チュートリアルでステータスをカンストさせた男
20xx年6月23日
やっと手に入れた!今、大流行のVRゲーム、エクセンベルグオンライン!うれしさのあまり日記まで買ってきてしまった。今まで日記なんて書いたことがないから、勢いで買ってきたせいでどう書いたらいいのかわからないけど、とりあえず書いてみた。
20xx年6月27日
今、徹夜中なう。エクオン(エクセンベルグオンラインの略称だ)がおもしろいのなんの。眠いけどやめられん。
20xx年7月2日
今日も母親とバカ妹が口うるさく説教してきやがった。また、『すぐ逃げる』『根気がない』って言いやがる。うるせえクソ。
20xx年7月5日
もうすぐ夏休みか。俺は不登校だから関係ないけど。
根気がない、逃げるな、家族に何度も言われた言葉が昨日からずっと頭の中をぐるぐるする。呪縛のように。最悪な気分だ。
…今のままじゃダメなことぐらいよくわかってる。でもどうでしたらいいのかわからないんだ。
なにか今のこの状況をどかんと一発吹き飛ばすような何かが起こらないもんかな。と思いつつ、俺はエクオンを起動する。
20xx年7月15日
大変なことになった。どこからどう話していいか分からない。自分でもきちんと整理がついていない。
ただ結論から先に書かせてもらうと俺はゲームの中に【閉じ込められた】ようだ。
何があったかを自分の体験のありのまま書く。
一昨日エクオンをプレイ中に突然マップ移動させられた。そこには俺以外にもたくさんのプレイヤーがいて、よくわからないがそのときログインしていた全プレイヤーが集められたんじゃないだろうか。それぐらい多かった。
俺はほとんど新参プレイヤーだったからゲームの中に知り合いもいなかったし、周りがグループを作って話したりしてる中で、ぼっちでちょっと気まずい思いをしながら突っ立ったっていた。
すると突然
『皆様はこのゲームをクリアするまで出られません』っていうアナウンスが流れたんだ。
始めはふざけたジョークかと思った。けど俺にはパッとひらめくものがあった。親父が中高生の頃読んだっていうライトノベルだ。たしか名前は『ストロングアートオンライン』。略称SAO。
ゲームに閉じ込められたプレイヤー達が開発者のせいで突如ログアウトできなくなった。そして、まあ、主人公が知り合った美少女たちといちゃいちゃしながら(実にけしからうらやましい!)、強くなってついにはラスボスを倒して脱出するみたいな内容だった。
まさかと思って見てみると本当にログアウトボタンがなくなっていた。丸っきりそのラノベと今の俺の状況が同じではないか。
間違いない。俺はゲームに閉じ込められたんだ。
不安になって周りを見渡すと、ログアウトできないことに気づいた他のプレイヤーも俺と同じく困惑した様子だった。
『それでは皆様には個別のチュートリアルルームに移っていただきます』
再び声が頭に響くと目の前が真っ白になった。
ふう、とりあえず一昨日あったことの前半はここまでだ。色々ありすぎて疲れた。続きは明日書く。
20xx年7月16日
さて昨日の続きを書くか。
目の前が真っ白になるとなんか変な気持ち悪い浮遊感みたいなのがあって、突然目の前に一人の女性が現れた。瞬間移動みたいだった。
女性は美人だった。黒いストレートヘアーで小顔でとにかく美人だと思った。ちょっとドキドキしたけど状況が状況だったし、俺は動揺してると思われるのが嫌だったから、(俺なりの)冷静に努めた。で、今の状況を聞くことにした。
こんな感じの会話だった。
「レディー、お名前を伺ってもよろしいですか?」(爽やかアルカイックスマイルを添えて)
『名前はありません。私はエクセンベルグオンラインのチュートリアルAIです』
なんだAIか、と思って一気に力が抜けたのを覚えている。
『"チュートリアルをお始めになりますか?"』
「そんなことよりも俺は本当にゲームに閉じ込められたのか?」
『ええ、ゲームから出るにはこのゲームをクリアする必要がございます。"チュートリアルをお始めになりますか?"』
「ゲームの中の時間の流れはどうなっているんだ?」
『このゲームの中にいる間は我々の超高速加速体験CPUを使っておりますので現実にはほとんど時間が流れません。なので外部からの助けも期待できないと思ってください。"チュートリアルをお始めになりますか?"』
20xx年7月17日
「クリア条件はなんな...『"チュートリアルをお始めになりますか?"』
「なんでそんなに食い気味な...『"チュートリアルをお始めになりますか?"』
「他にも...『"チュートリアルをお始めになりますか?"』
