10話 不退の獣王タイラント・レオ
『あ、あああ阿呆かお主はッ!? 地下にみんなが居るじゃとッ? 自分が血迷ったことを言うておるのが、お主には分かっとるのかッ!?』
「ネジが外れた発言なのは自覚してる! でもこのままだと、魔獣は地下へと向かい、グエン中尉たちの遺体を食らうかもしれないんでしょ!?」
魔獣がこのまま建物内をうろつく気なら、いずれは地下にも向かうだろう。
そうなれば、ロックを解除した神器の保管部屋にも入られる。
あれだけ血の匂いが充満していた部屋だ。そこが嗅ぎつけられない訳がない。
現に俺だって、相当な血の匂いを振り撒いている自覚はあった。
もし、さっきの接近で俺の血の匂いを覚えられたのだとすれば、俺たちの行方を探す魔獣が、真っ先に血溜まりができたあの部屋を目指す可能性が高い。
だったら、このまま逃げるなんてマネだけはできない!
『お主は優しい男じゃ。むしろ優し過ぎる。じゃがのう、あの軍人たちにそこまでのことをするのは違うであろう! お主が死ねば、それこそ全てが無駄になるのじゃぞ!』
「分かってる! でも!」
「あなたは愚かだね遠山博士」
唐突に話しかけてくる十文字さん。……って、遠山博士?
「――っ! 十文字さん、あなたはやっぱり俺が誰なのかを!」
「把握しているよ。どうしてこの時代に来たのかは知らないけれど、十九歳の遠山賢治博士その人だ」
何者なんだこの人は? 目的も計画も、その真意すらも不明な人。
こちらの事情も把握し、俺やムラサメすらも自身のために利用している節がある。
「あなたはいったい?」
「X。謎の男Xとでも名乗ろうか。もちろん十文字麻斗は偽名さ。目的はそう……この世界の支配とでも言っておこうか」
『世界の支配じゃと? どういうつもりじゃ!?』
「なぜそんなことを……?」
俺はムラサメの言葉の代弁も含めて問いかける。
「……本来ならあなたを保護したいところだけど」
十文字さんもといXは、こちらの質問には答える気がないようで、そう俺に告げた。
「そうなると、S.E.I.F.U.の目が今以上に厳しくなる。言っておくけど、彼らはすでにあなたの転移を感知し、独自に動き始めているよ。目的を遂げるためにも、そんな立場である遠山博士を、我々が匿う余裕はない。だからこそ、あなたがムラサメセイバーを使いこなせるように謀ったのさ」
「何を言って……?」
『S.E.I.F.U.とは、戦後の世情を管轄しておる組織の名じゃ。米軍の部隊と行動しとるゆえに、もしやと思うたが、この男、S.E.I.F.U.の内情についても把握しとるようじゃのう』
そんな会話をしていると、グルルゥゥ……という唸り声が耳に届く。
後ろを見ると、魔獣がビットレイを食べ終えたようで、口元を血で染めながらこちらを睨んでいた。
聞きたくないと、あえて咀嚼する音を意識外に置いていたけど、様子を把握できなかったのは逆効果だったか……。
『話し過ぎたようじゃのう……あの様子、まだ食い足らんと見える』
「どうする博士? このまま逃げるか。はたまた追い払い、討伐すらも視野に入れるか」
「……保管室には行かせないつもりです」
俺は言いながらムラサメセイバーを鞘から抜く。
Xが「そうか」と呟くと、そちらからアラームのような音が聞こえてきた。
彼はスマホのようなものをポケットから出し、起動させる。
「…………分かっているよミル。少し事情が変わったが、計画自体に支障はない。すぐに合流しよう。詳しくはそのときに話す」
相手にそう答え、Xは通話を終わらせた。
「別れの時間だ。私は退かせてもらうよ。……せめてもの餞別だ。我らが目的のためにも、こんなところで死なないでくださいよ?」
背を向け、入り口の方へ歩くX。掲げた手で指を鳴らすと――。
「え? う、嘘……」
『どうやら、あの男と戦わなくて正解だったようじゃな。最早、わしらが直接手を下す必要すらないやもしれぬ』
魔獣を取り囲むように現れた、数え切れないほどの刀の群れ。ビットレイが出した数本なんて、まるでおままごとレベルだ。
今この瞬間、魔獣を取り囲むその数は百にすら及ぶかもしれない。
「倒せる保証はないから、討ち漏らしたら後始末を頼むよ。さようなら……遠山博士」
チラリと見ると、Xは振り返ることすらせずに出て行った。
俺は魔獣へと視線を戻し、その光景を眺め続ける。
大量の刀が魔獣へと向かって飛翔。魔獣は駆け、尻尾や腕を使いながらそれらを叩き壊す。
けど、多くの刀が巨体に突き刺さり、魔獣に痛々しい声を上げさせていた。
『…………構えよ賢治。奴が言った通り、わしらでケリをつけねばならぬようじゃ』
「ああ、分かっている」
血を吐き、体中から血を流しながらも、魔獣は猛攻を耐えきった。床に落下する折られた刀が、次々と消滅していく。
俺はビットレイと戦ったとき同様、刀と鞘をそれぞれ構える。
確実な勝算があるとは言えない。けれども、さっきまでと比べれば幾分かマシだろう。
ゆっくりと振り向く魔獣。
その赤い目は、傷を負ったことへの怒りを宿しているようで、俺を静かに睨んでいた。
あれだけの攻撃を受けたのにも関わらず、まだ余力がありそうだ。
すごいね、魔獣というのは……。
『こうなったからには、わしはお主の神器として全を尽くそう。主の願いを叶えるのも我が役目じゃ。……のう賢治よ。先程の誰にも渡さないという言葉、本当に……本当に嬉しかったのじゃ』
「え? う、うん」
俺は少しこそばゆい気持ちになりながら頷いた。
『ゆくぞ賢治。いや、主様よ!』
「ムラサメ?」
あれ? 呼び方が変わった?
