第二十一章 縁談と同盟
今日は珍しく皇帝が着飾っている。
突然他国から使節がやってきたので、その対応のために、マルムスが皇帝の衣服を管理しているプロートヴェスティアリオスと散々協議しつつ、さらに皇帝をなだめすかしながら権威を示せる衣装を皇帝に着せたのだ。
「ここまでせずとも……」
不満そうに口をとがらせる皇帝の衣服に、プロートヴェスティアリオスが手際よくうつくしいひだを作っていく。
その様を見守りながら、マルムスが少し厳しい口調で皇帝に言う。
「これでも陛下とこの国が権威を示せる範囲で、もっとも質素なものをミカエルが選んでいるのです。陛下がこれよりも質素なものを好んでいるのは存じておりますが、これも外交のうちです」
珍しく引く様子を見せないマルムスの言葉に、皇帝は視線を落とす。その先には、膝立ちになって皇帝の衣装のひだを整えているプロートヴェスティアリオスのミカエルがいる。
「そんなに手を入れる必要があるのか?」
皇帝が素朴な疑問をミカエルに投げかけると、ミカエルはにっこりと笑ってこう返す。
「そうですね、いま陛下がお召しの衣装は照り感があって、かつ深いお色味の布でできております。
ですので、このようにひだをうつくしく整えれば、これ以上着飾る必要もないでしょう」
「んん……」
ここでミカエルの邪魔をすればもっと派手な衣装を着せられるということを察したのか、皇帝は目の前の宦官ふたりに逆らうことをやめたようだ。
他国からの使節が待つ広間に向かう途中、皇帝はいつもよりも派手な衣装に不満そうだったが、広間に入るなり、いつも通りの威厳ある表情になる。
玉座に座り、跪く使節を皇帝が見る。使節が驚嘆と畏怖を表情に浮かべる。そこに、皇帝に代わってマルムスが問いかけた。
「この度はどのようなご用件でしょうか」
すると、使節はたくさんの貢ぎ物を差し出しこう答える。
「まずは、こちらは陛下への献上品でございます。
今回参りましたのは他でもない、我が国の王子と、陛下の姪であるゾエ様の仲を取り持っていただけないかご相談にあがりました」
その言葉に皇帝の表情が険しくなる。それを察したマルムスは、口だけを動かして皇帝に落ち着くよう伝える。目的は縁談だけではないだろう。と。
それを確認した皇帝は、一息ついてからしぶしぶと使節を見やる。
「で、用件は縁談だけか?」
皇帝が低い声でそう訊ねると、使節は待ってましたとばかりにこう答える。
「ゾエ様はすばらしい方だと聞き及んでおりまして、是非とも我が国に嫁いで欲しいというのが我が王の意向です。
できれば、同盟関係も土産に」
皇帝はマルムスと目配せする。ほんとうの目的は縁談よりも同盟の話の方だろう。そう判断したマルムスは、口だけを動かして皇帝に一言伝える。それを見た皇帝は頷いて、使節にこう告げる。
「なるほど、そちらの望んでいるものはわかった。だが、我が国は少々面倒でな。そういった話は元老院を通すことになっている。
なので、回答が出るまでしばしこの国に留まるといい」
皇帝の威厳ある言葉に使節が平伏する。それを見たマルムスは、使節を丁重にもてなすよう宦官と女官に指示を出してから皇帝と共に広間を出た。
当然のように、使節が持ち込んだ縁談と同盟の話はすぐさまに元老院で検討された。
縁談を受けるべきか否かで意見が割れる。おそらく、元老院の中には自分こそがゾエを娶るのだと思っている者もいるのだろう。
そんな中、元老院の一人が言う。
「戦続きのこの国は、今は少しでも同盟国を増やして国力を保つべきです」
それを聞いた皇帝は、鋭い目つきでこう訊ねる。
「同盟が必要だというのだな?」
「その通りでございます」
皇帝は、ゾエと同盟のどちらを取るのだろうか。マルムスが不安を抱えていると、皇帝はしばし考えた後にこう決断した。
「では、今回の縁談を受けることにしよう」
苦虫をかみつぶしたような皇帝の表情を見て、マルムスの脳裏にゾエの姿が浮かぶ。ドラコーネーの膝にもたれて、しあわせそうにしていた姿が。
