第十三章 サカバンボスの盾
凱旋の宴が終わり、宮廷内が落ち着いて数ヶ月が経った。今回の戦に関する書類整理もいったん終わり、マルムスは久しぶりに落ち着いた時間を過ごせていた。
とはいえ、日々の仕事はある。皇帝の補佐として片付けなくてはいけない仕事は事欠かないのだ。
今日もマルムスは執務室で皇帝の側に控えて、細々とした仕事をこなしている。そこへ、部下の宦官がやってきてこう言った。
「陛下、名工サカバンボスから伝言です。
以前ご用命になった盾と槍が完成したそうです」
それを聞いた皇帝が、かすかに表情を和らげる。それを見たマルムスは、皇帝の言葉を察して代わりに伝える。
「わかりました。まずはその盾と槍を陛下にご覧に入れるよう伝えてください」
「かしこまりました」
短く返事をした宦官が執務室から出て行き、外にいるのであろう伝令に用件を伝えている。
「さて、どんな出来だろうな」
珍しくなにかを期待するような皇帝の表情に、マルムスはなんとなく不思議な違和感を覚える。それは、悪いものではないのだけれども。
「こちらがご用命の品です」
皇帝が玉座に座る謁見の間で、猫背で小太りの男がおびただしい数の盾と槍を皇帝に見せる。彼がかの名工サカバンボスだ。
目の前に広げられた盾と槍の数々を見て、マルムスは状況が飲み込めない。
皇帝も、小声でマルムスにこう言った。
「こんなに作るよう命じたのか?」
「いえ、そうではないのですが……」
なぜこんなに作ったのか、その真相を知るには本人に訊いた方が早い。そう判断したマルムスは、どこを見ているのかわからない、虚無を感じる顔で皇帝の方を向いているサカバンボスに訊ねる。
「なぜこんなに用意したのですか?
盾と槍を一対という注文だったはずなのですが」
その問いに、サカバンボスは目をぱちくりとさせて答える。
「より良いものを作ろうとしたらこうなったのです。ですが、お持ちになる方がどれが良いというかまではこちらでは計り知ることができなかったので、作った分をすべてお持ちしました」
しれっとそう答えるサカバンボスの後ろを見ると、大量の盾と槍を運ばされたのであろう宦官達が息を切らせている。
サカバンボスの言葉を聞き、宦官達のようすを見た皇帝は、深いため息をついてから立ち上がってこう言った。
「お前のことだ、使えないものは作っていないだろうが、一応使用に耐えるものかどうか、すべて見させてもらう」
一見、すべて同じように見えるたくさんの盾と槍を、皇帝はひとつずつ確認するというのだろうか。マルムスがおどろいていると、皇帝はその言葉通り、ひとつひとつ丁寧に手に取って、指で叩いたり軽く振ってみたりして出来を見ている。
サカバンボス以外の全員が緊張して皇帝を見守る。見守っている宦官のうち何人かは、女官に渡すものにそこまで本気になる必要もないと思っているだろう。
静まりかえるなか、皇帝がすべての盾と槍を確認し終わる。それから、感心と呆れの混じった声でこう言った。
「さすがは名工、個体差こそあれ、すべて戦地での使用に耐えるものだ」
「そのように作りましたからね」
悪びれないサカバンボスの言葉に、皇帝は苦笑いをする。それから、マルムスにこう命じた。
「ドラコーネーを呼べ」
「かしこまりました」
マルムスは一礼をしてから、謁見の間の入り口に向かって大声で呼ぶ。
「ドラコーネー、陛下がお呼びです」
すると、少し離れた入り口から、こころなしか縮こまったドラコーネーが入ってきた。その姿を見て、勇ましいラケダイモンの姿を思い浮かべることのできる者がどれほどいるだろうかという、か弱げな風情だ。
おずおずとサカバンボスの側まで来たドラコーネーに、皇帝がこう命じる。
「その中から好きな盾と槍を選べ。
それがお前のものだ」
「この中から!」
まさかこんなに大量の盾と槍の中から選ばされるとは思っていなかったのだろう、ドラコーネーが視線をさまよわせる。そのドラコーネーのことを、サカバンボスは虚無を感じさせる目で見ている。
