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第三章「君が目を覚ましたら」


 ふと気が付くと俺は、薄暗くて狭い部屋のど真ん中で、大の字になって倒れていた。


 ――ここは……?


 俺は急いでバッと起き上がると、リビングのボロボロ窓を開けた。

 外は大雨だった。

 ザアァァァ……という雨の音に混じって、車やバイクが近くの道路を行き交う音や、電車が走り去る音、歩行者専用信号機から流れるメロディ、人の喋り声、雑踏、風の唸り声、それらが混在して低く響く都市そのものの音。そこには様々な音があった。


 また、手前に見える公園の遥か向こうには、雨に淀むビル群が見え、その合間には立派な五重の塔が見えた。


 ――そうだ、俺、仕事転勤になったんだ。


 俺はふと、二日前に小山さんと交わした、とある会話のやり取りをぼんやりと思い返した。


     *             *             *


 「雨宮さん、急な話で本当に申し訳ないのですが……上からの指示なんです。どうかわかってください。実は今日、雨宮さんの転勤が決まりました。すなわち、“契約者変更 ”というヤツです」

 「 “契約者変更 ”ですか……」

 「えぇ、 “契約者変更 ”です。今度の新しい契約者は、京都府京都市に住むごく普通のOL、藤井美咲(ふじいみさき)、二十五歳。それで……今回の雨宮さんの仕事は、涙です」

 「涙……ですか?」

 「そう、涙です。雨宮さん、あなたは今回その藤井美咲という女性の方の涙になります。言っておきますが、涙の仕事というのは、感情操作の中でも、最も複雑な仕事だと言われているぐらい、難しい仕事なのです。なので雨宮さん、どうかくれぐれも規約を破ることだけはしないように、注意してください。いいですね?」



 ――涙か……。


 俺はリビングのボロボロ窓をガラッと閉めると、再びリビングのど真ん中に大の字になって寝転んだ。それと同時に部屋はザアァァァ……という雨の音にそっと包み込まれる。

 そして相変わらず部屋は、ジメジメとした雨の日独特のカビ臭い匂いで満ちていて、俺は意味もなく、ハァーッと深いため息をついた。


 「そっか……にしても、あれからもう三年か。早いもんだな」

 俺は白い天井をぼんやりと眺めながら、静かにそう、ぼそっと呟いた。


 ――俺がバイクで事故って、一度この世を去ってから約三年。


 スカイワールドと呼ばれる天空都市で隆幸と小山さんと出会い、亡者再就職センターで面接を受け、黒の扉を開け、そして俺は再びこの世へと戻ってきた。

 

“人間としてではなく、神の使者として ”


だが、『神の使者』と言っても、俺の見た目は死ぬ前と全然変わっておらず、どこからどう見ても、その姿は人間としか言いようがなかった。だが、小山さんによるとそれは、ただ単に人間に対するカモフラージュなんだそうで、すなわち俺の今の姿は『仮の姿であって、真の姿ではない』というのだ。

三年前、面接を終え、再びこの世へと舞い戻ってきた俺の前に現れた小山さんは俺に向かってこう言った。


『雨宮様、おめでとうございます。面接の結果、雨宮様には “感情操者 ”の仕事が適正だということで、雨宮様にはこれから “感情操者 ”の仕事をして頂くことになりました』と。


それから小山さんはニコッと微笑んで、俺に向かって軽く一礼をすると、俺に一冊の薄い資料を手渡した。手渡された資料には『感情操者の心得』と、太い黒い字でそう印字されている。


「感情操者? 感情操者って何ですか?」

俺はその資料を細い目で見つめる。



「感情操者というのは、『特定の人間の感情を操る者』のことを言います。すなわち、あなたは人間の感情を操作するのです」

「人間の感情を操作する……?」

「そう、人間の感情を操作するんです。ただし、それはごく少数の特定された人間であって、また、あなた自身が好き勝手に人間の感情を操れるという訳ではありません。まず、感情操者は人間と『感情操作契約』という契約を結びます。ちなみにこの契約の有効期限は約三年間で、この有効期限を過ぎると感情操者はまた別の人間と契約を結びます。ちなみに私たちは、この契約を結んだ相手の人間のことを、ここでは普通に『契約者』と呼んでいます。そして感情操者は、その契約者の感情の一部となるわけです」

