第二十二章 ケセノンの視察
ある日のこと、先日不祥事を起こしカルトゥーラリオイが交代することとなった件のケセノンを視察してくるようにと命じられた。
マルムスは経営状況の確認ならサラディンもいた方がいいだろうと、サラディンが詰めている部屋へと向かう。
部屋について扉を叩き、声をかける。
「失礼します。サラディンは……」
そこまで言ったところで、扉が勢いよく開いてサラディンが飛び出してきた。
「どうしたんです?」
おどろいたマルムスが訊ねると、サラディンはなにかの書面をマルムスに見せて言う。
「例のケセノンだが、ケセノドコスも前任のカルトゥーラリオイと一緒に横領をしていたらしい」
「えっ?」
予想外なサラディンの言葉に、マルムスは戸惑う。
「それでは、そのケセノドコスは今どうしているのですか?」
マルムスの問いに、サラディンは、書面を筒にしながら返す。
「現カルトゥーラリオイであるヨハネス神父の権限で交代させたらしい。
なので、今は違うケセノドコスになってるけど、前のケセノドコスはどうなっているかまではわからない」
「なんてこと」
ヨハネス神父もなかなか容赦がないと一瞬思ったけれども、前カルトゥーラリオイは鼻を削がれた上に教会から破門されているので、皇帝のやり口に比べればまだ五体満足だと思われるだけやさしいだろう。
「ちょうどいいですね。陛下からそのケセノンの視察に行くようにと命じられたところなんです。できればサラディンにも着いてきてほしいのですが」
マルムスが自分の用件を告げると、サラディンも奇遇といった顔をする。
「それはこっちも都合がいい。
今ヨハネス神父が来ていて、視察の依頼を受けたところなんだ」
そう返すサラディンの肩越しに、ヨハネス神父がひょこひょことのぞき込んで言う。
「どうも、お世話になっております。
先ほどサラディンさんがおっしゃったとおり、まあまあエグいことになっていますので、官僚に視察をして頂いて、陛下にお伝え願いたいのです」
「あ、ヨハネス神父、いらしてたんですね」
「書面をお持ちしたので」
まさかこの場にヨハネス神父がいるとは思っていなかったマルムスは少しおどろいたけれども、この場にいるならちょうどいい。ヨハネス神父にも視察に同行してもらおう。
「では、これから視察に向かいますので、サラディンとヨハネス神父はご同行願います」
マルムスの言葉に、サラディンとヨハネス神父は部屋を出てともに歩き出す。
途中、ヨハネス神父がつぶやいた。
「しかし、いまケセノンには痘瘡患者を収容しているのです。このまま向かって大丈夫かどうか……」
ため息と共に、ヨハネス神父はマルムスとサラディンの顔と手を見る。どちらもあばたがないきれいな肌で、それは痘瘡にかかったことがない証だった。
ヨハネス神父も、顔の目立つところにはあばたがない。しかしよく見ると、手の甲のいたるところや髪の生え際、顎の下などにあばたがある。おそらく、服の下にもあばたがあるはずだ。つまり、痘瘡の恐ろしさを身をもって知っているということだ。
不安そうなヨハネス神父を見て、マルムスとサラディンは目配せをして頷く。
「アスケノスにも同行してもらいましょう」
マルムスの言葉に、ヨハネス神父は安心したように頷いた。
アスケノスも合流し、ケセノンについた一行は、早速アスケノスから指示を受ける。
「みなさん、ワインは持ちましたね?
