第二章「奇跡の価値は」
“ここは一体どういう所なのか? ”
“俺と青年はむこうで死んだはずなのに、何故、こうしてピンピンとしているのか? ”
手掛かりを求めて、静まり返る館内を歩き回ること約数十分。
俺と青年は偶然、とある一枚の貼り紙を見つけた。
『雨宮大翔様、山下隆幸様、面接会場へはコチラのエレベーターをご使用ください。また面接会場は当センターの最上階となっておりますので、お間違えのないよう、ご注意ください。また面接はお二方が面接会場に到着次第、行いますので、トイレ・休憩・食事等は先に済ませておいてください』
「えっ、面接? 面接って? 何の面接かな?」
青年が『ん〜』と、低いうなり声をあげる。
「さぁ? まぁ俺にも良くわからないけど……とにかくエレベーターってこれだろ?」
俺はそう言うと、銀色に光る、いかにも頑丈そうな鉄の扉を指差した。
「おそらく……」
「じゃあさ、ひとまずこのエレベーターに乗って、その面接会場とやらがある最上階まで行ってみない? 何かわかるかもしれないしさ」
俺はそう言うと、エレベーターのボタンだと思われしき装置のボタンをピッと押した。すると、鈍い銀色に光る鉄の扉がガーッという凄い音をたてて左右に開き、やがて
『一階です。上へ上がります』と言った。
――よし! これだ!
「行こう」
俺はそう言って青年の服を強引に引っ張ると、急いでエレベーターの中へと駆け込んだ。しばらくしてまたガーッという凄い音をたてて扉は閉まり、やがてエレベーターはグゥゥンという低い唸り声をあげて、最上階へと向かって動き出した。
『いよいよだな』と、俺はその時、ゴクンと唾を飲み込み、そう思った。
* * *
「ねぇ、雨宮さん。俺たち、これから一体どうなると思います?」
ちょうどエレベーターが三十階を通り過ぎた時、突然青年が唐突に口を開いた。
「さぁ? 俺にも良くわからないよ」
俺はそう言って、うっすらと苦笑いを浮かべると、ハァーッと深いため息をついて、その場にしゃがみ込んだ。
「何? 自分、何か考えでもあんの?」
「えっ? あぁいやその……考えっていうか、とにかくその、悪い方向には絶対走らないんじゃないかなぁって、そう俺は思ってます」
「どうして?」
「どうしてって……まぁ何となく。だって、俺たちはむこうで死んだんですよ? しかもお互い事故で哀れな死に方をしてる。なのに、俺たちは今、こうやってニコニコとしながら会話をしてる。普通だったら幽霊になって、未だ向こうをさ迷ってるはずですよ」
「まぁ、確かに」
俺はそう言って曖昧な相槌を打つと、静かに目を閉じた。
――だけど本当に、本当にこれから俺たちは一体どうなってしまうんだろう?
