金色の女神と黒龍
どうしても書きたくなって勢いで書き上げました。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
よろしくお願い致します。
曰く、彼女は神話に出る女神そのものである――
曇天。
そこに光はなく、大地は渇き、荒れ果てていた。
草一本すら生えていない荒野。
そこは、戦場となる舞台。幾度と無く戦場となった、血塗れの舞台。
迎えるは人間。騎士、冒険者、傭兵等、歴戦を潜り抜けた猛者の群集。
対するは、世界の澱みより生まれた魔物。心は無く、知恵も無く、ただただ生物を食い殺す。意味も無く、喜びも無く、悲しみも怒りも楽しさも、ただただ機械的に。
魔物に合図などない。しかし、それらもまた、群れで行動する。
大体が五から十程度の数で固まって行動するが、今回はその比ではない。
地平線を埋め尽くすほどの魑魅魍魎。蠢く。叫ぶ。暴れる。嗤う。
その最後尾では、踊るように稲光が天から地へ落ちる。操るのは、この魔物たちを束ねる強大な黒龍。曇天の空を揺蕩うように、その長い胴体をくねらせながら浮かんでいる。四肢こそ短いものの、その口から吐く黒炎は生けるもの全てを焼き尽くし、その瞳に睨まれた者は雷の餌食となる。龍が空を舞えば、忽ち竜巻が生じて人々を飲み込む。
龍の咆哮は、人々へ手向ける鎮魂歌。死へのカウントダウンが始まる。
嘗てない程の絶望的な景色。人間は、只管にその絶望に言葉を失った。
「もう、駄目だ」
そう言ったのは誰が先か。
波紋のように、広がるその言葉と不安。
彼らを統べる役を皇帝より賜ったアルケンティアス帝国の騎士団隊長であるモルゲン騎士団長は、歯を食いしばってその不安を拒んだ。
ドクドクと打ち鳴らす鼓動。ブルブル身震いをしかねない身体。
そんな軟弱な身体を叱咤して、装甲で纏った腕で叩く。
ガキン、ガキンッと鋭い音。
しかし、その音こそが、周囲の不安を殊更煽る。
後方の人間は、今にも引き返そうと後ろをチラチラと振り返っている。
敵前逃亡。
それこそ、武闘家としての恥。刃を以て生きる事を選んだ者が、命に変えても破ってはならない沈黙の掟。
しかし、果たしてその掟を意地でも守ると頑なな者は、この数千の人間の中にどれ程居るのだろうか。
誰もが絶望に呑まれ、震えるてから剣を落としそうになったその時。
「雲が……」
ふと、誰かが空を見上げて呟く。その者の瞳は、先程までの光を見失っていた筈だが、今はキラキラと太陽の光のように輝いている。
「……え?」
隣人が、同じく顔を見上げる。
その表情は、絶望から驚愕へと変わる。
そんな戦士たちがぽつりぽつりと現れ、最後には皆が空を見上げるようになった。
空は、相変わらず曇天で覆い尽くされている。しかし、その一箇所だけ針で刺したような細い穴が空いていた。
そこから漏れる光は、紛れもなく天の光だ。
ほんの僅かな光だが、まるで救いの標の様だった。
そう、正にそれは、救いだったのだ。
光の中から、颯爽と現れた影を戦士たちは見逃さなかった。
空に浮かぶのは何か。
鳥か?
竜か?
