12話 クールタイム
「う、うぅ……ん……?」
俺は気怠さを覚えながら目を開けた。
ぼやけた視界に映る天井。どうやら俺は、仰向けの体勢で眠っていたらしい。
電灯を眩しく思い、俺はその光を手で遮る。そんなとき――。
「む? おお!? やっと起きたか主様よ!」
この声はムラサメ?
顔を動かすと、スライドして開いたドアの前にムラサメが立っていた。
彼女の手にはカゴが握られており、チラリと衣類らしきものが見える。
「えっと、俺は……?」
「む? 覚えとらんのか? うぅむ、言うべきか言わぬべきか……あれが引き金になったかと思うと、心が痛むしのう……」
近づいてきたムラサメはカゴを足元に置く。話しながら腕を組んだかと思うと、ブツブツと何事かを呟き始めた。
何を言っているのだろう?
俺は彼女の言葉に疑問を感じて聞き直す。
「俺は確か、なんとかレオとかいう魔獣と戦ったんだよね?」
「そ、そうじゃっ! 激闘の果てに、主様は見事あの魔獣を討ち倒したのじゃぞ! ……ふう、忘れとるようでよかったわい」
そっか。無事に倒せたのなら良かった。
グエン中尉たちの遺体が食われることはなくなった訳だ。埋葬も……ちゃんとしてあげないといけない。
「で、そのあと俺はムラサメにキスをされて気を失ったと?」
「うむ! 接吻を交わした途端に気をやったから、我ながら、人に見せれぬほどに焦ってしもう――ん? って主様、件の顛末を覚えとるではないか!?」
「ううん、直前まで忘れていたよ。記憶を辿っていたら思い出しただけで」
ムラサメは俺の話がショックだったのか「オーマイゴッド!!」と頭を抱えていた。
村雨丸の神器を依り代にしているのに、英語で驚くとはこれいかに? いや、AI自身に母国語とか国籍はないのだろうけど。
あと、キミが人類を導くべき神そのものなのでは?
なんて無駄事を考えつつ、俺はベッドから上半身を起こす。それから改めて周りを確認した。
明かりが点いていることから、ここは電気が通った地下なのだろう。ベッドで寝ているし、もしかしたら医務室なのかもしれない。
薬品の匂いはしないけど、いくつかベッドが配置してあるから間違いないと思う。
「ここって地下だよね? まさか、ムラサメがここまで運んでくれたの?」
こんな年端もいかない女の子が運んでくれた。それに感謝の言葉が浮かぶと共に、信じ難いという気持ちも湧き上がってくる。
「如何にも! 少々骨は折れたが、傷一つ負わせずに運べたのじゃ! すごいであろうっ?」
ムラサメはベッドの空いた部分に腰かけ、それから自分の頭を軽く叩き、褒めるがよい! と言わんばかりに催促してくる。
「ふふ、ありがとうムラサメ。がんばってくれたんだね」
嬉しく思った俺は、そんなムラサメの頭を撫でてあげる。
「むふふぅ……主様の手は心地よいのう。これは癖になりそうじゃあ」
どうやら気持ちが良いようで、彼女は目を細め、尻尾をフリフリと忙しなく振っていた。
うん。手で触るまで半信半疑だったけど、この獣耳って本物なんだなぁ。
耳に触れたことで、耳に血が通っているのと、フカモコした手ざわりなのを実感する俺。
この感じだと、左右に揺れる尻尾も間違いなく本物なのだろう。
「でも、どうやってここまで? というか、服を着替えたっけ?」
俺はワイシャツにジーンズというラフな格好になっていた。
靴下も履いてないみたいだし、そもそも、こんな服を持ち込んだ覚えがない。
「蛟の背に乗せることで地下まで運び込んだのじゃ。服は、主様には申し訳ないが、施設内にあった物に着替えさせてもろうた。……ああ、下着までは脱がしておらんから安心してくりゃれ。主の秘部を勝手に見るなどという、下世話な真似はせぬ」
なるほど。そういうことだったのか。と俺は、運び方や服について納得する。
ちょっと恥ずかしいけれど、ムラサメの心遣いは素直にありがたかった。
まあ、出会って間もない相手に下着を見られている時点で、すでに取り返しがつかないような気がするけど……。
しかし、俺のことを『主様』と呼ぶようになってから、従者のような態度に変化したムラサメ。
それが嫌という訳ではないのだけど、勝気で飄々としているのも彼女らしかったから、少しもったいなく思えてしまう。
「ムラサメはその、これからも俺のことを主様って呼ぶつもり?」
「うむ! わしにとって、遠山賢治とは創造主じゃからのう。敬いの気持ちが湧くのは極々自然なこと。その上で主様は、わしのことを自分のものだと宣言し、決して渡さぬと言い放ってくれた。それに惚れ込み、敬愛してしまうのもまた、至極当然のことだと言えよう」