そのことに疑問を感じながらも、俺は唸り声を発する魔獣と向き合う。
『サポートと牽制はわしに任せるのじゃ! 主様は、回避と奴の動きを覚えることに注力してくりゃれ!』
「わ、分かった!」
『援護せよ蛟!』
もう一度、ムラサメが二体の水龍を生み出す。
俺を守るように浮く水龍は、魔獣が咆哮を上げたことで攻撃を開始した。
下手に突っ込むことはせず、口から水を噴射する遠距離攻撃。最初のような接近戦は不利と、ムラサメも判断したのだろう。
俺も同意見だ。決して相手の攻撃範囲には入らない。
離れた位置から斬撃を放つことで、俺も一方的な攻撃を行う。
しかし、手傷を負っているにも関わらず、魔獣は全ての攻撃を避けていた。
水龍たちが吐き続ける二本の噴射は、駆けまわる魔獣を捉えることができず。俺の斬撃も跳躍や横っ飛びによってかわされてしまう。
『不味いのう……賢しいとは思うてたが、まさかもう順応しとるのか?』
もう順応? それはどういうことなんだろう?
『簡単なことじゃ。あのXと名乗った男が、奴に対して追尾性のある攻撃を行ったであろう?』
「う、うん」
俺の心の声にムラサメが答える。
大量の村正による攻撃は、SFのロボットもので使われるビットのような遠隔攻撃だ。
これよりも強力な攻撃だったのは言うまでもない。
ってまさか、あれを体験していたことで対処法を学習したとでも?
『その通りじゃ。先程の攻撃と比べれば、わしらの攻撃なんぞ生温いものじゃろうて。正直悔しいがのう』
「確かにマズいね」
そんな俺たちの動揺を悟ったのか――。
『来るぞ主様よ!』
魔獣は水龍の攻撃を掻い潜って突っ込んできた。
くっ! 速いッ!?
『主様が使った水壁を展開させる! その間に回避するのじゃ!』
「うん!」
俺は前方に水壁が展開されるのを確認。真横へ全力で跳躍する。
一歩遅れる攻撃。魔獣は警戒したのだろう、水壁にぶつかる直前で前足を急停止させた。
なんとかなった……けど、安心するにはまだ早い。
俺は床を転がって受け身を取り、即座に魔獣目掛けて斬撃を放つ。
水龍による牽制も合わさり、魔獣は斬撃による一閃を避けれなかった。直撃した魔獣の片耳が根元から千切れ飛ぶ。
『よいぞ主様! 微々たるとはいえ、アレに手傷を負わせたのは主様の実力に――』
興奮した様子のムラサメが声を止めた。やってしまった、とでも言うように。
俺にも分かる。よりにもよって今ので、荒れ狂っていた猛獣の尾を更に踏んでしまったのだと。
次の瞬間――。
「グオオオオォォオオオォォォオオオオオオッ!!」
魔獣が今までとは比べ物にならないほどの咆哮を上げた。
「ぐっ……!」
俺はとっさに両耳をふさぐ。咆哮による重圧が一気にのしかかってきた。
勝てるかもしれないと思ったのがただの幻想だと、改めて思い知らされてしまう。
『臆するでない主様よ! 気後れれば、負けるのはこちらぞ!』
「だ、大丈夫だムラサメ!」
俺は落ち着くために息を吐く。
逆転の手段は何かないか? そう思いながら思案する。
頭の良すぎる獣。それでも怒りに囚われ、正常な判断を失った可能性が高い今なら……。
壊れたスプリンクラーを見つめ、俺は一つの案を思い付く。汗が頬を伝うのを感じながらも、自然と唇が釣り上がった。
ああ、やってみる価値はありそうだ――と。