「いや、ペガサス……、ペガサスだ!」
微かな希望が、絶対的なものへと変わった瞬間だった。
ペガサスに跨るは金色の乙女。
その姿は、戦士たちに希望を与えた。
「エメルディア、参りますわよ!」
聖母を想像させる女の凛とした声色が、遠く離れた地上にまで届く。声が届いたのが先か、はたまた。
天の彼女の元から、七色に輝く光が放たれる。
幾千、幾億、幾兆、幾景か。
放たれた光は、あっという間に魑魅魍魎を突き刺していく。
光で埋め尽くされた敵陣地は、あっという間にそこに居た筈の魑魅魍魎を消し去ってしまった。刹那に変貌を遂げたその光景に、戦士たちは思わず「うおおお!」と歓喜の声を上げた。
「す、すごい」
「これが、世界で唯一のマスターランク冒険者――女神エメルディアさまの力……」
女神。
否、彼女は人間だ。女神ではない。
しかし、彼女の力は明らかに並外れている。桁違いだ。
先程のあの光。
魔法の力だと彼女は公言するが、どんな原理か誰にもさっぱり分からない。
どんな高名な魔法研究家でも、その答えが導き出せないでいる。
その威力は凄まじく、とある国で行われた海竜討伐の際には、海を真っ二つに割ったと云われている。
彼女の跨るペガサス。
本来ペガサスは、人を乗せる事を厭う高潔な存在だ。
無理矢理モノにしようものなら、百の命を失う覚悟が必要である。
だと言うのに、彼女はたった一人でペガサスを従え、契約したと云う。
更に、彼女のペガサスは、彼女を乗せることを誇りとさえ感じている様子があり、彼女に恭しく頭を垂れて服従する様を何人もの人々が目撃している。
そして、彼女を害する者は何者であろうと容赦しない、危うく死人が出るところだったとまことしやかな噂が流れている。
そして、その容姿。
明らかに高貴な出の者であると判るその姿は、十人中十人が肯くだろう女神そのものだ。
豊かなプラチナブロンドは緩やかに波打ち、まるで春風がそよいでいるかの様な錯覚を覚えさせる。
聡明さが窺えるサファイアの眼差しは、まるで全てを見透かしているかのようであり、何もかもを抱擁するかのような、海よりも深い慈しみを与えてくれる。
瑞々しくふっくらとした唇は、常に笑みを絶やすことが無い。どれ程の絶望も、どれ程の怒りも、その笑みを一目見た瞬間に、今までの感情を忘れ、呆気なく心を奪われることだろう。
しなやかに伸びた四肢に傷一つなく、その上、戦場に赴くには似つかわしくない程に白く華奢なものだ。
その美しい手は、戦場で傷を負った者たちを癒す。癒やしの力は、満身創痍の戦士さえも瞬く間に治してしまう。
彼女に救われた命は数知れず。
彼女に倒された魔物もまた、数知れず。
彼女こそ、人類を救う人の姿をした女神そのものだ。
「女神……」
「女神だ」
「まさに神の美技」
人々は、此処が正に戦場である事も忘れ、彼女の勇姿に見惚れていた。
そんな彼らに、エメルディアには珍しく鋭い眼差しを向けた。
「何をしているのです! それでも誇り高き戦士ですか!」
眼下に広がる、思い思いの武装をした戦士達を、エメルディアは見回す。
絶望が払拭されたばかりの戦士達の表情は、少し呆けていて、やや場違いとも言える。
しかし、エメルディアが叱咤すると、ハッと憑き物が落ちたように目を見開き、世界を見渡した。
つい先程、エメルディアが五分の三ほど敵を倒したものの、意思を持たぬ魔物に戸惑いは無く、今も猛然と戦士達の元へと向かっている。
「見なさい、目の前を! 敵はまだ数多くいるのです! その剣は飾りですか? いいえ、違うでしょう。その剣を、守るべき者の為に、愛すべき者の為に翳すのです! 立ち向かいなさい、戦士たち! 私と共に、世界を救うのです‼」
「おおおおおお!!!!」
彼女の言葉に、魔物に負けぬほどの咆哮が、人々の身体から自然と湧き上がる。
そこに若さも老いも男女も関係ない。
守るべき者が居る。
守るべき矜持がある。
愛すべき者が居る。
果たすべき誓いがある。
ただ、それが理由だ。
その為に、この大戦を生き抜くのだ。勝つのだ。終えるのだ。
戦士は、再び剣を握り直す。
その目に迷いはない。死を超越した生への渇望。
彼らはそれを信じて、敵陣へと足を踏み出した。
対して、戦士達の行く先には、魔物とは違い、大いに殺気立った黒龍が居た。
龍は、地に居る魔物とは違う。
意思があり、目的がある。
しかし、それは人類とは相容れぬものだ。
彼らの願いは、世界を魔物のものにすること。それは人類の破滅を意味する。
そして、魔物に意思が無いとは言え、龍にとっては同族。同族が瞬殺された怒りは、強い。
「――――――!!!!!!」
強い怒りが咆哮となり、空気を震わせ、大地を揺るがす。
一瞬、漸く敵陣へ向かおうとした人間が怯みそうになる。
だがしかし、それは一瞬だ。
「空の敵は私が相手します! 貴方がたは地上の敵をお願い致します!」