「感情の一部になる? えっ、ということは……その一人の人間に対して大勢の感情操者が感情操作契約を結ぶってこと?」

「あぁいえ、そういうことではありません。まず、全ての人間が感情操作を行われるのか? と聞かれれば、それは『NO』ですし、それに感情操作を行う人間が居たとしても、基本、感情操者が同時に二人つくなんて、そんなことはめったにありません」

「なるほど……。えっ、あぁじゃあ俺はその、どうやって人間の感情を操ればいいんですか? 俺、催眠術なんてかけられませんよ?」

「それならご安心ください。催眠術なんてモノは一切使用致しません。感情操者が使用するのは、この携帯電話だけです」

そう言うと小山さんはタキシードの胸ポケットから一台の小さな携帯電話をスッと取り出し、それを笑って俺に見せた。

「け、携帯電話ですか……?」

「えぇ、携帯電話です」

「あ、あの、一体携帯電話でどうやってその……人間の感情を操れっていうんですか?」

「あぁいえいえ、違いますよ。これで人間を操るのではなく、感情操作の情報を受け取るのが、この携帯電話の役目なんです。いいですか? では例えば、あなたがとある人間Aの『笑う』という感情を操るとします。ある日、その人間Aが自宅でお笑い番組を見始めます。するとその瞬間、人間Aの脳から『笑わせる準備をしてください』という電波が、感情操作事務局に向けて発せられます。そして、その電波を受け取った感情操作事務局は直ちにその情報を人間Aと感情操作契約を結んでいるあなたの携帯電話の元へと転送します。そして、その情報を受け取ったあなたは、急いで人間Aの元へと駆けつけます。

そしてここで一番重要なのが、契約者と自分自身との距離です。あなたを中心とした半径一メートルの円内に自分の契約者が入り込むと、その契約者はたちまちお腹を抑えながら笑い転げ始めます」

「つまり……必要に応じて、俺がその感情を適度に操ればいいと、そういうことですか?」

「そう、その通り。それが『感情操者の仕事』すなわち『感情操作』という訳なのです」


     *             *             *


ザアァァァ……


 だんだん外の雨脚が強くなってきた。

 俺は静かにスッとその場から起き上がって、グーッと大きく背伸びをすると、半開きになっていたリビングのボロボロ窓をきちんと閉めた。それから俺は、ふわぁ〜と大きなあくびをついて、リビングのソファーにドスンと腰を沈め、とある古い書類を手に取った。

 表紙についたホコリやチリをパッパと手で軽く払い、フーッと息を吹きかけて、ホコリやチリを完全に表紙から取り除く。


 ――あれからもう三年か……。


 表紙の色褪せた『感情操者の心得』という文字を、俺は懐かしげに眺める。

 パラッと、その表紙をめくると、一番最初のページには『感情操者規約』というものがずらーっと書かれていて、『あぁ、あの時は規約を必死に覚えようと、毎晩毎晩、寝る前に必ず目を通してたんだっけなあ……』なんて、そんなことをぼんやりと思いながら、俺は静かにその規約に目を通した。



 〈規約その一・感情操者は自分の正体を決して人間(特に契約者)にバラしてはいけない〉


 〈規約その二・感情操者は決して人間に恋をしてはいけない〉


 〈規約その三・感情操者は必ずこの規約を守らなくてはならない〉


 〈規約その四・この規約を破った感情操者は、感情操作法違反者と見なされる〉


 〈規約その五・感情操作法違反者には、重い罪が科せられる〉



 俺は「あぁ〜」と声を上げると、そのままバタンとソファーに横になった。『感情操者の心得』と書かれた古い書類を乱暴に近くに投げ捨てて、俺はまたハァーッと深いため息をついた。


 相変わらず外は大雨で、相変わらずカビ臭いこの部屋は、そのせいでより一層と薄暗く、そしてジメジメとしていて、ただ雨が窓や(ひさし)を打つその音だけが、どこか心地良く感じられた。

俺はそっと目を閉じて、そっと静かに雨の音に耳を傾けた。


ザアァァァ……


雨の音は、そっと俺を包み込んだ。


やがて、そうこうしているうちに俺はいつしかウトウトとし始め、やがて俺はふと深い眠りに落ちた。『あぁ、今日の晩御飯、一体何にしようかな……』なんて、そんなことをふと思いながら。



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