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悪ガキ退助の若き時代

<i579691❘37290>

コミック感覚の歴史物語。

退助は天保年間生まれのガキ大将。

ケンカは強いが女にモテる方法は知らない。



300石の家柄に生まれたが、身分の上下にこだわらない家風に育つ。

幼少期から青年期を土佐で過ごし、豪放闊達な性格を如何なく発揮していた。

同時代に坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎など、幕末の志士たちに囲まれ

大きく羽ばたくのだった。

しかし唯一の弱点が女性関係。

いつも手厳しく扱われる退助だった。

<i579691❘37290>


板垣退助=乾退助は幼名猪之助、

いみな正躬まさみであるが、

この物語では通称の『退助』の名で統一。

姓は後に乾から板垣に改姓する。





     第一話 クソガキ退助





 退助は口をすぼめて菊の顔に近づく。

ふいに菊は目覚め、閉じていた瞼を開いた。


退助は一瞬固まり、目はたじろぎの泳ぎを見せる。

無言で見つめる菊の僅か10cmの間の状況で、

退助は言い訳を必死で考えていた。


 「何?何でしょう?」

菊の問いに納得のいく言い訳が見つからない。

 まさか9歳の自分が2歳年上の菊に

寝ている隙に「口吸い」をしようとしたなんて

口が裂けても言えない。

ませたクソガキのくせに。


 菊は起き上がり、再び退助を見据えた。


退助の脳みそは、

フル回転で言い訳を探した。

「俺は、俺は何もしていない!」

「何もしていないじゃなくて、

何をしようとしていたの?」

「俺は何もしていないんだ!!」

「だから、私に何をしようとしていたの?」

「・・・・・。」

「ん?・・・・ん?」

そう迫られて退助は観念した。

「口吸い。」

「口吸い?何それ?」

「だから、口吸いだよ!口吸い!!

悪いか!!」

やけくそ気味に白状した。

「いやらしい・・・。」

菊は恥じらうように伏し目がちになり、

「どうして私に?

私は年上なのよ。」

退助は返答に困ったが、

菊が自分に対し、

即座に拒絶反応を示さない事に

心の底で安堵した。

退助にとって菊は、

雇人の娘であり、姉のようであり、

一番の幼馴染であり、

淡い憧れの異性であった。



退助は土佐藩の上士であり、

馬廻り格300石取り

乾正成の嫡男として生まれた。

高知城下中島町に

天保8年(1837年)5月21日に生を受ける。


天保8年とは

天保の大飢饉により、

世の中全体が極めて疲弊した年である。

有名な大塩平八郎の乱(大阪)、生田万の乱(越後柏崎)

などの飢餓に対する民衆の不満が多発した。

またアメリカのモリソン号が漂流民を伴い浦賀に現れ、

異国船無二念打払令により

打ち払われたのもこの年の出来事である。


現在でも『てんぽな』と云えば、

地方により大変なとか、

とんでもないとか、途方もないとか

という形容詞として使われるそうな。

それほど『てんぽな』(大変な)年だったのだ。


動揺した幕政のほころびが見え始め、

後の討幕の機運が生まれたのもこの頃である。

そんな年に生まれた退助は

まさに討幕の使命を背負う運命の子であった。


しかし少年に成長した当の退助は、

腕白で学問嫌いで、

正義感が強く、卑怯な振る舞いを嫌う母に

頭が上がらない子である。


だから菊に

「退助様のお母上に言いつける」

と言われたら、

この世の終わりに等しい大事おおごとだったのだ。


菊はと言うと、

家は元武士の出であったが

お家改易のため、浪々の身の折り

父の代に退助の祖父の窮地を救った功績により

召し抱えられた。


その時すでに武士の身分を捨てている。

生活のため他国行脚の末、土佐に流れ着き

カツオ漁や農家の刈り入れの日雇い人足として

生計を立てていたのだった。


故に土佐の下士にも該当せず、

町人の身分として中間ちゅうげんやっこ

として雇われ、妻は奥向きの台所を任されている。

当時の雇人としては破格の待遇で迎えられ、

家族は単なる雇人以上の振る舞いが許される

特別な存在とされた。


菊の家の出目を知る主人の乾正成は

菊の父太右衛門が娘に施す教育を黙認。

様々な支援をし続けた。


元々300石の高禄でありながら、

身分の上下の隔たりに甘く、

分け隔てない行いを旨とした人であった。



そうした環境から、退助は

自宅屋敷内を第二の住処のようにふるまう

菊という娘が自分にとって

最も身近な他人の異性であるのは

仕方ない。



現実に戻る。



菊はじっと退助を見つめ続け、

どうしたものか思案した。


退助はいたたまれない。

この場を逃げ去りたい思いで一杯だった。

「退助様は、私に口吸いして、

その後どうするつもりだったの?」

「知らないや、そんなの。」

あっちの方角に視線を落とし、

菊の問いにボソッと応えた。

「退助様は菊の事が好きなの?」

完全に菊の優位な状況が成立している。

顔を真っ赤にした退助は、

「知るか!知るか!!知るか!!!」

そう言って握る手が震え出した。

あまり退助様を虐めてはかわいそう。

年下だし、反応がかわいらしいと思う。

この辺にしておこうか。

「いいわ。このことは誰にも内緒にしてあげる。

退助様も誰にも言ってはダメよ。」

「分かった。」

ホッとした退助は恐ろしい程素直に受合う。


その日を境に退助と菊の立場が定まった。





   第2話 お菊おねえ



 退助は5人兄弟の長男であり、

嫡男として大切に育てられた。

 

 しかし退助にはかなわぬ希望があった。

それは姉が欲しいと云う事。

理想の姉。

優しくて、きれいで、自分を可愛がってくれる人。

 母に5人目の妊娠が分かった時、退助は

「今度生まれてくる赤ちゃんは女子おなごがいい。」

 「母上、是非女の子を生んでくだされ。」

とせがむのだった。

 母はどうして退助が

女の赤ちゃんを望むのか分からない。

 でも、きっと「女子の赤ちゃんは可愛いから」

と云うのが理由だろうと単純に思った。

 何故なら退助にはすでに

弟も妹もいるから。

 きっと次の子も可愛い女の子だと良いな~

とでも考えているのだろう。


 だが退助は全く別なことを思っていた。

ただし自分の望みの事なのに、

ちゃんとものの道理を理解していない。


 彼が欲しいのは、妹ではなく、

あくまでも『綺麗で優しい姉』なのだ。


 妹たちはビービー泣くし、

泣くと不細工だし、我儘だし、

何より自分が甘えられない。

 そんな妹など、もう真っ平御免である。



 しかし退助はどこまでも抜けていた。

自分より後に生まれてくる姉など存在する訳がない。

 そんな簡単な理屈に気がついたのは、

 末の妹が生まれた後の事だった。


 「ア~!ア~!!馬鹿だ、馬鹿だ、

何て馬鹿なボク!!!」


 誰も居ない部屋で地団駄を踏む退助を見かけ

お菊はいぶかしい物でも見るように

退助の様子を伺った。


 そしてお菊は好奇心に負け

退助に地団駄を踏みながら、

ウ~と唸り、体をくねくねする訳を尋ねた。


 菊の存在に気づき、退助は固まる。

自分が恥ずかしい真似をしたときに限って

必ずお菊に見られる。

 (畜生、畜生、畜生!!)

退助の気持ちが顔と態度に現れ、

お菊はその様を見て「プッ!」と吹き出す。

 その反応に、退助は益々顔を赤くする。


 お菊は容赦ない。

 「ねえ、何が不満なの?