皇帝としてもかわいい姪を他の国にやるのが苦渋の決断なのはわかる。だからこそ、マルムスはこの言葉を嘘だと言って欲しいと思った。
何とか平静を取り戻そうとしているマルムスをよそに、皇帝は元老院にこう提案する。
「しかし、ここですぐにゾエをやってしまうのも興がなかろう。
せっかくのことだ、我が国の威光を示すために、しばし使節達をもてなすように」
その言葉に、元老院は意外そうな顔をしながら皇帝に了承の意を伝える。マルムスも、使節をもてなすようにという指示には驚きを禁じ得ない。
元老院が詰める部屋から自室に戻る皇帝にマルムスは付き添う。
「まさか、陛下が使節をもてなすようおっしゃるとは思いませんでした」
ついこぼれたマルムスの言葉に、皇帝はにやりと笑って返す。
「奢侈も外交のうちだと教えたのはお前達だろう?」
「……そうですね」
皇帝が奢侈の使い方を覚えてくれたのはいいけれども、使節をしばらくもてなすのは、権威を示すためだけだろうかと、マルムスは少し疑問に思った。
その日の晩、使節をもてなす宴が開かれた。
いつもならこういったときにどのような料理を出すか決めるのはアスケノスなのだけれども、今日はなぜか軍医が指示を出している。
「アスケノスはどうしたのですか?」
疑問に思ったマルムスが軍医にそう訊ねると、軍医は不思議そうに首をひねってこう答える。
「うむ、急に陛下が、郊外のケセノンの視察を一通りやってくるようアスケノスに命じたらしいんだ。それで今、アスケノスは宮廷を空けていてね。
これだと、しばらく帰ってこられないな」
「そうなのですか?」
たしかに、先日サラディンが皇帝の元に持ち込んだ、ケセノンの経営状況一覧を見た限り、郊外のケセノンは経営が逼迫しがちだ。皇帝はその対策を取りたいのだろうけれども、なんとなく、マルムスはその理由に納得できなかった。
それからしばらくの間、使節をもてなす宴が続いた。
「ああ、こんなにすばらしく豊かな国とつながれるだなんて、我々は完璧に幸福です」
そうよろこびの声を上げる使節は、自分たちがいったいどれだけの期間、この国に留め置かれているのかわかっているのだろうか。
皇帝の意向とはいえ、連日続く宴にマルムスが気疲れしはじめた頃、見慣れた顔を医務室で見かけた。
「あれ? アスケノス、いつの間に帰ってきたんですか?」
そう、しばらく姿を消していたアスケノスが、いつの間にか帰ってきているのだ。
「陛下にはもうご報告したので」
そうにっこりと笑って、アスケノスは話を切ろうとする。直感的に、なにかあるな。とマルムスは思う。
「どこへ行ってきたのですか?」
アスケノスはおどけた表情で、舌をペロリと出して答える。
「ちょっと言えないとこです」
どうやら、ケセノン巡りをしたわけではないことをマルムスが感づいていることに、アスケノスも気づいたようだ。
しかし、気にはなるけれども深追いするのは得策ではないと思ったマルムスは、それ以上アスケノスのことを追求しなかった。
アスケノスが宮廷に戻って数日後、使節の国の伝令がやってきた。携えてきたのは、王子の訃報だ。
使節達が青ざめる。
「そんな……同盟はどうなるんだ……」
そうざわめく使節に、皇帝は堂々と答える。
「縁談は結べなくなったが、同盟を結ぶつもりはある。あとはそちら次第だ」
皇帝の言葉に、使節はすぐさまに伝令を走らせる。そのさまを見ていたマルムスは、皇帝に小声で訊ねる。
「不幸なことがありましたが、ゾエ様を嫁がせずとも同盟は組むのですね?」
「もちろんだ。
むしろ、ゾエをやらなければ組めない同盟など必要ない」
その言葉に、マルムスはようやく合点がいった。
アスケノスがしばらく宮廷を空けていたのは、おそらく皇帝がなにかを謀ったのだろう。
そのことをわざわざ確認するつもりは、マルムスにはないけれども。