なんかAIが有無を言わさぬ調子でチュートリアルをやらせようとしてきたから、俺はもっと知りたいこともあったがチュートリアルをやることにした。
「チュートリアルかとりあえずやってみるか」
本当はもうちょっと聞きたいことがあったけど。
『了解いたしました。チュートリアルを始めます。チュートリアルプログラムを起動します…』
『まずメニュー画面の開き方をご説明します。”メニュー画面オープン”と言ってください』
「メニュー画面オープン」
目の前に半透明のウィンドウ画面が現れた。ステータス、装備、道具などが表示されている。
『ステータスはプレイヤーの能力値が数値で表示されています。ステータスボタンを押してみたください』
渋谷 仁志 job なし level 1
HP 21/21
MP 10/10
攻撃 15
防御 19
特攻 9
特防 8
素早 12
運 1
特殊スキル
なし
『それがあなたの能力値です。次に装備は、武器、防具を装備することで能力値をアップすることができます。道具は体力を回復するものから、特別な力を持つ貴重品、役に立つのかどうかわからないアイテムまで様々なものがあります。当面、説明すべき内容はこれだけです』
AIは矢継ぎ早にそういう。
『それではチュートリアルバトルを開始します』
「ウォォォアウア!!」
咆哮とともに現れたのは体長10m級のけむくじゃらのモンスター!
「ふん!」(俺のクリティカルアタック!)
「ウバァァァ...」
断末魔とともにモンスターの巨体が崩れ落ちる!
どしーん!
......すまん。上のは嘘だ。日記の中だけでもカッコつけたいと思っただけだ。
実際はもっと無様なものだった。史実に忠実に再現するとこうなる。
「ウォォォアウア!!」
現れた体長1m級のけむくじゃらのモンスター!
俺の攻撃!
「あちょー!といやー!」
しかし、モンスターに効いた様子はない。
俺の連続攻撃!
「あたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた おぅわったぁ!!」
しかし、モンスターに効いた様子はない。
モンスターの攻撃!
「ウォオオオ!」
「ひょえーーー!」(俺にクリティカルヒット!)
冗談抜きでこんな感じだった。
「AIさん、こんなん勝てませんよ!死んでしまう!強すぎちゃいますか!」
『安心してください、チュートリアル中にプレイヤーが死ぬことはありません』
そういう問題じゃねえよ...
1m?お前はこんなちっこいモンスターにも勝てんのか!、と喝をいれる輩もいるかもしれないが、逆に俺は問いたい。お前は本気の犬に勝てるのかと!お前は土佐犬に勝つ自信があるのかと!
まず不可能だろうがもし勝ったという奴がいるなら、俺の前に出てこい。
校長室の前でハゲの歌を全力で熱唱してもいいし、保育園の前で雄しべと雌しべの受粉の仕組みについて大声で熱弁してもいいし、俺の部屋で3万円もしたキーボードの上にとぐろを巻いてクソをしてやってもいい。
つまり俺が言いたいのは、それぐらいの難易度だったし、俺を責めるな、俺は悪くないってことだ。
そのあと、なんやかんやでチュートリアルモンスターを倒し終わったとき、俺の心は完璧にへし折れていた。
正直、チュートリアル後、ゲームの本編が始まっても、モンスターに殺されずに生きていける自信は全くなかった。しかも、チュートリアルが終われば「死」は「ゲームの死」ではなく「リアルの死」なのだ。
『チュートリアルお疲れさまでした。チュートリアルクリア特典としてレベルを1レベルアップします。』
俺はどっと肩が重くなった。こんな状況になる前から徹夜でゲームもしていたし思ったより一気に疲れが押し寄せたのか。
「ゲームを開始なさいますか?」
そういうAIを尻目に少し休むことにした。もう正直、ゲームを始める気力も体力(ステータスじゃなくてリアルの体力)もなかった。それにどうせゲームが始まったら生死をかけた闘いでろくに寝られるかどうか分からない。今のうちに寝ておこうと思ったんだ。
20xx年7月18日
今日チュートリアルを再びこなすとチュートリアル特典でまたレベルが1上がった。多分、一回寝たことでチュートリアルをクリアしたってことがリセットされたんだと思う。
このまま、チュートリアルをひたすらやり続ければ少なくても死なない程度のレベルまで安全に上げれるじゃないか。
正直、今の状態でゲーム中に死なない自信は皆無だった。
確かAIもここにいる間は時間が流れないみたいなこと言ってたし。これならあのラノベの主人公みたいにチーレムを作れるにいない。
美少女たちの前でスターバーストストリーム!と必殺技を叫びボスを一刀両断する俺の姿を想像する。悪くない...