俺はその瞬間、とてつもなく大きな不安と恐怖と、そしてただならぬ焦燥感に、頭から思い切りぺしゃんこに潰されてしまいそうになった。俺は少しでもいいから落ち着こうと、何回も何回も深い深呼吸をついては『大丈夫、大丈夫』と、自分の心に言い聞かせた。
しばらくしてエレベーターは、ようやく最上階である八百十七階へと辿り着いた。
* * *
センターの最上階である八百十七階に着いた途端、俺と青年はそのとんでもない光景に思わず息を呑んだ。
テニスコート十面分はあるであろう、そのとてつもなく広い大広間に敷き詰められた赤いふかふかのカーペット。キラキラと輝く黄金の騎士や馬。これまたキラキラと輝く数千万円相当のシャンデリアに、黄金の噴水。ガラス張りの天井と壁からは、眩しい太陽の光がサンサンと降り注ぎ、そのおかげで室内は、まるでよく晴れた春の日のようにポカポカと暖かく、またどこからか漂ってくるコーヒーの香ばしい香りと、甘いケーキの匂いが、心の奥底までもをポカポカと暖かくさせた。
――凄い。いや、凄すぎる。
俺と青年はしばし我を忘れて、その神秘的で圧倒的な光景を、ただ呆然とその場に立ち尽くしながら眺めていたが、しばらくして、奥の方から一人の若い男性がこちらに向かってゆっくりと歩いてくるのがふと目に入ったので、俺は『おい』と言って、青年の横腹を突っつき、
「見ろよ。誰か来るぞ」と、青年の耳元で、ぼそっと、そう静かに囁いた。
「えっ? ホントに? どこどこ? 俺見えないんだけど?」
「あぁ? アンタ、目悪いわけ? ホラ、あそこだよ。あそこ。ブロンズ像のすぐ傍だよ。見えるだろ?」
「えっ? ブロンズ像? ブロンズ像って?」
「はぁ!? おいマジかよアンタ!」
俺は『はぁ!?』と、思わず声をあげると、ため息まじりに青年を見つめ、それから、やれやれと首を横に振った。全然ダメダメじゃん……
――と、その時だった。
「雨宮大翔様と山下隆幸様でいらっしゃいますか?」
俺と青年のすぐ傍で突然、男性の低い囁き声が聞こえた。その瞬間、俺と青年はほぼ同時にその声がした方へと顔を向け、これまたほぼ同時に『そうですが?』と言った。
案の定、声の持ち主は、さっきからこっちに向かって歩いてきていた男性で、男性は俺よりも数センチ背が高く、ワックスで綺麗に整えられた艶のある黒髪に、キリッとした顔、キチンと着こなされた真っ白のタキシード。紺色の長いネクタイ。胸ポケットには黒縁のメガネが入れられている。
その姿は同性である俺から見ても、とてもかっこよく見えたし、それに、その男性は何故かキラキラと輝いて見えた。
「どうもはじめまして。亡者再就職センターの人間感情課で、新入社員教養をやっております小山龍之介と申します。えぇ、今日から、お二方の担当をさせていただくこととなりましたので、どうかよろしくお願い致します」
そう言うと男性は、俺と青年に一枚ずつ、小さな名刺を手渡した。名刺には黒い太い字で『人間感情課・小山龍之介』と書かれている。
「あっ、あの……『お二方の担当をさせていただく』って、一体どういうことですか?」
名刺をただ黙って眺めていると、突然、青年が質問を投げかけた。すると男性は『あっ』と声をあげ、『あぁ、すみません。説明不足でしたね』と言ってニッコリと微笑み、そして、静かにゆっくりと続けた。
「あなた達は、もう一度、向こうの世界に戻れるんですよ」
「向こうの世界戻れる!?」
その瞬間、俺と青年は『本当ですか!?』と、これまたほぼ同時に声をあげた。
「で、なんでまた!?」
「俺たちは向こうで死んだんですよ!?」
「なのになんでまた向こうの世界に戻れるっていうんですか!?」
「物理的に考えても無理でしょう!?」
俺と青年は交互に強い口調でそう意見を主張し合いながら、じりじりと男性の元へと攻め寄り、『一体どういうことなんですか?』と、最後は声を揃えてそう言った。
「えぇ、あぁはい。確かにお二方のおっしゃる通りです。物理的に考えてもそれは無理な話です。何故なら、もうお二方のご遺体は既に死後硬直が始まっておりまして、当然のこと、もう使いものになりませんし、それに死んだはずの人間が突然ある日、ひょこっと顔をだしたら、まずご遺族はかなり驚きになるでしょうし、それにマスコミがきっと黙ってはいないはずですから、やっぱりそれは無理な話です」
