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第十七章 俸給の式典

 都は春を迎え、復活祭を控えている。そんな時期なわけだから、教会はもちろん宮廷内もなにかと慌ただしくなっていた。

 今日から三日間、官僚や軍事貴族、それに元老院へ俸給を与える式典がある。その準備のために、マルムスは宦官達に号令を出して官僚達を広間に集めさせ、女官達に広間の席を整えるよう指示する。

 あらかた席が整ってきたのを確認したマルムスは、今度は厨房に向かう。俸給を賜る者たちに振る舞う料理の確認をするためだ。

「仔ヒツジのロースト、仕上がりました!」

「フライにする魚が足りません!」

「追加の魚は今向かっているところだ!」

「アスケノス様、野菜のスープの味見をお願いします!」

 厨房に入るなり、料理人達の大声が耳に入る。その料理人達に指示を出しているのは、いつも通りアスケノス。スープなどの繊細な味付けが必要なものの味見もしているようだ。

 厨房のざわめきに負けないよう、マルムスが大声でアスケノスに声をかける。

「アスケノス、首尾はどうですか? 順調にいっているでしょうか?」

 その声に、アスケノスは野菜のスープを作っていた料理人に片目でにこりと笑ってよくできている旨を伝えてから、マルムスに返事を返す。

「一番大物の仔ヒツジが焼けているので、あとはなんとかします。

 魚のフライは少々遅れるかもしれませんが、あとから追加されるくらいの方が興があるでしょう」

 仔ヒツジのローストは、凱旋の宴のときにも饗されていたメニューだ。こういった式典の時には欠かせないものだから用意されるのは当然だろう。

 しかし、魚のフライは少々贅沢品だ。魚の入手自体は容易とは言え、フライにするには大量の油が必要になる。高級な油をふんだんに使う魚のフライは、贅沢品だと言って普段なら皇帝が好まないものなのだけれども、今回ばかりは皇帝もそうは言っていられない。なんせ、皇帝に仕える者たちに、いわば褒美を与える三日間なのだから、奢侈から離れられないたくさんの者たちを満足させる必要があるのだ。

 特に今年は、先日の遠征から持ち帰られた戦利品で国庫が潤っている。皇帝が贅沢を好まなくても、大盤振る舞いをしなくては仕える者たちに納得されないだろう。

「魚のフライが後から行くと、女官達に伝えておいてください!」

「わかりました!」

 大声でそう言うアスケノスにマルムスも大声で返事をして厨房をあとにする。

 次に向かうのは、サラディンが仕事をしている部屋だ。向かう途中、給仕係の女官であるマリヤをつかまえられたので、そこで魚のフライが後から行くという旨を伝え、他の女官にも伝えるよう頼んでおく。

 そして目的の部屋につき、ドアを叩いてから中に入る。

「お邪魔します。俸給の計算は終わっていますか?」

 そう声をかけると、中ではサラディンをはじめ、俸給の計算にかかっていた官僚達がいちように髪を振り乱し、両手で頭を押さえ、青い顔をしている。

「だーめーだ! 全然終わらん!」

「うそでしょ?」

 悲鳴じみた声を上げるサラディンに、マルムスも悲壮な声を出す。これから俸給を与える式典がはじまるのに、官僚達に与える俸給の額がわからないなんてことがあってはならないのだ。

