大阪メトロ谷町線
私の家の最寄り駅はこの大阪メトロ谷町線であるが、もともとの大阪市営地下鉄谷町線が民営化されたものである
谷町線は大阪メトロ各線の中で最長営業距離の路線だ
この路線は南北に長い路線でありある特徴がある
それは奇妙な駅名が多いと言うこと
北側の始発駅である大日駅とその次の守口駅は大阪市ではなく隣接する守口市にある
さて、その次から太子橋今市駅、千林大宮駅、関目高殿駅、野江内代駅と奇妙な駅名が続く
特に野江内代に至っては難読駅名だろう
ここから都島駅、天神橋筋六丁目駅、中崎町駅、東梅田駅、南森町駅、天満橋駅、谷町四丁目駅、谷町六丁目駅、谷町九丁目駅と続くが別段変わった駅名とも思わない
余談だが地名の谷町は一丁目から九丁目まであり、その中でも谷町四丁目は谷四、谷町六丁目は谷六、谷町九丁目は谷九と短縮して言うが、その他の例えば谷町一丁目は谷一とは呼ばずに谷町一丁目と呼ぶ、谷四、谷六、谷九以外はすべてフルネームで地名を言うのが大阪人の暗黙のルールとなっている
話を戻して谷町九丁目駅の次は四天王寺前夕陽ヶ丘駅というこれまた奇妙な駅名になる
この駅名は大阪メトロの駅名で一番長い駅名である
もともとは四天王寺前(夕陽ヶ丘)という名前だったが途中で現行の名前になった
そして次が天王寺駅、阿倍野駅、文の里駅、田辺駅となる
この天王寺駅と阿倍野駅の間は駅間が大阪メトロ全線で2番目に短い距離に分類されている
そしてその次が駒川中野駅、平野駅、喜連瓜破駅、出戸駅、長原駅、終点の八尾南駅となる
八尾南駅は八尾市であり地上駅だ
ここでまた、駒川中野駅、喜連瓜破駅という奇妙な駅名が出てくる
喜連瓜破なんて難読であり誰かが曲の歌詞に入れて有名になった経緯がある
また、出戸駅であるが、地元では「でど」と「ど」が濁るのだが、大阪市営地下鉄当時にこの駅が開業するにあたり「でど」では英語の「DEAD」と韻を踏むことになり国際都市大阪としては「死の駅」を作るわけにはいかないとの判断から「でと」になった
しかし、地元民は長年の慣習から「でど」と呼ぶ
さて、ここに来て数ある奇妙な名前の駅が出てきた
おさらいすると
太子橋今市駅、千林大宮駅、関目高殿駅、野江内代駅、駒川中野駅、喜連瓜破駅
何故こんな奇妙な名前になったか?である
太子橋今市は太子橋と今市、千林大宮は千林と大宮、関目高殿は関目と高殿、野江内代は野江と内代、駒川中野は駒川と中野、喜連瓜破は喜連と瓜破という地名の行政区分にまたがって出来た駅だからである
例えば喜連瓜破駅は当初喜連駅となる計画だった
喜連は道路の通称である長居公園通りの北側、瓜破は長居公園通りの南側のエリアの地名であること、さらに長居公園通りが摂津国(喜連側)と河内国(瓜破側)の国境であったことも影響して、長居公園通りの真下にある駅に対して瓜破側が反発した経緯があった
四天王寺前夕陽ケ丘駅は四天王寺と言う住所も夕陽丘町という住所も存在するが、それよりも四天王寺自体が有名な寺院でありその付近のエリアであること、夕陽ケ丘も上町台地の西部のエリアの汎称であることより少し意味合いが違うかもしれない
私の住むエリアはこの谷町線が通るまで大阪市の陸の孤島と呼ばれていた地域だった
市バスしかなかったエリア
そして最寄り駅ができるまでは辺りは田畑が広がっていた
道路の渋滞なんてありえない地域だった
そんな地域は地下鉄が通り大手スーパーが駅直結で営業しだすと、辺りにたくさんの商業施設や戸建てやマンションが立ち並び、今や田畑はほぼ無くなってしまった
さらに車の渋滞まで起こるようになるとは想像もできないことだった
ただ、今はもうそれが当たり前になっている
便利と引き換えに夏の夜の蛙の合唱が消えていくのも寂しいと最近感じる