドラコーネーは顔を赤くする。マルムスの言葉に裏に隠された意味を読み取ったのだろう。そんなドラコーネーのようすを見てか、アスケノスがなにやら不満そうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「なんでもないですよ」
マルムスの問いにすげなく返すアスケノスに、なにか悪いことを言っただろうかとマルムスは少し考えた。