どうして地団駄を踏んで悔しがっているの?」

 「教えない!!」

 「ねぇ、ねぇ、どうして?」

 「教えない!!」

 「ねぇ、ねぇ、ねぇ・・・」

 潤んだ目で退助を見つめ、

甘えた声で答えをせがんだ。

 「絶対~ぃに、教えない!!」

 少々憎たらしい顔でお菊を睨みながら拒絶する。

 怯むことなく見つめるお菊。


 1分も経っただろうか・・・。

お菊にジッと見つめられ続け、

ついに根負けした退助が

蚊の鳴くような声で呟く。

 「お姉ちゃんが欲しかった。」

 「え?」

 「お姉ちゃんが欲しかったんだよ!!」

やけくそになって答えた。

 「妹なんかじゃなく、お姉ちゃんが欲しかった!!」


 お菊はようやく理解した。

そしてケタケタと大笑いした。

 腹を抱えて笑うのを見て

 「笑うな!」

 どうしたら良いか分からぬ風で、力なく言った。

 「あら、ごめんなさい、私の大切な退助坊ちゃま。

 坊ちゃまを傷つけるつもりはなかったのよ。」

 「坊ちゃまと言うな!!」

 「ごめんなさい、退助坊ちゃま」

 「止めろ、止めろ、止めろ!!」

恥ずかしさのあまり

ふいにお菊に抱き着き、顔を胸に埋める退助。

 お菊は驚いたが、その時総てを理解した。

 退助坊ちゃまは、私の事を姉だと思いたいのだ。

 私に姉の代わりになって欲しいと云いたいのだろう。


 急に退助の事を愛おしく思い、

しがみつく退助の背中を優しく

ポンポンと叩くお菊であった。





 その翌日からお菊は退助を気に留め、

実の弟のように、

何かと甲斐甲斐しく世話を焼くようになった。


 退助は吹っ切れたのか

生まれたての赤ちゃんを大そう可愛がるようになる。


 母はその辺の事情がよくつかめなかったが、

どうやらお菊が退助に

良い影響を与えているのだろうと察した。


 母の心配は、退助が勉強嫌いだと云う事。


 「腕白でも良い、逞しく育って欲しい」

なんて昔のCMのようなフレーズは

乾家300石の家柄には通用しない。


 太平の世が永く続き、

武勇だけでは家の存続は不可能なのだ。


 いくら退助に手習いを勧めても

気持ちが入らない。

困り果てた母は、

父に相談の上、お菊と一緒の手習いを提案した。


 父は身分の隔たりを超えた

男女一緒の手習いに理解を示し、

お菊の父太右衛門も仰天しながらも

この破天荒な提案を喜んでくれた。


 かくして主家の嫡男と

元武士とは言え、町人の身分の雇人でありながら

その家の娘が机を同じくする状況が誕生した。


 明らかに退助はお菊を慕っている。

あれだけ勉強嫌いだった退助が、

みるみる読み書きそろばんに興味を持ち始めた。






   第3話 悪ガキ象二郎




 退助は幼少期から少年期にかけて

寺子屋に通っていたが、

勉強嫌いな性格故、手習いに身が入らない。


 それを補ったのがお菊との予習・復習であった。

お菊を姉のように慕い、

心密かな恋慕の対象であったため、

机を並べるだけで至福の時間を感じる仲となっていた。



 退助の母は、名を林氏賢貞(幸子)という。

教育にはとても厳しい人で、

しつけを重んじる母であった。


 しかし、退助の腕白ぶりには手を焼いてきた。

どれだけ厳しくしつけても、

粗野・粗暴な性格は治らない。

 しかし、お菊の前だけでは

照れ隠しの仕草ながら、必ず云う事を聞く。

 そんな退助とお菊の間柄を、終始注視し続けていた。

 だからというべきか、「男女席を同じゅうせず」

の常識を無視しても

親しい人間関係維持を黙認している。


 しかしそうは云っても母は

今風に言うところの

『鬼滅の母』である。

鬼より怖い一面を紹介しよう。



 あれから2年を経過した頃のある日の事。


 年少者が通う剣術指南所である

高野寺から帰ってきた退助は、

ヨレヨレ・ヘロヘロの姿であった。

 お菊はその姿に大そう驚いた。

 と云うのも、

退助が喧嘩に明け暮れる生活をおくっていたのは

まったくいつもの事である。


 しかし、今日の姿と様子は

明らかにボロ負けをしている。

いつになく、珍しいことであったから。


 お菊は退助に

「そのお姿はどうされたのですか?」

と聞く前に母を呼びに行った。


 異変を聞いた母は

すぐさま退助の佇む玄関にやって来る。

 そして開口一番

「男子たるもの、曲りなりにも喧嘩をするならば、

必ず勝ってきなさい。」

 と云って決して家の中に入れない。


 乾家では、男は強くなければ許されない。


 ボロ負けでしょげ返ってきた退助に

その仕打ちは厳しい。


 なす術もなく下を向く退助に

お菊は深く同情した。


 「退助坊ちゃま、お顔の傷は痛みますか?

私が軟膏をお持ちしましょう。」

 「要らぬ。痛とうない。

それから僕を坊ちゃまと呼ぶな」

 「それでは、お水をお持ちいたしましょう。

 それで気を取り直してくだされ、

私の大切な退助坊ちゃま。」

 「水も要らぬ。どうしたらあいつらに勝てるか

これから考えねばならぬ。

 だからあっちへ行っておれ。

  それから僕の事、坊ちゃまと呼ぶな!」

「それでは仰せの通り、あっちへ行っております。

でもその前にひとつだけ。

 その相手のお方は、そんなにお強いのですか?」

 「・・・・・。」

 退助は相手が自分より強いなんて

口が裂けても云うつもりはない。

 「そんなにお強いお方なら、

何か手立てが必要ですね。

 そのお相手の弱点は一体何でしょう?」

 「弱点とは何だ?」

 「弱点とは弱みの事でございます。

退助坊ちゃま。」

 退助は暫し考えて

 「分かった!!あ奴の弱みは知っている!

そうか、その手を使わない手はない。

ウン、ウン、分かったぞ!

 ありがとう、お菊!

 それから僕の事、坊ちゃまというな。」

 そう言って、納屋倉の中から蓋つき篭を持ち出すと

疾風の如く門の外へ出て行った。



 リベンジのため家を出たのが

昼飯時の少し前。


 夕方になって勝ち誇る雄姿の退助が

再び自宅の門をくぐった。


 出迎えたお菊は

「退助坊ちゃま!勝ちましたか?」

聞くまでもなかった。

 それでも聞いたのは、

ただ「坊ちゃま」と声をかけたかったから。

 お菊にとって退助を「坊ちゃま」と呼ぶのは

退助をいじる愛情表現だった。

 だから幾度「坊ちゃまと呼ぶな」

とたしなめられても

 そう呼ばずにいられない。

 実は退助の方も

ああは言うが、内心悪い気はしなかった。

 だからお菊に「坊ちゃま」と呼ばれても

本気で怒ることも無かった。


 勝敗の結果は退助の言葉を待たず察したお菊は、

再び母を呼んだ。


 母は

「どのようにして勝ちましたか?」

とだけ聞いた。

 卑怯な行為だけは決して許さない母であった。


  「蛇を使ったのです。」

「蛇?!」

 「相手は3人いました。

 その中で戦ったのはひとりだけです。

 しかし、他のふたりに加勢に入られてはたまりません。

 加勢の抑えに蛇が必要だったのです。


 それと奴は以前、

道端の蛇を見つけると、

ヘッピリ腰になり、情けない声で

『うわぁ』と悲鳴を上げて

隣の仲間にしがみつこうとしたのを見たのです。

 だから僕は

(奴らは蛇が苦手だ)と云う事を思いだし、

仕返しの決闘に使おうと思ったのです。

 蛇が良く出る神社の境内の裏手の茂みで

一刻(いっとき=2時間)かけて5匹の蛇を捕まえ、

奴に決闘を申し込みました。


 案の定奴は、二人の仲間を従えて

決闘場所に姿を現しました。


 僕は奴らが配置に着いたのを見計らい、

捕まえた蛇を篭からバラマキ、

怯んだすきに真ん中の奴に体当たりしました。

 奴はまた『うわぁ』と

情けない声を上げ後ろに倒れ込みました。

 私はすぐ様馬乗りになり

「参ったか!降参するか!」

と云いました。

  ばら撒いた蛇の行方が気になる奴は、

辺りをキョロキョロしながら

「参った!」

と云いました。

 「もう僕の事を馬鹿にしないか?」

と云ったら、

  「もう二度としない!」

 「誓うか!」

 「誓う!!」

というので許してあげました。

 最後はボクが先に起き上がり、

奴に手を差し伸べ、立ち上がるよう促しました。


 「そうですか」

とだけ母は云い、その場を立ち去った。

 お菊に後ろ姿で「退助の夕飯の支度をするように」

と言い残しながら。


 後日知った事だが、

退助が倒した相手は

退助よりひとつ年上で、後の土佐藩士

福岡孝弟たかちかと云い、

長じてからは「五か条のご誓文」に

加筆したほどの人物である。

 

 もうひとりは後藤象二郎、(ひとつ年下)

もうひとりは中岡慎太郎(ふたつ年下)と云う

クソガキの遊び仲間であった。


 特に後藤象二郎は

退助の戦いぶりに衝撃を受けた。

 

 退助が輝いて見える。

象二郎は当然の如く

大変な興味を持つようになった。

 

 自分と同じ匂いを嗅ぎ、

一緒に遊んだら絶対面白い奴!!

そう直感で象二郎は動く。


『友達になりたい!』

そう思ったら一直線に思いをぶつけた。

「・・・・・・あんた、強いな。

 どうやってあんな戦い方を思いついた?

オレにも教えてくれないか?」

 人懐っこい顔に憧れを帯びた目で、退助に迫る。


 そうきたら当然、退助も悪い気はしない。

「おう!それじゃ一丁、教えたる!

明日から地獄の特訓じゃ!!

覚悟しちょれ!!」


 こうして退助は象二郎と親交を結ぶようになる。

 竹馬の友として互いに

「いのす(猪之助=退助の幼名)と

やす(保弥太=象二郎の幼名)と呼ぶ仲となる。

(だがこの物語では、分かり易く、退助と象二郎で呼び名を統一する)


 最強悪童コンビの誕生の瞬間であった。



 何故最強なのか?