その声と共に、空からキラキラと光の粉が降り掛かる。
「これは……!」
その光に触れるや否や、身体の内から熱い何かが湧き上がる感覚を覚えた。初めて感じる感覚に驚くも、その感覚は瞬時に身体に馴染み、普段より身体は軽くなり、更には重みのある武器が羽のように軽くなった。
「これが、女神の加護、なのか」
――女神の加護。
それはエメルディアが編み出したとされる能力向上の魔法。
その者の力、体力、俊敏性、魔力、防御力を格段に向上させる魔法だ。効果に時間制限こそあるものの、その後も身体が向上していた状態に引っ張られており、効果切れとは言え、普段より動くことが出来るのだ。
戦士は、嘗てない程の自信に満ち溢れていた。
目の前の有象無象。
先程までの絶望が嘘のようだ。
今ならば、全て倒せる。
そう確信出来る。
「うおおおおおおおお!!!」
「行くぞおおおおおお!!!」
戦士は駆ける。圧倒的数の敵陣へ。生きるために。勝つために。帰るために。
◇
黒龍は、自分より力ある者を知らない。
自身こそ、絶対的支配者。
自身こそ、圧倒的な力を持つ強者。
それを疑った事などない。
この世界に生じたのは、つい数日前だ。
人間でない彼らは、ある日突然世界に生じる。
果たしてそれが世界にとって必要なのか不要なのか。それは分からない。
しかし、相対する存在が世界に二つ。
それはつまり、どちらか一方が不要であるということ。
互いを害さねば生きていけず、共存は絶望的。
であれば、相手を蹴落とさねばならない。
彼らと人間の争いの歴史は、遥か遠い昔からだと云われている。
千年前には、既に互いを敵だと判断していた、と歴史が語っている。
そんな永い歴史の終止符を打つ者こそ、黒龍自身である、と黒龍は理解していた。
自身がこの世界の頂点に立つ存在である。
生まれた時からそう理解している。
自身から生じる澱みから、魔物を殖やす。
生じた彼らを繁殖させ、更に殖やす。
生めよ。育み地に満ちよ。
魔物に成長と言う概念は無く、生まれた瞬間から一個体として成り立つ。
圧倒的力に圧倒的数を生み出した。
人間よりも多く、多く生み出して、蹂躙する。
その筈だった。
目の前の人間を見た瞬間、考える間もなく理解した。
――あれは強い
どの個体よりも強いことを本能的に理解する。
どの個体よりも殺意を感じないのに、殺されると思わずにはいられない。
しかし、怯まない。
この人間は、圧倒的数にまで増やした筈の魔物たちを多すぎる程に殺した。
彼らの頂点に立つ者として、それは許されることではない。
黒龍は、朗らかに笑む人間を目の前に、何もかもを燃やし尽くす黒炎を吐き出した。
消し炭さえ残してやるものか。
この人間の存在さえ、消し尽くしてやる。
「あらあら、待て、も出来ませんの?」
場違いにも程がある。
まるで犬に叱りつけるような、緊張感に欠ける声。すると、黒龍の吐き出していた炎が逆流を始めた。吐き出した筈の炎が目の前に迫り、黒龍は寸での所でそれを躱した。
行き場を失った炎は大きな火の玉と化し、地上へと落ちていく。このままでは地上が炎の海と化し、人間も魔物も全て焼き殺してしまうだろう。
しかし、そうはならなかった。
「彼の物を常闇へ、“ブラックホール”」
「‼」
突然景色に真っ黒な穴が空く。光の一筋さえない暗闇が蠢くその穴に、黒炎は落ちて行く。そして、静かにその穴は閉じられた。跡形もなく、何事も無かったかのように景色は元に戻る。
黒龍は、その光景に目を見開く。
自分の攻撃が躱されただけでなく、消し去られてしまった。
本来ならば、あのまま地上へ落ち、この地の生命を全て焼き殺していた筈なのに。
「さぁ、今度は私の番ね」
人間はそう言う。
人間の顔は、絶えず笑みを浮かべている。そこにやはり殺気はない。
だが、その力は圧倒的で、黒龍を殺すには充分過ぎるものだった。
しかし、黒龍は諦めなかった。
我こそ最強にして最凶たる存在。
例え、この身が死を迎えても、この世界は我らのものだ。
黒龍は、自ら眠る力を呼び覚ました。
澱んだ空気を胸一杯に吸い込む。女は油断している。
好機である。
黒龍は、吸い込んだ空気を思いっきり吐き出した、彼の黒炎で出来た火の玉の雨と共に。
女は目を見開いて驚愕する。
ペガサスを従え、地上へ落ちる火の玉を追い掛ける。そして、先程駆使した光の弓矢を飛ばして、全ての火の玉を打ち消した。
女に安堵の暇など与えない。
女の背後に周り込んだ黒龍は、再び大きく口を開いた。口腔には、最期の炎が待ち構えている。
ニヤリと思わず黒龍は笑った。
振り返った女が、死を覚悟する。
ざまァ見ろ。お前さえ殺せば、人間どもなぞたかが知れている。
殺す。お前を殺す。
殺してやる。
黒龍が、生まれて初めて喜びを覚えた瞬間だった。
お読みいただき、ありがとうございました。