1章-2
喧噪と不快感で眼が覚めた。
「このクズが!やっと見つけたぞ」
周囲を数人が取り囲んでいた。血走った目で私の顔を覗き込んでいる。くすんだ灰色の制服を纏った施設の人間だ。訓練と称して非道な行いを強要してくる狂信者たち。私は彼らについて多くの事を知らなかったが、一つだけ確かなことがある。彼らとまともな会話は不可能だ。
胸倉をつかまれたと思ったら、腹を強く殴られた。
息が出来なくなり胸倉をつかまれながらも強くむせる。
「手間かけさせやがって。他の奴らはどうした?!お前を追ってった奴らは!」
「おい、あまり痛めつけるなと導師様に言われてるだろ」
「うるせえ!先に行った奴らの中に弟がいるんだよ!」
私の頭の上で言い争う彼らを尻目に私は痛む腹を押さえた。
「とにかく最優先目標は確保したんだ。導師様の元へ一度戻るべきだ」
「他の奴らはどうするんだよ!」
「戻ってからこれの口を割らせればいいだろう」
「それじゃ遅すぎる!」
私の胸倉を掴んでいる男が更に強く締め上げてきた。
「おい…痛い目に遭いたくなかったら…」
男が片手にナイフを持つ。
装飾がついた儀式用のナイフだ。
私を痛めつける時、彼らが好んで使っている。
「さっさと吐けよ。それともこれが欲しいのか?」
男が私の喉元にナイフを押し当てる。
「待て。導師様の御心に反した行いだぞ」
「うるせえ!俺は弟がここに入るっつうから付いてきただけだ!導師様だか何だか知らないが、くだらねぇおままごとはもうこりごりなんだよ!」
「導師様のお耳に入ればお前など――――――」
男達の会話は遮られる事となる。
「それで、話はまだ続くのかい?」
綺麗な金髪の女性がそこにいた。
岩場の上に器用に立って私達を見下ろしている。顔立ちは端正で日本人なのかそうでないのか判別がつかないが、異国的な妖しさがある。細い身体だがスタイルが良く、成熟した大人の女性である事が一目で分かった。こんな森の中だというのに不似合いな赤いハイヒールを履いていた。
「ここはウチの敷地なんだけどねえ…悪いんだけど他所でやってくれないかしら?」
超然とした態度で私達を見下ろす女性はそう言い放った。
呆気にとられた様子でしばし硬直していた施設の男たちであるが、最初に反応を返したのは『導師様』を妄信する男だった。
「目撃者は生かしてはおけまい。導師様は許して下さる。やれ」
その声を合図に私を取り囲んでいた他の男達が懐から凶器を取り出す。
同じ装飾の儀式用ナイフだ。
「女。悪く思うな。導師様の探究を妨げる者は生きてはならないのだ」
男達がじわじわと金髪の女性を取り囲んでいく。既に退路は断たれている。
このままでは嬲り殺しにあってしまう。
私のせいで。
また思い出したくもない両親の顔が頭をちらついた。
実の子供を捨てる親の顔が。
ああはなりたくないものだ。素晴らしい行いの出来る人間になれるかは疑問だが、少なくとも誰かを傷つける人間にはなりたくない。私のとばっちりで誰かが傷つけられるのは嫌だ。
施設では人間的な扱いを受けてこなかった。
しかしそれに甘んじて人の心を捨てたら、私に何が残るというのか。
「隠れて!」
右手に神経を集中させて頭上に掲げようとすると、
「させるか!死ねこのクズが!」
弟を探しているという男が私の首者にナイフを突き立てた。あと少しで異能を発揮出来たというのに、男が突き立てたナイフが私の首元に突き立てられる方が早かった。あと少し、あと少しで良かったのに。
首からだらだらと血が流れる。足の失血で血を多く流していたが、それでも足元を流れる小川のように止めどなく血が流れる。水流を汚していき、下流へ赤い渦を巻き散らしていく。首元を押さえても流れ出る血を止めることが出来ない。痛い。痛い。
「にげうっごほっ」
綺麗な女性に「逃げて」と言うつもりが、ダメ押しで腹に再度ナイフを突き立てる男に遮られた。
「早く死ねよクズ」
「貴様!導師様に何と申し開くつもりだ!」
薄れゆく意識の中で二人が言い争っている。
その間にも女性を取り囲む包囲網は狭まろうとしている。
力がありながら何も出来ない無念さだけが私の中で広がっていた。
「騒がしい坊や達だねえ」
しかしその女性は私が死に至る様子を見ても、これから自分が切り刻まれると知ってもなお不適に笑みを浮かべていた。私は知っている。あれはあの『導師様』と呼ばれていた不気味な男が浮かべていた笑みと同類の物だ。
即ち、強者のみが持ち得る余裕だ。
「――――――――」
聞き取れないどこかの国の言葉を彼女が口ずさむ。
「―――まさか!離れろ!!」
男が叫ぶ。
「ここはウチの敷地だって言っただろ?」
肉と肉が捻じれるような嫌な音がして女性の近くにいた男の頭が大きく膨れた。
「いたいたいいいっ」
言葉にならない声が辺りに響いた。
しかし何かを訴えかける前に男の頭が大きな破裂音と共に弾けた。
続けてその両隣の男も頭が膨らむ。
「何をしている!早く離れろ!」
その言葉で取り囲んでいた他の男達は踵を返して後退していく。しかし、その現象に範囲は関係ないようである。逃げようとした男の頭が一人、また一人と爆ぜていく。
「た、たすけて…」
ばちん、と男の頭が弾けた。
残るは私を刺した男と、指示を出していた『導師様』の妄信者。
「悪く思わないで欲しいわね。見られたからには生かしておけないのよ」
女性が不適な笑みを浮かべて言い放つ。
「クソ―――っ」
残る二人の内、どちらがそれを言ったかは定かではない。しかし、二人の頭部は同時に消え去ったようである。
朦朧とする視界の中、私は安心を覚えた。
これで私のせいで彼女が傷つくことはなくなった。常識的な存在でない彼女にこんな、まっとうな感情を持つのは間違いなのかもしれない。しかし、少なくとも。
とても綺麗な彼女が傷つく姿を見る事が無くて良かった。
最後に見たのは私を見下ろす困った顔をした彼女だった。
「やれやれ…どうしたものかね」