第1話 笑顔の紳士
タイトル────『創作の檻の中の、懲りない男』────
────これはネット社会における闇、とある創作世界で起きた物語である。糸崎 緋音は当時、サイトの活性化を図る為に積極的に動いて、孤軍奮闘していた頃だった。
色んな作品を読みたい、見たいという本能と、同じ趣味を持つ仲間達と楽しくやりたい‥‥。創作意欲や人材発掘に積極的なのは、もちろん自分の作品を楽しんでもらいたい欲求も多少はあった。
「⋯⋯⋯⋯ふぅ、これで良しっと」
緋音は書き溜めた小説の手直しを終えて投稿を済ませると、深呼吸をして大きく息を吐く。
神経をすり減らし、プライベートまで影響を与えるような戦い。思うままを口にしたいタイプの緋音は、辛抱強く待つ戦いはもう懲り懲りだった。
堂庵浩二という男は、しつこくて厚かましくて、しぶとい。最終的には、規約違反を犯して勝手に自滅しただけなのに、それすら都合良く利用して、また仲間達の隙間に入り込もうと企んでいた。
緋音は協力者の助力も得て、ネットの怪人の正体を暴き、二度と過ちも悲劇も起こさせないと奮起する。だからこうして独白に近い心情と状況をタイムラインへと残し、戦う時の武器にする。堂庵浩二の嘘に塗れた甘い囁きや、人の弱みにつけ込みもっともらしい事を述べる、巧みな話術に毒されないために。
そもそも緋音と彼は作風も違うし、交流を密にするような関係ではなかった。たまたま暇つぶしに堂庵浩二の作品を見て、感じるものがあっただけだった。
大抵の人がミスター・ホロウって何者? ってなるような時期に彼女が拾ってしまったわけだが──最初は大人しく人の皮に包まれた、名もない虚像に過ぎなかった。
緋音が化物の不気味さに気がついた時にはサイトの仲間達の全身にまで毒が回り、関係者同士の絆を狂わせていた。ネットの生んだ悪魔、ミスター・ホロウ一人のせいで、緋音だけではなく、仲間達も巻き込まれサイトでの活動の危機に陥る所だったのだ。
糸崎緋音が何の話をしているのか、いまも大半の読者にはわからないだろう。この物語は創作サイト「創作の庭」の裏舞台。創作者同士の間に起きていた事件だから、わからなくて当然だ。
だから緋音は、彼女が出会ったネット上の怪人との戦いの記録を綴る決意をしたようなものだ。これから誕生するであろう、創作者の雛がネットの怪物に食い荒らされないように。
ミスター・ホロウはフィクションの壁を乗り越えてやって来る虚無の風のようなもの。だから注意してもらいたいと緋音の思いも書き添える。ミスター・ホロウは、あなたの‥‥現実世界にも実在し飛び込んでくるかもしれないのだから。
◇
糸崎緋音は「創作の庭」という交流アプリサイト内に加入していた、ごく普通の会社員である。創作の庭で日々の出来事を日記風の簡単に言葉にしたり、時には自身の思い描く恋愛観をもとに作家の真似事をして楽しんでいた。
いつでも似たような環境や境遇の人、趣味や思考の近しい人はいる。創作の庭は深い交流はメインではないが、創作者の内面を知るには良い場所である。
作品の傾向や文章の内容から伺い知れる世代の香りは、緋音の大好物の味がするもの。読めば読むほど、親近感を感じる作品には熱い感想を送り、時に自分の手柄のように気の合う仲間達に紹介したものだ。
そうやって創作熱を高め合い、それぞれが自分自身の裁量で腕を磨き、羽ばたいてゆくのを見送るのも彼女の役目だと思う。学校の先生って、こんな気分なのかもしれない。
執筆を終えて投じた物語は、このアプリサイト内で起きたミスター・ホロウとの、ある意味情報戦を綴ったものだ。芸術家、創作者のたまごが集まる当該サイトで、緋音は個性ある才能のある者や、面白そうな新人さんを見つけては声をかけ、サイトの活性化を行っていた。彼‥‥堂庵浩二を見出したのも、そうした活動の一環の最中だった。
「騙される人いるんだろうなぁ‥‥」
発掘者としての責任を問われると正直辛いなと緋音は考える。この世界は厳しく、発掘を止めてしまえば埋もれた宝は沈んでゆくのみ。鉱山発掘と同じで、光る原石が見つかる事もあれぼ、毒ガスを引き当てたり、崩落の危機もあったりする。
創作者ネーム「ミスター・ホロウ」こと堂庵浩二も、そんな中の一人だった。彼の作品は、日常生活の中の小さな事へのこだわりを感じた。コメディ風の陰に見える彼の言葉は、優しさや人情味に溢れて見えたのだ。それらは騙す意図はなく、人付き合いの中で自然に派生する言葉だろうと思えたのだ。
こうした場では大半の人が仮面を被る。だから公表された作品が、その人の全てを表すとは断言出来ない。緋音もそれは理解している。顔色も見える実際と違い、ネット上の付き合いの難しい理由でもあるだろう。
虚飾しようとすればいくらでも出来てしまうのがネット社会。ファーストインスピレーション──最初に見た情報や触れた印象に引っ張られがちで、中には最初に出来上がった固定観念で物事を想像してしまう。