 それは後の退助が喧嘩やいくさ

天才と呼ばれる実績を作った最初の決闘が、

福岡孝弟との戦いにあったから。


 相手の弱点を突く戦術は、この時確立された。


 即ち、「天を読み、風を嗅ぎ、地の音を聴く」

『相手に勝つ極意』を習得したキッカケであった。


 ふたりがタッグを組み

その後負け知らずの快進撃を続ける。


 だからその日が

退助・象二郎の邁進が始動する瞬間と云えた。






    第4話 さらばお菊





 孝弟たかちかとのリベンジに成功した退助は、

その後一度も彼とのいさかいを起こしてはいない。

 しかしその場に合わせた象二郎以外は

大人になるまで交流の記録がない。

 孝弟の家は上士であり、象二郎の家も上士。

それに対し、慎太郎の家柄は

庄屋であり、名ばかりの士分である。


    *註釈


(1)庄屋とは今で云う村長。

本来農民の代表であり、もちろん士農工商の『農』。

しかし、江戸中期以降、庄屋たちは各々の条件により

士分に格上げされ、名字・帯刀が許される者が増えた。


 (2)上士と下士(郷士)

土佐藩に於いて同じ武士でも

上士と下士(郷士)に歴然とした身分差があった。

 下士(郷士)とは、

秀吉の時代に改易された長曾我部氏の家臣。

家老から足軽まで等しく家禄を失い、

武士の身分のまま農民や商人・町人と同じく

生活の糧を自前で持たなければならない

名ばかりの下層武士だった。

 上士とは、長曾我部氏の遺領を山内一豊が拝し、

土佐全土を治める。

 その家臣たちが上士であり、

下士との間に常に軋轢があった。



 

   

 中岡慎太郎が庄屋の出であると云う事は、

当然『上士』の扱いは受けない。

 でも正確には下士でもない。

 ただその立場は下士に近く、

下士である坂本龍馬や

竹中半平太と気脈を通じていた。



 孝弟はその後退助を避けるように姿を消し、

その場に居合わせた慎太郎は

敵意を帯びた目を残し、同じく姿を消した。


 それに対し象二郎は、

気の合うガキ大将として、退助といつもつるんで歩く。


 

 但しベタベタした関係でもない。

 

 象二郎は孝弟同様、蛇が苦手である。

 それに気づいた退助は、

事あるごとに蛇を使って象二郎を怖がらせ

からかっている。


 ただふたりとも、やっぱり喧嘩は強かった。

複数の年上達にも臆することなく立ち向かい、

打ち負かすほどの猛者である。


 退助の母はそんな退助を心の底では頼もしく思う。

しかし、本人の前ではいつも*『トラの穴』のような

厳しさしか見せない。


*虎の穴:昔のアニメ、『タイガーマスク』に登場する悪の組織。

地獄の特訓を旨とする、悪役プロレスラー養成所。


 母の教えは曰く、

・「喧嘩をするならば必ず勝利を得よ」

・「喧嘩しても弱い者を苛めてはならぬ」

・「卑怯な挙動をして祖先の名を汚してはならぬ」

 である。

 厳しく曲がった事が大嫌いな母であった。


 手習いが嫌いな退助も

ひとつ年下ながら、象二郎という親友を得て

武勇伝の数と質を高めた。


 彼らは連れションの時も競い合う。

どちらが高く遠く小便を飛ばせるか、

どちらが長く出し続けられるか競い、

負けた方が勝った相手の後ろに回り

肩を激しく揺すぶる。

 揺すぶられた方は

 「オイ!止めろ!!小便が手と足にかかるだろ!

止めろ!止めろ!!」

 揺すぶる方は笑いながら、

「オイ止めろ 小便しっこは急に 止まれない。」

 揺すぶりを続けながら、

川柳を真似た口調で云う。


 何ともふざけた間柄だった。


 ある日退助と象二郎が剣術(居合術)の稽古を終え

家路につく途上、

眼前にお菊の姿を認めた。

 どうやらお菊は奥向きの使いとして

外出していたようだ。


 お菊が歩いていると、そばにたむろする

目つきの悪い年上の3人組の少年たちがいた。

 彼らはライバルの隣組のやからである。


 彼らはお菊が通り過ぎるまで

卑しい目で舐めるように目で追っている。


 退助は突然走り出し、

彼ら3人をグーで殴り倒した。

 頭に血が上った退助特有の険しい表情である。





 その様子、一部始終を目撃した象二郎は、

一体何があったのか訳が分からない。

 唖然として見ていたが、

何か特別な怒りが彼を支配しているのを察し、

退助の元に駆け付けた。


 目の前の事態にお菊は、

退助の性格を考え、象二郎の前では

自分の存在と親密さを気取られてはけないと

本能的に感じ、

その場はお辞儀をして去ることにした。


 目つきの悪い三人組は、

一体何故自分たちが殴られたのか分からず、

打たれた頬を抑えながら目をぱちくりした。


 鬼の形相の退助の気迫に負け、

「覚えておれ!

この借りはきっと返すからな!」

と云ってその場を逃げるように離れた。


 その日帰宅した退助にお菊は、

「退助様、先ほどはありがとうございます。」

とお礼を言った。


「坊ちゃま」とは言い添えない。


「でも何故あの方たちをいきなり殴ったのですか?」

相変わらず答えにくい質問をズケズケとする。

「気にくわない顔をしていたからさ。」

「顔の何処が気にくわなかったのですか?」

「目つきさ。」

「どう気にくわない目つきをしていたのですか?

目つきが気にくわない人は総て殴るのですか?」

答えに窮するまで追い込むお菊。

「お前をいやらしい目で見ていたからだよ!」

とうとう白状した。

  (してやったり!)

お菊はその答えに満足したが、

無情にも更に追い込む。

「いやらしい目をしている者は

みんな殴るのですか?」

「お前の事をいやらしい目で見ていたからだ!」

目を瞑って観念した退助はヤケクソになり白状する。

「どうして?」

「・・・・。」

 いたたまれない退助はその場から逃げ去った。

 「ふぅ、少々追い込み過ぎたかしら?」

 ひとり残されたお菊も母同様、

意地悪鬼だったのかもしれない。




 退助の武勇伝が稽古場の寺の住職であり

師匠でもあるお師匠の耳に入ると

退助を呼び、

 「こりゃ、退助!

お前はどうしてそんなに乱暴者なのだ?」

と困り果てた顔で叱責する。


 これで何度目だろう?

退助は毎度毎度の

「こりゃ!」にすっかり慣れてしまっていた。

 全く反省の色を見せない退助に

やがて天罰(?)が下る。


 退助にとって一番大切でかけがえのない存在の

お菊との別れの時が来た。


 退助の父と母はお菊に対し、

ある将来の展望を持っていた。

 それはお菊の成長を待って

しかるべきところに修行に出し、

その後お城の奥女中として

派遣する心積もりなのだ。


 退助との間柄にも

若い男女二人に間違いが起きてはならない。

 未然に回避するためにも

お菊には次のステージが必要と思われた。

 母はある日お菊を呼び、ひと月の後、

母の実家の縁続きの家に養子縁組のあと

お城に入るための修行をしてもらう旨、申し伝えた。

 既にお菊の両親の承諾を得ていることも。


 みるみる顔面蒼白になるお菊。

 「どうしたのですか?

この有難いお話に不満でもおありかえ?」

 お菊の心情を念頭に、母は機先を制するように

お菊の存念を制するよう、言葉で封じた。

 「いいえ、何もございません。」

 何も言えないお菊の目に

危うく涙が流れそうになった。


 翌日お菊の様子に異変を感じた退助は

「お菊、どうしたのだ?」

と気遣うように問う。

 「退助様、

・・・・私は間もなくこの家を去る次第となりました。」

 「えっ!・・・???」

 あまりに唐突な思わぬ事態を聞かされ、

退助は氷のように立ち尽くす。

  「何故だ!何故だ!!」

「私もここを出るのは嫌です。

でも私はいつまでもこのお家に

ご奉公させてはもらえないのです。

 ひと月後、私は大奥様の縁者の家に貰われて行きます。

 そして修行の末、お殿様のお住まいになるお城の

奥女中にさせていただく事になるそうです。」

 「行くな!行くな!!いつまでもボクのそばに居ろ!」

 「私もそうしたいと思います。

でもそれは叶いませぬ。

 ご辛抱くだされ、私の大切な退助様。」

 「そうはいかぬ!ボクは納得しない!

母に直談判する。」

 「それはいけませぬ。

 私がこの家にいては、退助様のためにならぬのです。

 お察しくだされ。」

 「嫌だ!お菊はボクの妻になるのだ!!」

とうとう言ってしまった。

 退助はこんなタイミングで求婚するとは

夢にも思わなかった。

 しかしお菊はかむりを振り、

 「いいえ、それはできません。

 退助様のお気持ちはとても嬉しく思います。

 でも私と退助様は身分が違います。

 だから私とあなた様が添う事が許されぬのは

お分かりでしょう?