ここまで書いて、上に書いたようなくだらないことじゃなくて(ここだけの話、半分は本気だったけど)俺はいつも何かが起こって現実を変えてくれないかって思ってたことを思い出した。
もしかしたらこれはチャンスなんじゃないだろうか。AIの言う通りならここは言わば精神と時の部屋状態なんだから。いくらでも自分を変えられる。俺はゲームの本編に行く前に少しだけ自分を『すぐ逃げて』『根気がない』自分を変えてみようと【決心】した。
現在レベル3
ここからはこの中では日付は進まないらしい(昨日AIが言ってた)し、わざわざ日付を数えるのもわずらわしいから、この日からレベルを日付代わりにしようと思う。
レベル9
なんか物足りない気がすると思ったら久しく飯を食ってないことに気が付いた。腹が減らないから忘れていたが、食べてないと気が付くと腹が減ってる気分になってきた。この空腹をいかんともすべきか。
レベル35
寂しくなってきた。もうずいぶんと人としゃべってない気がする。リアルの世界では人間付き合いなんて煩わしいものだと思っていたのに。母親は妹は元気にやっているだろうか。むこうにいたときはうざったくて仕方がなかったが…ん?いやその前にこっちでは時間は流れないんだっけ。俺もホームシックってやつか。
レベル71
味覚が恋しくなって、床をなめてみた。うーん、無味無臭w母親の飯の味が懐かしい。
レベル134
AIにアイちゃんって名前をつけることにした。伶奈ちゃん(俺が学校で好きな子の名前だ)と迷ったがシンプルイズベストだ。...ここまで書けば俺がどれだけ人に飢えていたか分かるだろうか。恥ずかしいからゲームをクリアできたらここの日付の部分は消そう。
レベル390
ちょっとした出来心だった。
愛ちゃんのパンツを見ようと思って、スカートを下から覗こうとしたが手で防がれた。どうやらプロテクションガードがかかっているらしい。
でも一瞬だけちらっと白い布が見えた気がした
レベル413
暇すぎて愛ちゃんの挙動を調べていて気がついた。愛ちゃんは俺が喋ろうと口を開けると動きが一瞬だけフリーズするのだ。多分、会話データにアクセスしようとすることで負荷がかかるのだろう。
そして俺が寝転がってる状態から立ち上がろうとしたり、その逆でも一瞬フリーズする。多分プレイヤーが眠ってる間はプログラムの使用CPU量を抑えるために休止状態にでもするとかかな?俺AIについては全然知らないけど。
レベル446
閃いた!驚くべき解決法を見つけた。口をパクパクしつつブリッジをしながら近づけばいいのだ。そうすれば、アイちゃんのパンツにプロテクションがかかる前にアイちゃんをフリーズさせて近づく。これは来た!興奮してきた。
レベル468
ダメだった…慣れればブリッジの上げ下げにはおよそ1秒に3回ぐらいのペースでできるようになったが、口のパクパクが思ったより時間がかかる。
レベル512
なんだ簡単なことじゃないか。口をパクパクしなくても舌を口から出せば話始める判定になるみたいだ。これなら舌をレロレロすることで左から右に一回するだけで2回話し始める判定になる。往復で4回だ。これなら1秒間に8回も話し始める判定をつくりフリーズさせることができる。
レベル536
俺は下をレロレロしながらブリッジ上下運動をしつつ愛ちゃんのスカートの下に顔を突っ込んだ。白だった!純白だ!
