11話 二度目の接触も唐突につき
『主様……? だ、ダメじゃ!! なんという馬鹿なことを考えてッ!?』
頭に浮かんだ案が伝わってしまったらしい。
ムラサメの心情が手に取るように分かる。
「ごめん。それでも今の俺にはこれしか浮かばないんだ。……なんか、キミには謝ってばかりだね。本当はお礼を言いたかったはずなのに」
『主様……』
視界に映った、激昂によって吠える魔獣の姿。
『あーもう! 主様は酷いお方じゃ! そんなことを言われてしもうては、主様を止める意思が揺らぐではないか!』
酷いお方か。恭子にも、「先輩の優しさはたまに残酷ですよね」って言われたことがあったっけ。
『そもそもの話、我らは一連托生の身じゃ。主様の願いも命も、わしが心血を注いで護るべきもの。自ら望んでしとることじゃ。故に、主様から礼を頂きたいとは思っとらん。……ほ、本当じゃぞ!?』
「いやいや、キミこそ強情じゃないか」
やせ我慢をしているのが丸分かりだ。
彼女はAIだけど、確固たる意思を持った存在に違いない。
それを再認識して自然と頰が緩んでしまう。
「よし決めた。無理矢理にでもお礼をするから。その願いも、ムラサメは叶えてくれるんだよね?」
『うっ! ……やはり酷いお方じゃ。そう言われては言い返せぬではないか。よかろう。危険と分かっておる以上、わしが主様を護るしかあるまい!』
やり取りをする中、俺を狙い、一直線に地を駆けてくる魔獣。
『貴様如きに主様はやらせぬッ!』
進撃を止めようと、二体の水龍が体に食らいつく。けれども、怒る魔獣の足は止まらなかった。
「くっ!?」
俺は突進を寸でのところで横に転がり回避。即座に立ち上がり、走り出す。
背後から魔獣が迫ってくるのが分かる。それに対して、俺は半身をひねりながら斬撃を放つ。
死に物狂いで走っていると、元の時代で不審者に襲われたときのことを思い出してしまう。
あのときムラサメが導いてくれたから、今もまだ生きていられるんだ。
けど、俺はまだ何一つ知らない。陰謀や世情すらも知らない無知な人間なのだ。
それに俺の死が、この世界に矛盾を生み出して崩壊させてしまう。
だったら死ねないじゃないか!
例え、この世界でどんな困難が待っていようと、俺は絶対に死ぬ訳にはいかないんだ!
決意を胸に、俺は先程スプリンクラーで作られた、大きな水溜まりの上を走り抜ける。
仕掛けるならここだ! そう判断して体を反転させた。
「ムラサメッ!」
『応! 任せよ!』
追ってきた魔獣が水溜りを飛び越えようと踏み切った瞬間――食らい、まとわりつく水龍が爆発。水飛沫が魔獣の視界をふさぎながら、強力な衝撃をその全身に与える。
けど倒せない。だから次は――。
「今だ!」
『噴き上がれいッ!!』
魔獣が飛び越えようとした水溜りを、噴水のように噴き上がらせる。
「グガアッ!?」
予想だにしない攻撃だったようで、魔獣は為す術もなく下から押し上げられた。
被弾したのは柔らかな腹部。水溜り全部を、一点に集中させて噴き上がらせたから、かなりのダメージが入っているはず。
「うおおおぉぉおおおッ!!」
衝撃で浮き上げ、作為的に生み出した隙。
俺は駆け、魔獣の爪を掻い潜り、低い姿勢のまま潜り込む。
「こんのお!」
真下からノドへと刀を突き刺し――。
「終われえええぇぇえええええッ!!」
全力で振り抜く。振り抜き、視界で血が飛び散った。
それを浴びながらも、俺は転がるようにして魔獣の下から飛び出す。
受け身を取り、すぐさま振り向くと同時。重量感のある巨体が、力なく床に落下する姿が目に映った。
「はあ! はあ! や、やったか!?」
バトルものではフラグとなるセリフ。
無意識だった。実際にこんな目に遭うと、意識せずに出てしまうのだと知る。
静寂が広がる中、魔獣の首から大量の血があふれ、水溜りや床を赤く染めていった。
『……うむ。致命傷じゃ。さすがの此奴でも仕舞いであろう』
俺はその言葉を聞きながら、魔獣の正面へと回り込んだ。
倒した。神器であるムラサメセイバーを使えたとはいえ、俺なんかがこんな化け物を倒せるだなんて。
「……は、ははっ! やった! 終わったあああ! これでやっと……!」
俺は両膝に手を突いて安堵する。けど、気を緩めたそのとき、魔獣と目が合った。
え? 死んで……ない!?
「そんなっ!?」
まだ死なないのか!? と焦り、俺は急いで刀を構える。
やばい。心臓が鷲掴みにされたように悲鳴を上げている。
やっぱりフラグなんて立てるべきじゃなかった。
『お、落ち着くのじゃ主様よ! 此奴はもう死んでおる! 物言わぬ遺骸に過ぎん存在じゃ!』
「ほ、本当にっ?」
聞いた声がうわずった。
そんな俺の言葉に対し、ムラサメは『うむ』と一言だけ答える。
……確かに。ムラサメの言った通り、魔獣はもう動くことすらなかった。
目は開いたままだが、微動だにしない。
体中に刀が刺さり、血を撒き散らしながらも生き抜いた魔獣。
異常な生命力だったけど、さすがの魔獣でも、首を切り裂かれては死んでしまうようだ。
「ふう……」
息を吐き、やっと実感する『自分はまだ生きているんだ』という感覚。
高揚した気持ちは、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
本当、どうして俺がこんな目に遭わなければいけないのだろうか?