そういう意味では緋音も騙された。ホロウの巧妙な罠に引っ掛かったと言えるだろう。浩二は人当たりの良さや、家族愛、人情味を武器に人の心の隙間に入り込むのが得意だったから無理もない。
ファーストタッチ‥‥最初に選ぶポイントとしては、人当たりの良さを感じるかどうかは、コミュニティの中でも結構重要なポイントである。緋音なりに慎重に選んでいたつもりなのに、歯車は突然外れ人の織りなす輪が乱れた。
表面的にはそう見えない‥‥それは現実世界でも電子世界でも変わらないから厄介だった。仲間の一人が浩二の毒にあてられてひっそりと消えた事で、緋音は初めて彼の野心と本質と目的に気がついた。
ネット世界と現実に人の皮を被った化物がいる。わかりやすく例えるなら堂庵浩二‥‥はライアー・マンだった。
◇
────画面の向こうには大抵の人が「良き人」と判別する人がいた。親友の緋音の紹介する作品はハズレが少ない。佐藤毬奈は創作の庭の更新通知が来るたびに、心が救われるような思いで指を動かすようになっていた。
創作者ネーム「Mr.Hollow 堂庵浩二」 ──彼が紡ぐ言葉は、いつも優しさや愛情に満ちていて毬奈は温かみを覚える。
長く続く不景気と急激に上がった物価。厳しい社会情勢の中、仕事場で心ない言葉を浴び深く傷ついていた毬奈にとって、ネットの世界は唯一の避難所だった。
だからだろう。毬奈の最近のお気に入りは、彼が投稿した児童向け絵本だ。『まけないウサギのピョンタ』は、同じ子供を持つ主婦としても、心の支えになっていた。
「頑張れば報われる」⋯⋯というシンプルで強いメッセージが、彼女の胸にストンッと落ちたのだ。彼女自身の経験が重なり余計に作品が輝いて見えたのだろう。
「浩二さん自身も、きっと奥さんと共に苦労を乗り越えてきた人なんだわ」
毬奈はそう信じていた。彼は作品や感想やプロフィール欄で「妻と子供を何よりも大切にしている」と公言している。
時折掲載する旅行の話や写真では、困った風を装いながらも、家族サービスを大事にしている姿勢を見せていた。良く出来た人だと、自分の旦那との違いを比べたりもする。
他にもある。過去の悲劇的な事件に寄せた真摯な追悼文『忘却の街角で』には嘘偽りのない「誠実さ」が宿っているように思えた。毬奈は作品を追いかけるように読んでは感想を残していた。
毬奈に限らず多くの仲間達が楽しみ満たされてゆく中で、親友の緋音の見解だけが、以前と変わって来ていた。
「あの人‥‥最近胡散臭くない?」
「何処が? 家族思いで、すごく素敵な人よ?」
「いや、あまりにも出来すぎてるっていうか……苦労したけど、頑張る良い人でまとまりすぎてるのよ」
「何それ、ただの妬み?」
「違うよ。ただ光梨が急に辞めちゃったでしょ。あの子が一番親密に話していたのが彼でさ」
「そんなの言いがかりみたいなものでしょう。浩二さんだって、自分のせいかもって責任感じていたじゃない」
「そうだけど⋯⋯それは単に自分の名誉を守る自己保身じゃないかって思えてさ。うまく言えないけど」
緋音の疑念と指摘は、毬奈の耳には届かなかった。それは自分が信じたいものを否定されたくなかったからかもしれない。
「緋音はいつも疑り深いんだから。浩二さんはただ優しいだけよ」
毬奈は笑って受け流した。緋音は納得していない様子だが、彼をみんなに紹介してしまった手前、彼女自身も責任を感じて、あまり強く言えないようだった。
彼女は彼女で、仲間の突然の引退に傷ついているのは毬奈にも伝わった。その事で彼に八つ当たりするような緋音でもなく、その時の話はそれで終わった。
⋯⋯同じ頃、コミュニティの片隅では冷静な第三者である皆本ララが、この奇妙な人気者のミスター・ホロウの動向を静かに観察し始めていた。
「堂庵浩二ねぇ。活動パターンに不自然な点が見られるのは確かだニャ。単なる偶然ではないはずだよ‥‥」
ララは感情を一切乗せず、データだけを見つめていた。ミスター・ホロウがネット上に築き上げた完璧な「善人」の仮面は、静かにひび割れ始めていた。
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ジャンル:児童向け作品
タイトル: 『まけないウサギのピョンタ』
✑ 毬奈の感想
創作の庭で見つけた今一番のお気に入り。児童向けなんですけど、すごく心に響くんです。主人公のウサギのピョンタは、生まれつき足が遅くて、森の仲間たちにいじめられてしまうんです。でも、決して諦めない。毎日こっそり練習して、最後には皆を見返して一番になる、というお話。
「頑張れば報われる」‥‥ってシンプルなメッセージだけど、浩二さんが書くピョンタの絵がすごく寂しげで、健気で……。
私はこの話を読むと自分のことも頑張れる気がして、心が温かくなりました。浩二さん自身も、きっと苦労を乗り越えてきた人なんだなって、この作品で確信したんです。