皇帝と名工の目の前で自分の盾と槍を選ぶというのは緊張するものなのだろう。ドラコーネーは丁寧な手つきで盾と槍を手に取る。そして、先ほど皇帝がやっていたように、ひとつずつ指で叩いたり、軽く振ったりして具合を見ている。
ドラコーネーが選ぶことしばらく、一対の盾と槍を両手に持って、ドラコーネーが皇帝の方を見た。その姿を見て、サカバンボスがぽつりとつぶやく。
「これは逸材だ」
そのつぶやきに誰も気づかないまま、ドラコーネーは背筋を伸ばし、はっきりとした声でこう言った。
「こちらの盾と槍を賜りとうございます」
その瞬間、ドラコーネーが勇ましい空気を纏う。目の前にいるのは、ほんとうは兵士ではないのかとマルムスが思ってしまったほどだ。一方、皇帝はドラコーネーの言葉に満足げにしている。
「そうか、ではそれをお前にやろう」
「ありがたき幸せ」
一礼するドラコーネーを、皇帝がじっと見つめる。それを察したマルムスは、まだ皇帝がドラコーネーに用件があるのかと思い、少しの間黙っていたけれども皇帝はなにも言わない。それならばと、ドラコーネーにこう声をかける。
「では、ドラコーネーは下がりなさい」
ドラコーネーはもう一礼をして、盾と槍を携えたまま下がっていった。
皇帝は去って行くドラコーネーの姿もじっと見ているので、もしかしたらまだ下がらせてはいけなかったのだろうかとマルムスはひやひやする。ドラコーネーの姿が見えなくなったところで、皇帝が笑いをかみ殺しながらこうこぼした。
「まさか、いくらラケダイモンだからといって、盾も槍も一番出来がいいものを選んで持って行くとは思わなかった」
「そうなのですか?」
皇帝は口元を片手で覆って頷く。
女官なのに一番いい装備がわかるのはちょっとこわいな。と思いながら、マルムスはきょとんとしているサカバンボスを見て、皇帝に訊ねる。
「ところで、残りはどうなさいますか?」
その言葉にはっとした皇帝が、少し考えてからこう答える。
「そうだな、そもそもドラコーネーのために作らせたものだ。後宮に置くのが筋だろう」
「では、どのようにして設置するか、皇母様と相談なさいますか?」
マルムスの問いに、皇帝は玉座からまた立ち上がって答える。
「そうだな。では後宮に行こう」
「かしこまりました」
とりあえずサカバンボスを下がらせてから、宦官達に盾と槍を持たせ、皇帝が後宮へ向かう。もちろんマルムスはそれに付き従った。
後宮を通り、皇母の元を訪れると、そこには皇母の他にも世話役の女官とゾエ、それに先ほどの盾と槍を持ったドラコーネーがいた。
「なんだ、ドラコーネーも来ていたのか」
意外そうに皇帝がそう言うと、ドラコーネーは恐縮したようにこう答える。
「陛下からこちらを賜ったことを、皇母様にもお伝えしようと思いまして」
「賢明な判断だ」
そんなやりとりの一方で、老いてもなお威厳ある皇母がため息をついて皇帝に言う。
「陛下、これは女官に与えるものなのですか?」
皇帝は苦笑いを返す。
「この者が望んだので」
それから、経緯を説明して余りの盾と槍を後宮に飾りたいという旨を皇母に伝える。すると、ゾエが皇母の袖をつまんでこう言った。
「皇母様、是非とも後宮に飾りましょう。
陛下からの栄誉だもの」
かわいい孫の言葉には逆らえないのか、皇母は苦笑いをして、宦官達に盾と槍を後宮に飾るよう指示を出す。
そんななか、ドラコーネーがうっとりと自分の盾を見てつぶやく。
「サカバンボスの盾だぁ……」
盾でここまでよろこぶ女も珍しいなと、マルムスは苦笑いするしかない。
後宮から皇帝の執務室に戻る途中、軍事貴族の声が聞こえた。
「女なんかにあんなものを与えるなんて……」
「あれは男が持ってこそのもの」
この言葉が皇帝に聞こえているのだろうか。それはマルムスにはわからない。
けれど、なんと言われようとあの盾と槍はドラコーネーにふさわしいのだと思った。