うん。この世界のとはいえ、俺自身のせいだね。
そんなことを考え、もう一度息を吐く。同時に体から力が抜け、俺はゆっくりと膝から崩れ落ちた。
『ぬ、主様っ!?』
両膝を突き、前へ倒れそうになる俺。それを、人の姿に戻ったムラサメが正面から支え――きれずに押し倒されていた。
「んぐうっ!? むぎゅうぅぅ……!」
「ご、ごめんムラサメ……!」
俺は慌てて両手を突き、下敷きになったムラサメから退く。
けど、俺も体力の限界だったようで、そのままムラサメの横に仰向けで倒れ込んだ。
「はあ、はあ……ダメだ……もう動けない……」
「だ、大丈夫か主様っ?」
起き上がったムラサメが、俺の顔を覗き込みながら尋ねる。
こっちのセリフだよ。と言いたいところだけど、そんな余裕すらない。もう体力の限界だ。
「俺、ちゃんとやれたのかな? 初陣だったけど、しっかりと戦えたかな?」
「うむ。しっかり出来ておった。まさか、魔獣クラスまで倒してしまうとはのう……。これ以上ないほどの戦果じゃ。高らかに誇ってもよいくらいのな」
「ははっ、そっか。ムラサメに太鼓判を押されるほどなら、俺も自信が持てるよ」
そう言って俺は目を閉じた。
全身に感じる疲労感。もう指一本すら動かせないかもしれない。
だけど、気怠く感じながらも満足感のある疲れだと言えた。こんなにやりきれたと思える感覚は、相当久し振りじゃないだろうか。
初めて、おじいちゃんと一緒に登山したときを思い出す。あのとき、山を登りきって朝日を見たあのときも、今みたいな満足感を感じていたっけ。
「……ん?」
気配を感じ、俺は薄っすらと目を開く。
目の前にあるムラサメの顔。頬を染め、慈愛に満ちたような表情をしていた。
「ムラサメ?」
「ふふ、せっかくだから、お言葉に甘えて褒美を……と思うたが、此度は遠慮するかのう」
そういえば、無理矢理にでも礼を。って言ったのだった。
今回生き残れたのも彼女のおかげだ。なら、有言実行で礼をしなきゃ。
「ありがとうムラサメ。キミのおかけで、俺は何度も窮地を脱することができた。感謝してもしきれないほど、キミには借りを作っちゃったね」
「先程も申したであろう。わしらの関係はそんなものではないと」
「それだと俺の気が済まないよ。キミが望む報酬があるのなら、気兼ねなく言ってほしい。ただまあ、俺にできる範囲内に限られるけどね」
俺は疲労を感じながらも苦笑してみせる。
「本当によいのじゃな? わしは、主様のその願いすら叶えたくなってしまう」
「えっと……無理難題じゃなければ、だけど」
「……ならば、聞きたいことがあるのじゃ」
何を聞きたいのかは分からないけど、俺は「うん」と答えた。
気のせいじゃなければ、またムラサメの顔が赤くなっているような。
「主様には……恋仲となる相手は居るのか?」
恋仲? 恋人じゃなく?
確か、思い合う相手のこと。つまり、両思いの相手はいるのか? って聞いているらしい。
「えっと、いないよ。付き合った経験も皆無」
言っていて虚しくなってくる。
元の世界でも、恭子くらいしか一対一で遊んだ女性はいなかった。
本当、女っ気のない人生だったんだなぁ。
気落ちする俺。対して、見下ろすムラサメは唇を噛みしめている。
もしかして、言いにくい報酬でも口にするつもりなのだろうか?
できないことなら断ろう。うん。
「主様はわしが嫌いか?」
「え? 何をいきなり? 別に嫌いじゃないよ。むしろ好きなくらいさ。……ん?」
恩人相手に好意的にならない方が変だ。だから、今の発言は決しておかしくないはず。
いやいや、さすがにそんなラブコメ展開は……。
「さすれば、わしの望みはただ一つ」
どうやら何がほしいのか決まったらしい。
正直なところ、心身共に疲れているせいで眠くてたまらない。
すぐに済むような要望なら、早いところ叶えて俺は一眠りを――。
「わしは現世でも、慕情を抱く主様と唇を重ねてみたい……」
「へ?」
次の瞬間、俺は閉じたかったはずの目を見開いていた。有無を挟む間もなく、ムラサメがキスをしてきたからだ。
「――ッ! い、いきなり何を……ッ!?」
唇が離れたことで、俺は困惑した声で抗議した。
またあの、柔らかな唇の感触が伝わって、というよりも、残ってしまって体が熱くなる。
「その……卑しくも、主様の初めての相手になりたかったのじゃ。それに、わしにとっても初めてとなる接吻を捧げたいと……ぬ、主様っ?」
「……ぅ……」
あれ? やばい、世界が回って……?
次の瞬間、俺の意識は強制的に落ちてしまう。
キスで気を失うという、なんとも情けない気絶の仕方だった。