  ご無理はおっしゃらないでくだされ。」

お菊は退助の前で初めて涙を流した。


 寒い冬の水仕事であかぎれになった手を

大事そうに両手で包んでくれた真心を、

庭になっている柿の実を

ワザワザよじ登り、もぎ取って差し出してくれた淡い思い出を、

総て捨てねばならぬのか?

 無念の思いはお菊も同様なのだ。

 お菊はきっぱり

「私の事はおわすれくだされ。

そしてどうか前を向いてお進みくだされ。」

 最後は嗚咽に変わっている。

 「ボクは終生お菊の事を忘れぬ!

そして決して諦めぬ!

 今の拙いボクに阻止する手立てはないが、

いつか必ずお菊を迎えに行く。

 約束する! 生涯かけて誓う。

 だからお菊も忘れてくれるな。」

 涙に暮れるふたりだった。



 その日を境に退助は大人の雰囲気を帯びた

ひとりの男になっていた。

 お菊との別れの日を迎えても

温かい目で最後の言葉を贈るだけの退助だった。

 「さらばだ、でも決して忘れるな、良いな。」

 「はい、忘れぬよう、心に刻みます。」



 お菊は去っていった。



 退助はその時何を思ったのか?


 彼は身分制度の理不尽を強く憎んだ。

 ボクは絶対この世の中を変えてやる。

 そしてお菊を嫁にするため

大手を振って迎えに行くのだ。


 彼が身分の差を超える(平等)と、

誰もが好きに結婚する相手を選べる(自由)の概念を

実現するこころざしに目覚めたキッカケだった。

 そしてその信念は終生変わらず、彼の行動を支えた。

 




     第5話 祝言




 お菊が去った後、退助の心は虚ろのままだった。

喪失感が招く悲しさと寂しさに

打ちひしがれる日々が続く。


 お菊を失った痛みは甚大であったが、

いつまでも沈んでばかりはいられない。

 親友象二郎の存在が

退助の立ち直りの手助けとなり

次第に前を向く事ができるようになった。


 ヤンチャだった退助は

武術の持つ魅力に傾倒し、

兵学にも興味を示すようになる。


 自分が強くなり世の中を変えなければ

欲しい物は手に入らない。

 当時まだ自由という言葉は存在しないが、

退助の中ではその概念が確立されていた。

 自分を律し、世に号令を発する人材になる。

 不敵にも封建社会に於いて、

絶対に不可能な夢を抱きはじめていた。


 そして自ら希望し、

無双直伝英信流居合道場の門をたたく。

 退助は稽古に没頭し

たちまち頭角を現すようになった。


 しかし象二郎と遊ぶ時は

徹底して遊ぶ。


 退助と象二郎は水泳が得意で

渓流釣りが大好きである。



 また三度の飯より悪さも大好き。


 近郊の川で

郷士の子たちが釣りをしているのを見かけたら

そばにわざと石を投げ邪魔をし一目散に逃げる。


 逆にその仕返しで

自分たちが釣りをしているとき

石を投げられることも。

 その結果、自分たちの悪事を棚に上げ、

取っ組み合いの喧嘩をしたりもする。


 そんな日常の中で

「昨日の敵は今日の友」

との言葉通り、

次第に上士・下士の垣根を超えた

悪ガキ同士、友達の輪ができてきた。


 そんな退助と象二郎たちは、

まだ心に幼さを残し、

木の枝を木刀代わりに

チャンバラ遊びにも夢中になる。


 退助は遊びの際は、

居合の技を禁じ手として自ら封印した。


 ある日退助は、象二郎を相手におどけた様子で、

「お主に私が会得した奥義を披露してしんぜよう。

『秘儀、へびの剣』じゃ!

とくと御覧ごろうじろ!」

そう言うと、

身体をくねくね蛇のようにくねらせ、

舌をピロピロ出し入れし、

あたかも自分は蛇の化身であるとの

パフォーマンスをしてみせた。


 あっけにとられた象二郎。

あまりに唐突で滑稽な動作に

「プッ!」と吹き出した。

 その隙を見せた瞬間、

退助は一気に間合いを詰め、

象二郎ののど元に

剣に見立てた枝の先を突き付ける。

「勝負あった!!」

友の審判の声を合図に

その場に居合わせた者たちは一斉に笑い合う。

「そんな技、いつ思いついた?」

 そんな質問に、

「まだまだあるぞ、

最終奥義『ウナギの剣』だろ、『タコの剣』だろ、

『猪の剣』だろ、『キツネの剣』だろ・・・」


「分かった、分かった。もういい、

退助殿はやっぱり天才だ!」

誰もが細かい説明を聞くまでもなく、

呆れてどんな型の剣か想像してしまう。


 そんな退助ではあったが

道場では真剣に、熱心に稽古に励む。

遊びの時とは別人の様だった。




 だが退助には

ただひとり調子を狂わす者がいる。




 道場主の娘「さと」であった。

13歳の里は、15歳の退助から見たら

妹のようなもの。

 しかし、退助の実の妹たちと比べると、

甘え上手で人懐っこかった。

「退助、棚の上の小物入れを取って。」

「退助、この栗の皮を剝いて。」

「退助、もう遊び疲れた。」

など、我儘わがまま放題である。


 だから時々年下の里に

いいように振り回される自分に

イラッとくることがある。


「里どの、私は年上ぞ。

呼び捨てはおやめくだされ。」


 いくら言い聞かせても

反省の欠片も見せず、

まったく従わない娘であった。


 しかしどこか憎めない。

ズケズケと人のふところに入り込む性格は、

お菊の面影を思い起こさせた。


「ボクはあの娘のしもべか?」

自嘲する退助。


 そんな関係もやがて大きく変化する。


 あれから2年が経過した頃、風の便りで

お菊がどこぞの家に輿入れすると云うのだ。


 激しく動揺する退助。

茫然とするが、

苦しさを打ち消そうとするかのように

益々剣術の稽古に没頭した。


 やがて道場の主である林弥太夫に認められ

後継者としてもくされるようになった。

そして将来娘『里』の婿にとの話が舞い込む。


 退助に迷いがでてきた。

返事を保留にして煮え切らない退助。

 もう完全にお菊を諦めねばならぬ。

 しかし想いを断ち切れない。

 どうしたら良いものか?




 そんな時、大きな出来事が起こる。

お殿様である山内豊重(容堂)公に

お目見えできるチャンスが到来したのだ。


 殿様は自らを『鯨海酔候げいかいすいこう

と称するほど、酔狂を好み、

新しもの好きだった。

 その反面、居合術を極めた達人でもある。


 藩政改革にも熱心で、

身分の上下を問わず、

広く人材を探す賢人藩主。


 藩内に於ける将来の人材発掘と、

自ら傾倒する居合術を見分する目的で

退助の属する無双直伝英信流居合道場にも

白羽の矢が立てられた。


 有望な後継者退助は、

友、象二郎を伴い

御前試技を披露する事となり、

参内した。


 初めて拝謁した退助は

緊張の極致にいる。

 直々(じきじき)の会話は許されるはずもないのに、

伝令役仲介者が発するお殿様のお言葉にさえ、

ろくに反応できない。

 お殿様は退助に

「得意とする技は何であるか?

見せてみよ。」とのご所望であったが、

シドロモドロで狼狽する退助。

 見かねた象二郎が咄嗟に代わって応える。

「奥義、へびの剣でございます。」

「奥義?蛇の剣?何じゃ、それは。」

お殿様の嘲笑する口調に、

緊張の極致にいた退助は

その時我に返った。

 小声で「象二郎!!」と叫び、

どう答えたら良いか途方に暮れる。


 お殿様は異例なことだが、

伝令役仲介者を介さず、

直に退助にせまる。

「乾 退助とやら、答えよ。」

脂汗が滝のように噴き出す退助。

 ここで、お殿様の前で

そんな不届き極まりない

不真面目な行為を見せたら

不敬罪は免れない。


「ただ今ここの象二郎が申し上げましたは、

幼少のみぎり戯言ざれごとでございます。

 もちろん本当の技ではございません。

ここでそんなたわむれを披露させていただくのは、

ひらにご容赦くださいますよう、

申し上げ願います。」


「ほう、面白い。

益々見てみとうなった。

今すぐ予の前で見せてみよ!」


 お殿様の厳命である。


 その時退助は、象二郎の事を心から恨んだ。

(この!象二郎のうんこ野郎!!

生きて帰ることができたら

鼻元で臭いオナラをぶっこいてやる!!)