レベル597
やってしまった…俺はとんでもない思い違いをしていた。俺はパンドラの箱を開けてしまったのだ。そもそもパンツを見たからって性欲がすべて満たされるものなのか。否!かのソクラテスですら食い気味に否定するだろう。パンツを見れば他のものも見たくなるのが男心っていうものである。
そして、残念なことにその術はゲームの中に恐らくない。
レベル654
あああああなんか疲れた。肉体的に疲れたっていつより精神的に疲れた。俺は食欲も性欲も孤独もどれも満たすことができない。チュートリアルやめようかな。
レベル745
あーあ
レベル789
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レベル824
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レベル860
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(ここからしばらく判読不能及び日記を破りとったような跡がある)
レベル1506
馬鹿みたいに書きなぐって、暴れて、なんとなく自分の中で整理がついた。『根気がない』、『すぐ逃げる』、リアルで何度も言われた言葉だ。ここでまた途中でやめてしまったら、俺は何にも変われてないことになる。それじゃダメなんだ。俺はここで変わると【決心】したんだから。
レベル1706
今思えば、母親だって妹だって俺が憎くてそう言っていたんじゃないんだろう。家族が1から10まで俺のために言ってくれていたとはまだ完全に信じきれないが、このゲームが終わって出ることができたら「心配かけてごめん、いつも悪かった、俺今日から変わるから、学校だってちゃんと行く」ってぐらいなら言えるはずだ。
決心が鈍らないうちに早く出ないとなw
レベル1899
ここ最近、頭がばかになったみたいにひたすらチュートリアルモンスターを倒していた。
ひたすら機械のようにモンスターを倒し続ける日々、最近むしろ頭が冴えわたってきた気がする。
レベル2035
なんだか悟りを開いた気分だ。まるでガンジーになったかのような(さすがにそれは言いすぎかw)心の穏やかさだった。人間、心を決めると、区切りをつけるとこうもすっきりするものなのか。
レベル2256
なんか最近は晴れやかに気分で、不思議と雑念は湧いてこない。だから最近はチュートリアルが終わったときに使える技術を身につけようと、できればリアルでも使える技術を身に着けようと体の使い方を研究している。あと、eスポーツでは反射神経がものを言うと聞いたことがあったから、反射神経を鍛えるためにチュートリアルモンスターの技を延々と避け続けるという特訓を編み出した。
レベル2500
様々な奇行した。自分の闇も知った。そんなチュートリアル生活だったが、やっとこの部屋から出ることができる。一部を除いてレベルもステータスもカンストした。俺は今から『チュートリアルを終えますか』という言葉にはい、と返事するつもりだ。さらば過去の俺よ。
渋谷 仁志 job なし level 2500
HP 9999/9999
MP 9999/9999
攻撃 9999
防御 9999
特攻 9999
特防 9999
素早 9999
運 1
特殊スキル
new『不屈』
【説明】レベルを最大にしたプレイヤーにつく称号
********************
【最高裁判所 大法廷】
「私達は彼のデバイスから併せて3日分の日記をサルベージすることができました」
検察官のその言葉に法廷がどよめく。
「彼が書いた日記の1枚目の部分を読み上げます『AIに愛ちゃんって名前をつけることにした。伶奈ちゃん(俺が高校で好きな子の名前だ)と迷ったが…』」
ゲームに閉じ込められた男の予想だにしなかった告白に傍聴席から苦笑が漏れた。
「次は2枚目の部分を読み上げます『俺は舌をレロレロしながらブリッジ上下運動をしつつアイちゃんのスカートの下に顔を…』」
今度は空気が凍った。裁判室中がドン引きだった。
「今度は3枚目を読み上げます『なんだか悟りを開いた気分だ。まるでガンジーになったかのような心の穏やかさだ』」
さっきの文を聞いた後ではもはやギャグだった。
「この3枚の日記を読めば彼がいかに精神を錯乱しているかは明らかです。被疑者、田中智に断固厳しい処罰を求めます」
