表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
温泉街の神様  作者: まー
1/1

お姉さん

 初めて見たとき、彼女はふわふわと浮いていた。比喩ではない。線路の上から、私の横に降りてきたのだ。誰も居ない夕暮れの駅に木枯らしが吹き、彼女の長い黒髪がたなびいた。駅のホームに降り立った彼女は、呆然とする私をよそに、何食わぬ顔で話しかけてきた。

「横、大丈夫?」

「あ、はい」

あ、はいとしか答えられない。温泉街として知られていたこの町には、駅のホームに足湯がある。とはいえ紅葉狩りには遅すぎるこの時期、駅には私たちの他には誰もいなかった。空から降りて来た彼女は、そっと足湯に白い足を入れた。

「どうしたの?ゆかりちゃん。きょとんとして」

名前を呼ばれて狼狽える。なぜ彼女は、私の名前を知っているのだろう。

「ゆかりちゃん今いくつ?高校生?」

「あ、いや。大学生です。一年」

「そっか。早いねえ」

一瞬、遠い親戚かなにかかと考える。あり得ない。私の親戚には、空を飛べる人なんて居ない。

お姉さんが、お湯の中の足をバタつかせる。チャポンという音が、閑散とした駅に響いた。

「あのすみません。どこかでお会いしましたっけ」

ずいぶん馬鹿な質問をしてしまった気がする。

「あらあ、ゆかりちゃん覚えてないの。酷いわあ」

お姉さんが長い髪をさらりと撫でる。

「そういえば、随分長い時間が立ったのかしら。つい最近のことだと思ってたのだけど。そうねえ、震災の前だものね」

震災。八年前に、私たちの町を襲った大震災。八年前から今に到るまで、町から震災の影が晴れた日はない。私にとっても、町にとっても、時間は「震災前」と「震災後」に別れている。私とお姉さんは、震災前に会っているらしい。八年前だから、十歳になる前の話だ。

「あなた、よく私の家に来てたじゃない。ほら、博物館に行った帰りに」

博物館。私がよく行っていた博物館と言えば、町の外れにある博物館だ。恐竜の化石や、昔の町の様子が保存してある。町の様子には興味がなかったけれど、恐竜の化石は私を熱狂させた。博物館に置いてある恐竜は、全てが町から出土したものだ。恐竜コーナーに入った瞬間、そのスケールに圧倒される。これほど大きい生き物が、私たちの町に住んでいたのだ。幼い私には、どうしてもそれが信じられなかった。お小遣いをもらっては、一人で博物館に行っていたものだった。仲のいいおじさんが入場係のときは、こっそりとタダで入れてもらったりもした。

「博物館の帰り」

ふと思い当たった。博物館に行った帰り、私はよく神社へ行っていた。町を見下ろす位置にある小さな神社。私たちの町が炭鉱として栄えていた頃から、町の守り神を祀っている。その神社の縁側に座り、よくお饅頭を食べたものだった。

「山上の神社ですか?」

彼女の顔が華やいだ。

「そうそう。そこでゆかりちゃん、よく恐竜について教えてくれたじゃない」

「あ、あの時のお姉さん」

思い出した。神社にいつも居て、私をもてなしてくれたお姉さん。いつも真っ白な着物を着て、綺麗な長い髪をたなびかせていた。私が行くと決まって神社の縁側でお茶を飲んでいた。

「思い出してくれてよかった。空を飛んでたらたまたまゆかりちゃんを見つけて、最近どうしてるのかなあって。あんなこともあったから、心配してたんだよ」

「あんなこと?」

「地震だよ。君も町を出て行っちゃったと思ってた。でも、残ってくれたんだね」

「あ、はい。親は出ようとしてたんですけど」

おかしなところを流しながら、会話を続ける。お姉さんは時折、チャポチャポと足湯を波立たせた。美人な大人の女性の、子どもっぽい仕草が少しおかしい。

「なんで出て行かなかったの?」

「私が出たくないって行ったんです。友達もいたし、この町が好きだったし。結局友達の半分くらいは外行っちゃいましたけど」

「そっかあ」

ありがとね。お姉さんは水面に顔を落としながら、小さい声で呟いた。

「お姉さん、空を飛べるんですか」

とても間抜けな質問をした気がする。

「うん。飛べるよ」

誰も居ない駅に、再び沈黙が流れる。私が知りたかったのは、「何故お姉さんが空を飛べるか」ということなのだが、当の本人はその話題に興味がないようだった。

「ねえゆかりちゃん、ゆかりちゃんの家に行っていい?私は透明になるから」

「透明になるんですか」

透明になるんですか。さっきから間抜けな質問ばかりだ。

「お願いゆかりちゃん!」

「透明にならなくてもいいですよ。妹と二人暮しですから」

「都ちゃんは大丈夫なの?」

「あの子、私の言うことなら大体聞きます」

彼女はさらりと妹の名を呼んだ。

「でもいいの?私、怪しくない?」

「そりゃ怪しいですけど……」

不安そうな瞳をこちらに向ける。うるうるとしていて、黒目が大きい。お姉さんは、綺麗で可愛い。

「私、お姉さんのこと好きでしたから」

忘れていたくせに、よく言ったものだと思う。でも、それは本当のことだった。お姉さんのことをはっきりと思い出せる訳ではない。それでも私の体は、お姉さんへの信頼を覚えていた。それに後になって思うと、このときの私は精神的にとても疲れていて、話し相手になってくれるなら誰でもよかったのだと思う。

「ありがとね」

そういうと、彼女は透明になった。透明になれるものなのだなあという気持ちが湧いてきた。お湯から足を抜き、鞄の中からタオルを取り出す。この町の温泉で配っている、特製タオルだ。震災の前、家族みんなで地元の温泉に泊まった。遠出した感じはなかったけれど、少し小高い場所にある旅館からみた私たちの町は、それはそれでよいものだった。

そうやって、お姉さんは私たちの家にくることになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