 動揺するマルムスに、サラディンの同僚が蒼白な顔で書類を差し出してくる。

「とりあえず、今日俸給が出る方々の分の計算は終わらせました。なので、こちらをお持ちください。

 明日以降の分についてはこれからがんばります……」

「ありがとうございます。

 えーと、ご自愛ください?」

 書類を受け取ったマルムスはつい胡乱なことを口走ってしまったが、とりあえずこの書類を皇帝に確認してもらわないといけない。足早に部屋を出て、皇帝の執務室へと向かう。

 宮廷の廊下を、宦官や女官が慌ただしく行き交う。もちろん、なにかを託された伝令も忙しそうに走り抜けていく。

 途中途中で走る伝令を避けたり他の宦官にぶつかって跳ね飛ばされたりしながら、マルムスはなんとか皇帝の元までたどり着く。

「ただいま戻りました」

 執務室の扉を叩いてから中に入ると、そこには式典に向けて正装をした皇帝が机の前に座っていた。

「ご苦労。俸給の額は出たか?」

「はい。とりあえず本日分だけですが、こちらに」

 皇帝の言葉にマルムスが俸給に関する書類を差し出すと、皇帝は少しだけ眉根を寄せて書類を受け取る。

「本日分だけというのはどういうことだ」

「まだ計算が終わっていないようです。

 おそらく、去年思いのほか遠征で得た戦利品が多かったことが影響しているのかと思います」

「……それはなんだか、申し訳ないことをしたな……」

 マルムスの答えに、皇帝が沈鬱な表情をする。それを見て、マルムスは慌ててこう付け加えた。

「いえ、この国が豊かになることはよろこばしいことなのです。それはあの者達も同意見でしょう。

 ただ、計算が追いつかないだけで……」

「そうか……」

 皇帝は少しだけ子供っぽく口をとがらせてから、真剣な表情になって書類に目を通していく。それから、マルムスにこう言った。

「この通りの額を用意するよう、国庫に命じよ」

「かしこまりました」

 先ほどの書類を皇帝から受け取ったマルムスは、再び執務室を出た。


 官僚や軍事貴族達が知るよしもない、てんやわんやの舞台裏をなんとかこなし、今日の分の式典が終わった。

 式典の時、アスケノスが言ったとおり、魚のフライは遅れて広間に現れた。あの時の官僚達の顔といったら。アスケノスの言ったとおり、遅れてくるくらいの方が興はあったようだった。

 そして俸給。今年の俸給は去年よりも多かったので、今日受け取ったおおむねの官僚や軍事貴族は満足しているようだった。もっとも、はじめの方に受け取っていた元老院は少々不満そうな顔をしていたけれども。

 そんなことを思い返しながら、マルムスは静かになった夜に、自室にアスケノスとサラディンを招いて、夕食を食べながらワインを飲んでいる。式典の間、皇帝の横に控えていたマルムスはもちろん、厨房への指示出しからの皇帝が食べる食事の確認の仕事をしていたアスケノスも、式典に出るどころではなく狭い部屋で延々俸給の計算をしていたサラディンも、なにも食べていなかったのだ。

「ああ……おかゆが身に染みる……」

 ガルムで軽く味付けをした麦粥を食べながら、サラディンが鼻をすする。

「おかゆ以外のものが入る気がしない……」

 マルムスもゆっくりと柔らかくなった麦を噛みしめながらつぶやく。

「早食いするとおなか壊しますからねー」

 アスケノスだけは、けろっとした顔ですこしずつ麦粥とワインを交互に口にしている。

 ふと、マルムスがアスケノスに話しかける。

「そういえば、魚のフライの出し方は正解でしたね。明日もあの手を使いますか?」

 その問いに、アスケノスは瞬きをしてから返す。

「うーん、そうですね。後出しをするだけでよろこばれるのなら、それを使わない手はありませんし」

 そのやりとりを聞いていたサラディンがため息をつく。

「あー、俺も早く魚のフライにありつきたいよ」

 それを聞いたマルムスはくすくすと笑う。

「それなら、俸給の計算を早く終わらせないと。サラディンが俸給をもらうのは三日目でしょう?」

「今日中に明日分まで計算終わらせたし、この調子で明後日には式典に出られないとまずいんだなこれが!」

「あー、計算が終わらなかったってことになりますもんね」

 だいぶ危機的な状況だなとマルムスが思っていると、アスケノスが元気な声を出す。

「とにかく、式典を駆け抜けましょう!

 やることが多い!」

「やることが多い!」

「やることが多い!」

 アスケノスに続き、サラディンとマルムスも復唱する。

 そこへ、誰かが扉を叩く音がした。誰かと思ったら、ドラコーネーが追加のワインを持ってきたようだった。

 マルムスがワインを受け取ると、アスケノスが微笑んでドラコーネーに言う。

「そろそろ休まないと体に障りますよ」

 その声は今までに聞いたことがないくらい優しげで、どこか甘い響きがあった。

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お給金は大事だからね、がんばるしかないね
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