第4話:自己都合と忍び寄る現実
堂庵の投じた『僕の罪と許し』の騒動後、緋音のイメージは悪化していた。堂庵は、この状況すらも自らの株を上げるための踏み台として利用し始めた。
創作の庭の交流の場で、作品を読んでいない者たちに向けて、同じようなセリフを残したのだ。
「みんな落ち着いて聞いてほしい。確かに彼女の態度は自分勝手に見えるけれど、彼女自身は悪い人ではないんだ。きっと僕が未熟だったせいで、彼女に誤解を与えてしまったんだ。どうか彼女を責めるのはやめてほしい」
堂庵はさらに追い打ちをかける。複数のサイトやSNSで騒ぎを大事にし、糸崎緋音の行動を悪意を持たせ誇張し、それでも彼自身が悪いせいなんだと、被害者側だけど許す立場に成り変わった。
堂庵は数多のサイトでこのような「聖人」的な発言を繰り返した。一見すると緋音を擁護しているように見える。
しかし彼の言葉の裏には常に、彼女の悪意ある問題行動を許す自分、というニュアンスが巧妙に織り込まれていた。「彼女は悪くない」と言いながらも、その言葉自体が緋音の印象の悪さを加味し、攻撃的なイメージを固定化させ、堂庵の「被害者なのに優しい」を際立たせるのだ。
「堂庵さん、なんて寛大なの……」
「責めないでって言われても、あれは酷すぎるよ」
「堂庵さんの優しさに甘えてるよね」
緋音は時折厳しい事も言う。それは相手の心や立場、未来を思いやる本当の優しさだからだったが、キツい印象はある。
真相は真逆で、ミスター・ホロウの性根の悪さや、そんな堂庵を呼び込んだ責任感から緋音は何も言えなくなってしまっただけなのだ。緋音の一番の杞憂は、訴えても味方してくれる人まで巻き込む可能性があったことだから。
結果として緋音と仕掛けた側の堂庵のそれぞれが思った通りの展開になった。創作の庭内やホロウの関わるサイトでは、緋音に対する風当たりがだいぶ強く冷たくなった。緋音は創作の庭メインの活動のため、他の場所では反論すら出来ないという状況なのだが、そんな堂庵の卑劣な遣り口に気づく者はいなかった。一人を除いて。
「浩二さんは悪くない。でも緋音も悪い事していないのに⋯⋯」
毬奈は緋音が世話焼き気質のある面倒見の良い人だと知っている。毬奈と同じで素敵な作品がみたいから、自分の好みの作品を作る創作者に声をかけるし、時に叱咤激励する。そんなに抱え込んでも面倒見きれないでしょうと、毬奈も緋音に言った事がある。
「楽しいとつい、ね」
バカげた企画に全力で応える緋音に色んな目的で集まる人々。時間や心身を浪費するばかりで緋音のメリットは少なく、デメリットばかりだ。それでも彼女は断行する。楽しい、それが全てだと言って。
そんな緋音が悪者扱いにされるのがたまらなく悔しい。あなたに彼の何がわかるのか⋯⋯緋音に言った言葉は、そのまま堂庵にも、そして自分自身にもあてはまる。
「緋音はなぜあんなに感情的になったんだろう。堂庵さんはあんなに優しいのに」
毬奈はこの流れに完全に飲み込まれていた。堂庵浩二の本心は毬奈だってわからない。緋音とは長い付き合いから少しはわかるつもりだ。
堂庵の偽善的な寛容さは、緋音に対しては完璧な防御壁となった。しかし彼の「自己都合解釈」は、真実を誇張し捻じ曲げ、彼にとって都合の良い「物語」を作り上げていく。
毬奈は彼のファンだから、誰よりもそのストーリーの食い違いに疑問を持った。声を大にしているのは堂庵だけ。それが全て真実のように語られるのはおかしい、そう感じ始めた。
緋音が賭けたのは、毬奈が緋音の事をよく知っていること。それに毬奈が読者家であり、流行りの恋愛物が好きな事だ。この緋音と堂庵の織りなす絵図に既視感を覚えるはず。
◇
「⋯⋯悲劇のヒロイン症候群とガスライティングの手口に近いニャ」
ララは堂庵の新たな投稿を読みながら、冷静に分析していた。「自分が悪い」と表面上は認めることで、緋音の論理的な批判の余地をなくしズラす事に成功している。
また緋音を「理不尽に怒る感情的な人物」に仕立て上げる事で孤立させて、本人も周りからも相談しづらい雰囲気を形成する。仲間の多い緋音に対する完璧な攻撃であり、巧妙な防御だった。
「ただコイツはアホだニャ」
堂庵は自分が目立ち認められれば良いという強い承認欲求から来る衝動で動き回り過ぎるのだ。創作者として自己顕示欲は大事なのだが、彼は、自分しか見ていない。
緋音には完璧な工作も、他人からは矛盾した穴だらけの防壁、一夜城のハリボテだ。遠く離れ正対する緋音には堅固に見えた壁も、近くに寄ったり横から眺めたりすると、雑な足場を組んだだけだったり薄い板切れだったりする。
「執着のあまり周りが見えない典型ニャ」
そりゃ彼女もつまらんと見切るはずだ。言葉が軽すぎ、底が浅いと露呈する前から、粘着質で面倒臭いと気づいたようだ。
「ぐぬぅ、先に教えて欲しかったニャ」
この手の相手には関わらないのが一番だと言うのに。ララは彼女を呪った。
◇
緋音が沈黙したと勘違いしたミスター・ホロウは、この頃からネット上でのコミュニケーションをさらに密接にし始めた。
「毬奈さん、僕の詩を読んでくれてありがとう。すごく嬉しいです」
彼は毬奈との個人的なメッセージのやり取りを増やし、彼女の悩みや日常について深く寄り添う姿勢を見せ始めた。堂庵にとって、これは次の段階への布石だった。
彼はネット上では良き夫、良き父の理想の姿を崩さず、家族サービスをしている写真などをアップロードし続けた。しかしその裏で、彼は毬奈の言う「心に寄り添ってほしい」という願望を、文字通りに受け止めた。さらに自己都合な解釈で捻じ曲げて考え、現実で自分に依存してほしいと言ったと妄想した。
「毬奈さん、もしよかったらもっと深くお話ししたいな。直接会って話せたら、もっと力になれるかもしれない……」
堂庵の言葉は、デジタルな画面越しから、次第に現実の影を帯び始める。調子づく彼はまだ気づいていない。この「現実への侵食」こそが、彼自身が作り上げた完璧な偽善の仮面を剥がす、決定的な矛盾点となることを。




