5話 ムラサメセイバー
液体が装置の内部に取り込まれたことで、ムラサメセイバーはカプセルの底へと降りてきた。
狂喜乱舞している十文字さんが、スキップをしながらカプセルへと近付いていく。
「見事な腕だトオヤマくん。まさか、本当にパスワードを解除してしまうとはな」
グエン中尉が俺の肩に手を置いて頷く。
「えっと、恐縮です」
俺は恥ずかしくなって頭を掻いた。
そんなやり取りをする俺たちは、十文字さんに続く形で歩き出す。
「今度こそ、ムラサメセイバーを手に入れられそうですねぇ。それではみなさん、カプセル開けちゃいますよ?」
装置のボタンが押されてカプセルのガラスが開く。
十文字さんは警戒もせずに手を伸ばし、神器を取り出した。
「神器ムラサメセイバー確保ぉ! これで、ここでの目的が果たせましたねぇ」
十文字さんの手でムラサメセイバーが鞘から抜かれた。
刀身の背の方が機械的なフレームになっていて、鉄製の刃を覆うような形をしている。
それを見て頬を緩める十文字さんだったが。
「ふーむ……ダメですねぇ。どうやら空っぽなようです」
と落胆した顔で肩を落とした。
「どういうことですミスター・ジュウモンジ?」
「いえね、このムラサメセイバーにはAIが内蔵されていないようでしてぇ。今は中身がいないみたいなんです」
「ということは、ただの刀に過ぎないってことですか?」
俺の問いかけに十文字さんは「イェース」と答える。
「おそらくですが、AIの方はネットワーク内にでも逃げ込んだのかもしれませぇん。我々の企みを勘付かれちゃいましたかねぇ?」
「どうしますミスター・ジュウモンジ? 無駄足と言わずに済みそうな結果ではあるが」
「ええ、神器だけでも確保出来たのは充分な成果と言えましょう。これも遠山くんのおかげですよぉ」
そう言いながら十文字さんがこっちへ戻ってくる。
「いえ、俺は大したことなんて……!」
「謙遜しなくても良い。私の方からも、今回の君の功労を上層部に伝えてみよう。記憶を失って、世情に疎い民間人とはいえ、決して悪い待遇にはならないはずだ」
「あ……あ、ありがとうございます!」
グエン中尉の話を聞き、俺は嬉しくなって頭を下げた。
やった! これなら軍内での立ち位置を確保できそうだ!
一応知識チートってやつになるのかな?
俺は自分の手で掴み取った成果に胸を撫でおろす。
電子工学科を専攻していて、恭子と出会っていてよかった。
「僕の方からも、遠山くんにはご褒美をあげませんとねぇ」
「さ、さすがにこれ以上よくしてもらうと、気が引けてしまいますよ」
一応謙遜してはいるけど、内心ではすごく浮かれていた。
少しだけ、元の時代に戻れなくても仕方ないかな、なんて思えてしまうほどに。
「遠慮しないでくださいよぉ。それにちょうど」
だから、次に起きる出来事に一切反応ができなかった。にこやかに笑うその意図を知る前に――。
「試し斬りもしたかったところなんですよ……!」
「――え?」
目の前の十文字さんが、迷いなくムラサメセイバーを振り抜いていた。
自分の頬に何か温かいものがかかる。それがなんなのかを理解するよりも先に、俺は膝から崩れ、床に倒れ込んでいた。
「さよなら博士」
あれ? 力が入らない……。
どうしたんだろう俺は? 何が起きて……?
「――いうことだ――ター・ジュウ――! なぜ彼を――ぐっ!? ビット――さかお前もッ?」
グエン中尉の声? 銃声が聞こえる。何が起きているんだ?
薄く目を開くと、霞んだ目が忙しく動く人たちの姿を捉えた。
けどそれも、焦点が目の前の床に移ったことで更にボヤけてしまう。
顔の方にまで赤い液体が広がってきていたのだ。
ああ……これは血なのか。きっと俺の……。
どうして? ……いや、本当は分かっている。俺は十文字さんに斬られたんだ。
でもなんで? あの人に騙され、裏切られたのか?
途端に悔しいという感情が湧いてきた。
あの声の子に助けられたのに、結局転移した先で殺されてしまう。
悔しい。また何も知らないまま終わろうとしているのが、本当に悔しくてしょうがない。
情けないけど、もう一度救いの手が差し伸べられないかと期待する自分がいた。
生きて真相を知り、場合によっては十文字さんに報いを受けさせてやりたい。
ああ、そんな奇跡は二度も起こらないさ。でもせめて、あの子にお礼くらいは言いたかったな……。
『死なせぬよ。お主に亡くられては、わしらや神器も消えてしまう』
この声……。
『まさか奥の手を使わされるとはのう。オーパーツ、ヴォイニッチ手稿を起動じゃ。魂魄を暗号化――』
その言葉を最後に俺は意識を失った。
「うぅ……」
「ふむ。どうやら、死に逝く前にお主を構築出来たようじゃ。良きかな良きかな」
「……え? ここは?」
目を開くと、逆さ向きで覗き込んでくる女の子の顔があった。
十代前半くらいで幼く、長髪の女の子だ。紺色の髪を切り揃えた、お姫様カットと呼ばれる髪型をしていた。
「ここは所謂電子の世界じゃ。お主の魂を1と0で構成し直し、データに変換させた。つまり、ここはお主のスマートフォンの中じゃな」
「……スマホの中?」
「あやつに気付かれぬための場所、一時避難所じゃ。状況は理解出来たかのう?」
「ごめん。全然分からない」
「なん……じゃと……!」
女の子はガーンという効果音が聞こえてきそうな顔になっていた。
いや、だって意味不明なんだもの。
未来に転移したのは分からなくもない。百歩譲ってだけど。
でも、魂をデータ化してスマホの中に移されたとか無理。理解が追いつかない。
というか、俺は今どういう体勢になっているんだ?