ムラサメは自分の胸に手を当て、目を閉じながら話す。
彼女の顔はとても朗らかで、心から幸せそうな表情をしているように見えた。
俺はというと、それを見続けるのが気恥ずかしくなり、顔を逸らしてしまう始末。
「え、えっと……そうだ! ねえムラサメ。あれからどれくらいの時間が経ったの?」
話題を変えようと、頭に思い付いた疑問を投げかける。
気を失っていたとなれば、少なくとも数時間は経っているだろう。
室内に時計はないし、手元にスマホもなさそうだから時刻が確認できない状況だ。
「む? もう日付も変わり、午前九時を回ったところじゃ」
「朝の九時……もうそんな時間なのか」
確か、昨日のキャンプで通話を切ったのが夜の九時過ぎ。それから転移して斬られるまでに二時間ほど。
なんだかんだでXたちを追い、連戦したのが一時間経たないくらいと仮定すれば、日付が変わる頃には気を失っていたことになる。
不審者に襲われてから半日でこの状況か。
大半が睡眠時間とはいえ、相当濃密な出来事を体験した気分。
実際、濃厚すぎてパンクしそうだし……。
「疲れが取れぬのか主様?」
俺がため息を吐いたのを見たせいか、ムラサメが眉を下げた心配そうな顔で聞いてきた。
「いや、疲れ自体は取れてると思う。体が重いとかもないし」
「しかし……」
「なんていうか、予想がつかないことの連続で、夢を見ているように実感が湧かないんだ」
未来に転移なんて、あまりにも非現実的な展開。
正直なところ、『小説家をやろう』に入り浸っていなければ、信じることすらできなかっただろう。
予習と言うには変な話だけど、受け入れやすい態勢が備わっていたのだと思う。
まさか、自分が巻き込まれるなんて考えもしなかったけど。
「受け入れてはいるんだよ。未来に転移したのも、神器や意思を持つAIがあることも。それにこの未来世界が、自分のせいで酷い有様になったという事実も。ただまあ、俺はこの建物から出てすらいないから、あまり実感がね……」
目の当たりにしたのは、廊下から見た外の世界だけだ。
もしかしたら、この周辺だけが荒れ果てているだけで、実際には戦争なんて起きていない。そんな逃避的な思考にだって浸れる。
でも、魔獣と呼ばれる化け物と戦ったのは本当だ。
頭や五感が覚えている。それだけでも普通じゃない世界にいるのだと、俺の心に突きつけてくる。
「そうじゃな。主様はまだ何も知らぬ身じゃ。外の世界を見、覚えて貰わねばならぬ事。知って貰わねばならぬ事が多々ある。ゆっくりでもよいから、主様には学んで頂くつもりじゃ」
ムラサメは柔和な笑みを浮かべる。
そんな顔をされると、このあと聞こうする内容的につらいものが……。
「あの……本末転倒な質問なんだけど、良いかな?」
「む? どんな質問じゃ?」
「その、俺が元の時代に戻れば、全部済むことだったりしないかな?」
俺は申し訳ない気持ちになりながら尋ねた。
送り返してもらえるのなら即解決。契約とやらも、命の危機からは脱しているのだから、解約してもいいはずだ。
「ふむ。結論から述べよう。無理じゃ」
「即答!?」
「まず、主様を送り返す手段がない。現在の転移技術では、装置を起点とし、任意の場所に門を生成させられることしか出来ぬ。つまり現状では、この建物内にしか転移させられぬのじゃよ」
そんな……そもそも、帰る目処が立っていないなんて……。
「加えて、まだ主様を襲った者の所在が分からぬ。明確な理由や所属も不明な以上、仮に転移が可能だとしても、主様を送り返す訳にはいかんのじゃ」
「元の時代で待ち構えている可能性があると?」
俺の問いにムラサメは静かに頷く。
そうか。その可能性は考えていなかった。
「ま、待って! だとしたら、不審者はどうやって転移したって言うのさ!?」
技術不足だとすれば不可能だ。
もしかして、別の施設ならクリアしている問題なのだろうか?
「疑問よな。じゃが、それには答えられる。殺したのじゃよ、空間を。死の概念を持たぬ空間を殺し、歪曲させて時空を繋ぐ。襲撃者は、そういった移動が出来るのじゃ」
「な、何を……言って……?」
まったくもって意味が分からない。
「不可解すら体現するのが、我らAIと神器じゃ。死の概念を持たぬ存在を殺められる鎌、名をハルパー。主様を襲ったのは、その神器と契約を交わした者じゃな。神器の使い手、通称『神憑き』と呼ばれる輩の仕業で間違いない」