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グリーンスクール - 負けないで  作者: 辻澤 あきら
6/10

負けないで-6

 武蔵川の土手を西に向かって走る。市の境界でもあるこの川は、川幅が広い天井川で川原では小学生が野球をしている。ついこの前までは自分もああして草野球をしていたんだと思うと、いまは随分大人になった気分になる。まだまだ軟球を投げているのだけれど、小学生とは違うんだという意識が自らを鼓舞させてくれる。走ろう走ろう、とにかく走ろう。

 目的にしていた国道の橋が次第に近くなってきた。この橋を渡らずに国道沿いに南へ走ると繁華街へと向かう。そこを通り抜けひたすら南へ走ると自分の町に辿り着く。あと三十分くらいかと思い、橋の手前で休憩を取ることにした。ゆっくりとペースを落とし、呼吸を整えながら止まった。対岸を見やり、ふうっと息をつく。風はない。

 ふと土手の下を見ると、女の子がひとり、膝を抱えてうずくまっていた。中学生か、小学生かもしれない。そう思いながらイチローはさり気なく土手を下り、顔を見てみようと思った。

 かわいい娘だったら、ナンパしてみようかな。

 とその時、島崎の顔が思い出された。別にナンパする必要はないな、と思うと、次に美恵子の顔が浮かんだ。美恵子の怒っている顔を思い出すと、後ろめたい気になったが、とりあえず顔だけは拝んでおくことにした。さりげなく横を過ぎるとストレッチをするふりをしながら、川原に下り体をひねったり捩じったりしながら様子を見た。少女は、うつむき加減に膝の上に顔を載せながら、泣いていた。ドキッとしてしまったイチローは、芝居も忘れてその少女を見入ってしまった。少女はイチローに気づかないのか、ただぼんやりと川面を眺めていた。髪の短い稚い雰囲気のあるこの少女から、イチローは目を逸らすことができなかった。少女はただ涙を流している。声もなく、咽ぶこともなく、静かに涙が流れている。夕日の赤みがかった光が、彼女の涙を黄金色に輝かせている。イチローは、いつの間にか完全に彼女の方を向いていた。そして、そっと歩み寄っていた。

 ―――どうしたの?

驚いたように少女がイチローを見た。慌てて掌で涙を拭う仕草がかわいかった。

 ―――ごめんね、いきなり声を掛けて。でも、どうしたの。誰かに苛められたの?

少女は怯えることもなくイチローに笑顔を向けた。目元が少し赤かった。

 ―――んん、違うの。・・・何でもないの。

 ―――よければ、オレに話してみなよ。オレは怪しいヤツじゃないよ。見てのとおり、通りがかりの正義の味方だ、ナンテネ。

イチローが気取ってポーズを取ると、少女は小さく笑った。

 ―――オレは緑ヶ丘のイチローっていう、有名人さ。ちょっと練習でここまで走ってきたんだ。君は?

 ―――あたし、綾。長田綾っていうの。深香山中学の2年・・・なの、ほんとは。

 ―――オレと同い年なの?でも、本当はってどういうこと?


 イチローが横に腰掛けると、綾は静かに話しだした。綾は父親と二人ぐらしだった。父親の酒癖の悪さに母親が家を飛び出したのは半年ほど前で、その後全く消息がつかめない。綾は家事に追われながら学校に行っていたが、ある日突然ヤクザもどきの男がやって来て借金の返済を要求した。父親のバクチの負けだった。酒を飲むと前後不覚になる父親が、ヤクザに狙われた結果だった。とりあえずということで貯金をはたいて返済に当てたが、今度は生活費がなくなってしまった。父親は飲み屋を営んでいたが、母親の家出後ほとんど店をやらなくなり、酒ばかり飲んでいる。貯金がないと言っても、一向に耳をかさず、ツケで飲み歩いて借金がまた増えてきた。仕方なく綾はアルバイトをしていて、最近は学校にもほとんど行っていないという。

 ―――アルバイトって、中学生にできるの?

 ―――新聞配達くらいなら。あとは歳をごまかして、高校生だって言ってやってるの。

 ―――高校生に見えないよ。小学生かと思ったのに。

 ―――そんなことないよ。ちゃんと、高校生で通ってるんだから。

 ―――こんなにちびっこいのに?

 ―――ちっちゃくっても、大人の人もいるもん。

 ―――だけど・・・、見えねえよ。

 ―――でも、そうでもしないと、生活できないもん。

 哀しそうな横顔を見ると、イチローは居ても立ってもいられなかった。しばらく思案した後で、よし、と言って立ち上がった。

 ―――君んちはどこ?教えてよ。

 ―――どうするの?

 ―――まぁ、いいからいいから。

 イチローは綾の家を確認した後、言った。

 ―――明日は土曜日で休みだね?じゃあ、昼前にまた来るから。

 綾が生返事なのを確認せずに、じゃあ明日、と言いながらイチローは駆けて行った。



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