狡猾そうな検察は獲物をもうすぐ狩るような目つきで被疑者を舌なめずりしてみたあと、どしんと偉そうに腰かけた。
傍聴人は皆こう思った。あわれだ。自分は彼のような境遇じゃなくてよかった。彼は運悪くゲームに閉じ込められ、多分、ストレスで抑え付けられていた性癖が発露してしまっただけなのだろう。彼にとってさらに不幸なのはそれが全国規模下手すれば世界規模で知れ渡り、辱められることだ。
今日の裁判が終わったら#例のあの人 伶奈ちゃん かわいそう #例のあの人 舌レロブリッジ キモすぎ みたいな検索キーワードがトレンドになり、2chでは【悲報】例のあの人パンツを見るために舌レロレロブリッジしていた、みたいなスレが乱立するに違いない。
人間誰しもこうはなりたくない、万人がそう思った。
我なすことは我のみぞ知る、と豪語した坂本龍馬でさえ侮蔑するのではなかろうか。
もちろんこんなことは、被害者のことまで気が及んでいない、得意げに弁護士を論破した気でいる検察官の心中にはどうでもいいことなのだが。
********************
裁判官が判決文を読み上げ始める。
「主文、被上告人、田中智を無期懲役に処する。これよりその理由を述べるので椅子に掛けなさい」
私こと、田中智はよろよろと椅子に座り込み、こんな状況に追い込まれた日々を回顧する。
こんなはずじゃなかった。あのイベントはちょっとしたいたずらのつもりだった。ログアウトできなくなるのもちゃんと短期間だけに設定した。イベントの後しばらくして、通常のゲームに戻るとログアウトボタンはちゃんと復活するはずだ。なのにどうしてこんなことに。
どうして彼、渋谷仁志はまだ目を覚まさないんだ。
私は今となっては悪名高いエクセンベルグオンラインの開発者だ。正確にはご覧のあり様なので、だっただが。
当時の私はエクセンベルグオンラインでちょっとしたいたずらを思いついた。しかしこれが私の人生をどん底へと突き落とすきっかけだったのだ。
そのいたずらとは私が学生時代に読んだライトノベルを参考にしたシナリオだった。
『皆様はこのゲームをクリアするまで出られません』というアナウンスが突如流れる。はじめは馬鹿にしつつも次第に戸惑い始めるプレイヤー。そうしてプレイヤーの不安を煽り、チュートリアルルームでこのゲームの危険性を植え付ける。チュートリアルルームを出ると、実はどっきりでしたというオチだった。
なかなかスパイスが聞いてて面白いと思っていた。事実、このイベントはくだらないとか叩かれもしたが比較的好評だった。中年世代には昔のラノベを思い出して懐かしかった、など特にウケた。
しかし、警察からの一本の電話で事態は一変する。プレイヤーの一人が目を覚まさなかったのだ。そんなはずがないと思った。私のプログラミングは完璧だ。そのプレイヤーがチュートリアルをクリアすればちゃんと【どっきり大成功!】という垂れ幕が出るはずだ。
事件があってから何回も何回も何回もプログラムのコードを調べた。しかし今でも分からない。彼が目を覚まさない理由が。”チュートリアルを終えれば”間違いなく、なんの問題もなくゲームから出られるはずなのに。
また、ゲームを強制終了して彼を脱出させようにも彼のVR機器は死んだ父親が譲った旧式のものらしく無理に外すと脳に障害がでるらしい。それを聞くと、無理に外すと当然彼の母と妹はそれに猛烈に反対した。
「私のかわいい息子に何か事故でもあったらどうするのよ!」
「喧嘩もするけど大事なお兄ちゃんなのよ!脳に障害なんて絶対いや!」
彼の母と妹はそういうと父の遺産も家も引き払ったお金で彼を入院させているらしい。
その話を聞くと罪悪感が止められない津波のように私の胸に襲い掛かる。私はここまでのことをしてしまったのか。
なにかイレギュラーが重なって、不運が重なってこうなっているんだ。
…いや、これは主犯の私が思うべきセリフじゃないか。私は心の中で自嘲する。
「…以上を総合考慮して被告人の量刑を考えると、VRにおいてプログラムを改ざんし、被害者を植物状態にすることは業務におけるテロと同一で本件事案の凶悪性,殺結果の重大性を踏まえると、贖罪の日々を送らせることが相当であると判断して,特別業務上過失致死罪として主文の刑を量定した」
裁判官がそう言いくくって裁判は閉廷した。
