お姫さまと卒業式
冬の厳しい寒さが終わりを告げ、春の花の蕾が彩り始めた頃、学び舎の卒業式が行われた。
あの少女との噂を聞いてからも、私は日々穏やかな時を過ごした。
私以外の第二王子の婚約者候補方は、突然現れた少女やその少女の周りに居る第二王子以下三名に対して憤慨していて、その分お茶会の回数も増えたが、それ位だ。
少女の姿は、一度も見たことがない。噂によると、中庭や学園内にあるサルーンで良く目撃されたらしいが、專ら図書室と自習室に通っていた私とは全くエンカウントしなかった。
その事をお茶会の席で話したら、怒りに震えていた令嬢達は怒りも忘れて驚愕していた。
曰く、「あんなに目立ってるのに?!」とのこと。
「実は魔法を使って第二王子達が近づく前に逃げてました」とは言えないので、恥じらいつつ気にしてないふうに見せた。
さて、卒業の前に卒業試験というものがあるのだが、私は受験不要となった。
流石に驚いたが、普段の講師方との会話や授業での生徒とのやり取りを見て、私には充分知識があると認められたのだ。寧ろ、受験する側よりも試験を作る側に回って欲しいとまで学園側から正式に請われたので、そうした。
異例中の異例である。第二王子さえも受験したのに、私は飛び級合格である。
その所為か、私は第二王子の挨拶とは別に主席として卒業式の壇上に上がって挨拶をすることになった。
殆ど授業に参加していなかった筈なのだが、壇上に上がるや否や、式場は歓喜に湧き上がり、「エメルディアさまー!」「聖女さまー!」なんて声まで上がった。
(聖女って何の話ですの?)
壇上に上がって見渡すと、式場の端に“エメルディアさまファンクラブ”と書かれた横断幕が掲げられており、吃驚した。勿論、顔には出さない。
式の後が一番大変だった。
外に出るや否や、周囲に生徒が集まり、挨拶やお祝いの言葉をかけられ、何故か沢山の方から握手を求められた。
流石に戸惑っていると、何処からともなく現れた自称“エメルディアさまファンクラブ会長”と名乗る男が仕切り始め、あっという間に列を作り上げ、私を何処から出て来たか分からない豪奢な椅子に座らせ、握手会を始めた。
咄嗟に「手に変なの付けられたら嫌だ」と思い浮かび、握手の直前に濡れタオルで拭かせてから握手をした。
高等科だけでなく、普通科の生徒も交じり、列はなかなか途切れなかった。
途中で泣く人も居れば告白する人、手紙や花束を渡す人、謎のポエムを残す人と様々な人に握手を求められた。
中には「エメルディアさまは俺のものだー!」と凶器を出す者が居たが、魔法で縛り上げて然るべき機関に渡した。
全く身に覚えが、私は何やらこの学園の生徒のアイドル的存在だったらしい。
しかし、それも仕方がないことだ。
“俺”は肯く。
エメルディアは、十六歳になった。この国では成人である。
顔立ちは更に大人びて、化粧をするようになったこともあり、更に色っぽさが増した。サファイアブルーの瞳は時に優しく、時に妖艶に輝く。ふっくらとした唇は時に優しく笑みに、時にドキリとするほど艷やかに笑みを浮かべる。
特に成長著しいのは、胸だ。
十六歳でありながら母を超越した胸は、私の両手に余るほどに大きくなった。それは、ただ大きくなったのではなく、美乳として成長を果たした。しかし、年々大きくなる胸の所為でブラウスは本来のサイズよりも大きめのサイズを着る羽目になった。しかし、些細なことだ。
“俺”は大満足だ。
エメルディアは、誰をも超越する完璧な美女になった。
これ程の美女は、もしかしたらこの世界には二度と現れないのでは、と云うほどになったと“俺”は自負している。
だからこそ、私は卒業パーティーを終えた今夜、計画を決行する。
準備は万全だ。
思い残すことは何もない。
私は私の為に生きていく。
これからも、ずっと、ずっと――
◇
卒業パーティー。
それは、学園を卒業する子息子女が無事に卒業出来たことと、大人になることを祝うためのパーティーだ。
ドレスコードのあるパーティーであるため、基本は貴族やお金のある商家の子息子女が参加する。
これが彼らにとって初めての夜会であり、これを皮切りに大人の世界へ歩みを始めるのだ。
普段下ろしている髪を綺麗に纏めてもらい、結った髪に白百合を飾る。
初めて着る夜会のドレスは、私の瞳と同じ青いドレスだ。胸元は白い生地に白のレースを重ねており、ウエストを青いサテン生地のリボンでキュッと結ぶ。そこから切り返してパステルブルーの下地に上から瞳と同じ色の生地が被さる。波打つ青のスリットからパステルブルーが覗くような装いだ。
