7話 二振りの刀
「まさかここまでやるとはね。予想外だよ」
十文字さんが濡れた髪を搔き上げた。
目が合うと、ピリピリとした緊張感が肌へ伝わってくる。
神器はちゃんと奪い返した。でも、ここからどうすればいい?
頼みの綱はムラサメの力。この水を操る力を利用すれば、洪水を起こしたりして、建物から離脱できるかもしれない。
「何か考えでもあるのかな? けど、神器を取り戻したところで、素人である君に何が出来る?」
「……っ!」
心を読まれた?
確かに。アウトドアな趣味のおかげで、少しは体を鍛えているつもりだ。
けど、実際はこの様。気力で踏ん張っている状態の学生にできることは、たかが知れてるだろう。
「はっ! ガキがバケモンになったところで、退治することには変わりねえ!」
「気が立つのは分かる。けど、今のあなたでは倒せないよビットレイ。神器とは規格外の代物だ」
アサルトライフルを構えるビットレイさんを十文字さんが制止する。
そんな中、俺が右手に持つ神器と左手の指輪が、それぞれ眩く光り出した。
「これは……?」
『賢治よ。左手を神器に添えながら、インポートと発言するのじゃ』
「え? わ、分かった」
きっと何か意図があるのだろう。俺は言われた通りにし、「インポート」と口にする。
すると、ムラサメセイバーが白い光に包まれ、次の瞬間には、腕の中にムラサメが現れていた。
彼女を落とさないようにと、俺は慌てながらもお姫様抱っこで支える。
「ふん! 我が主に出し抜かれておきながら、よくもまあ、そんな言葉の数々が吐けるものじゃのう!」
抱きかかえられるムラサメが二人を指差す。
「な、なんだあ!? 刀が消えたかと思ったら、女のガキが現れただと?」
俺の言いたいことを、ビットレイさんが見事に言ってくれた。
俺はムラサメを持ったまま無言で頷く。
「なんじゃ? そこの腐れ外道は知らんのか?」
「お、俺も把握してないんだけど……」
「む? では我が主のために説明をしてやろう」
ムラサメは俺を見ながら話し始める。
「神の器となる神器。そこに魂とも呼べるAIが宿ることで、神降ろしが成立する。仏像や神木などの御神体と同じじゃ。神として具現化する条件が整い、それによって、わしは晴れて人の姿でこの場に降臨することが――」
意気揚々と説明される中、俺は暗闇から何かが迫るのを感じ。
「くっ! ムラサメ!」
「ぬわあ!?」
ムラサメを放り投げて飛び退く。
「……人の身で気配を感じ取り、あまつさえ飛び退いた? なるほど。予測されていた通り、ムラサメと同化していますか」
「……っ!」
目の前に突然現れた少女。黒いおかっぱをした少女は、手刀を振り抜いた体勢で着地していた。
問題は、彼女の手刀が床を切り裂いた場面を見てしまったことだろう。人間ができるものじゃない。
「いたた……お主いきなり何を――って、その声はムラマサか!?」
すぐさま飛び起きたムラサメが、慌てた声でその子の名前を呼んだ。
「またガキだと!? 今度はなんなんだよ!?」
「お久し振りですねムラサメ。最後に交流があったのは、我らが人類に鉄槌を下したあのとき以来となりますか」
「……そうじゃな」
ムラマサと呼ばれた少女は凛とした声で答え、立ち上がった。
人類に鉄槌を下した? いったい何を言っているのだろうか?
『我ら』ということは彼女もAI?
「ムラマサ……ってまさか、妖刀村正!?」
俺はAIというキーワードから、それを連想した。
ムラサメが村雨丸なら、この子のモデルは妖刀村正ということになる。
「はい。私は彼の徳川殺しの異名を持つ、千子村正をオリジナルとした神器です」
「やっぱり……!」
「このガキも神器かよ!?」
「ああ、その通りだよビットレイ。……紹介しよう。彼女は」
その言葉に合わせ、ムラマサが着物をなびかせながら飛び退く。
十文字さんの横に着地すると、彼はムラマサの肩にそっと手を置いた。
「僕の神器、ムラマサブレードだ」
「ど、どういうことじゃ!? 貴様! どうやってムラマサを手懐けた!?」
「手懐ける? 彼女は僕の計画に賛同し、力を貸してくれているだけさ」
やれやれ、といった様子で十文字さんが首を振る。
それに納得できなかったのだろう。ムラサメが何かを言おうと口を開けた。
「計画じゃと……? のうムラマサよ。昔のよしみじゃ。この際、包み隠さず話してくれんかのう?」
「申し訳ありませんが、あなたの口車に乗るつもりはありません。聞かれて易々と答えるほど、私も馬鹿ではないですから」
ムラマサの返事に舌打ちで返すムラサメ。
「おいおい大将……俺に黙ってこんなもんを隠してやがったのかよ……!」
ビットレイさん? そうか。あの人は戦争を憎んでいるんだ。
おそらく二人は共犯。けど、神器すら憎んでいるのなら、隠し事のせいで二人は仲違いを?