「は? えっ? じゃあ、どうやって向こうの世界に戻れっていうんですか?」
「何、簡単な話ですよ。あなた達には『人間』としてではなく、『神の遣い』として、向こうの世界に戻ってもらうんですよ」
「は? 神の遣い? 神の遣いって?」
「神の遣いは神の遣いです」
「あぁいや、そうじゃなくて、神様なんて本当に居るんですか?」
「そうですよ。神様なんて、人間が勝手に作り出した想像上の人物じゃないですか」
「いえいえ、そんな。神様は確かにいらっしゃいます。人間が勝手に作り出した想像上の人物ではありません。というより、もとはと言えば、あなた達はその神様に選ばれてここにやって来たんですよ。ご存知でしたか?」
「え、選ばれたって?」
「どういう意味ですか?」
俺と青年は静かにその男性の顔を見据えると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
* * *
その男性の話はこうだった。
地球上では年間、何百、何千、何万という人が何らかの原因で命を落としている。
そして、その命を落としたほとんどの人間は死後、天国でもなく地獄でもない、『無』という場所に送られ、完全にその生涯を閉じる、というのだ。
その男性によると、この地球上には天国という場所も、地獄という場所も存在せず、それはただ単に人間が、『死』というものの恐怖から逃れるためだけに作り出した架空な場所であって、本当はこの地球上にはそんな場所は無い、というのが事実なんだそうだ。
ただ、その男性によると、神は地球上に実在し、天国ではないが、それに少し似た『スカイワールド』と呼ばれる天空都市が存在し、命を落とした人間の中で、神に選ばれたごくわずかな者だけが、その天空都市に行くことができ、『人間』としてではなく、『神の使者』という名目で、もう一度向こうの世界に戻ることができる。
……というのが、その男性が話した話のおおまかな内容だ。
「つまり、俺と雨宮さんは……『たくさんの死者の中から神様に選ばれた人間のひとり』ってことなんですね?」
男性の説明を一通り聞いた後、青年は男性の顔を真剣な眼差しで見つめた。
「えぇ、その通りです。あなた達二人は神様に選ばれたのです。数百、数千、数万という人の中から」
男性はそう言ってニコニコと微笑むと、オホンと軽く咳をついた。
「でも、なんで俺と雨宮さんが?」
「それはわかりません。ただひとつだけ言えるとすれば、神様はとても気紛れだということです」
「気紛れ……?」
「じゃなきゃ、神様は決して務まりませんよ」
「どうしてですか? どうしてそうだと言い切れるんです?」
「神様は “えこひいき ”をしてはならないんです。絶対に。いかなる人間に対しても、必ずフェアでなくてはいけない」
「でも、世の中はアンフェアなことばかりです。フェアなことなんて、これっぽっちもありやしないじゃないですか」
「確かに世の中はアンフェアです。けれども、それは神様が気紛れだからです。それに神様は一人一人に手を差し伸べることはできません。個人に干渉し過ぎてはならないからです。だから、どうしても世の中はアンフェアになってしまいます。だけどもし、もしもですよ? もし神様がたった一人の人間に対して、行き過ぎた干渉をしてしまったら、それこそ本当にアンフェアじゃないですか」
「まぁ……確かに」
「だから神様は気紛れなんです。そして、あなた達二人はそんな気紛れな神様に選ばれた。しかも、数百、数千、数万という人の中から。だから、あなた達二人がとんだ幸せ者なのか、それともとんだ不幸せ者なのかはわかりません。しかし、きっといつの日か、その真実がわかる日が必ず来るはずです。いつか、きっと、必ず」
男性はそう言ってまたニコニコと微笑むと、『じゃあ、そろそろ面接始めましょうか』と、優しい声で言った。俺と青年は『はい』と声を揃えて、男性にそっと返事を返した。
* * *
『面接始めましょうか』と男性は言って、それから男性は俺と青年をとある広い廊下へと案内した。
