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 ある晴れた春の日。

 結衣は一人で桜の舞う坂道を歩いていた。

 その年、誕生日を迎えた結衣は還暦、つまり六十歳になっていた。


 こうして、結局上映されることのなかった恋愛映画、恋坂の舞台となった坂を上ることは、いつの間にか、結衣の人生において、ある一つの定期的な習慣のようなものになっていた。

 さすがに坂を上ることにも、最近は疲れを感じるようになってきたのだけど、まだまだ若い人には負けられないと結衣は思った。 

 そして結衣は、今日も坂を上りきり、その先にある小さな神社とその隣にある小さな公園までやってきた。

 綺麗。

 舞い散る桜を見て、結衣は思う。

 結衣は小さな赤い鳥居の前で足を止めて、満開の桜の木と舞い散る桜の花びらを見つめる。

 そして結衣は、思う。

 あの人のことを。

 ずっと、ずっと大好きなあの人のことを、今日も結衣は思う。

 桜吹雪の中で。

 愛しい、あの人のことを思い浮かべる。

「大好きです」

 桜色の空に向かって、結衣は言う。

 そして、にっこりと結衣は笑う。

 結衣は後悔をしていない。

 平結衣はいつだって、前だけを向いて走っている。

 それが結衣の、……長い人生の中で手に入れた、たった一つの、本当に自分にも他人にも自信を持って誇ることのできる、……自慢だった。


 結 むすび 終わり


 ……それは、生まれること。

 ……それは、ここから、なにかが始まること。


 君とはじめて手をつないで、ふわふわと桜の花びらの舞う春の風の吹く坂道を走る。 終わり

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