43話
その日の昼頃には家に着いたのだった。
学校での事がどうなっているかは、わからない。
ただ、今言える事といえば、眠いという事だった。
まずは亮太が帰ってくるまでの間に体力を回復させて、おじいちゃんと
話をする事だった。
部屋に戻ると夕方までぐっすりと眠った。
そのあとさっぱりしたくて風呂場まできた。
脱衣所で服を脱ぐと、全身につけられた噛み跡や鬱血が目立つ。
「うっ……」
思い出すと吐きそうになった。
死ぬ事より、屈辱的な事だった。
無理矢理弄ばれた事に、いまだに心がついていっていない。
何度も、何度も擦ってみるが、消える事はなかった。
逆に擦り過ぎて肌が真っ赤になってしまった。
ヒリヒリして痛い。
改めて鏡を見ると誰がどう見ても酷い顔をしていると思う。
これでは完全に犯されたと公言しているみたいで部屋に閉じこ
もってしまいたくなる。
しかし、それは話をしてからの事だった。
「おじいちゃん……今いい?」
「あぁ、入っておいで…」
中に入るとじっと見つめられ眉を顰めた。
ゆっくりと横に座ると、ぎゅっと抱きしめられた。
「無事でよかった………本当によかった…」
心から心配してくれたのだとわかる。
「あのね…話が、あるだけど……」
「静雅、知っておるか?ここに飾ってある文字の意味を…先代
から受け継がれてきたものんじゃが…」
そう言われてみれば、初めてこの家に来た時、この部屋に通さ
れたことを思い出す。
上の枠に嵌められた文字はいつも気にはなっていた。
『和新合一』『一燈照隅』『実践躬行』
この三種類の言葉だった。
「和新合一、これはなみんなで一つに力を合わせていこうという
意味なんじゃが、誰を疑う事もなく、誰かを嵌める事もなく、
尊重し合う関係でいたいと思って書かれておるんじゃ。」
一呼吸おきと、この度は次の文字を指した。
「一燈照隅、これは一人一人が隅を照らせば大きな光になる。要は
大きな力は一人一人の努力で成り立っているという意味じゃよ」
静雅を撫でながら微笑むと、最後の文字を示した。
「実践躬行、これはなぁ〜口先だけでなく実際の行いで示せという
意味なんじゃが、これが一番しっくりくるじゃろう?行動一つで
指を詰める。それは身勝手な行動をとった責任というやつじゃよ」
ハッとして静雅が見上げると久茂は真剣な顔をしていた。
ヤクザという職業だからこそなのだろう。
一度でも破ればそれはすなわち裏切りも同然。
決まりは決まりなのだ。
我儘で一人だけ特別に免除出来るものでもない。
そう言いたいのだろう。
「どうして…?」
「それが、この家族となった意味なんじゃ。仲間は家族じゃ、守るに
値する。じゃが規則を破ったら制裁を下す。それが家族を守り決ま
りとなったんじゃ。例外は認めん」
「それは…でも、僕の落ち度なのに?僕のせいで怪我までしたのに…」
「怪我は未熟だからじゃろ?いいか、静雅が一番大事で守らなければ
ならないんじゃ。自分の命は二の次じゃ。それが分からんあやつで
はないはずじゃ」
もう、本人もとっくに覚悟を決めていると言った。
「そ…そんな………」
その場に崩れると座り込んだ。
亮太が帰ってきたと知らせがあった。
だが、その場から立ち上がれなかった。
謝らないといけないのに…
全部自業自得なのだと。
そう伝えたとて、亮太の失態となるだろう。
それでも、伝えておきたかった。
部屋に入ってきた亮太を見上げると涙が溢れてきた。
帰って来て早々に久茂に部屋に呼ばれた。
言われる事はわかっている。
静雅を危険に晒した上に、あの痕をみればよけいに許せないのだろう。
指だけで済むだろうか?
迷いながら部屋に入ると泣き顔の静雅が目に入った。
「静雅くんっ!」
「こっちぃへ来い」
「は…はいっ」
久茂に言われた通りに行くとそこにはお盆とその上に乗った小刀が置い
てあった。
刃先は白いかえしに包まれていた。
ゴクリと息を呑むと久茂を見つめた。
「わかっとるな?」
「はい…覚悟はできています」
「そうか…なら、ここで見せてくれ」
「…はい」
いざ切り落とすと思うと心の準備が欲しかった。
静雅を泣かせたままにしたくない。
でも、これはケジメだった。
ケジメをしないと彼に触れられもしない。
いや、もう触れる権利すらないのかもしれない。
小刀を手に取ると左手の小指の付け根に当てた。
このまま一気に落とせばいいだけだ。
「待ってっ!ダメっ、こんなのおかしいだろ!僕のせいなのに…」
駆け出すと亮太の持っている小刀を掴んだ。
必死になって止めようとしていた。
それだけで、十分報われる思いがした。
「静雅坊ちゃん、俺は平気です。坊ちゃんが生きていて、俺の為
に泣いてくれるのならそれだけで嬉しいんですよ」
「嘘だっ…僕は嫌だ!おじいちゃん、やめさせてよっ……」
「それが決まりじゃ……」
「…だから………だから父さんが出ていったんじゃんか!そのせい
で僕の家族は…母さんも父さんも、弟までも殺されたんだ!全部
おじいちゃんのせいだ!そして僕も……」
「…!」
咄嗟に手の力が緩んだのをいい事に小刀を奪いとっていた。
亮太自身もまだ決心が固まっていないせいでしっかり握っていなか
ったのもある。
いきなり手からすり抜けて目の前で血が吹き出すのを見るまで動け
なかった。
静雅は思いっきり自分の腹に刺したのだった。
手加減してしまいそうな事だったが、全く躊躇しなかった。
亮太の元へと倒れ込んでいくのを優しく抱き留めらると、どうして?
という顔で見下ろされた。
「やっぱり…痛いよ………ごめんな………怪我させちゃって…」
「静雅………嘘だろ…なんでこんな……………」
「これで………ケジメ…とった…よね………」
掠れる声に弱々しくなっていく呼吸。
「静雅…どうしてなんじゃ………」
唯一の孫を失いたくなくて組員を派遣してまで守ったというのに。
今、目の前で無くすなど、考えられなかった。
「おい、すぐに救急車を呼べっ!」
久茂の怒鳴り声に他の組員が慌ててかけてきた。
そして現状を見ると即座に119番を押していたのだった。