 もう、死を覚悟してやるしかない。


 しかし象二郎には勝算と確信があった。

豊重公はただただ面白き事を好む。

 だから剣術の腕前を披露しただけでは

記憶に残せないのだ。


 そんな象二郎の計算を見抜けぬ退助は、

追い詰められたネズミのように開き直った。


 やるからには中途半端は命取りになる。

 真剣に全力を尽くしてやり抜くしかない。


 腹が決まった退助。

 象二郎を相手に、試技を披露するため対峙した。


 二三呼吸をし、心を落ち着け

胆力を蓄え、蛇を連想するため集中した。


 やがて緩やかな動きながら

表情は蛇になり切り、

舌をピロピロ動かしながら出し入れし、

身体をクネクネ動かし始める。


 真剣であるほどその仕草は滑稽であり、

見る者を唖然とさせる。

 久々に見た象二郎さえ、二度目なれど

またもや「プッ!」と吹き出した。

 その隙を突く退助。

 素早い足捌きで

意表をついた象二郎の間合いに入り込む。


 喉元に木刀の剣先を突き付ける。


「勝負あり!」審判の声。


 いかにもふざけた遊び技ではあったが、

居合術の達人豊重公には見えていた。


 退助の冴えわたった足捌きと

素早く滑らかな剣の動き。

 一瞬見せた気迫。

 並々ならぬ力量を見切った。


「乾 退助、並びに後藤 象二郎、

面白きものを見せてもらった。

予の記憶に留め置こうぞ。」


 そう言って上機嫌の笑顔を見せた。




 安政二年(1855年)退助18歳のおり

豊重公の直々の下命により

江戸勤番に着く事となる。


 翌年帰藩し、里との祝言をあげるはずだった。






    第6話 蟄居





 退助が御前試技を披露した後、

お殿様の格別の計らいで

江戸勤番を命ぜられた退助。

 

 当時土佐藩は藩主主導の藩政改革により、

革新派グループ「新おこぜ組」の

中心人物吉田東洋を起用、

新設した「仕置役(参政職)」に任じる。


 そして大胆にも

旧体制の総本山的存在の家老を押しのけ

財政改革・身分制度改革・

文武官設立や西洋軍備採用、

海防強化、藩士の長崎遊学など

極めて革新的、急進的な藩政改革を断行した。


 豊信(容堂)は酔狂人であるが、

福井藩主松平春嶽、

宇和島藩主伊達宗城、

薩摩藩主島津斉彬らと共に

幕末の四賢候と称される

名君でもある。



 1年にわたる江戸勤番は

退助の世界観を大きく変えた。


 人の多さとその賑わい。


 今で云う初就職の配置先が

江戸であったと云う事は、

本格的な赴任の前の

東京での研修のような感覚か。


 学問以上の「経験」と「見聞」という

代えがたい学びが、

その後の人としてのスケールを

大きく広げたようであった。



 しかし人格を形成する根本が

ヤンチャ・無謀であったため、

帰藩後すぐに問題を起こす。


 正義感と血気にはやる退助は、

藩全体が改革を目指すときに、

旧態依然とした感覚と態度に染まったままの

責任ある筈の一部の上士たちの鼻持ちならない

差別意識に我慢がならない。


 特に下の者を小馬鹿にし、

見下す態度ばかりか、

やたら威張り散らし、

理不尽な態度をとる者を許すことができない。


 そして安政3年8月8日(1856年9月6日)

街の行商人に無体な因縁をつけ、

いたぶる3人組の若い上士たちと遭遇した。


 ひたすら平伏する行商人の男。

それでもしつこくいたぶる3人組。


 みるみる血の気がのぼり、

疾風の如く駆けたと思ったら

三発の握りこぶしがさく裂した。


 「この!いごっそう(快男児を指す土佐弁)

に泥を塗る面汚しが!!」

吐き捨てるように呟くと

その場を立ち去った。


 しかし、その出来事が

大問題となる。


 殴られた三人のうちひとりは

あの家老の息子。

 藩をあげての改革の嵐に取り残された者たちの

不満をくすぶらせた

不遇の象徴のような彼らにしたら、

うっ憤を晴らす受け皿が必要なのだ。


 前歯を折られ、面目を失った彼は、

真実を歪曲し訴え出た。

もちろん本当の事は云えない。


 でも勤番を終え、

一人前の藩士となった退助を

以前のようなガキの喧嘩として

穏便に納めるわけにはいかない。

 身分をわきまえた自覚と、

責任ある態度と行動が求められるのだ。


 後日極めて厳しい処分が下った。

高知城下四ヶ村(小高坂・潮江・下知・江ノ口)

の4年間の禁足、神田村謫居。

しかも廃嫡の上、追放という重い処分であった。


 その間、退助は同じく別件で一時失脚の上、

蟄居を命ぜられた吉田東洋の訪問を受ける。

(東洋もまた浮き沈みの激しい人であった。)

自ら主宰する私塾への就学を勧める。

 しかし退助は

(いやし)くもさむらいたる者、

山野(さんや)を駈けるを以て学び、

知力を養ひ、武を以て尊び、

主君(きみ)の御馬前に血烟(ちけむり)を揚げて、

鎗の穂先の功名に相果て、

露と消ゆる覺悟あらば總て事は足れり。」

 と言って申し入れを断る。

 東洋曰く、

「およそ侍たる者、

忠を盡し藩公の馬前に相果てる心掛けは、

申すに及ばず尋常当然である。

 けれども、その限りで終わるのは

小兵卒(こざむらい)であって、

汝(退助)は大将の器があり、

大業を成すにあたって学問をせずにどうするのか」

と反問する。

 しかし、退助が自説を曲げる事はなく、

誘いを断り、東洋の長浜村鶴田にある

少林塾に通うことは無かった。


 その小林塾というところは、

後藤象二郎、福岡孝弟(以前の喧嘩の相手)

岩崎弥太郎など、

そうそうたるメンバーが通っていた。


 退助は吉田東洋の誘いを断りはしたが、

その彼の思想と人柄に影響と刺激を受け、

独学で孫子の兵法書を学び暗記した。


 またその頃、地元の郷士や町人たちなど

身分の分け隔てない交流を深めている。


 退助の人柄、両親からの教育環境、

江戸での見聞による経験などが

蟄居先で開花した。


 廃嫡が自分を上士から

何者でもない身分に落とされ、

人という財産に目覚めたと云える。


 廃嫡追放・蟄居の重い処分により、

一時は家督相続が危ぶまれたが、

一橋派の一員である藩主山内豊信が

あの有名な安政の大獄により、

幕府から蟄居の命が下る。

(山内豊信もやらかしちまった!

 対立する大老井伊直弼の政争に負けた一橋派。

 この時から豊信は、号を『容堂』と名乗る)

 前藩主の弟、豊範に藩主の座を譲り、

代替わりの恩赦で退助の廃嫡処分が解除された。

(父の死後、220石に家禄を減ぜられ相続)

 高知城下へ戻ることを許された。


 つまり退助は安政の大獄により

結果として復活できたのだった。


 

 尊王攘夷派である退助が、

ひたすら幕府を守ろうと、

強権発動の末、暗殺された井伊大老に救われた。

 更にその退助が

後の討幕の立役者のひとりとなったのは、

何とも言えない歴史の皮肉と云えるだろう。


 退助の性格は、確かに血の気が多いとの問題はあった。

 しかし道場の有力な後継者でもある退助に、

道場の主、林弥太夫からの婚姻話が復活する。


 退助21歳、里19歳になっていた。


 初夏のある日。

退助はいつものように

川で鮎を手掴みにて取る

潜りの水連に興じる。


 水はまだ冷たいが、

鍛錬の成果で冷水ももろともせず、

一匹、また一匹と取り続ける。


 その日の成果を串刺しにて

焚火たきびであぶりながら、

退助は痛む腰のふんどしの結びを緩めた。


 そこは前日、

一瞬の不覚から、家にあった

突き出た家具の金属の角にぶつけた部位である。


 赤く腫れあがり、

食い込む濡れたふんどしが当たって痛い。


 結びを緩めると少しは楽だ。

暫く焚火を見つめ、

鮎が焼きあがるのを待っていると、

背後から聞きなれた声がした。


「まあ、退助様、

今日は上首尾でしたのね。」

里の声であった。

 小娘時代と違い、

今はひとりの女性として美しく成長した里は、

もう「退助」と呼び捨てはしない。



 坊主(獲物が全く獲れなかった状態)

を予想し気を利かせ

昼食のお結びを持参してきたのだ。


 お里は数本のくし刺しにした鮎を見て、

そんな心配は杞憂であったと思ったが、

大漁を素直に喜ぶ。


 背後から聞こえる

お里の弾むような賞賛の声を耳にし、

退助は上機嫌で立ち上がり、

後ろを振り向いた。


 その瞬間、結びの緩い褌がずり下がり落ちた。


 すっぽんぽんの退助。

一瞬の事故を目の当たりにした里。


「アッ!」


 どうして良いか分からないふたり。


 お互い茫然と見つめ合い、

視線を逸らすとか、

前を隠すとかが思いつかない。


 気まずい数秒の時間が経過し、

退助は照れ隠しで苦し紛れの言葉を発した。


「なっ?」


 同意を求めるようなイントネーション。


 また無言の息がつまるような

更に気まずい時間が過ぎる。


 里は何も発せず、

退助はスゴスゴと褌を巻き直した。


 焚火を囲み、

無言で鮎が焼きあがるのを待つふたり。


 やがて呟くように里が聞く。

「『なっ?』とはなんですか?」

「・・・・・。」

わたくしに同意を求めているのですか?」

「・・・・。」

「何を同意して欲しいのですか?」

「・・・言葉の綾である。気にするでない。」


 この気まずさは、

はるか昔、姉のような存在の

お菊の記憶を思い起させた。


 その甘酸っぱい思い出が

お菊とお里を重ね合わさせる。


 何故かお里に愛おしさを感じる。

 彼女に何かかけがえのない、

大切にすべき男女の営みのようなものを感じた。

 失ったお菊への想いを埋めてくれる女性ひと


 退助はその時、

お里を本気で嫁にしようと決意する。

 退助の心の中にはお菊がまだ存在し、

記憶の上書きはできない。


 しかしこの日、退助の心の中に

確固たるお里の居場所が確立した。


 その三月後、両家の祝言が執り行われる。


 嵐の前の、つかの間の幸せな時であった。





    第7話 婚儀と抜擢 





 象二郎が上機嫌で退助の家を訪れた。

大ぶりの鯛を持参して。


今日は退助と里の祝言の日。


 両家の親戚御一党が集まる中、

竹馬の友として特別に参加を許されていた。


 象二郎は主役の退助を前にして

「どうじゃ!凄いだろう!!

