ハッピーサラダとがんばりボール
「現代のストレス社会に生きる人々の苦しみを少しでも減らすために、我々研究チームが開発した商品が、こちらの『人草』です。猫が舐め取った毛玉を体内から排出する手助けとなる『猫草』から着想を得ました。この人草を摂食すると、繊維に含まれる特殊な化合物の働きで、ストレスにより過剰に分泌されたホルモンが凝縮され『ストレス玉』となり数分後、口から吐き出されます。これにより誰でも簡単に精神衛生を向上させることができるのです」
会議室でプレゼンを行う某製薬会社の研究員。スクリーンには実物の人草や禍々しい見た目をしたストレス玉のサンプル、実験前後のストレス値変化のグラフが次々に映し出されています。
「たしかに画期的な商品ではあるのは認めよう……しかし、口から吐き出すというのは、あまりにも下品だろう。あとは、そのボールの見た目も綺麗に、親しみやすくするべきだ。何よりストレス玉というマイナスイメージを与える名称が良くないな」
「しかし……」
「佐藤君といったかな? ビジネスというのはね、いかに未来を見通すことができるかが鍵なんだよ。この商品に対して社会がどのような反応を示し、どうすれば受け入れられ、普及し、暮らしに浸透していくか、その過程の想像を怠ってはならんのだ」
役員からの容赦ないダメ出しを受けて、再開発を行うことになった「人草」は、数年の歳月を経て「ハッピーサラダ」という商品名で発売され、空前のブームを巻き起こしました。
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一人の社員が椅子に腰かけたまま、頭を傾けトントンと手に耳を軽く打ち付けています。すると、ころんと小さな金色の丸い塊が転がり出てきました。彼はそれを見て溜息をつきながら目の前の瓶に放り込みます。
「鈴木君、相変わらず君の『がんばりボール』は小さいなあ。周りの同僚のデスクの上を見なさい。皆の瓶の中は大粒の光り輝く汗の結晶で一杯になっているじゃないか。同じ仕事をしている身として恥ずかしいと思わんかね」
「はい……すみません……」
「我々が若い頃はねえ、こんなハッピーサラダなんて素晴らしい贅沢品は無かったんだよ。誰もがストレスで胃に穴を開け、髪も抜け落ち、血尿に怯え……まさに満身創痍で必死に戦っていたんだ。君達は、これ以上ない程、環境に恵まれているんだよ」
「はい……」
彼は、どんなに難しい課題や障害が立ち塞がっても、それを突破する過程に楽しみを見出す前向きな性格こそ自分の長所だと思っていましたが、今の社会ではただのがんばっていない人間として評価されてしまうことに頭を悩ませていました。
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ハッピーサラダのストレス軽減という効能が現代に生きる人々に大歓迎されたことは言うまでもありませんが、体から排出され金色に輝く『がんばりボール』は、非常に分かりやすい努力の結晶を具現化したものとして扱われるようになりました。
成績だけでなく、目標に対するひたむきな姿勢を評価するために、教育機関では成績優秀者に加えて、がんばりボールの最多保持者を表彰することが増えましたし、大学や会社の面接では志願者の熱意を測るために、その場でがんばりボールを提出する項目が付け加えられました。
一方で小さい頃からハッピーサラダのある環境で育った若者達は「サラダ世代」と呼ばれ、サラダのない環境では非常に打たれ弱いことが問題視されるようになりました。さらに他国民は老若男女問わず常にサラダを口にしている日本人のことを「草食人種」と揶揄し、ストレスそのものの解決から目を逸らしていることを痛烈に批判しました。
とはいえ、ハッピーサラダ発売からたった3年で国内の自殺者が5%まで減少したのは驚異的な成果ですし、既にいくつかの国は民衆の反発を押し切り、密かに輸入を検討しているという噂も流れています。少なくとも日本国民が魔法の野菜を手放す日は当分訪れない事でしょう。かくいう私もサラダを貪り、金色のボールを瓶に溜めつつ、このレポートを書いています。
多毛田薬品工業 研究開発部 佐藤 薬恵子