ドレスは、胸の大きい私の為に作られたオーダーメイドだ。
胸は潰されることなく、綺麗に整った形になっている。
左手首には母から貰った銀のブレスレットを、首元には父から貰ったサファイアのネックレスで飾る。
「姉上、とてもお綺麗です」
そう告げたのは、アーロンだった。父から受け継いだモカブラウンの髪に母から受け継いだアメジストの瞳。五歳下の彼は、まだ幼さが残るものの、着慣れない筈のタキシード姿は様になっている。
「ありがとう、アーロン。ごめんなさいね、貴女にも婚約者が居るのに」
「いえ、問題ありません。寧ろ、彼女に羨ましいと言われました」
「まぁ、そうよね。少し背伸びしたいお年頃よね」
「いえ、そういう意味では……」
否定を口にしたアーロンを遮るように、ノック音が響いた。返事をすると、我が家のメイドが一人「お時間です」と告げた。
「今日はよろしくね、アーロン」
「はい、姉上」
不慣れに差し出された手に、私は手を重ね、部屋を出た。
パーティー会場は王城の中。部屋から出て廊下を歩くと、そこかしこから談笑が耳に入る。その裏で、「料理の材料が足らん!」「おい、グラスはそっちじゃない!」等の悲鳴にも似た怒号が行き交う戦場が繰り広げられていた。
「姉上」
ふと、アーロンが私を呼ぶ。
「何かしら?」
「姉上は、第二王子――クリストファーさまのこと、どう思いますか?」
「……聡明な方だと」
「……いえ、そういうのではなくですね、個人的にどう思われますか、という質問なのですが」
「個人的に?」
嫌な予感がヒシリと肌を伝う。
「そう、好きとか嫌いとか」
「……そういう風に考えたことは、一度もありませんわ」
私の言葉に、アーロンは思わずと言った様子で足を止めた。
「アーロン?」
「い、一度も、ですか?」
「えぇ」
「私が聞いた噂では、第二王子からは度々求婚されてたと聞きましたが……」
「まぁ、そんな事、一度もありませんわ」
「え、一度も?」
「えぇ。……でも、例え求婚されても、私は御断りするわ」
「……そう、ですか」
アーロンは、それから口を閉ざし、会場の入り口に到着するまでお互い何も話さなかった。
そして、とうとう入場の時、私は自ら口を開いた。
「アーロン、ありがとう」
「え?」
私とアーロンは、互いを見つめ合う。母と同じアメジストが、不安げに私を見つめるので、私は笑みを深めた。
「姉上?」
何か問いかけたそうに口を開くアーロンだが、私は彼を無視してそのまま会場へと入場した。
「アディンソン公爵令嬢、ご入場です!」
会場に入場すると、私の名がその中で響いた。途端、各々に談笑していた者が全員こちらを向き、大喝采と大歓声を挙げた。
「エメルディアさま!」
「聖女さま!」
三年間、学園に通っていたが、私は彼らにとって影の薄い存在だと思っていた。授業にもほぼ不参加で、時々現れたかと思いきや生徒としてではなく講師の手伝いをしている。
さぞ浮いた存在だっただろうと自負していたのだが、どうしてこうなった。
(だから、聖女って何ですの?)
聖女のような見た目であることも自負しているが、他者からこんなに賛美されると流石に恥ずかしい。
混乱しつつも、私は絶やさぬ笑みで会場を見回す。
すると「ああっ、エメルディアさまがこちらを見たわ!」「俺、俺を見たぞ!」「お前のような者を見るわけなかろう! 私を見たのだ!」など、別に何処を見たわけでもないのだが、見た見てないと騒がれた。
横を見ると、ポカンとした表情のアーロンがそこに居る。私はそれを好機として、彼の手から離れた。
「アーロン、ありがとう。私行くわね」
「姉上!」
強く呼ばれるが、私は聞こえなかった体を装って、先程見つけた友人であるマリーの元へと向かった。
「マリーさま!」
「エメルディアさま! ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。そちらもおめでとうございます。マリーさまのドレス、とっても素敵ね」
彼女のドレスは春らしい若葉色。結われた髪には花びらのような小さな髪飾りで飾られており、春の妖精のような装いだ。
「ありがとう、貴女も。それよりも、凄いですわね、貴女のファン」
「えぇ、私も驚きましたわ。ファンて何のことですの?」
「あら、ご存知なかったのですか? 一年目の半年過ぎた辺りから沢山いらっしゃいましたわよ」
(そんなに前から?)