この鯛は土佐の大海に出でて

3日間寝ずに得た偉大な釣果だぞ!」

祝いの挨拶抜きに、持参した魚自慢が始まった。


しかし退助は知っている。

(3日間寝ずに?

昨日もお前とは会っていただろ。

独身最後の日と称し、

酒屋のはしごをしたんじゃなかったか?

エッ?エッ?エッ?)

とは迫らず、

「おお!そうか!!

それは祝着しゅうちゃく

では今日の席に用意したカツオも見てくれ!

見事な戻りカツオだろ?

このカツオも

三日三晩徹夜して一本釣りした釣果じゃ!

モッチモチした身が輝いておるぞ!

絶妙な藁焼きで美味いのなんのって!

塩で喰うとたまらんぞ!

さあさ、こっちに来て座れ!

夜明けまで共に飲もうぞ!!」

と返した。


しかしその場に居合わせた親戚一同、

知っていた。

退助は昨日もその前日も

親戚廻りで顔を合わせていたことを。

大体退助も象二郎も海に出る船など持っていない。

見え透いた誰でも分かる冗談であった。


低次元の冗談でも競いあうふたりの仲。


「カッ、カッ、カッ!」

と高笑いする様子を見て

冷たい視線が集まる。


一同首をかしげ、

眉をひそめる場の空気に

新妻となるお里がしゃしゃり出る。

「退助様も象二郎様も

相変わらずでございますこと。

でも本日は私共の祝言の日。

せめて親戚の前だけでも

お利口さんにしてくだされ。」

と云い、ちょっと目を吊り上がらせ小声で

「め!」

と云った。

肩をすぼませるふたり。

すると退助の母が、

「まあ良いではありませぬか。

今日はお二人の門出のめでたい日。

祝言のちょっとの間だけ

大人しゅうしていただいたら

あとは無礼講でよろしいのですよ。」

と、暗に祝言の間だけは

かしこまっておれと釘を刺した。


その場にいた者は全員、

ふたりが破天荒な無頼者であり、

一番の悩みの種なのを知っている。




だが彼らは本当のふたりを知らない。




彼らがふたりでいる時は、

極めて真剣な天下国家の議論を

繰り広げていることを。




退助の江戸勤番時代の2年前。

1853年7月8日

(嘉永6年6月3日)17:00

浦賀沖に4隻のペリー艦隊が現れ

停泊する大事件があった。


艦隊が現れる事は事前にオランダ側から

アメリカの要求として通告済みであった。

しかしそんな重大な情報に対し、

幕府は何ら対策を取っていない。


アメリカはまず琉球に現れ、

図々しくも当時の琉球国王へ謁見を要求し、

断っても武力を背景に強引に訪問した。


またその後小笠原諸島を探検、

事もあろうに領有権を主張する。


これはイギリス、ロシアなどが抗議し

さすがに撤回しているが。


そんなペリー艦隊だから

「浦賀に出現した目的は

平和的友好通商が目的である」

と称しているが、

侵略、征服欲丸出しである態度に

当時の幕府は震えあがった。

だが同時に、心から怒りも覚えた。


幕府とは本来軍事政権である。

朝廷から武力を背景にした政治権力を受託した

軍事組織なのである。

しかし今の幕府は財政破綻寸前の

平和ボケした世襲の無能集団に過ぎない。


ましてや260年の間に

知らず知らず弱体化した

幕府の事情を知らない

諸藩の大名など武士階級の者は、

アメリカの不遜な態度に対し、

武力による対抗策を幕府に求めた。


煮え切らない幕府。

国力と軍事力の差が歴然としている以上、

対抗策などある筈もない。



いきり立つ地方武士たち。


次第に幕府はあてにならないと

認識するようになった。


すなわち幕府に変わって

朝廷をいただき夷敵を討つ。

『尊王攘夷』論が芽生える。

そんな場面に出くわした退助。


ペリー来航の興奮冷めやらぬ江戸の地での勤番が

その後の急進且つ強硬な政治信条を育んだと云える。 


勤番から帰ると、

象二郎を巻き込み政治論義の花を咲かせた。


その後自ら廃嫡の危機を体験し、

同時期失脚した吉田東洋が開いた

小林塾に通う象二郎と

勉強嫌いだが孫子の兵法を学ぶ退助。

それぞれの学んできた知識を持って、

今後の藩政や日本の将来をどう動かすか

理想と夢を語り明かす日々を過ごした。


元々欧米諸国は食わせ物。


戦国時代には、

日本女性を多数奴隷として売買した

ポルトガル・スペインの所業を知っている。


近年に於いても、

1840年のアヘン戦争では

あの大国『清』がイギリスに負け、

国中がアヘン漬けにされている。


あのインドもイギリスに植民地化され、

昨年(1857年)セポイの乱が起きている。


欧米人に対し、良いイメージなど

ある筈はないのだ。


退助も象二郎も藩政に於いては

国を富ませ、

軍事力を強化するにはどうしたら良いか?

日の本の国はどうやって守るべきなのか?

真剣に議論した。


一方藩主山内豊信(容堂)公は

進歩的な考えの持ち主で

積極的に藩政改革を行っているが、

幕府に対しては甘い。

何故なら豊重の生家は

1500石取りの分家であり、

しかも本人は側室の子である。

先々代の山内豊煕公の妻候姫(智鏡院)の実家

島津家などが、時の老中首座阿部正弘に働きかけ

藩主に就任する事ができたのだった。

本来なら自分にお鉢が回る筈はない。

だから自分を後押ししてくれた島津家と幕府に

感謝し頭が上がらないのは当然であった。


それ故、薩摩藩同様、

親幕府の立場を貫こうとするのは

仕方ない事である。


象二郎との議論を深めるにつれ、

尊王攘夷思想に傾くふたりと

藩主豊信の考えの間には、深い隔たりが存在した。


しかし豊信公は

退助を何故かいたく気に入っている。

万延元年(1860年)免奉行、

翌文久元年(1861年)江戸藩邸詰めに抜擢した。




 


    第8話 象二郎と云う男






 退助の親友象二郎は、

退助とお里の祝言の日、

限界を超えて酒を浴びた。


 本来象二郎は下戸である。

生涯無理して酒を飲んだのは

退助の祝言前日と当日だけである。


 つまり象二郎は自分のためには一滴も飲まず、

退助のために命がけの無理をしたのだ。


 実はこの象二郎、その後

土佐藩の藩政改革とその後の維新、

新国家形成に於いて退助に負けず劣らずの

多大な功績を残している。


退助の遠縁にあたり、

吉田東洋を義理の叔父に持つ、

後藤正晴(馬廻格・150石)の嫡男として

高地城下片町に生を受ける。


少年期にその父を亡くした象二郎は、

後藤の家督を継ぎながら

東洋に元に身を寄せ、

小林塾に通う。

そこで中岡慎太郎、岩崎弥太郎、福岡孝弟

らと共に学ぶことになる。


後に中岡慎太郎は象二郎を称し、

「西郷(隆盛)は一日に15里歩むと云えば

必ず15里歩み、

象二郎は20里歩むと大法螺吹いて

実は16里しか歩めない。

しかし結果に於いて

象二郎は西郷より1里多く歩む男である」

と高く評している。


性格の豪胆さと、不正・卑怯を憎み、

身分の上下を気にしないところは

退助に似ている。


ふたりの違いは

その場の空気を読み、

細かい機転と配慮が利く象二郎と、

破天荒だがどこか憎めず

下の者に慕われる退助。


 実はこの物語の作者である私は、

主人公を退助にするか

象二郎にするか迷ったほどである。


正義感が強いのは二人に共通するが

直情的な思考の退助は尊王攘夷の急先鋒であり、

思慮深い象二郎は公武合体論者である。


三国志の登場人物に喩えると

関羽と張飛の様な関係か?