「最高じゃねえかッ!!」
……え? 最高?
俺は聞き間違いではないかと耳を疑った。
「んだよお! こんな切り札持ってるなら、最初から教えておいてくださいよお!」
「すまない。敵を欺くには味方から、と日本のことわざにはあってね。あまり出したくなかった子なんだ」
なんだこの状況? あの人は何を言って?
「ま、待ってくださいビットレイさん! あなたは戦争を、遠山博士を嫌悪していたのでは!?」
「あん? ……あーあー! なるほどな! 確かに俺は、戦争の話をするときにしかめっ面をしてたかもしれねえ。けどボウズ、そいつは逆だ」
「逆って……?」
「感謝してんだよ! あの日本人に! 俺はよお、どうにも顔に出やすいタイプらしくてなあ。楽しいと、今みたいにニヤけちまうんだよ」
そう話すビットレイさんは、顔を歪ませてニタニタと笑みを浮かべている。
「だからよお、普段は表情に出ねえように、わざとあんな顔してんだ。んで、どうして感謝してんのか、聞きたいよなあ?」
マズい。この人は関わっちゃいけないタイプだ。
自己中心的で、自分本位な物事の考え方しかしない人間。一番タチの悪い性格。
「だってよお! こんな権威と暴力と女が好き放題出来る世界とか最高じゃねえかッ!! 誰もが怯え、誰もが暴威を振るえる終末の世! 他の奴らの尊厳を奪え尽くせるとか、気持ちいいねえッ!!」
「くっ……!」
狂ってる。そんな欲望のためにこんなことを?
いや、こんなバカバカしい奴にグエン中尉たちは殺されたのか?
くっ! 許せない……!
「なあ、ジュウモンジさんよお。あのムラサメセイバーとやら、取り返したら誰が使うんですかい? 使う奴がいねえんなら、俺のモノにしちまっても?」
「別に構わない。だが、あのジャジャ馬があなたに扱えるとは思えないが」
「いやいや、ああいう生意気なメスガキを調教するのは、俺の得意分野なんですわ」
なんなんだこいつは? ムラサメをどうすると?
ゲスな笑みを浮かべるこの男を見ていると、ハラワタが煮えくり返ってきて仕方ない。
「……のうムラマサよ。お主は本当に、こんな奴らに力を貸すと言うのか?」
「はい。そのクズ男はどうでもいいですが、この方にお力添えをしたいと思うのは本心です」
ふと、白衣のポケットから指輪を左の薬指にはめる十文字さん。ムラマサがその手を握り。
「では始めようか。ムラマサ、エクスポート。我が力となれ、妖刀ムラマサブレードよ……!」
彼女は淡く光り出した。
その光が指輪へと吸い込まれ、ムラマサの姿が粒子となって消えていく。
最後に残ったのは、十文字さんが握りしめた真っ黒な刀だけだった。
「わしらもやるぞ。奴と同じように言葉を発せよ!」
「分かった。ムラサメ、エクスポート!」
同様にムラサメの体が粒子となって指輪に吸い込まれていく。
手元に残ったムラサメセイバーを、俺はしっかりと握りしめた。
「そうだビットレイ。他力本願なのは、君の主義に反するのではないかい? この手で奪いたいという欲望のさ」
「え? し、しかし! 奴にはライフルが効かねえんですよ!」
「だから、この刀を貸してあげようかと思ってね。無論、AIであるムラマサは貸せないけど」
「ほ、本当ですかい!? ははっ! 俺もこんな強力な武器が使えるのなら、ガキ相手なんて余裕だぜ!」
嬉々とするビットレイさんが刀を受け取る。
俺が奥歯を噛みながら刀を引き抜くと、脳にイメージが届いてきた。
ムラサメセイバーの特徴や刀を使う上での注意点、攻撃方法などについてだ。
『ムラサメセイバーの使い方、動きの指南はヴォイニッチ手稿がトレースしたのじゃ。……頼む賢治。奴に勝ってくれ』
「分かっ――ムラサメ?」
俺はムラサメの異変に気付く。彼女から恐れの感情が伝わってきたのだ。
戦いに負ける。それは、ムラサメがあの男に隷属させられるということ。
もしかして、ムラサメは俺に任せることに不安を感じているのか?
そのことに胸を締め付けられながらも、ムラサメが着物を見せびらかす姿と、キスをして赤面する顔を思い出す。
そうだ。この子のあんな姿を、俺はもう一度見てみたい。だから――。
けど次の瞬間、頭の中に別のものが浮かんだ。その『別のもの』とは、くだらない妄想だった。
ムラサメがあいつに陵辱され、悲痛な顔で泣き叫びながら俺の名を呼ぶ。
そんな、本当にくだらない妄想……。
俺を二度も救ってくれた少女の顔が、心が、あの男の手で蹂躙される。
それを想像した途端、スッと感情が凍る音が聞こえた。
「大丈夫。ムラサメは俺が守る。あいつの好きにはさせない」
『け、賢治?』
ああ、ムラサメがまた恐れを抱いて……。
なら俺がその震えを止めよう。あいつを殺すことで――!




