第一章「たったひとつの選択肢」
俺が感情操者と呼ばれる仕事を始めてから、もうかれこれ今日でちょうど三年になる。
ちなみに感情操者とよばれる仕事は、それはそれはとても特別な仕事で、“そうめったにこんな仕事には就けませんね”というのが俺の大先輩である小山さんの意見。
“感情操者は普通の仕事なんかじゃない。すごくすごく重要な、おそらく地球上で一番大切な仕事だよ”というのが俺の親友である隆幸の意見だ。
実は俺も最近になってからようやくこの仕事が本当に特別なのだということを、じわじわと実感し始めたのだが、やはりそれでもいまいち俺は、この仕事の重要性をよく理解できずにいた。
------今からちょうど三年前。
俺はバイクで派手な交通事故を起こし、二十歳という若さでこの世を去った。
なんだ、俺の人生ってこんなに薄っぺらいモノだったのか。
なんなら生きている間に、もっといい事しとけば良かったな。
まぁ、今さらこんな事を思ったって、もうどうしようもないんだろうけどな。
なんて、そんなことをブツブツと言いながら、あの世へ一人向かった俺。
だが、何故かこの世を出て俺が真っ先にたどり着いた場所は「亡者再就職センター」というバカでかい建物で、見たところ優位に数千メートル以上あるであろうそのバカでかい建物は、上空で輝く太陽の光をいっぱいに受けて、気持ち良さそうにキラキラと輝いていた。
俺はしばらくその光景に釘付けとなり、ポカンと口を開けて、ただただ呆然とそのバカでかい建物を眺めていたが、やがて俺はよしと決意を決めて、そのバカでかい建物へと向かって、一歩また一歩と足を踏み出した。
そう、それが俺の新しい第二の人生の始まりになるだなんて、その時の俺は、まったく想像すらすることができなかったのだ。
建物の中に足を踏み入れた途端、俺は急に一人の青年に呼び止められた。
艶のある、少し長い黒髪に、太い黒縁のメガネ。スラッとした高い鼻。引き締まった顔。身長は俺とほとんど変わらないから、だいたい百八十センチ前後といったところ。
見た感じ、ひとクラスに一人か二人ぐらいは居るであろう優等生タイプのその青年は、何故か笑顔に満ち溢れていた。
「ねえ、君も死んだの?」
青年は俺の手を強引に握り締めるとそう言った。
「なっ、何だよ急に」
俺は思わず青年のその手を振り払おうとしたが、俺の思った以上に、青年が俺の手を握る力は強かった。
「あぁ、俺は隆幸。山下隆幸っていうんだ。よろしく」
「『こりゃどうも初めまして』と、言いたいとこだけど、一回手を離してくれない? 悪いんだけど」
「あぁ、ごめん。ついクセで……。大丈夫? 痛くなかった?」
そう言うと青年は恥ずかしそうに、その手を引っ込めた。
「あぁ、大丈夫、大丈夫」
俺は一回、青年に向かってニコーッとほくそ笑むと、オホンと咳をついて、静かに青年を見つめた。
「俺は大翔。雨宮大翔って言うんだ。よろしく」
俺はそう言って、またニコーッとほくそ笑むと、隆幸という名の青年の手を手にとって、深々と握手を交わし、
「あ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、いい?聞いても?」と尋ねた。
すると青年は、優しくニコッと微笑んで、
「ええ、いいですよ」と言った。
* * *
俺は『あぁどうもありがとう』と言って、静かに青年の顔を見つめる。
「いや、そのさっきアンタ、俺に『君も死んだの?』とかなんとかって言ってたろ? ……ってことは何? アンタも向こうで死んだわけ? ちなみに、俺はむこうで死んだ! ドジなことに、バイクで事故っちまってよ。急いで病院に担ぎ込まれたけど、結局ダメだった。もう手遅れでしたってヤツさ」
俺はそう言ってアハハハと軽く笑うと、近くにあった黒い長イスにドサッと乱暴に腰掛けた。そして、そっとその青年を見つめた。
「で? アンタは? 『君も死んだの?』ってことは、アンタも今日死んだんだろう?」
「え? あぁうん。そう。俺も死んだよ。今日。ちなみに俺はその……そうだな。“予期せぬ事故”ってところかな?」
「 “予期せぬ事故”?」
「うん。実は今日の朝、本を読みながら駅のプラットフォームを歩いてたら、誤って線路に落ちちゃってさ、そんで、ちょうどその時、ホームに入って来てた電車にそのまま跳ねられちゃった……みたいな?」