ケセノンのものや患者に触れたあとは、必ずそのワインで手を洗ってください。ケセノンから出たあとも同様です。
それまで決して、手で目を擦ったり口に触ったりしないよう注意を」
その言葉に頷き、ケセノンの中へと入っていく。それを出迎えたのはやつれた顔をした現ケセノドコスだ。
「経営が、苦しいのですよね……」
慮るようにマルムスがそう言うと、ケセノドコスは頭を振ってこう返す。
「それよりも、前任者の尻拭いがたいへんなのです」
「ああ……」
薄暗いケセノンの廊下を歩きながら、今度はサラディンが声をかける。
「そういえば、前任者はどうしてるか知っているか?」
その言葉に、ケセノドコスは深いため息をついて答える。
「少しでも経営の足しにできればと、奴隷商人に売りました。
今頃鉱山にでもいるでしょう」
「わぁ……!」
思ったよりも手回しのいいケセノドコスの言葉に、サラディンが感心したようなおどろいたような声を上げる。
そうしている間にも、患者達が詰め込まれている病室についた。敷き詰められた藁の上に横たわる患者はみな生々しいあばただらけで、マルムスは思わず恐怖を感じた。
「こんな……」
こんな状態の患者が、こんなに狭い病室に詰め込まれているという事実を上手く受け止められないでいると、ケセノドコスは少しだけ微笑んで返す。
「これでも、多少はマシになっているんですよ。以前は治療をすることもできず、ただただ死なせて捨てるだけだったのですから」
これでマシになったのかと、マルムスは愕然とする。少なくとも、今までに見たことのあるケセノンはここまでひどい状態ではなかったから。
なにも言えないマルムスの代わりに、アスケノスが一歩前に出て口を開く。
「たしかに、この患者さん達は治りかけといった感じですね。
このまま安静にして、しっかりとした食事さえ取れれば元気になるでしょう」
そう言われても、マルムスには目の前の光景を直視できない。ふと気づけば、サラディンも視線を外していた。
サラディンがケセノドコスに声をかける。
「こういう状態なのはわかった。
あとは、もう少し数字の話がしたい。患者に聞かれると心配されるだろうから、場所を変えてくれないか?」
「かしこまりました」
ケセノドコスが廊下に戻る。そこへ、アスケノスが声をかけた。
「僕はちょっと患者さん達の様子を見たいのでここに残ります」
ヨハネス神父も指を組んで頷く。
「私も、同様に」
その言葉にマルムスとサラディンとケセノドコスは頷き、廊下を歩きはじめる。
病室から、ヨハネス神父の祈りの言葉が聞こえてきた。
ケセノドコスの事務室に移動したマルムス達は、早速帳面を見せてもらう。かなり厳しい経営状況であることには変わりはないけれども、数字が横ばいになっているだけマシだろう。
「ヨハネス神父が、なんとか資金の融通をしようとしてくれているのですが、なかなか」
ため息交じりにケセノドコスがそう言うと、マルムスもサラディンも難しい顔をする。
こう言うときこそ、資金を集めるのに収賄をするのが手っ取り早いのだろうけれども、良くも悪くもヨハネス神父は賄賂とは無縁な人物だ。私利私欲のためでなくても、賄賂を上手く扱えない正直で不器用な人間なのだ。
なにも言えずにいるマルムスとサラディンに、ケセノドコスはさらに続ける。
「どうか、このケセノンを救ってくださるよう、陛下にお願いできませんか?」
その言葉を聞いて、サラディンが伺うようにマルムスを見る。マルムスはその視線を受け止めてから、ケセノドコスにこう答える。
「残念ながら、それはできません。
このケセノンは、前カルトゥーラリオイが追われたときに、すでに支援を受けています。
これ以上の支援を特定一カ所のケセノンだけに与えるわけにはいきません」
その言葉に、ケセノドコスだけでなくサラディンも目を見開く。きっと皇帝に口利きしてくれると思っていたのだ。
「マルムス、お前……」
くってかかるようなサラディンの言葉を遮り、マルムスは言葉を続ける。
「ですので、ケセノンを支援するように陛下へ進言するのでしたら、すべてのケセノンを支援するように。という形になります。
それでもよろしければ」
にこりと笑うマルムスに、ケセノドコスはぽかんとした顔をしてから、両手で顔を覆う。
「ぜひ、ぜひそうしてください。
ここだけでなく、他のケセノンも助かるのなら、それに越したことはありません」
そのさまを見てから、サラディンが口をとがらせて言う。
「おどろかせるな」
すねるサラディンに、こういう驚きならいいだろうと、マルムスはくすくすと笑った。
修正前では「天然痘」のことをひとまとめに「人痘」と表現していましたが、正確には「人痘」は「天然痘ワクチン」のことを指すそうです。
なので、正確には「天然痘」および「痘瘡」という表現になります。