但し兄貴分の退助が張飛で

弟分の象二郎が関羽であり

そこが逆転しているが。


しかし考え方の根っこは同じところにある。


つまり藩も日本国も、外国に負けない

富国強兵政策を一刻も早く実行し、

外国勢力を撥ね退ける事に尽きる。

そのための具体的方策で議論を重ね、

時を費やす日々であった。

象二郎は東洋の小林塾に通い、

広め・深めた見聞知識を

退助に弾丸のように浴びせ続ける。


象二郎の通称は

藩主山内豊信(容堂)が

「(重用する)吉田東洋にかたどれ」

との意を込め

賜った名前という程である。

その後学問と知識の重要さを肌で感じた退助は

阿波出身の学者若山勿堂に

当時の儒学と兵法の最高峰、山鹿流兵学を

学んだほどの影響を受けた。



 

 

祝言の席上、

象二郎は退助への祝辞は

「祝着!!」

とだけ言い、満面の笑顔でコクリと頷く。

酔った赤ら顔で挨拶もそこそこに、

新妻となるお里に向かい、

「里殿、この度はお招きいただき、

誠にめでたく恐悦至極に存ずる。

 本日のおまさん(里殿)は

目が覚めるほどの美しさ、

退ちゃんが羨ましかぁ。

ほんま幸せ者ぜよ。」

とふらつき乍ら上機嫌で言った。

「あら、いつもの私は?」

「・・・そりゃ、そのぉ、・・・あれだ・・・。

いつも美しかぁ。」

突然額から汗がにじみ出でる。

声が裏返り、シドロモドロになる象二郎。

お里は目を細め、疑いの眼差しを露わにし、

「取って付けたお言葉ですこと。

ホントにそう思ってくださっているのかしら?

まぁ良しとしましょう。

どうせこの後もいつものように朝まで

議論を交わすお心積もりでございましょう?

飲めないお酒、

あまりご無理をなさらないでくださいまし。」

退助に対するときのような

容赦ない追及を象二郎には向けられない。

この辺で許しておこう。そう思った矢先、

よせばよいのに退助が口を挟む。

「おまはん(お里)が美しかどうかは、

あまりに主観の問題じゃけ、

議論にならんじゃろ。

なぁ象二郎!カッ、カッ、カッ!!」

お里の地雷を踏む高笑いだった。

本日2度目の冷たい空気が流れる。

「退助様、どうせ私は・・・」

間髪入れず言葉を遮り象二郎が

「今宵の月のような、楚々とした美しさが

お里殿の持ち前の魅力と存ずる。

そこに退ちゃんも惚れたと言うとりましたぞ。」

「あら、今宵の月の事が

よくその前にお分かりになっていましたのね?

さすが天下国家の将来を見通すお二人。

頼もしい旦那様で私は幸せ者でございます。」

祝言の席だというのに

痛烈な皮肉のカウンターパンチだった。

聴いていたお里の父、林弥太夫が堪らず

「この辺でやめとけ、たいがいにせえよ。」

とお里をたしなめた。

白無垢の肩をすぼめたお里。

気の強さと相手を追及する性格は、

綺麗な娘と成長し、見た目の姿が変わっても

変わらないらしい。



退助が蟄居中、

象二郎は東洋の推挙もあり

こおり奉行に任ぜられている。

本来ならば退助が就任するハズであった。


郡奉行とは、領内の農民衆の訴えの裁きや、

徴税、その他諸々の捌きが仕事である。

いわば行政長官と裁判官の役目というところか?


人望と人格と見識と公平なバランス感覚が求められる

誰でもできるポストではない。


小規模な江戸町奉行と思い、

大岡越前や

遠山の金さんを連想するとよい。


その数年後復活した退助は象二郎とは違う役職

「免奉行」(税務官)に就任している。


退助の就任の内命が下ったのを契機に、

ここが引き時と、

持病が悪化した父正成が隠居を申し出た。

隠居申請の後、僅か数か月後死去。

お里との婚儀は、父存命中にとの

急ぎの仕儀とあい成ったのである。

家督を継いだ退助であったが、

蟄居の時のとががもとで

家禄を300石から220石に減ぜられる。


収入が減っても変わらず経費は掛かる。

その状況の変化を忖度し、

退助の姉のような存在で初恋の相手でもある

お菊が出て行った後も変わらず奉公していた

両親の父太右衛門と母の春が

乾家の職を辞し、隠棲を申し出た。


退助にとってお里との婚儀は

父の隠居・死去と、

お菊の消息を完全に断ち切る

契機にもなってしまった。



お里と所帯を持っても

心の奥底に棲むお菊の面影が消えない退助。

心に冷たい隙間風が吹くのを感じた。


しかし時代は容赦なく進む。

退助を求めるうねりは

立ち止まるのを許してはくれなかった。


藩主豊信(容堂)が新婚の退助を呼び出す。




  


   第9話 容堂公





 退助と象二郎の主君である山内容堂公。


この容堂と云う名は世間によく知られているが

実は安政の大獄により

蟄居の命令が下り、

それにより隠居させられた後の号である。

山内豊信とよしげが本名であり、

隠居後の号を名乗るにあたって

『忍堂』と称するはずだった。


彼は自分の性格を自覚している。

短気で意に添わない事柄に腹を立てる事が多く、

「時局は腹の立つ事ばかり」

と嘆いていたという。

そうした性格の自戒から

しのぶ心を持てとの意味を込め、

自らの号を忍堂とするつもりでいた。

しかし水戸藩 藤田東湖の勧めで『容堂』と改める。

「この大変な時局、

忍耐より寛容の心が大切でありましょう。」

との進言を受け入れ、

「自ら寛容になれ」

と言い聞かせるべく『容堂』としたのだった。


だがここでは今後『豊信公』として統一する。



豊信公は武芸に秀でている。

写真に見る容姿からは意外に感じるかもしれないが、

軍学は北条流、他に弓術、馬術、槍術、剣術、居合術を学び、

特に居合では18歳にして目録を得るほどの達人であった。


退助や象二郎などの家臣たち数人が稽古に参加したが、

七日七夜ぶっ通しの苛烈なしごきに

最後までついてこられたのは

退助たち僅か2~3人に過ぎなかった程である。

退助や象二郎が豊信公に気に入られ

その後重用されたのは、

普段からの度重なる稽古付き合いと、

人格・能力・人を引き付ける個人的な魅力が

認められたからであろう。


特に豊信公は退助が好きだった。


憎めない奴。


とにかく下の者たちの間で人望がある。

本人は豪胆粗野でありながら、

誰に対しても公平で尊重する姿勢や、

弱い者をいたわり全力で守ろうとする性格は、

誰しも無条件でついて行きたくなる。


困ったことに退助は時々問題を起こす。

直情的な彼は

行動も考え方も急進的であった。

過去の度重なる喧嘩騒動の他、

日増しに強まる尊王攘夷への傾倒ももそのひとつ。

幕府に忠誠を誓う豊重にとって厄介な思想である。


だが何故かそんな退助でも

守ってやろうとの想いが

豊信公にはある。

短気な藩主にしては不思議ではあるが

大のお気に入りなのだ。


「こりゃ!退助!!」


問題を起こす度、平伏する退助を厳しく叱るが、

その目はいつも優しかった。



今日も豊信公による稽古の日。

あまりの激しさで家臣たちヘロヘロの状態だが、

豊信公は息ひとつ乱れていない。


家臣たちは決して口には出さないが

その超人的様さまにいつも心の中で

「殿は本当に人なのか?」

いぶかる気持ちが湧いてくる程であった。


そんな家臣の心のうちを見抜く豊信公は

時として意地悪な鬼と化す。


「退助!もう一本!!」


(あぁ、また名指しだ)

一瞬表情を曇らせた退助に、

「秘儀、蛇の剣を見せてみよ!」

と所望する。


「殿、ご無体な!

昔の戯言をいつまでもいつまでも

ねちねちとおっしゃられるなんて

まっこと人の上に立つ者の所業とは思えませぬ。」

口をとがらせ、ブツブツと呟くように

もはや少年ではない退助が言う。


稽古を重ねるにつれ、

そんな口答えができる間柄になっていた。

殿様に対し、こんな言動は下手をすれば、

(人により)打ち首ものの反抗と見なされる。

だがそんな無礼もどこ吹く風の豊信公は

狡い笑顔で

「何をグタグタ申しておる!

土佐の男ならグヅグヅせず早よせんか!」

と有無を言わせない。


仕方なく

「恥ずかしながら、・・・イザ!」と構え

舌をピロピロし始め、

身体をクネクネ

右足を擦り出そうとすると、

「隙あり!!」

鋭い殿の竹刀が退助に打ちかかる。


寸でのところでかわし

二の太刀に備える退助。

間合いを保ち、

スリ足の幅を心持ち狭める。


お互い呼吸を止め、

我慢比べが続く。


堪らず退助が

構えを中段から上段に引き上げようとした瞬間、

溜めた呼吸が乱れ、

軸足である左のかかとが浮く。

間髪入れず豊信公が

素早い足捌きで一挙に間合いを詰め、

鞘の位置から斜め横に切り上げる動きで

退助の胴を決める。


(しまった!早い!!)