「は? 電車に跳ねられた? しかも本読んでて線路に落ちて? は? 何だよそれ? てか、バイクで事故って死んだ俺よりドジじゃん。え? なのに……なんで、なんでそんなに笑ってられんだよ? なぁ!」
俺は、何故かニコニコと微笑みながら事故の真相を語る青年を見て、思わず『は?』と、声をあげた。何故、こんなにも哀れな死に方をしたはずの男が、こうやってのん気にニコニコと笑っていられるのか、俺にはどうしても理解することができなかったのだ。
「まぁ確かに、めちゃくちゃドジな死に方しましたけど、その……とにかく、俺は何も後悔なんてしてないんです。親にはいつもいつも『本当にありがとう』って言ってたし、行きたかった大学にもちゃんと行けたし、やりたかった事もちゃんと出来たし、とにかく俺は本当に満足なんです。それに、そもそも死んだからって、いちいち泣く必要なんてないじゃないですか。笑いたい時に笑う。泣きたい時に泣く。それが人生ってものなんじゃないですかね?」
青年の透き通った優しい声が、広い館内に響き渡る。
青年はそっと窓の遠くを見つめ、俺はそっと長イスから立ち上がると、青年と同じく、窓の遠くを見つめた。大きな大きな窓の向こうには、フワフワとした白い雲と、太陽と、蒼く綺麗に澄んだ空が見えるだけで、それ以外には見事何もなかった。
「確かに……それは言えてるかもしれない。笑いたい時に笑う。泣きたい時に泣く。確かにそれでいいのかもしれない。いやきっとそうだ。きっとそれでいいんだ。死んだからって別に泣く必要はない。泣きたい時に泣けばいい。そうだろ?」
「そう。泣きたい時に泣けばいい。それでいいんです。だからもし、雨宮さんが今すぐにでも泣きたいというのならば、今すぐに泣けばいいんです。別に我慢をする必要もないんですから」と、青年は俺に向かってニコッと優しく微笑む。
「あぁいや、俺は全然大丈夫だよ。ありがとう。別に俺は未練たらたらっていう訳でもないし、これといってやり残したこともないし、まぁとにかく用は俺もアンタと一緒で、後悔なんて何もしてないんだよ。だから俺の目から涙は流れない。決して流れることはないんだ。というより、そもそも、そういうアンタこそ大丈夫なわけ? 普通に考えて、本読んでて線路に落ちて、電車に跳ねられて死んだら、普通の人間なら絶対泣くぞ? いや俺なら絶対に泣く。これは自信をもって言える。そう言い切れる。だってさ、言っちゃ悪いけどさ、これほど悲しい死に方は他にないぞ?」俺はオホンと咳をついて、青年をそっと静かに、真剣な眼差しで見つめる。だが青年はさほど深刻そうな顔をしておらず、逆に俺の方が何だか気持ちが重くなってくるような、そんな感覚におそわれてしまう始末だ。
――一体コイツは何なんだ?
「まぁ確かに、普通の人なら泣いてるでしょうね。なんでこんな死に方をしなくちゃいけないんだ! って、きっとワンワン泣くでしょうね。だけど俺は泣きません。まぁ泣いて、ことが元に戻るのならば、そりゃ喜んでワンワン泣きますけど、泣いた所で、この状況は何も変わらない。ただ時間が刻々と過ぎ去ってゆくだけ。なんなら、下ばっかりを向いてないで、上を向いていようって、そう俺は思ってるんです」
「なるほど。まぁ用は “何でも前向きに考えていかなきゃ時間の無駄だ ”ってことだろ? 山下さん」
「そうだね。まぁ、そんなところかな」
そう言うと青年はクスクスとおかしそうに笑って、やがて俺をスッと見つめた。
「まぁとにかくその、雨宮さん。これもきっと何かの縁だと思うんだ。俺たちは今日、共に死んで、そして今日ここで、こうして出会った。だからその……お互いに仲良くしない? ふたりで力を合わせれば、怖いものなんて、きっと何も無いはずだからさ」
青年は俺に向かってそう言うと、スッと右手を差し伸べて、ニコッと優しく微笑んだ。
俺は『おう』とニコニコ顔で答えると、『こちらこそよろしく』と言った。
そうして、俺たちの新しい “第二の人生 ”は始まった。
これから先、一体俺たちがどうなってしまうかなんて知る由も無く、時間の歯車はガタガタと音をたてて回りだす。人間は時間には決して逆らえない。時間を操ろうだなんて、そんなことを考えてはいけない。人間は時間に従うしかないのだ。
だから、俺たちに残された選択肢はただひとつ。
――生きる。
それが、俺たちに残された、たったひとつの、最後の選択肢だった。