97話
伊東の意識が戻ってからと言うもの、静雅の機嫌が良かった。
「今日も寄っていくんですか?」
「当たり前だろ?亮太だって嬉しいだろ?」
「俺は別に…静雅くんさえいてくれたらいいので」
「なッ……なんて事言うんだよ!」
「別に間違った事は言ってないですよ?ほら、稽古までには
戻りますよ?」
「分かってるって…」
学校、病院、家での稽古と毎日の勉強もしっかりやるとなる
と、どうしても時間がたらない。
もっとゆっくり休ませてやりたいが、そうもいかない。
「明日は稽古休みにしましょう」
「なんでだよ?土曜じゃん」
「俺にも用事があるんです」
「だったら別の人に頼むからいいよ…」
「ダメです。明日はしっかり休んでください。しっかり休む
のも大事な稽古です」
少し無理矢理感があったが、亮太にも大事な用事があったの
だった。
「絶対に一人では外出しないで下さいね。いくなら和泉先生
に頼んでください」
「分かったって…」
「絶対に勝手な行動はしないでくださいね」
「もう、しつこい!」
冬になってしばらくすれば卒業だ。
もう、これ以上は時間を費やすつもりはない。一気にカタを
つけるにはいい機会かもしれなかった。
最近ではすっかり元気になった伊東くんと話すのが楽しいら
しく、明るい表情を見せるようになっていた。
そろそろ退院が決まると言う事で、アパートを引き払い荒川
と同じ家に住む事を提案していた。
おじいちゃんである久茂からも許可はとってある。
「どうかな?」
「嬉しいけど……ごめん、僕は自分の将来警察官を目指したい
んだ、だからこれ以上お世話にはなれないんだ…」
「そっか…分かった。これ、おじいちゃんから」
それは慰謝料と言う名は建前で来年分の学費だった。
親がいない分大変だろうと出してくれているのだ。
母親はなかなか帰ってこない。
入院した時でさえ来なかったのだ。
もう別の男のところに入り浸りなのだろう。
「コレだけは受け取って…夢を叶える足掛かりにいるでしょ。僕
は伊東くんが羨ましいよ。自分の夢があって、真っ直ぐ進めて
るから…」
「荒川くんもないの?将来なりたいものとか…」
「将来はないよ…多分…」
「…えっ」
「あっ、ごめん。もう時間だね。今日はこれで帰るね!また来る
よ」
「あ…うん」
次の日は土曜日で学校も休みだった。
公明会の会合の後で岩井久喜が警察によって拘留された日になっ
たのだった。
これには荒川組員も驚いた事だった。
同じ会合に出た後、即座に警察に取り押さえられ、連れて行かれ
たからだった。
会合場所は内部に人間しか知らない。
それなのに、なぜ警察がここに?
誰もが自分たちを疑う事になったのだった。
ニュースを騒がせたのは数日だけだった。
1ヶ月留め置くと言う話だった。
1ヶ月後にはそろそろ静雅の卒業式が待っていた。
「静雅、卒業したらここを継ぎなさい」
「おじいちゃん……でも、まだ元気だし……僕じゃ無理だよ」
「そんな事はない。最近若いもんと稽古をしているそうじゃない
か?」
「うん…でも、全然勝てないし、弱いままだし…」
「構わん。周りが強ければそれでええ。主が戦うような事は決して
あっちゃんいかんからな…それに雅の倅もついとるじゃろ?」
「亮太の事?」
「そうじゃ、あいつなら頼りになるからのう」
「あのっ‥おじいちゃん……僕は…」
慌ただしい足音が聞こえてくると数人の組員が駆け込んできた。
言いたい事も言えぬままその場の人間の顔色が変わった。
「岩井組が何者かに襲撃されました!」
「それはいつのことじゃ!」
「それが…昨日の明け方かと……今警察が入っていて犯人の追及に
時間がかかると…」
「それで、うちは疑われているのか?」
久茂の言葉に部下の顔が暗くなる。
ただ黙って頷くのを見ると久茂はすぐに着物に着替えた。
「おじいちゃん!どこいくの?」
「警察じゃ。もうすぐくるじゃろ」
「どうして……」
聞くより先にインターホンが鳴った。
誰よりも先に久茂が向かうとそのまま出ていってしまった。
「静雅坊ちゃん、落ち着いて下さい。これは上の者だと誰もはやる
事ですよ」
「どう言う事ですか?」
「今は犯人がわからない以上、どこの者の仕業かわからないのです。
なので代わりに組長が自ら出向き自分のところではないと主張す
る為に出向いていくんです。」
「…」
「大丈夫ですよ。何もないのですぐに帰ってくるはずです」
唯一の肉親だからこそ、心配でもある。
その後連日のように記者が入り口に待っているのようになった。
岩井組の残党が数人刃物を持って荒川組関連お店に突撃したと聞い
ている。
幸い死者はおらず軽傷で済んだと言っていた。
その日から亮太の姿を見なくなった。
「静雅坊ちゃん?」
「あ、和泉先生……」
「大丈夫ですか?気分が悪いなら休みますか?」
「いえ、大丈夫です」
一人でも大丈夫。
亮太がどこへいったかはわからないが、それでも普通の日常くらい
は一人でも平気だ。
あの御節介の事だからきっとすぐに戻ってくるだろうと思っていた
のだった。