見上げた格好で横たわり、目の前には女の子の顔。
……もしかしなくても膝枕をされている?
気付いて途端に顔が熱くなった。
俺は慌てて飛び起きるも、振り向いた拍子に尻餅をついてしまう。
「えっと、あの……! き、キミは誰なの?」
「わしか? わしの名はムラサメ。神器、ムラサメセイバーを依り代とするAIじゃ」
「ムラサメセイバーの……? あれ? でも十文字さんは中身が空だって言っていたような……」
「うむ。あのときにはお主のスマートフォンに入っておったからのう。すでに神器内には居らなんだ」
なるほど。スマホに入っていたから消息不明と。
俺は改めて座り直すが。
「うん。分からない。というか、ムラサメさんはいつからスマホに侵入を?」
「むう……これもダメとはのぅ。あと呼び捨てで構わぬよ……」
そこで落ち込まれると申し訳なくなってしまう。
合わせて、ムラサメと名乗った女の子は「侵入したのは転移門を潜らせたときじゃ」と涙目になりながらも教えてくれた。
改めてムラサメを見ると、髪の一部はメッシュが入ったように白く、動物の耳のようなものまで生えていた。
服装は紺を基調とした着物。所々に、白い百合のような花が描かれていた。
「ん? どうじゃ? 可愛い着物であろう?」
涙を拭ったムラサメは、今度は嬉しそうに両手を広げ、着物をこれでもかと見せてくる。
「う、うん。可愛いよ」
「おおっ! そうかそうか!」
かなり嬉しかったのか、獣耳が立ち、腰の部分にある尻尾が左右に揺れている。
単純に可愛かった。着物だけじゃなく本人も可愛いよ。なんて口が裂けても言えないけど。
というか、すでにニヤつきそうなのを堪えるので精一杯だった。
「っと、和んでいる場合ではなかったのう」
ムラサメは突然立ち上がり、真面目な顔で見下ろしてきた。
「率直に言おう。お主はあと一、二分で死ぬ」
「え……?」
「血が枯渇するのも時間の問題。今も着々と死へ向かっておる」
そうだった。俺は十文字さんに斬られて死にかけていたんだ。
この子と悠長に話している場合じゃない。
「助かる方法は一つ。わしと契約せよ」
「け、契約?」
「うむ。わしら二人で一つの命を共有させる。どちらかが死ねば、もう一人も死ぬ。どのみち、創造主である過去のお主が死ねば、わしも消滅するのじゃ。悪くない話であろう? 運命共同体という奴じゃな」
ムラサメはそう言いながらしゃがみ込み、正面から俺を見つめてきた。
「――いッ!?」
しかし、ミニスカートぐらいの長さしかない着物の裾。しゃがんだことで、両脚の隙間から純白のショーツが見えてしまう。
見続ける訳にもいかず、俺はとっさに目を逸らす。
「なんじゃ? お主はこのまま死にたいのか?」
怪訝な声を出すムラサメ。
「せ、切実に生きたいので脚を閉じてください」
「ん? あー……お主、まだ童貞じゃな?」
ムラサメの体が少しだけ動いた。どうやら両脚を閉じてくれたらしい。
いやいや、ど、童貞ちゃうよ……!
「……接吻もまだか?」
「え? さ、さすがにキスくらいは……!」
嘘です。ファーストキスもまだしていません。
「……それならすまぬ。電子体に過ぎぬ故、これは事故だと思え」
「――え?」
顔を掴まれ、強制的にムラサメの方へ顔を向けさせられると。
「んっ!?」
次の瞬間には――俺はムラサメとキスをしていた。
肉体は無いはずなのに、唇同士が触れた感触が鮮明に伝わってくる。柔らかくて気持ちがいい。
数秒経ち、ゆっくりとムラサメの顔が離れた。
「……ん。データの統合化を完了。これでわしらの魂は繋がったことになる。契りが交わされ、ヴォイニッチ手稿は主となったお主を治療し始めるじゃろう」
えっと? ……魂が繋がって治療が可能になった?
「本当にすまぬな。わしも初めてじゃ。……許せ」
「――あ……う、うん」
そう言ったムラサメは口を袖で隠し、顔を真っ赤にさせていた。
あれ? ムラサメ自身もファーストキスだったの?
というか、照れてる顔がものすごく可愛い。
「と、とにかく現世へ戻るぞ! わしの体である神器を取り戻すためにも!」
「う、うん!」