「勝負あり!」

との声に

「参った!」と

退助が負けを認める。


「まだまだやのう。」

仁王立ちの豊信公の高笑いが道場に響いた。




退助の名誉のために一言。

彼は決して弱くはない。

無双の剣を持ち、

その力は後の討幕のいくさで証明される。


しかしここでは

対戦前の心理戦での常套手段を得意とする豊信公。

幻術(人の心を惑わす術)を使うが如く、

退助の恥ずかしい過去をほじ繰り出し

弱点を導き、そこを突く。

(第5話の御前試合参照)


増してや相手はわが主君。


退助の性格では忖度はありえない。

でも本気で突けるはずもない。


そこに手加減があったとは思えないが

躊躇する心理は働いた筈である。


豊信公と退助の対戦を眺めていた象二郎が、

「クッ、クッ!」と笑う。


「何を笑う?」

殿と退助が同時に象二郎に問う。

「殿、この退助はんは子供のみぎり

私と喧嘩をするとき、いつも私の苦手な蛇を持ち出し

私を脅すのです。

だから今日は痛快でなりません。

殿、もっともっと、退助はんに蛇の型を申し付け下さい。」

「よし、分かった!!

退助、の大事な象二郎を虐めるなど

不届き千万!

余が成敗してくれようぞ!!」


「殿~ぉ・・・。」

情けない顔の退助であった。




そんな豊信公は

退助の祝言に際し、格別の計らいで

数々の祝いの品を贈っている。


それは厚い信頼の証であり、

大のお気に入りの証でもあった。


そんな豊信公と退助の間柄を見せつけられ、

嫁となるお里は目を丸くする。

「まぁ!」

元々お嬢様育ちで勝気な新妻ではあったが、

お殿様のお声めでたい旦那様に

相応しい妻であろうと

心新たに気負うのだった。


そんな妻を可愛いと思いながら、

心のどこかで持て余し気味の退助。


明日は免奉行着任の挨拶に登城するという日。

不安と希望で一杯の退助であった。






    第10話 免奉行





 吉田東洋の強い勧めもあり、退助は免奉行

(今で云う土佐藩内の国税庁長官のような役職)

に就任する。


 今日は藩主豊信公に

就任の挨拶のため謁見する日。


 稽古仲間として勝手知ったる仲。

しかし、公ではお互いしかつめらしい顔をする。


 「本日、免奉行拝命の段、

不肖この乾退助、謹んでお請け致します。」


 実は全く出世に対する欲を持たない退助は

当初渋っていた。


 東洋の説得と半強制の脅しがあって

ようやく渋々受ける気になった。


 でもそのうち、考えを変える。


 自分は曲がりなりにもこころざしを持つ身。

万人のために尽くす努力と実践を渋って何とする。

自分は自由な世の中を実現させるために

学びと鍛錬に打ち込んできたのではなかったのか?

 なまけ癖と責任の重さに、

つい保身に走り尻込みをする自分が

許せない退助であった。



 先ほど前日の祝言の場に贈った

祝いの品に対し、

退助から感謝の言葉を受けたばかりの豊信公は、

上機嫌な笑顔で

「まっことおはん(お前)は不肖者よのぉ。

 しかしこの『荒くれ退助』でもいっちょ前に

嫁を貰ったからには、

少しくらいは一人前の男として働くくらい

できるようになったであろう?

 象二郎に色々聞いておるぞ。」


( えっ!象二郎? この、おしゃべり野郎!!)


 平伏しながら苦虫を潰した顔の退助は思った。


「何をお耳になされたか存じ上げかねますが、

この退助、粉骨砕身の覚悟であたる事を

殿の御前でお誓い申し上げたて奉ります。」

平然を装い、取り繕うように退助は応えた。


 普段から喧嘩悪行三昧の退助。

叩けばほこりの出る身。

身からでた錆のくせに

(象二郎のやつ、何を告げ口したか)

戦々恐々の冷や汗をかく退助であった。


 見透かすように豊信公は言う。

「新しいソチの奥は新婚にして

女子おなごながら

大そう骨のある賢女けんじょと聞く。

ソチの通う道場の娘とな?

さぞ心身共に剛健の細君となろう。

 これでいぬい家も安泰であるな。

 ハッ、ハッ、ハッ!」


(チッ!象二郎め、やはり里の事チクったな?)





 祝言の晩、

象二郎は退助の少年時代の逸話を

いくつもお里に語った。


 曰く

「ガマの油を塗ると川に潜っても呼吸ができる」

と聞いた事があるじゃろう?

 本当かどうか実践してみようと云いだしての。

ワザワザ蛙を捕獲して釜で煮てみたんじゃ。

 そうやってガマの油を作ってみたが、

それを体中に塗ったり、飲んだりして、

いつもの鏡川にて潜ってみたが

全く呼吸ができない。

 そうやってガマの油の効力なんて

迷信であるのをつきとめたんじゃ。」

「まぁ!本当ですの」

お里は目を丸くする。


 お里の反応に気を良くし、調子に乗った象二郎は、

「翌日今度は、なんと罰当たりな事に、

神社のお守りをくりやに捨ててみたんじゃ。

 本当に神罰が起こるのか、試してみようと思っての。

ほんでもってその結果、何ぁ~にも起こらんじゃった。」

 実践による実証主義者ぶる象二郎。

得意げに話したが、里の反応は意外だった。


「何と罰当たりな!

何にも起こらなかったとおっしゃいますが、

チャンと起こったじゃありませんか?」

「何と!!何が起きたと云うんじゃ?」

「大人になっても尚、退助様は悪童のまま。

 全然成長と云うものを感じませぬ。

このままでは永久に手の付けられぬ悪童のまま

生涯を通す羽目になるのかと。

 それこそ神仏の罰と思し召し、

改心と精進を尽くすべきでございましょう?」


「これは手厳しい!痛たたたっ!」

象二郎は自らの額をペシッ!と叩き

退助に向かって

ひょうきんに笑った。


 しかし本当は次に、

「「うなぎと梅干」や「てんぷらと西瓜」

などの食べ合わせは、

食べると死ぬという言い伝えを、

わざわざ人を集めて

食べて無害なことを実証したこともあったなぁ。」

 と思い出話を続けるつもりでいたが

墓穴を掘るだけと気づき、止めた。


 しかし、まだ何か言いたげの象二郎を見た退助が、

「なんじゃい!象二郎!!

まるでワシだけの所業のように言うとるが、

全部お主もったではないか!

共犯のくせに狡いぞ!!」

象二郎の首を捕まえ、

強烈なヘッドロックをかました。


「やはり似た者同士のおふたりですのね。

はぁぁぁ・・・。」

先が思いやられるというリアクションのお里であった。



    

    免奉行



 免奉行とは土免定どめんさだめを発給する役職。

土免とは、藩が年貢を賦課する際の税率。

年貢は藩が決定し各村々に書面にて通知する。

その文書の事を土免定という。


 退助の担当する吾川郡や土佐郡は、

前年、騒動があった。

 藩政に抗議する農民たちがいた地域であったのだ。

 それ故、藩庁は気の荒い退助を送り込む。

しかし新任早々の退助は、

平伏し遠慮がちに話をする農民たちを見て、

「万民が上下のへだたりなく文句を言ったり、

議論したりするぐらいがちょうど良い。

私にも遠慮なく文句があれば申し出てください。」

と優しく語り掛けた。

 喧嘩悪童・・・、実は下の者、弱い者に対し

全力で守ろうとする正義の味方だった。


 たちまち領民の心を掴み、

慕われるさまは、地域を超えて評判となり、

やがて藩主豊信や

取り立てた本人の東洋の耳にも伝わる。


 免奉行の在任期間はおよそ1年あまり。

高く評価された退助は、

文久元年10月25日(1861年11月27日)、

早々に江戸留守居役兼軍備御用を仰付けられ、

11月21日(12月22日)、

高知を出て江戸へ向かう事となる。




 家を守り残るお里。


 旅立ちの前日の晩。



 去り行く退助を前に


私は泣かない。

私は泣かない。

私は泣かない。


・・・不覚にも涙を流す。


 夫の立身出世は妻の喜びの筈。

しかし、辛口のお里でも

心から退助を愛していた。


 明日から夫はいない。


 何を頼りにし、楽しみに生きれば良いのか?

がらんとした家の中にいては耐えられない。

 新婚の楽しかった思い出が沁み込む

この家にいては

寂しさで気が狂いそうになるだろう。

 日常の他愛ない会話や

笑顔とふれあいが

実は何物にも替え難い宝物であった事に

今更ながら気づく。


(いかないで)


そう心で叫ぶお里であった。


 涙に暮れるお里を

そっと抱き寄せる退助。


 夜は更け行く。




   つづく




いよいよ時代は進み、倒幕に邁進する退助。

幾度失脚し、挫折を味わっても決してへこたれない。

自由と平等と人権を確立させるため戦う姿と、

残念で悲しい女性関係を、全編にわたって表し続けました。

そんな退助の生き様を私なりに描いています。

(11)以降も乞うご期待。

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