********************
裁判から数年、日本中が注目の中、『7年間ゲームに閉じ込められた男』『例のあの人』の会見が開かれた。そこに現れたのは大勢の予想に反した彼の姿だった。目を潤ませる母と妹に支えられながらつれられた彼は確かに腕も脚も肉は削げ落ちていたが、それは枯れ枝ではなく活き枝のそれで、堂々とした足どりだったことができた。精神力に満ちているといえばいいだろうか。そして世間にとって誠に驚くべきはゲームの中で身に着けたものであろう反射神経、情報処理能力だった。
彼がゲームの中で身に着けたそれらの能力はこの時の世界記録を軽く凌駕するものであった。
非常に多くの人が彼にどうしてその能力を得られたのかと尋ねた。彼は決まってこう答える。根気だ、と。
世間はこの答えに失笑した。ただの根性論じゃないか。彼は自分の秘密を知られたくないんだろう。そういった。
世界中の研究者がどうやってその能力を身につけたか。その原因を知ろうとしたが、よくわかっていない。VRの電気的刺激が奇跡的に脳の神経の発達を促したというのが主流だがオカルティックな話だ。
彼は同情(もっとも、少しは侮蔑を含むが)を向けられる『7年間ゲームに閉じ込められた男』から運よく奇跡的な能力を手に入れた男として『奇跡がおきた男』と呼ばれるようになる。
しかし、のちに彼を知り語り合った人々は口をそろえていう。
「彼は決してたまたま奇跡がおきた男ではない」
「彼の奇跡的な能力を手に入れた理由は、その適応力、根気力にある」
この発言はまさに的を得ている。いくら役に立つからという理由だけで7年もモンスター相手にレベリングをし続けられるだろうか。7年間食欲に性欲に孤独に、抗えるだろうか。彼が真に培ったのは反射神経でもなく情報処理能力でもなく精神力だったのだ。
それをよりよく示す逸話がある。エクセンベルグオンラインの開発者が無期懲役で捕まったと聞いたときの話だ。
ゲームの製作者が捕まったと聞くと彼は驚くべきことに深い同情と憤りをみせた。
彼はなぜこんな判決が出たのか、撤回すべきだ、と述べたが、政府は最高裁で決まった判決を覆すことはできない、と答弁するだけであった。
彼は裁判所の前で座り込みを始めた。
初めは世間は彼に冷たい眼差しを向けた。彼の日記のロクでもない部分(*前述の舌レロブリッジパンツ覗き事件を参照)が彼の時間を担当した検察官のせいで過剰にクローズアップされていたため、奇人、変態の類だと思われていたせいもあったし、中には頭が本格的に狂っていると言う人までいた。
しかし、とどのつまり状況を一変させたのは彼の真摯な態度、深い思いやりだった。
彼はある取材で、なぜあなたはゲームの開発者のためにここまでするのか、と聞かれるとこう答えた。
「自分はゲームに閉じ込められる前は根気などとは程遠い人間だった。甘えた子供で学校だって行かずにゲームしていた。しかし、ゲームの中で身に着けた根気によってすべては変わった。もちろんゲームの中で多くの時間を失ったことは事実だ。多少の後悔もあるが自分は納得している。全く恨みもしていない。
そして、根気を学ぶと同時に俺は孤独の辛さを不自由の辛さを学んだ。俺のせいで誰かが不自由になるなんて耐えられない」
また、座り込みをすることで最高裁で決まったことが本当に覆ると思うのか、と聞かれると
「彼は特別業務上過失致死罪という『特別』異例のルールで裁かれた。それなら同様に異例のルールで裁判が再び行われてもいいはずだ。例え、覆る可能性が低くても俺は諦めない。忍耐こそが人の未来を変える唯一のものなのだから」
大衆は彼がただの変態でないと、AIに好きな女の子の名前を付けようとしたり、舌をレロレロしながらブリッジでパンツを覗くだけの変態ではないと気づいた。こうして今度は彼の名前は『奇跡がおきた男』から『不屈の男』となった。
彼は世論を動かした。
裁判は再び行われ、ゲームの開発者は無罪とはならないまでも情状酌量を勝ち取った。そして、後にこのエクセンベルグオンラインのゲームの開発者が釈放されるとこの二人は初めて直接出会った。それから二人の間にはいろいろ事件がありつつも意気投合し、後にVR技術をタイムスリップに応用する共同研究を始めた。
~fin~
この実にくだらなく、しかし私たちにとっては偉大な一歩となった物語りをタイムスリップ実験物第一号として、過去の皆さんに送る。
作『渋谷・田中VRタイムスリップ研究所』