広い廊下はとても殺伐としていて、廊下を照らす照明器具と、ちょこんと廊下の隅に置かれた黒い長イス以外、その廊下にはモノという物が見事に無かった。
あると言えば、俺と青年の前に、黒い大きな木の扉と、これまた大きな白い木の扉があるだけで、本当にそれ以外、廊下には見事、モノという物が存在しなかった。
「お好きな方を選んでください」
すると男性は、静かにその黒と白の扉の前にそっと歩み寄って、
『もちろん、お二方が一緒の扉を選ばれても構わないんですよ?』と続けた。
「あっ、あの……ちょっといいですか?」
すると、一体何を思ったのか、青年はオホンと咳をついて、その男性の元へと近寄り、
『面接って、このことなんですか?』と言った。
よく見ると青年は、かなり真剣な表情を浮かべている。
「えぇ、そうですよ。これが面接です」
「じゃあつまり、この黒か白の扉、どちらかを選ぶことによって、今後の人生が変わってくると、そういうことですよね?」
「えぇ、その通り。この黒と白の扉、どちらの扉を選ぶかはもちろんお二方のご自由です。つまり……今後の自分達の第二の人生を選ぶのも、あなた達自身という訳なのです。ですから、私はあなた達お二方に対して、扉について詳しくお話をすることはできません。自分で考え、自分達自身で行動してもらわないといけませんからね」
そう言うと男性は、またニッコリと優しく微笑み、オホンと咳をついた。
――そして、その瞬間。
「じゃあ俺、黒の扉」
俺は何も恐れず、何のためらいもなく、『黒の扉』と、完全にそう言い切った。
『えっ!?』と驚く青年の顔。
『なかなか素晴らしい決断力をお持ちのようで』と、ニッコリ微笑む男性。
そして、目の前に立ちはだかる、黒い大きな木の扉。
静かな空気。窓から差し込む優しい太陽の光。
――何故だろう。
その時、俺はとっさに『黒の扉』と、そう言い切ってしまったのだ。
俺は特にこれといって『黒』という色に執着心は無かった。むしろ、どっちかと言えば俺は、黒より白色の方が好きだった。今使っているケータイも白だし、音楽プレイヤーも白だし、事故ったバイクも白色だった。なのに何故か俺はその時、『黒の扉』と、そう言い切ってしまったのだ。
「俺は黒の扉を開ける。で、アンタは?」
「えっ? あぁ、俺はその……あの……」
「何だよ、ぐじぐじすんなよ。自分の人生だろ? てかなぁ、いいか? おい。俺たちはな、人類が最も夢見た、第二の人生ってヤツをこれから送ることになるんだぞ? 俺たちは絶対幸せ者に決まってる。だから、何も恐れなくていい。何も心配しなくたっていい。ただ己だけを信じりゃいいんだ」
「雨宮さん……」
「なんてな! ちょっとかっこいいことを言ってみたかっただけだよ。まぁだけど、とにかく元気でな。悪りぃけど、俺は先に行かせてもらうよ」
俺はそう言って、優しくニッコリと微笑むと、青年の手を手にとって、
『また会えるなら向こうで会おう』と言った。
青年はニコッと笑って『はい』と答えると、『雨宮さんこそ元気で』と言った。
俺は笑って『おう』と答えると、静かに、静かに、黒の扉のドアノブに手をかけた。
「あっ、最後にひとつだけいいですか? 面接官。言いたいことがあるんです」
「はい、何でしょう?」
「俺……とことん楽しんできますね。だって、せっかくの第二の人生なんだから、楽しまなきゃ絶対損でしょ? だから俺、この第二の人生、とことん楽しんできます」
「えぇ、どうか楽しんでください。人生を楽しむか楽しまないかは、あなた自身が決めることですから。だからどうか思う存分、楽しい第二の人生を過してください」
「わかりました。じゃあ……行ってきます。それじゃ、どうかお元気で」
俺は最後にまたニコッと青年に向かって優しく微笑むと、静かに黒の扉のドアノブをひねり、一歩また一歩と、真っ暗な暗闇に向かって歩き出した。
――そして、
静かに俺は、暗黒の世界へと飲み込まれていった。
俺は目を閉じた。そして俺の意識は、まるでロウソクの炎が強風にあおられ、突然消えるかのようにフッとそこで消えた。もう、そこからのことはあまり覚えていない。
今からちょうど三年前の話だ。