予想以上の期間に驚きを禁じ得ない。寧ろ、何故気付かなかったのだろうか……。
「私如きにファンだなんて……」
「エメルディアさまはご自分を過小評価していますわ! 質問すると講師より丁寧かつ分かりやすい説明で教授いただき、手本として魔法を繰り出すエメルディアさまは、宛ら聖女のよう、とまで言われていたのよ」
エメルディアの見た目や仕草全て、その様に目指したので他者からの評価に嬉しくないことはないが、こうも面と向かって言われると恥ずかしい。
「そ、そうでしたのね」
私が相槌を打つと、マリーさまは「そうです!」と鼻息荒く肯いた。
「それはそうと、エメルディアさま」
マリーさまがちょいちょいと小さき手招きをされるので、私はマリーさまに近付く。近付いた私の耳元へ手を当て、マリーさまは小声で「今夜、第二王子が例の一年生とこのパーティーに参加されるらしいわ」と告げた。
「まぁ! では、その方を婚約者に?」
「そうみたいですわ……」
私の耳元から離れたマリーさまは、眉間に皺を寄せていた。
実は、今夜は卒業パーティーに伴って、今回卒業する我らが第二王子の婚約者披露をする事になっている。
その相手は披露の時まで内密にされているのだが、彼の傍に今日パーティーに参加する筈のない一年生である噂の彼女が居るということは、つまりそういうことなのだろう。
「身分も立場も乗り越えて結ばれるだなんて、まるでお伽噺ですわねぇ」
「……相変わらずのエメルディアさまですわね
」
溜息混じりに、マリーさまは呆れた様子で私を見る。
「あら、何かおかしかったかしら?」
「……ねぇ、エメルディアさまは本当に殿下のことをお慕いしていないの?」
「うふふ、マリーさまったら。私に何をさせたいのかしら?」
「誤魔化さないで下さいまし。ねぇ、エメルディアさまと殿下なら本当に理想の夫婦になると思いますの。どうして駄目なのですか?」
懇願するような表情で、マリーさまは私に訊ねる。
“俺”が男と結婚したくないから、なんてマリーさまに説明出来る筈もない。私が困っていると、会場内に壮大な音楽が流れ始めた。
パーティー会場の奥の豪奢な席に、会場に現れた現国王と王妃、王太子殿下と王太子妃が並ばれた。
私を含めたパーティー列席者は口を閉ざし、総じて彼らに頭を垂れた。
流れていた音楽が静かに終わる。
「面を上げよ」
静かな会場に、王の言葉が響く。
「紳士淑女諸君、卒業おめでとう。君たちが無事卒業できたことを喜ばしく思う。これから君たちは各々の道へと歩み始めることとなる。時に困難な時もあるだろうが、君たちがそれらを乗り越え、輝ける未来へ辿り着くことを期待する。今宵は是非楽しんでくれたまえ」
王の話が終わり、盛大な拍手が広がる。
次に、王太子殿下が一歩前へと出た。
「卒業おめでとう。今宵、皆と共に成長を遂げた我が弟第二王子クリストファーの卒業に伴い、彼の婚約者披露を行いたいと思う」
王太子の言葉に、会場はざわめき始めた。時折、何故か私の方に視線が投げられたが、深く追及しない。
「第二王子クリストファー・イル・エルランド、前へ!」
「はっ!」
王太子の凛とした呼び掛けに応じ、会場の入り口から第二王子が現れた。その横には、ピンク色の髪に同色のドレスの見知らぬ少女が居た。
「彼女よ」
マリーさまが小さな声で私に告げる。
(彼女が……救世主)
横目で覗くマリーさまは表情は不服そうなものだったが、彼女は私からすれば第二王子の心を奪ってくれた救世主。
恨むことなどあり得ない。
感謝の気持ちで心を満たしていると、ふと彼女が会場をキョロキョロと見回していることに気付いた。
(知り合いでも居るのかしら?)
「落ち着きのない方ね」
私とは違って彼女に対してマイナスイメージの強いマリーさまは、刺々しく呟いた。
それに苦笑していると、ふと第二王子と視線が合ったような気がした。
(……まさかね)
先程の自分を思い出し、まさか私を見ていたなんてあり得ないと否定する。
第二王子はピンクの少女を伴い、王族らの前へと歩み出す。視線を変えて、王族らを見ると、驚愕に満ちた表情をされていた。
婚約者候補でもなく、爵位ある家の令嬢でもない一般市民を伴っているのだ。彼らの反応は間違っていない。
皆の前を通り、王族の前に辿り着いた第二王子は王太子殿下と何か会話をする。首を振ったり、傾げたりして、やはり口論をしているらしい。王太子殿下を遮り、第二王子は会場を見渡した。
「婚約者披露をする前に、皆の前で断罪せねばならぬ者がいる」
第二王子の一言に、会場は大いに騒がしくなる。こんな目出度い席で断罪など、穏やかではない。
「エメルディア・アディンソン!」
「……はい?」
暢気に傍観者に徹しようと考えていたその時、第二王子の口から出た名前は、確かに私の名だった。
パーティー列席者も、まさか私の名が呼ばれるとは思わなかったらしく、ざわめきが一層大きくなると共に皆の視線が一斉に私へ向いた。
「前へ出るんだ!」
名指しでの呼び出し。
思わず呆けていると、ぎゅっとマリーさまに手を握り締められる。その顔は青褪め、握り締められた手は震えていた。
(呼ばれたのは私なのに……)
私はマリーさまの手を握り返して「ありがとう」と返す。
「大丈夫よ、行ってくるわね」
溜息を吐きたい気持ちを心に隠し、私はマリーさまの手を外して第二王子の元へと向かった。
お読みいただき、ありがとうございました。